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Act-8*救済の猫(10)

 王城を構成する建物群の屋根上を、ふたりは走っていく。ゲラルトの私室が火の海となれば、外の様子もよく似ていた。

 風で煙が流れ視界が遮られる。火の粉が飛んできて髪も顔も腕も焦がされる。時折爆発音がきこえては屋根の道の一部が崩落した。

 騎士からの情報だと、出火場所から遠い騎士団エリアは無事らしい。展望回廊で結ばれる四つの塔のうち、ひとつは騎士団エリアに続くもの。展望回廊までいけばその塔から地上に降りることができる。いつ崩れ落ちてもおかしくない屋根上を走りながら、そうザックは説明した。

 実際、三ヶ所から火の手が上がったが、騎士団エリア付近にはそんなに火が回っていなかった。目標とする尖塔群は、大火に照らされる分には煙が出ていない。走りながらリアは目視できた。

「死ぬ気で走れ、ヘマするんじゃねーぞ!」

 いつもの毒舌でザックが檄を入れる。ぎゅっとリアがザックの手をしっかり掴めば、ザックもしっかり握り返してくる。リアもうんとうなずいて、気を強く持った。


 今は大火の明かりでザックは人間だが、時刻は猫に戻る夜である。いつ、ザックが猫の姿に戻ってしまってもおかしくない。展望回廊にたどり着くまでは、ザックには人間の姿のままでいてほしい。ここでザックが猫に戻ってしまったら、今のリアではどうにもできないのだ。あまり時間がないと、ザックもリアもわかっていた。


 屋根は一直線で展望回廊まで続いている。運のいいことに、連なる建物同士の隙間も広くなければ、その高低差もほとんどない。右手側から数ヶ所、煙が流れて屋根がみえないところがあるが、そこを注意して 原則、まっすぐ走ればいい。今ならまだ火の手は後ろ側、落ち着いて行動すれば十分避難できる。

 焦る気持ちを抑えて、ふたりは走る。バランスを崩せば、そのまま屋根から滑り落ち、火事でなく落下で命を落としてしまう。火事の火の勢いとは別に、高所ゆえの強風がザックとリアの避難を困難にしていた。脆くなった部分に足を取られないように、慎重に見極めてながら夜の火災現場を進んでいった。


(あ、足が……痛い!)

 走りながら、リアは右足に違和感を感じた。

(右足が、どうして?)

 右足に怪我をした覚えはないのだが、一歩一歩と進むたびに、しんしんと傷む。でもそんなこと、ザックは知らない。またふたりの身長差も大きいから、歩幅が全然違う。避難していくうちにだんだんリアの方がつらくなってきた。

 とある場所で、リアの足が滑った。

「きゃぁあーー」

 リアが叫ぶと同時にザックが手を強く引っ張り寄せた。勢いをつけてリアの腰を抱き掴んだ。彼女の転倒と転落を防いだのだ。

「展望回廊までもう少しだ! 頑張るんだ!」

 一度止まり、息を整えた。振り返れば、脱出したゲラルトの部屋の窓は、煙突の出口のように黒い煙を吐き出している。赤い空を背景に、夜でもそれが黒いのがわかる。

 屋根上から見下ろせば、他にもそんな窓があちこちにある。もう少し遅ければ、あの熱くて黒い煙に巻き込まれて焼死していただろう。

 そんな想像をすればリアは背中が寒くなる。炎の熱を受けて、屋根上を走り続けて、汗まみれであってもだ。

(ここまで逃げてきたけれど、まだ安心できない!)

 喉が張りついてうまく声が出せない。ザックはリアの表情を読み取って、彼女の体勢が整ったら再び走り出した。


 手をつなぎ、リアは無我夢中でザックについていく。必死になって追随するうちに、右足の痛みとともに曖昧だった昨夜のリアの記憶が、だんだんと鮮明に甦ってきた。

(そうだ、この足は、あのときの怪我だ! 昨晩も今みたいに手をつないで走って逃げて、転んでそのままラルに捨てていかれたんだった!)

 恋慕の指輪が外れてから、時間が経過していた。その経過とともに、リアに纏わりついていた指輪の呪縛も消えていった。屋根上を走る今のリアは、甘くて苦い指輪の記憶をすっかり取り戻していた。

(でも、ザックは違う!)

(ザックは、あんな薄情な人たちじゃない!)

(ザックなら、信じられる!)

 ハインリヒらにさんざんバカにされておもちゃにされていたのは悔しくて悲しい。だが、今つないでくれているザックの手は、何よりも確かなもので、リアは心強かった。


 あちこちで爆発が起こる。大きかったり、小さかったり、すぐ近くだったり、遠くだったり。ただの火災事故にしては、やたらと発火場所が多すぎる。

「窃盗団が逃亡するために、ここまで念入りに仕掛けてたか!」

 昨晩の旧図書室の火事はゲラルトのランプの暴発だった。本棚の転倒は何が原因かわからないが、火の元はゲラルトのランプに間違いなかった。でも、役人らは窃盗団の放火だと思っている。

 リアも最初はそう思っていた。しかし、指輪の記憶が戻ってからは、今の火災事故は窃盗団ではない違う誰かの仕業だと考えて直していた。

「窃盗団って、本当にいたのね!」

「最初っからいるって、いってるだろ。わざと泳がしてあったって」

「でも、盗品に高価なものはなかったわ」

 そう被害は大したことがなかった。だから、役人らは身内の犯行だと考えて注意喚起だけで済ましていた。しかし、注意喚起しても盗難が収まらず、持ち物検査が行われるようになったのである。

 そして使用人らは持ち物検査をはた迷惑に思い、大食堂ではいつもその文句が充満していた。

「少しずつ盗んでいたさ。少量で、何回も。そうすれば、見つかりにくい。同時に、使用人のちゃちな品も盗んでおけば、混乱して本命が発覚しにくい。それと……旧図書室は盗品の仮置き場だったから」

「え? そうだったの?」

「ああ、バカの手下(ゲラルト)に呼ばれて旧図書室へいったら、鍵が開いていたのはそういう訳だ」

 あっさりザックに種明かしを教えられて、ぼんとリアの顔が赤くなった。走り続けて体が熱いのとは別に。

(ラルと……キ、キスしたこと、知っているの、かしら?)

 今はそういうことを心配している状況ではない。だが、この“私は何でも知っている”という魔法使いは、本当に何でも知っていそうで、頼もしいけど、それについては恥ずかしい。


「くっそ! 柵が邪魔だ!」

 照れるリアとは別に、忌々しくザックがうめく。

 屋根の避難路が終わりに近づいてきたが、それの最後の障害とばかりに、展望回廊の転落防止柵が立ちはだかっていた。

 柵はかなりの高さで、掴まって登れるような窪みや出っ張りがない。転落防止のためのものなのだ、人が簡単によじ登って越えられないように造られている。

(あれじゃあ、中に入れない!)

 中から越えられなければ、外からも柵は越えられない。そんなこと、もちろんザックだってわかっている。

 リアと手をつないで走りながら、ザックは空いている手でペーパーナイフを取り出した。小さく呪文を唱えて、その刃にキスをする。そして、前方へ、展望回廊を囲む転落防止柵に向かって勢いよく投げた。


 小さなナイフなのに、風を切る鋭い音がした。その軌道を追って閃光が走る。その速さは、稲妻にだって負けてはいない。

(!)

 光の矢だ、リアにはそうみえた。

 閃光が跡を引いて、ペーパーナイフがまっすぐ飛んで転落防止柵にぶつかった。同時に派手な破壊音がして、転落防止柵を吹き飛ばした。

 大小さまざまな金属片と木片が飛び散った。それらは展望回廊の床へ、回廊外側の屋根へ、もっと先のはるか下の地面へ、緩やかな弧を描いてバラバラと落ちていく。

 光が通り過ぎた後に残ったのは、光の軌道に沿ってえぐり取られた半壊の展望回廊。ふたりの侵入の邪魔をする障害物を、ザックが魔法で取り除いたのだった。


(これで、助かる!)

 大破した転落防止柵を乗り越えて展望回廊に踏み込んだ。

 だが、リアは着地に奇妙な感覚を覚えてしまう。それは、どこか宙に浮いているような感覚だ。

(?)

(嫌な予感がする)

 そこに、声が響いた。


 “あ、はっはっは!”


 子どもような、でもどこか残忍な色の混ざる笑い声が、リアの背後からきこえてきた。

 慌ててリアが振り向いても、そこには今まで走ってきた屋根の連なりがあるだけ。もうその道は、煙に撒かれたり、火が吹き出ていたり、大きく崩落していたりと、炎の地獄絵と化していた。間一髪であった。


 “よう、アイザック! 久しぶりだな”


 声は、ザックに話しかける。今度は前方から。リアもそちらに振り返るが、やはり誰もいない。

 非常事態なのに、その声はまるで普段の世間話をするかのようであった。


 “せっかくここまでたどり着いったてのに、残念だな~。もう尖塔は煙まみれだぜ”


 声は意地悪く、最悪の事態を告げた。

(え、嘘でしょ? それじゃあ、塔から降りられない!)

 声に指摘されて、リアは四つある尖塔を順番にみた。一見、そうはみえない。


 “信じられない? じゃあ、みせてあげる”


 姿はみせなくても、リアのことをどこからか観察している。

 声が無邪気にいい払うと、展望回廊に繋がっている尖塔の扉が、ばーんと、時計回りで勝手に開いていった。

 扉が開くと同時に、もくもくと黒煙が吹き出した。声のいうとおり、塔の内部は煙まみれであったのだった。

(あんな中、降りられない)

 どーんと足元から音がして、リアとザックのいる場所からちょうど対角線上にある回廊の床が抜けた。黒い煙がそこから立ち上ぼり、赤いチラチラした炎が見え隠れする。

 そんな現場を目の当たりにすれば、展望回廊に足を踏み入れた瞬間の足元の頼りなさの意味がわかった。

(この下は、もう……)

(このまま、回廊ごと落ちて、私、死んじゃうんだ……)

 急速に、リアは足の力が抜けるのがわかる。気力でごまかしていた右足の痛みも復活する。

 ザックに励まされて一生懸命逃げたけど、間に合わなかった。自分も母と一緒で火事で死ぬんだと、リアは絶望したのだった。



 リアと違い、ザックは生存をあきらめてはいなかった。

 空に向かって、毅然として、いい放つ。

「うるさい、エルフども。これもお前らの仕業だろう!」

 煙と火の粉の舞う展望回廊の上空に向かって、ザックは悪態をついたのだった。


(?)

(何、ザックは誰と話しているの?)

 再び声の主を探して、リアはあちこちと目を凝らした。煙は途切れることなく立ち上がり、瓦礫が舞い続け、火の粉は遠くから飛んでくる。この展望回廊のどこにも、やはり人の姿はみえない。ザックとリア以外に誰もいない。


 “さすがだな、二百年前に稀代の魔法使いと噂されたってのは、本当らしいな”

「用件はなんだ?」

 “用件なんかないさ。久しぶりにこっちにやってこれたから、はしゃいでいるだけさ”

「どうりで、火の回りが速すぎると思った」

 “ああ、人間なんて、すっかり俺らのことを忘れてしまったからな。魔法使いもいなければ、エルフも消えるってもんさ。寂しいね~、ああ、寂しい。ちっとは思い出してもらいたくて、羽目を外したんだよ”

 構ってもらえない子どもがわざといたずらをするように、火災事故を大きくしたのは自分だと、声は告白した。


「ザック? 誰と話しているの?」

 恐る恐るリアは声をかけた。ああ、そうか、そういう顔をして、ザックは声に対するのとは全然違う穏やかな口調でリアへ答えた。

「エルフだ。リアは魔力が弱いからみえない。私が魔法をたくさん使ったから、その魔力に引かれてやってきたんだ」



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