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リアと『図書室の白い猫』~拾った猫は生意気だった~  作者: 高中 彰良


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Act-8*救済の猫(5)

 ゲラルトは親指と人差し指で摘まんで恋慕の指輪をマルガレータの目の前に掲げた。テーブル上のキャンドルの明かりをうけて、指輪の宝石はオレンジ色に輝いている。リアにみせたときとは違う色だ。昼と夜では、恋慕の指輪のオパールはずいぶんと色目が違っていた。

「これは?」

「はい、殿下にお似合いだと思い産地から取り寄せました。この色の混ざり具合は、現地でもなかなかない配色だそうです」

 ずっと侯爵家の執務室奥で眠っていたものだが、そんなこと、ゲラルトはおくびにも出さない。

 出入りの宝石商が持ってきた中に小さなオパールがあった、これがひどく気に入って到着するのを何ヵ月も待ったのですと、ゲラルトは正々堂々と嘘をついた。

「ええ、そうね、不思議な色ね。透明ではないけど、かといって輝きが鈍っているわけでもないし」

「お気に召されましたか?」

「ええ、素敵なものだと思うわ」

 宝石など数多く所有もしていれば、目も肥えているマルガレータにはそう心が惹かれるものではない。庶民が持てば立派、貴族だと普段使い、どっち付かずの中途半端なクラスだ。

「嵌めてみては? 指に嵌めると体温でまた色合いが変わりますから」

「でも……それは、貴方の恋人に対して失礼ですわ」

 そういってマルガレータが極力波風立たぬように遠慮するが、ゲラルトはきこえていない振りをした。

 くすりと笑って後ろから椅子ごとマルガレータを包み込む。柔らかく、でも有無をいわさずマルガレータの左手を取れば、ゲラルトの右手が恋慕の指輪を嵌めようとした。

 不躾なゲラルトの仕草に、マルガレータも遠慮をやめた。

「ゲラルト様、待って! 私は、好きな人がいるの!」

 椅子に閉じ込められて指輪をもらう姿など、遠くにいる“ばあや”らに見つかってしまえば、誤解されるだけである。“ばあや”はとかくゲラルトのことを買っているから、ますますマルガレータの意見をきかず勝手なことをするだろう、体面など構わずに声を荒げてマルガレータは主張した。

 本音を曝したマルガレータに対して、ゲラルトは動揺などしない。すべて想定済みのことだから。そして、彼女の後ろから冷たい声でささやいた。

「ええ、知っています。でも、その男はこの国にはいませんよね。私は、身分こそ低くて貴女とは釣り合わないが、貴女を想う気持ちは他の誰にも負けはしない。いつだって、誰よりも早く、貴女の元に駆けつけることができるのは、この私です。どうか、私を受け入れてください」

 一番ききたくなかったセリフをもらい、マルガレータの背中が凍り付く。のらりくらりと今までかわしてきたがもう限界、そう思えばマルガレータは左手を引き抵抗する。だが、所詮は女性の力、男性の、騎士のゲラルトの力には敵うわけがない。

 強引だけどどこか丁寧な仕草で、ゲラルトはマルガレータの目の前で指輪を彼女の左薬指先に当てた。

 そのときだった。


 ━━にゃあーーー


 猫の鳴き声が、テラスに響いた。それは一匹だけど音量は大きくて、とても一匹だけのものとは思えない。テラスの面々が驚き、お互いに顔を見合わせた。


 ━━にゃあーーー


 もう一度、猫の鳴き声がして、それはテラス中に反響する。どこか禍々しく尋常でない猫の鳴き声に、“ばあや”らが声の主を求めて周りを見渡した。

 テーブルのマルガレータとゲラルトも同じで、鳴き声に不意を突かれて、ふたりの動きも一瞬、止まった。


 鳴き声の後に、短い静寂がきて、今度はテラスそばの植栽がざわめいた。がさがさがさと葉が擦れては静かになる。またがさがさと揺れては止まり……それは潮騒のように何度も繰り返しきこえてきた。

「きゃあーー、あー、何? 何?」

 ひとりのメイドの悲鳴。

「いま、足元で、何かが走ったわ!」

「あれ! あの白いのは、何?」

 大きくなる植栽の潮騒の中に、複数のメイドらの叫び声が加わった。

 テラス横の茂みから、一匹の白い猫が飛び出してきたのだった。


 ━━にゃあーーー


 猫は奇声をあげ、“ばあや”らの列をかき乱し、まっすぐにマルガレータにむかっていく。

 しなやかなその体は、動きに無駄がない。足運びだって軽やかで普段なら足音など立たないはず。なのに、マルガレータに向かっていく白猫は、地響きのような足音を伴っていた。

 ざっざっざというその足音は、大地が震えて割れて崩れる音だろうか、森林が竜巻に巻き込まれて靡く音だろうか、それとも増水した川が堰を切って流れていく音だろうか。夜のテラスできくことのない自然の脅威の音。

 マルガレータとゲラルトのもとに走っていくのは一匹の白い猫。得体の知れない騒音に、猫の姿に、理解が追いつかず一同は動けずにいた。


 ━━にゃあーーー!


 またひと鳴き大きく響いて、どんと、白猫はゲラルトの背中に体当たりした。

「う、っわ!」

 その衝撃は、大きかった。当たったのはまさに昨晩の火傷の位置。服の生地が擦れるだけでも痛いのに、今のはまるでサーベルに切りつけられたような鋭く強い痛み。思わずのけぞり、ゲラルトは体勢が崩れた。

 弾みでマルガレータの左手の拘束が外れる。同時に、ゲラルトの右手から指輪も飛び出し空を舞う。乾いた音を立てて指輪は、テラスの床に滑り転がった。


「くっ、つ……な、なんだ、一体? いや、それより……」

 ゲラルトは痛みで体をひねったまま、慌てて落としてしまった指輪を探した。彼にすれば、一世一代の大勝負の瞬間を邪魔されて怒り心頭だ。でも冷静さを失わず、痛みをこらえ、目で辺りを探った。

「そこか!」

 テーブル下に滑り込んだ指輪を見つけ、ゲラルトはしゃがみ込み手を伸ばす。

 だが、ひと足早く白猫がテーブル下に潜れば、指輪を咥えて逃げてしまう。白猫はそのままテーブル下をくぐり向こう側から顔を出せば、テーブルの上へ飛び乗った。

 白猫は鳴かない。鳴けば、口に咥えた指輪を落としてしまうから。テーブルの端に鎮座すると、オッドアイで、豪華なティーセットを挟んで反対側に座ったままのマルガレータと何とか立っているゲラルトのふたりを見つめた。

「フォル?」

 目を見開いてマルガレータは名を口にした。

 この猫目の色は自分が可愛がっていた野良猫のものに間違いない、そうマルガレータは確信する。

 動けないマルガレータを救うかのように白猫が現れるとは、まるでおとぎ話みたいな展開だ。今までマルガレータがこっそり話しかけていたことをこの白猫は理解してやってきたのだろうか、驚くと同時にマルガレータにはそんな感想しか出てこない。

 さっきまでのやかましい騒音は、今はパタリとやんで夜のテラスの静けさが戻ってきている。しかし、突然のあの騒音は充分、皆の恐怖心を引き出すものだった。

「姫様、アーベントロート卿、大丈夫ですか?」

 バタバタと統制のない足音とともに、今ごろ“ばあや”らが駆けつけてきた。

「こら、猫! あっちへおいき! 汚らしい! テーブルの上に乗るんじゃない!」

 ふたりのメイドが白猫を追い払う。指輪のことなど知らないから、彼女らはただただ邪魔者の存在を排除するのみだ。

「あ、待て! やめろ! おい、それを返せ!」

 もちろん、ゲラルトはそうはいかない。恋慕の指輪の指輪がなくては、自分のほしいものは手に入らない。今のこの機会を逃せば、それはもう二度とやってこない。その思いのみである。

 火傷の痛みなどもうゲラルトの意識にはなく、メイドらとは別の目的で猫を追いかけ、指輪の奪還に必死であった。

 テーブルの上で、白猫とメイドとゲラルトの追跡劇が繰り広げられる。

 猫はしなやかに、軽やかに、飛ぶように捕獲の手を逃れる。口にはしっかり恋慕の指輪を咥えたままで。

 逃げながらも白猫は、テーブルの上のティーカップを倒し、花いっぱいのフラワーベースを倒し、カテラリーを蹴り飛ばす。ティーカップからの茶がテーブルクロスを汚し、フラワーベースの花は無残に飛び散り、カテラリーは食器に当って派手な金属音をたてた。

 白猫が逃げるにつれて、テーブルの上はぐちゃぐちゃになっていく。もうブルーベリーのタルトなど、ひっくり返され、押しつぶされ、テーブルから落ちてしまえば、跡形もなくなった。

「姫様、こちらへ」

 “ばあや”がマルガレータを避難させた。このままでは、姫様も姫様のお召し物も汚れてしまう、それはごく普通の乳母の行動だ。

 マルガレータが場を離れたのを見届けて、白猫は最後の仕上げとばかりに、テーブルの燭台を尻尾でなぎ倒した。

 ぼわんとキャンドルの火が大きくなった。一瞬にしてテーブルクロスが炎のクロスに変わる。それはすぐには消えず、アルコールを含んだシロップに火が回れば、もっと大きく燃え上がる。

 ノスタルジックな夜のテラスは、火獣が舞い降り食宴を堪能する燃えるテラスへと化したのだった。


「ばあや、ああ……なんてこと」

「ああ、姫様、早く、こちらへ。アーベントロート卿も、早く」

 テーブルクロスの炎はそこだけで、それ以上は燃え広がらなかった。燃えるものが周りにないテラスでの茶会であったのが、幸いした。

 安全な位置でマルガレータと“ばあや”をかばいながら、ゲラルトは忌々しそうにテーブルの炎を見つめた。昨晩の旧図書室での火事騒動と同じで、ゲラルトはまた炎に邪魔されてしまったのだった。

 元凶の白猫はどさくさに紛れて、完全に姿を消していた。これでは恋慕の指輪の所在はもうわからない。

「マルガレータ様、大丈夫でしょうか?」

「ええ、びっくりしたけど、私は何も。皆は、どう?」

 テーブルのセッティングはすべて台無しになってしまったが、怪我人はいなかった。強いていえば、ゲラルトの火傷が痛んだぐらいか。

 そこにまた声がかかった。

「火事です! 姫様! 今すぐ、庭園へ避難してください!」

 一難去ってまた一難、であった。



 火事だという王城内からの声に、マルガレータとゲラルトは顔を見合わせた。目の前で燃えているテーブルは、消えてはいない。だがここは火事にはなっていない。

 一体、それはどういうことだ?

 声が再び、警告した。

「宝物庫から火が出た!」

「厨房からも火が出たぞ!」

「衣装室も火の海だ!」

 このテラス以外の三か所から同時に火の手が上がったのだった。


 

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