おまけSS*リアと『ザック』
こちらはTwitterの診断メーカーさんからいただいたお題、
貴方はザックとリアで『香水』をお題にして140文字SSを書いてください。
で、ツイートしたものに、加筆修正したものになります。
作者個人の希望でリアには母イルザのものを残してやりたいと思い執筆しました。
お楽しみいただければ幸いです(^^)
ふわりと鼻の奥を、新緑の香りが擽った。
(あ、これ、どこかで嗅いだことがある、確か……)
懐かしいその香りは、過去の甘酸っぱくもあり、苦くもある記憶を呼び起こす。
リアは料理をする手を止めて、香りの源を探り出した。キッチンからとなりのリビングへ、キッチンナイフを手にしたまま歩みより覗き込んだ。
リビングには誰もいない。でも香りは漂っていて、リアは吸い寄せられるようにもうひとつ向こうの部屋、ザックの書斎を覗き込んだ。
ザックはとっくに起きていた、人間の姿で。
彼は、昼は人間で、夜には猫になる。この習性はまだ解決していなくて、ここに住むようになっても、お城で暮らしていたときのままである。
こちらに背を向けた状態で、ザックは安楽椅子に浅く腰をかけ、本を読んでいた。傍らのサイドデスクには小さな小瓶があり、そこから新緑の香りが漂っていた。香水の瓶だった。
(あんな瓶、この家にあったかしら?)
(それに、この香りは……)
リアの気配に気がついて、ザックが振り返った。
「おはよう、どうした? 私を刺しにきたのか?」
「えっ? あ、ごめん。そうじゃない、いい香りがしてきて、気になってここまできちゃった」
その香りは、それはハインリヒが、ゲラルトがつけていた『香水』のもの。
はじめてみる小瓶だから、ザックが魔法でどこからか取り寄せたのだとリアはわかった。
「どうしたの? 急に」
「ああ、人間っぽいことをしないと、猫に支配されそうになって」
この香りを選んだのは、二百年前の自分は王子であるということを一番強く感じさせるから。香水なんて、限られた特権階級の人だけしか使えない。
ザックにかけられた絵画封印の魔法は、依然、解呪できていない。
人間部分が消えてしまう恐怖と隣り合わせのザックを、リアはよく知っている。
「悪い、今から消す」
「いいよ。今日はつけてても、昼から出掛けるし、私は大丈夫」
ザックはかつての自分を自覚させる香りだが、リアには恋慕の指輪の騒動を思い出させる香りである。最初は嫌悪していた香りだったが、今では嫌な記憶は薄れてきていた。ここまでリアが譲れるのも、ずっとそばにいてくれているザックのおかげだ。
「ところで、そのナイフは、私の命令が厳しくて脅しにきたのか?」
いつものザックの皮肉がやってきて、はっとリアは気がついた。キッチンナイフを手にしたままであった。
(いけない、夕食の仕込みの途中だった!)
今日は昼から外出をするから、リアは朝から料理をしていたのだ。
「なによ~」
リアもザックに合わせて、いってみた。
「お望みなら、切り刻んでスープにして煮込んであげるわよ」
「それはまっぴらごめんだ。それに猫シチューなんて、誰も食べたがらない」
「そうね、美味しそうじゃないし」
目があって、ふたりとも軽く吹き出してしまうのであった。
***
王城が燃えて、リアは帰る場所がなくなった。それは、ザックも同じで、とりあえず、ふたりはクリスティーンの墓へ向かった。
アーベントロート侯爵領は、辺境に近い地区で、クリスティーンの生まれ故郷を含んでいた。クリスティーンの墓はその侯爵家の墓所にあり、初代侯爵と並んで設えられていた。きれいな声のいう通りであった。
二百年前のふたりの墓に花を供える。クリスティーンの墓には花とは別に、ザックはあの指輪を取り出して、墓石の下に放り込んだ。
それから静かにザックとリアは目を閉じたのだった。
その後は、国内を転々と渡り歩いた。渡り歩きながら、リアは文字を覚え、ザックは庶民感覚を身につけていく。
季節は夏から秋へと移り変わり、冬が始まる前に、ふたりはとある貿易の盛んな町に留まった。さすがに冬の間の放浪は、夏のようにはいかないから。
ひと冬だけの予定であったのだが、案外余所者の出入りの多い町だったから居心地が良くて、気がつけば二年目の冬に突入していた。
***
「へい、ザック! 今日はニシンが新たに入ってきたぜ」
馴染みの食料品店の店員が声かけてきた。
二年目となればすっかり知り合いが増えてきて、ふたりがこうやって買い出しに出れば、気さくに声をかけてくれる。
ザックはこの街で翻訳の仕事に携わるようになった。お城で教育を受けた知識人だから、間違いのない翻訳をするので貿易商からは引く手あまたの状態だ。
でも、あまり親密になることはできないから、夜には猫になるのだから当然夜の席には出ていけないのだ、病気療養でこの町にきて、今ゆっくりしているところだと告げてある。体調のいいときだけ仕事を請け負うという働き方だ。全部、嘘だけど。
リアはその病気療養の主人に付き添うメイドということになっている。お城を出ても、ふたりの立場はあまり変わらない。やはりザックの方が偉そうな立場で、リアはザックにこき使われているのであった。
「そうだな、じゃあ、いただこうか。あと、マロンもあるかい?」
上品な成りでザックは店員と受け答えする。メイドのリアは、黙ってみていた。
(あれ、栗がほしいなって、どうしてわかったの?)
「栗、ね。ああ、確か残っていた。ほらよ」
バスケットに入れて店員が差し出せば、ザックは受け取りリアが代金を支払った。ここでも主従が徹底されていた。
「リア、最後に郵便局へいくぞ」
「郵便局?」
手紙など、リアにもザックにも出すところはない。出すところがなければ、もらうこともない。謎に思いながらザックとともに郵便局までくれば、彼は外で待つように言う。
メイドのリアは、忠実にニシンと栗の入ったバスケットを持ったまま、外で待っていた。
ザックの用事はすぐに終わり、手には小包を抱えて出てきた。
「待たせたな。やっと、うまく手配ができた」
そういって、びりびりと小包の封を開け、中身を取り出した。
(ちょっと待って!)
(え!)
出てきたのは、朱色のスカーフと辞典である。辞典はザックが仕事で使うものと思われた。
(このスカーフの朱色、見覚えあるのは、気のせい?)
スカーフを広げれば、細長くて薄い。形状までリアの知っているものとよく似ていた。
「ザック、これ?」
「ああ、燃えずに騎士団エリアの押収品に残っていた」
そう、それは母イルザがリアにあげたスカーフである。下町の火災で亡くなってしまったイルザのたったひとつの形見のスカーフだ。
広げたスカーフをリアの首にかけて、ザックはリボン結びにして纏わせた。
「やっぱりな、リアは、この色がよく似合う」
オッドアイが柔らかくリアを見つめる。母イルザと同じことをザックは口にした。リアは目元に少し熱を感じてしまった。
「これ、魔法で?」
「この辞典も必要だったから、ついでに書面を書き換えて、局留めにしてここまで送ってこさせた」
お城でいるときのあの書面を細工する魔法を駆使したという。何でもないふりをしてそうザックはいうが、結構大変だったのではとリアは思う。
「どうだ、私は素晴らしい魔法使いだろう」
でも、ザックは恩着せがましいことはいわない。いうのは、自己称賛だけ。
「うん、そうね。ありがとう、ザック」
「じゃあ、帰るか。早くしないと、猫に戻ってしまう。シチューを食べ損なう」
軽口叩いて、ザックはいってみせた。栗のこともスカーフのこともシチューのことも、リアは心が温かくなる。
「ねぇ、ザック。どうして栗を買ったの?」
「だって、リア、この間、寝言でいってたぞ。もうすぐ栗のシーズンが終わっちゃうって」
ぼんと、リアは赤くなった。食い意地の張った自分が恥かしい。
じゃれ合いながらも、再びふたりは手をつないで家路を急ぐ。だって、冬の日暮れは早いから。ザックが猫になる前に、もっとたくさん話をしたいとリアは思うのであった。
(おしまい♪)