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Act-8*救済の猫(4)

 

 アーベントロート卿がマルガレータ王女の出現を今か今かと心待ちにしている、話し相手を務める“ばあや”はそう思い込んで、何かと彼の仕草のひとつひとつが気になって仕方がない。一体いつまで姫様は未来の夫を待たすのか、である。この“ばあや”、すっかりマルガレータの相手はゲラルトが相応しいと信じきっている初老乳母であった。

「様子を伺ってまいります」

 気遣いの程が甚だしいから、ゲラルトの方も彼女と一緒に待つのが疲れてしまう。ではお願いしますと、体よくいってひとりにしてもらった。

 夜風が程よく通るこのテラスは、昨日までは遠目に旧図書室の一部がみえた。だが昨晩の火災でそれは半焼失してしまい、さらに暮れてしまった今となっては、もう闇色一色で何もみえない。

 自分の持っていたランプのせいで、旧図書室は燃えてボロボロになってしまった。自分のジレにも火がついて、自身も火傷を負ってしまった。手当をしてもらったが、服の上からでも患部が何かに当たってこすれると、痛くて顔が歪んでしまう。

 それでも、図書室での音読のレッスンから始まって昨晩の火災事故まで自らが体を張ったおかげで、予定より早くリアをハインリヒへ献上することができた。

 恋慕の指輪の呪いだって、リアを使って検証することもできた。どれも、ちゃんと代償を支払い対価を得ている。

 ひとりになった夜のテラスで、心の内で祝杯を上げているゲラルトであった。


 †††


 アーベントロート侯爵家次男のゲラルトは、名門侯爵家の出身といえども、兄が父の侯爵位を継承してしまえば兄弟に爵位持ちがいるただの騎士になってしまう。

 それを覆しゲラルト本人が爵位を得るためには、どこかの女系貴族の家へ婿養子に入るのが一般的だ。でもそれは、名目は爵位持ちだけど実質は妻の家の次世代への繋ぎでしかない。真の意味で爵位持ちではない。

 だが、ゲラルトが王女マルガレータと結婚するとなれば、話は違う。

 なぜなら、マルガレータが結婚して王家を離れるとなれば、相手にはそれ相当の身分の高さが要求されるからだ。

 今の侯爵家嫡男でなくただの令息のゲラルトでは、王女とは身分差が大きすぎる。この身分差を解決するには、ゲラルト本人に爵位を叙爵して身分を引き上げて体面を整えるのが一番手っ取り早い。いわゆる、逆玉の輿である。

 マルガレータとは他の誰よりも自分は年齢も容姿も釣り合う、そうゲラルトは自負している。彼女を娶ることができれば自分が新たな公爵になれると確信できていた。

 未来の公爵位を狙って、ゲラルトと同じ考えの輩はごまんといた。それらを片っ端から排除していき、ハインリヒに恩を売り、他の王家一族にも品行方正に振る舞った。マルガレータの付き人にも愛想よく対応もすれば、この“ばあや”など、きれいに丸め込めた。運が味方してくれたのか、一番邪魔だった隣国宰相の息子も帰国した。

 残るは、マルガレータ本人の気持ちだけ。だが、これが一番の最難関であった。

 どうも自分はマルガレータに好かれていない。表面上はにこやかな笑みで対応してくれるが、心の底はみせてくれない。

 強くいいよることもできず、もちろん既成事実に及ぶこともできず、ゲラルトはひたすら彼女のご機嫌取りに伺い続けるが、返ってくるのは素っ気ない態度だけ。

 いろいろ考えて、嘘か真か怪しいが、ゲラルトはアーベントロート侯爵家の家宝とされている『恋慕の指輪』を試してみることにした。


 恋慕の指輪━━嵌めてもらった人は、指輪を嵌めてくれた人を好きになるという、エルフの魔法がかかった指輪。

 それは、初代アーベントロート侯爵が妻に贈った指輪とされている。

 その妻の死後、指輪は誰の所有にもならず、ずっとアーベントロート侯爵の執務室に保管されていた。

 エルフの魔法がかかった指輪なんて、気味が悪い。そういって、欲しがる人もいなければ、使いたがる人もいなかった。昔ならいざ知らず、現在は魔法もエルフもほとんど忘れられた世界だ。真っ当な感覚の持ち主ならば、それが普通である。

 初代当主がどういう謂れでこれを手に入れ妻に贈ったのかは不明だが、初代から代々引き継がれ家宝とするには、必要以上に大袈裟ではなく高価でもない。ちょうどいい代物だった。

 侯爵家にて丁重に保管され、ときに親族が集まるときなどの昔語りの話題となり、一族なら誰でも知るものとなっていた。


 ある日、偶然、昔の魔法とエルフのことがハインリヒとの間で話題となった。そこに『恋慕の指輪』も出てきた。

 王家にも『恋慕の指輪』が存在するとハインリヒはいい、ゲラルトは『恋慕の指輪』が、ひとつではないと知ったのである。

 ハインリヒがふざけて教えてくれた内容も、アーベントロート家に伝わるものと同じであった。

 と、すれば侯爵家にあるあの指輪は、王家からいただいた褒美のひとつだったのかもしれない。また、『嵌めてもらった人は、指輪を嵌めてくれた人を好きになる』という指輪の効果も、あながち嘘ではないかもしれない。

 丁重に保管されているといっても、金銭的価値としては、あの指輪はそう高価な部類にはならない。特別大きくもなければ、半貴石のオパールは経年劣化していく宝石だから嫌う人もいた。家宝といって丁重に扱われていても特に厳重に管理されていなかったから、家人なら誰でも簡単に持ち出せたのだった。


 リアは、ハインリヒが好きだ。

 ゲラルトは、何度も一緒に本を読み、文字と発音を教え、勉強にくじけそうになるのを励まして、彼女と親しくなった。それでも、リアは親身に接するゲラルトではなくて、たまにやってくるハインリヒが好きだという。

 このハインリヒにぞっこんのリアは、格好の『恋慕の指輪』の検証材料にみえた。ゲラルトのことを友人にしか思えないリアでも、指輪を嵌めることで本当に自分のことが好きになるのか、確かめるのにちょうどいい。

 指輪の効果が本物なら、リアをハインリヒに献上したのち彼女の指から指輪を回収し、マルガレータへ贈って指に嵌めてしまう。これが成功すれば、ここ数年のゲラルトの努力が実を結ぶ。

 緊張とともに奇妙な興奮も感じながら昼下がりの図書室で、検証した。ゲラルトはリアに指輪を嵌めて、彼女の名を呼んだのだった。


 いい伝えは、嘘ではなかった。

 指輪を嵌めただけのリアは、何も変わりない。金色の目をきらきら輝かせて、嬉しそうに指輪の嵌まった左手を上方へかざす。


 ━━かわいい、リア。

 ━━素直で、単純で、欲のない、かわいいリア。

 ━━僕の言葉で、落ちておいで。


 呼び掛けてしばらくすれば、リアの様子が変わってきた。伝う空気から、ゲラルトは火照るリアの体温を感じとった。

 手を取り肩を抱いても、嫌がらない。むしろ、もっといわんばかりに、リアは力を抜いて体を寄せてくる。

 キスを要求しても、拒絶しない。むしろ、願いが叶ったとばかりに、リアは頬を赤く染めて目を閉じた。

 最高じゃないか、この指輪。

 初代アーベントロート侯爵がこの指輪を家宝にしろといい残した意味を、ゲラルトは体感したのだった。


 ━━かわいい、リア。

 ━━僕の望みを叶えてくれる、かわいいリア。君が望みを叶えてくれたなら、僕はハインのように簡単に捨てたりはしない。

 ━━僕はハインと違って、リアを大事にするよ。リアはずっと僕のそばにいるといい。


 ハインリヒに献上する直前に、ゲラルトはリアの指輪を抜き取った。

 恋慕の指輪の呪縛が解けてしまえば、リアが好きなのはハインリヒだ。ゲラルトではない。

 そして、目覚めてそばにいるのは、その愛しのハインリヒ。ここから先は、指輪などなくてもふたりは仲良くやっていくはず。

 今一度、ゲラルトは自身の騎士服の内ポケットに、恋慕の指輪があるのを確かめた。

 さっきはハインリヒのために指輪を使った。今度はゲラルト自身のために指輪を使う。ついに自分の番がきたのだ。

 夜風に吹かれながら、ゲラルトは薄くほくそ笑んで、その瞬間を待っていた。


 †††



「お待たせしました。姫様がおなりになります」

 しわがれた老婆の声で、ゲラルトは我に返った。先のテラスから消えたときと違って、今の“ばあや”の声には生き生きとした張りがある。

 この乳母は、こんなにもゲラルトとマルガレータの結婚を強く望んでいる。彼女をみれば、恋慕の指輪を使うことは正しいとゲラルトはひどく正当化できた。

 ゲラルトは立ち上がり、マルガレータがこちらにくるまでテーブル横で控えた。

「思っていたより早かったので、嬉しいです」

 極上の笑みを浮かべたら、“ばあや”は嬉々としてマルガレータの手を取ってエスコートし、ゲラルトに預けると脇へと下がる。

 現れたマルガレータのドレスは先のものと同じ。着替えをするといったのに何も変わっていない。やはり時間稼ぎかと内心残念に思い、でもそれをひとかけらも顔にはのせず、ゲラルトは彼女の着席を待った。

「ごめんなさい、ゲラルト様。一度着替えたのですが、少し肌寒くって、途中でやめてしまったの。失礼を承知で元のドレスを着せてもらいました。もう、貴方を待たせる訳にはいかないだろうから……」

「はい、そうでしたか。ご配慮、ありがとうございます。私の方は少しぐらいの遅刻など、構いませんから」

 マルガレータの椅子をゲラルト自らが引き、彼女を座らせた。

 こんなふたりの姿を“ばあや”をはじめとする侍女ら一同は、テラス隅から遠巻きにして見守っていた。

「こうやって、タルトを貴女と一緒にいただけることが、何よりの私の望みですから」

 座ったマルガレータを後ろから、両手は椅子の背を掴んだまま、ゲラルトは少し屈む。この位置は、“ばあや”らからは死角になり、マルガレータを隠すことになる。それを計算して、ゲラルトは彼女の耳元近くでそっとささやいた。

 かすかにゲラルトの息がマルガレータの頬を掠める。親密な態度に、マルガレータの方は肌が粟だった。

 ゲラルトは兄ハインリヒの付き人だ。王家とは懇意の仲である有力貴族の令息でもあるから、不用意に不快感を表してはいけない。その一心で、マルガレータは務めて冷静を装った。

「実は、今日、王女殿下にお贈りしたいものを持ってまいりました。もっと早くにおみせしたかったのですが、船が遅れて、到着したのがつい先日でして」

 遠くにいる“ばあや”らはふたりの様子を伺っているが、細かな様子はわからない。

 テラスの四方にはランプが掲げられ、丸テーブルにはキャンドルが灯されている。夜が深まった今は、ティーをいただくのに申し分ないが、顔色を確かめるにはやや不足の明るさとなっていた。これでは浮かない顔のマルガレータのことを、誰も気がつかない。

 それをいいことに、ゲラルトは恋慕の指輪を取り出した。マルガレータの椅子の後ろから手を回して、彼女の前へと差し出した。


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