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Act-8*救済の猫(7)

「ハインリヒ様! あの、私……違います!」

 さすがに指輪をもらってベッドに押し倒されれば、いくら恋愛に疎いリアでも、わかる。これから何が起ころうとしているのか、そのくらいわかる。

 のしかかるハインリヒの体は重く、ベッドが柔らかでなければ、リアはつぶれていたかもしれない。強固な拘束を施して、ハインリヒは再びリアに問うた。

「違う? だって、ゲラルトに、よろしくお願いしますって、いったのだろ?」

「いえ、そうじゃなくて」

 もっとハインリヒが近づいてきた。ふたりの胸元がぴったりと重なれば、リアの耳元でハインリヒは意地悪気にささやいた。

「何? やはり、ゲラルトがいいの? 私じゃなくて、ゲラルトがいいんだ。いけない子だなぁ、リアは。私はリアがほしくてほしくてずっと我慢していたのに、リアは私よりも、ゲラルトが好きなんだ」

 掠れた声でささやいて、ハインリヒはリアの耳を食んだ。そのまま舌先が耳穴を弄り、ざわざわという木々のざわめきのような音がリアの耳に響く。生まれてはじめて耳を舐められて、リアは腰回りが震えてしまう。

「ハインリヒ様、やめてください!」

「ゲラルトを、リアの先生にしたのは失敗したかな? 私より先にリアと仲良くなってしまうなんて……なんだか、悔しいなぁ~」

 どこまで本気でそういっているのだろうか? ハインリヒの口調は、冗談めいてもいれば恨みがましくもきこえる。

 リアはゲラルトのことを友人だと思っている。リアが好きなのはハインリヒである。

 でも、ハインリヒはリアとゲラルトの仲を疑っていて、奇妙な嫉妬心からこんなこともいい出してきた。

「あまりゲラルト、ゲラルトというのなら、彼を罰しようか? 私のリアの心を盗んだって罪で」

「!」

 それは、勘違いによる言い掛かりだ。耳からはじまり頬を伝うハインリヒの唇にリアは背中がぞくぞくする。ぞくぞくしながらも、リアの顔色は青ざめる。それをハインリヒは見逃さなかった。

「ねぇ、そんなにゲラルトが、好き?」

「…………」

「そう、そうなんだ? ゲラルトとは、どこまでやった? どんなキスをした? いや、まだ寝てはいないんだったかな?」

 未婚の乙女に対して、王子は赤面するようなことを訊いてきた。

 ゲラルトとはキスしかしていない。しかもそのキスは、指輪を嵌められたときだけで、リアの理性がおかしくなったときだけ。リアの本意ではない。

「ハインリヒ様、違います。ゲラルト様は、関係ありません」

 リアが真実を告げても、ハインリヒには正しく伝わらない。内容に具体的なことが伴わないから、説得力がない。リアにしてもゲラルトとのやり取りが、依然、霧の中の記憶だから、いいたくてもできないのである。

 リアの気持ちは正しく伝わらない。ハインリヒの思考はリアの期待とは違う方向へ暴走していく。

「操立てするなんて、かわいいねぇ。いいよ、いいよ。私は寛大な男だから、そのくらい気にしない。それよりもっと気持ちいいことをしよう。ほら、口を開けて」

 細いリアの顎にハインリヒの手がかかる。

(この人は一体、誰?)

(全く、話をきいてくれない……)

(あの優しいハインリヒ様と、同じ人なの?)

 掴んだリアの顎に力を入れて無理やり口を開かせると、ハインリヒはリアにくちづけた。


 ベッドに組み敷かれて、顎を捕らえられ、くちづけされながらも、リアはハインリヒの下で暴れた。

 腕をほどこうとしても無理となれば、背中を叩き脇腹を殴る。多少、彼の体が揺らいだが、体格差がありすぎて効果がない。

「小さいくせに、力があるな。まぁ、今までにないタイプといえば……それはそれで……いい、いいんだ……けれど!」

 ハインリヒはリアをベッドと自分の体の間に閉じ込めてある。だが、思いの外、リアが暴れる。しかも、その力は小さな体に似つかわしくなく、強かった。

 自分に抵抗する娘━━今まで自分の要求を拒絶する娘などいなかった。リアの反抗はハインリヒの興を引くだけであった。

「本当は、こんなことしたくはなかったのだが……」

 と、仕方がないといわんばかりにハインリヒは自身のクラバットをほどいた。

 ほどいたクラバットを口に加え、ハインリヒはリアを組み敷いたまま、リアの頭の上で両手をひとつにまとめた。先のクラバットで、そのリアの両手を一緒に縛り上げる。これでもう、ハインリヒの体を殴る手はなくなった。

「リアが暴れるから、いけないんだよ。悪い子には、お仕置きが必要だ」

 残忍な色をのせた碧の瞳が、怯えるリアの金の瞳を捕らえた。

(私の知っているハインリヒ様は、こんな人じゃない!)

(誰か、誰か、きて!)

(ハインリヒ様を止めて!)

「ねぇ、怖いの? 少し震えているようだけど、怖くないよ、夜はこれからだし、ゆっくり楽しもう」

 大きなハインリヒの手が、リアの頬を撫でた。



 ***



 風にのって、かすかに煙の臭いがする。

 窃盗犯が仕事を済ませて火をつけたかと、すぐに白猫のザックは勘づいた。その窃盗犯はもう城外へ脱出しただろうか。

 早くリアを見つけ出さなければならない。追跡の手を減らすため、火が大火になるのはみえていた。

 一度マルガレータの元を去り、ザックは騎士団エリアへ向かう。リアの救出のために。

 だが、ザックの足の動きが鈍くなる。リアだけでなくゲラルトのこともやはり頭から離れなくて、仕方がないからだ。


 先ほどマルガレータの元にやってきたのは、アーベントロート卿と呼ばれるゲラルトである。ハインリヒの付き人で、リアに恋慕の指輪を嵌めた人物だ。

 ゲラルトがあの指輪をリアに贈ったのは、彼女をハインリヒのところまで連れていくためだと、ザックは思っていた。リアはザックのいうことをきちんと守っていて、ハインリヒと深い仲になることを自制していた。その自制を壊すために、ゲラルトは恋慕の指輪を使ったのだとザックは推論していた。


 昨晩、彼はリアを旧図書室へ呼び出して、自分の侍女にするといって了承を取り、そのまま王城へ連れていく予定だったのだろう。

 そこを、ザックは干渉した。

 空の本棚を倒し、ランプを暴発させ、旧図書室を燃やした。ゲラルト自身にも火をつけて、リアから追い払った。火傷を負い、恋慕の指輪をリアの指に残したまま、ゲラルトは逃げ去ったのだった。


 持ち物検査の入った今日は、リアのことを心配する振りをして、指輪を求めてゲラルトは必ずリアの元へ駆けつける。

 ゲラルトはザックがリアの指輪を外したことを知らない。恋慕の指輪は嵌めた人でなければ外せないから、ずっとリアが所持していると思っている。

 恋慕の指輪━━あれは、使い方次第ではいくらでもほしいものが手に入る。あんな便利なもの、効果を知った者なら誰だって、手放す人はいない。

 だから、ゲラルトはリアのところへやってくる。だから、リアはゲラルトのそばにいる。


「…………」


 ここまで思考が進むと、ザックは気がついた。

 リアの部屋に持ち物検査が入り、ザックはリアの自室で眠っていてそのまま拘束された。リアはその時間、仕事に出ているからきっと図書室で拘束されたに違いない。

 役人が踏み込んできたとき、自分は眠っていたから尋問もなく牢屋へ直行した。リアは仕事中だから、そこからどこかへ連行されるだろう。役人はザックの服や本について、窃盗団のことについていろいろ尋問しなくてはならない。カウフマンがそばにいては、それはやりにくい。

 となれば、リアは騎士団の取調室にいる可能性が高い。

 そう結論付いてそこへザックは向かっていた。

 だが、マルガレータの元へゲラルトがひとりでやってきたことを考えると、実はもう、リアは取調室ではなくて彼の手の内にいるのかもしれない。

 そんな推論とは別に、やはりザックには何かが引っかかる。得体のしれない何か、第六感のようなもの。

 白猫の鈍い足取りがピタリと止まる。くるりと向きを変えると、白い影は元のテラスへ引き返したのだった。


 ゲラルトはマルガレータのところへやってきた。ブルーベリータルトを食べたいといって。

 そのマルガレータは、端からゲラルトのことは好きではない。

 でも彼は、毎日のように贈り物をし、ご機嫌伺いにしょっちゅうやってくる。マルガレータの兄のハインリヒの付き人でもあれば、ゲラルトは王女との結婚を望んでいる。周りもそれを認め、ゲラルトの振る舞いも黙認もされている。だけど、マルガレータはゲラルトを望んでいない。求めているのは、異国へ帰った青年外交官である。

 恋慕の指輪の効果を知っているゲラルトが、そんなマルガレータに恋慕の指輪を使うのが容易に想像できた。つれない想い人を振り向かせる最終手段だ。

 もうリアは、取調室にはいない。ゲラルトに捕獲されて、ハインリヒのところにいる。指輪を抜いて、リアをハインリヒに引き渡したあと、マルガレータに会いにきたとしたら……すべてがピッタリと一致する。

 そして、ザックが茶会の行われているテラスにたどり着けば、ちょうどゲラルトがマルガレータに指輪をみせていた。

 かつて二百年前にみたのと同じ場面、ファビアンがクリスティーンに指輪を嵌めて愛をささやいたのと同じ場面が展開されていたのだった。



 ザックは遠慮なく魔法を使い、皆を恐怖に陥れた。ゲラルトには、物理的ダメージを与えた。火傷のことを知っていたから、そこを狙えば間違いないと確信して。

 かくてゲラルトは火傷の箇所に打撲を受けて、指輪を落とした。猫であることに感謝して、ザックは素早くテーブル下に潜り込み指輪を奪取した。


 テーブルの上で暴れたのは、時間稼ぎだ。

 ザックが茶会のテラスに着いたときには、窃盗団の放火の火は大きくなっていた。だがこの段階では、指輪を咥えた白猫の追っ手はまだ多い。

 窃盗団は最後の仕事を済ませたら確実に逃亡できるように、きっと昨日の旧図書室の火災以上の火をつける。昼の間に、よく燃えるよう仕掛けもしてあるに違いない。

 仕掛けが働き王城に火がつき大火事になれば、城内はパニック状態になる。窃盗団が逃亡するには、最高の状況である。と、同時に、ゲラルトはハインリヒの元に走るだろう。

 ゲラルトは同時刻にハインリヒとリアを引き合わせている。だが、王子の部屋に連れ込むほどあのハインリヒは大胆ではない。父王や兄王太子の目を気にして、王子とは関係ない部屋にきっといる。

 単に指輪を奪って逃げただけでは、ゲラルトが追いかけてくるだけで、リアの居場所はわからない。

 でも火がつけば、さらにその火が城を燃やしてしまうような大火になれば、ゲラルトは指輪よりもハインリヒを取るだろう。指輪も大事かもしれないが、それは(あるじ)があってのこそ。

 そのザックの読みは当たって、ゲラルトはマルガレータと別れて、燃える王城へ走っていったのだった。

 そして、迷わず白猫のザックも、彼の後をつけたのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ゲラルトがマルガレータに迫る逼迫したシーン、読んで思わずハラハラしてしまいました。 ここ、ザックの過去を投影した構成なのですごいですね。惚れ惚れします。 そして、過去は変えられなくても今は…
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