Act-8*救済の猫(11)
「エルフ?」
「ああ、エルフだ。いつも勝手にやってきて、勝手なことをして、勝手に消えていく、エルフだ」
エルフはおとぎ話の登場人物だとリアは思い込んでいた。白猫のザックを助けたとき、魔法やエルフの存在を否定したが、もう今ではしない。だって、さんざんザックに魔法をみせられて、その魔法で助けてもらっているから。
だから姿がみえなくても、リアはエルフのことを信じることができた。ある意味、リアの中では幽霊よりも確かなものになっていた。
“アイザック、相変わらずの物言いだな。ただ、ちょっと遊びが過ぎたかなって、これでも反省しているんだぜ”
「うるさい、お前らのいうことは信用ならない! エルフなんか、嫌いだ。大嫌いだ! とっと、消えろ!」
“つれないぜ、アイザック。まぁ確かに、やり過ぎたかなって気もしない……そうだな、アイザック。お前とお前のお嬢ちゃんを助けてやろう。どうだ、これで勘弁してくれるか?”
「断る。私は、自分の魔法だけで、生き延びる」
窃盗団のつけた火は、今では王城全体を燃やす大火となっている。それを助長したのは、この声の主のエルフだ。遊びが過ぎたと反省し、避難の遅れたリアたちを助けてくれるという。
だが、ザックは断った。
(どうして?)
ザックの拒絶に、リアは目が丸くなる。
(助けてくれるっていうのに、助けてもらえばいいじゃない!)
「ザッ……!」
いてもたってもいられずに、リアはふたりの会話に割り込もうとした。それを、ザックが邪魔をする。大きな彼の手が、リアの口を塞いだのだった。
そのままリアの背中へ片方の手を回し、ぎゅうっと自分の胸元へ、抱き寄せた。
(!)
服でなくぼろ布を纏っているから、ザックの胸元の筋肉の感触がダイレクトに伝わってくる。まるで直接触れているみたいだ。こんな生身の抱擁に、リアは慣れていない。またしても、ドキドキしてしまう。
「悪いな、気が変わった。よくよく考えれば、私はやっとこの世からおさらばできるんだ。二百年、絵画に閉じ込められて、死にたい、死にたいとずっと思っていた。今のこの火事は、まさにうってつけだ! 最高じゃないか、お前らの手を借りるまでもない」
さっきまで生存を切望していたのに、今度は自殺願望を口にする。空に向かって、高々と宣言した。突然のザックの抱擁と心変わりにリアはついていけない。
さらにこんなことも、ザックは口にした。
「リア、愛してる。ふたりだけの、邪魔の入らない世界へ、いこう」
(!)
(どういうこと?)
口もとのザックの手が外れた。代わりにやってきたのは、整ったザックの顔。火災による赤い空の下、金髪がオレンジ色に染まり、長い睫毛に縁取られたオッドアイが、優しくリアを見つめていた。
(え!)
そのまま唇が塞がれる。いきなりのくちづけに、リアは大きく金の瞳を見開いた。心臓が速打ちし、頭はパニック寸前になった。
唇が触れあうと、途端、情報が流れ込んできた。リアの焦りとは別に。
(!)
この感覚は、額をくっつけて記憶の移行を行ったときと同じ。はじめてザックがリアの部屋に現れた朝と同じ。あの場面がまた再現される。ただし、今は額ではなく唇をよせて、だが。
リアの意識の中にザックの思考が流れ込んできた。
━━エルフなんか、信頼するな! あいつらに借りを作ると一生、付きまとわれる。
━━やつらは勝手に世話を焼くんだ。その癖を利用する。
━━いいか、今から川へ飛び込む。
━━心中する振りをして、一緒に飛び込むんだ!
一方的なザックのメッセージが頭の中に直接告げられる。キスとは違う別の意味で、リアの目がますます丸くなった。
エルフを騙すために、ザックは川へ飛び込み心中するという。それは振りだとしても、飛び込むことには間違いない。こんなこと、正気の沙汰でない。
(ほ、本気でいっているの?)
(飛び込むって、一体どこから?)
ここは展望回廊、王城でも一番高いところになる。下に降りることができなくなった今、飛び込むといわれたら……
半壊した展望回廊の柵の向こうに、細長く岬のように伸びている建物がみえた。その建物からは、まだ煙はそう立っていない。今まで避難した屋根上と違って、こちらは崩壊していないのだ。
その先には原生林が横長に薄く広がり、もっと先には川が流れている。
(あそこは、騎士団エリアの最奥……)
(確か、あそこには城壁がなかった。あの場所は断崖絶壁だから、難攻不落の天然の防壁だからって、カウフマンさんが……)
キスされながら、断崖下に流れる川のことに気がつけば、リアはザックの真意を理解した。
(まさか、屋根上を伝って、あの先までいって、飛び込むの?)
(そんな……振りだとしても、死んじゃう……)
「リア」
びっくりするぐらい艶のある声が、リアの名を呼んだ。まだザックとの距離は近くて、いつでもキスが再開できる。ザックの腕の中で彼の息遣いに敏感に反応し、リアは身震いしてしまう。
目を細め、蕩けるような笑みを浮かべて、恋人に告げるように愛しくザックはささやいた。
「リア、私は、もうこんな嘘、偽りの世界など未練はない。リア、君さえいればいい。愛してる。いこう」
言葉の甘さにリアはうっとりしかかったが、次のザックの行動は速かった。
抱擁を解き手を繋ぎ直せば、彼は走り出す。引っ張られて、リアも走り出した。
展望回廊の破壊された転落防止柵を乗り越えて、再び屋根上のふたりになったのだった。
“ああっ! あはははーーー! なんだい、なんだい、人がせっかく助けてやろうっていうのによー”
騎士団エリア奥の断崖へ向かってふたりが走れば、エルフが悪態をついた。
自身の救済を断られ、目の前でラブシーンをみせつけられては、エルフとしてはちっとも面白くない。
姿がみえなくても、リアにもわかる。口調のからもセリフからも、エルフの逆鱗に触れてしまったと。
(エルフを怒らせて、それでお節介焼きを利用するって?)
ザックは走る。迷わずに、一直線に、屋根の岬の先端へ向かって。
リアもザックに追随するが、その彼の走りは、先までとは全然違っていた。展望回廊までは火が迫りきても、まだリアのことを気遣った余裕のある走りだった。
だが、今は違う。リアのことなどお構いなしに、全速力で走る。いつの間にか、ザックがリアを腰に抱えて走っているような形となった。
そうこうするうちに、足元がぼろりと崩れる。火のついた瓦礫が、しかも大きなものが飛んでくる。進行方向で、屋根をぶち抜いた火の柱が上がる。まるで、ザックとリアの行く手を阻むかのように。
(エルフが、邪魔をしている?)
軽くジャンプして、ザックは火の吹き上がり箇所を避ける。リアを強く抱き寄せれば、ザックが降ってくる炎の瓦礫を代わりに受けた。
“そう、そう、そうこなくっちゃ、いたぶり甲斐がないぜ!”
「エルフなんか、嫌いだ!」
明らかにふたりの足を止めようとする火獸のいたずらに、ザックは惜しげもなく身を呈し、決して屈しなかった。
(ザック!)
(ザック!)
(ザックーーー!)
これが二百年前の魔法使いの姿なのか、何事にも動じない、何者にも従わない、自己の意思のみを通すという……
━━いくぞ! しっかり捕まってろ!
頭にザックの声が響いて、リアからもザックにしがみついた。
目の前の煙の隙間から、赤く照らされた原生林がみえる。その向こうに黒い川がみえて、ザックが呪文を唱えた。
呪文が終わると同時に、足元の屋根が切れた。ザックが踏み切り宙に飛び上がったのだ。頬に風を感じた瞬間、重力からも解放された。
ふわりと風が吹いて、体が持ち上げられたような気がした。
それは、王城を燃やす火事の爆風によるものであったかもしれない。だって、ふたりが王城最北端の建物屋上から踏み切った瞬間、背後で大爆発が起こったから。
エルフの最後のいたずらをぎりぎりかわし、城下の川へ、ふたりは飛び込むことができた。
リアはザックに強く抱きしめられた状態で、ふたりは屋上から放物線を描き落下する。普通なら、自殺行為だ。下に川は流れているが、そこに落ちるとは限らない。手前の崖や、それのもっと手前の原生林に落ちてもおかしくないのだから。
ザックの魔法を頼りにした、命がけのダイブであった。
━━ねぇ、アイザック。私、確かにファビアンから恋慕の指輪をもらったけど、恋慕の指輪のせいでファビアンと結婚したのじゃなかったのよ。
━━アイザックが逮捕されて、私は犯罪者の婚約者になってしまった。そうなってから皆、私から距離を取ったけど、ファビアンだけはずっとそばにいてくれて、励ましてくれたの。
━━ファビアンの友情に私はずっと甘えていて、ずいぶん彼に迷惑をかけてしまったわ。
落下する中で、柔らかな女性の声が頭に直接話しかけてくる。それは、リアにとっては一度だけきいた声、ザックにとっては懐かしい声。
━━結婚してからもファビアンは変わらず優しかったの。私はとても幸せだったのよ。
━━王様の命令で王城に上がることになったけど、最初ファビアンは断ったの。おかしいでしょ、兄王子の付き人だったファビアンが、兄王子よりも偉い王様の命令に逆らったのよ、あの人ったら。
━━でも、王様もアイザックの件があったので、配慮をしてくれたわ。ファビアンは新しい侯爵位をいただくことになったの。アーベントロート侯爵様になったのよ。
━━世間では、私を王様に差し出してファビアンは爵位をもらったっていわれているけど、そうじゃないの。私が志願したの。私はファビアンを助けたかったし、何より国のためになると思ったから。ザックがいなくなってから、この国では魔力を持つ子供が生まれなくなって、国としては必死だったのよ。
次にきこえたのは、ざぶんという水に落ちた音。音と同時に、耳のきこえが悪くなる。くぐもった水流が不規則にきこえてくるようになり、でもそれはしばらくしたらきこえなくなった。
水の中でも、ザックの腕がしっかりとリアの背中に回っている。リアも同じように腕を回し、ザックにしがみついていた。水流でバラバラになってもおかしくないのに、ザックとリアは一緒になって流された。
川の流れに乗って、ふたりはどんどん流されていく。不思議なことに、水の中だけど息苦しくはなかった。
水の中でも、女性の声の独白が続く。
━━私は魔力が強くて、その代償で子供を産むことができなかった。皆の期待に反して子供ができない上に、流行り病にもかかってしまったの。
━━流行り病で動くことができなくなって、お城の愛妾の部屋で死んだわ。最後にファビアンに会うことはできなかった。そして王様は、準王族の扱いで私の葬儀を出してくれた。
━━そのあと、ファビアンがアーベントロートの家まで連れて帰ってくれたのよ。これもおかしいわね。私はアーベントロートの人間じゃないのに、お墓もアーベントロートのところに作ってくれたの。
━━アイザック、怒っているわよね。私のことも、ファビアンのことも。貴方のことを信じて待ち続けることができなかった私のことは、許さなくてもいい。でも、ひとつだけ、これだけは信じてちょうだい。
━━ファビアンは貴方を告発したことをずっと後悔して、罪の意識に苛まれていたんだってことを。
(この声は……)
(ザックの恋人の……声だ)
リアは、同居最初の朝にザックからもらった記憶を思い出した。アッシュブロンドのきれいな人が、ザックから虹色の指輪を贈られて、ふたりで未来を誓いあっていた。
ザックが自慢にしている恋人の声をきき、リアは何だか胸が締め付けられる。エルフのいたずらで、ザックらは歩む道が変わっていった。
(エルフなんか大嫌いって、いいたくなるわよね)
(あれ、アーベントロートって、ここでも出てくるんだ)
(ラルのアーベントロートって、このアーベントロートなのかしら?)
真っ暗な水の中をザックとリアは流れていく。流れの勢いは衰えず、どこまでもどこまでも流される。最後には海にまでたどり着くかと思われたが、そうならず、ふたりの漂流に終焉がきた。
とある浅瀬にふたりは打ち上げられたのであった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
明日の投稿が、このお話の最終投稿となります。
最終回はAct-8*救済の猫(12)とエピローグ、おまけSSの三話を同時に投稿します。
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