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Act-7*リアと『窃盗団』(6)

「ラル、あの、今晩はラルの空き部屋をお借りするけれど、明日からは自分の部屋に戻るね」

「どうして?」

「だって、私は図書室の掃除の仕事をしているメイドだもの、お城に暮らしていい理由がないわ」

 ゲラルトの体温と離れがたくて、王庭では一緒にいくと承知した。だが今になって、城内の自分の姿はひどく場違いだと気がついた。

 図書室の単なる掃除娘━━侮蔑の混ざった声で役人に糾弾されて、これは冤罪であったのだけれども、やはりここではあれが正しい認識だとリア感じざるを得ない。

「まだ気持ちが動揺しているようだね。君はもう使用人棟に戻らなくてもいいんだよ」

「?」

 先のゲラルトと役人らのやりとりでは、場の雰囲気でリアは沈黙を守っていた。だが、一連のゲラルトの発言がリアにとっては不可解でたまらない。

(私を、アーベントロート家で召し上げた、なんていっていたけど……)

(あれは、役人を納得させるためのでまかせ(・・・・)よね?)

(だって、そんなこと、きいていないし……)

 恋慕の指輪による記憶の混濁で、リアは昨晩の旧図書室でのこと、ゲラルトの侍女になると宣言したことを覚えていなかった。

「ラル、私の仕事は図書室の掃除で、掃除娘は使用人棟に住むのが決まりなの。私がお城に住むのは、皆が納得しないし、侍女長とかも困ってしまうと……思うのだけど……」

 極めて就業規則に則った理由をリアは口にした。それ以外の理由もあるが、それはリアの口からは告げにくい。助けてくれたゲラルトには悪いけど、リアはやはりハインリヒが好きなのだ。彼の好意を利用するようなことは、したくなかった。

「あなたに迷惑をかけるわけにはいかないわ」

「そんなこと、ないよ」

「でも、私は掃除しかできないの。字も読めないし、計算もあまり大きな数だと自信がないし……ラルのお家で雇ってもらえるのはありがたいけど、役に立ちそうにないわ。本当に掃除ぐらいしかできないから……」

 自分の言葉を反芻して、リアは引っかかるものを感じた。

(あれ? ラルのお家って……)

(アーベントロート……アーベントロートって、いったかしら?)

(なんだろう、なにか、こう胸の内がすっきりしない感じがする……)

 リアはここにいてはいけない理由をいろいろ並べてみたものの、ゲラルトには届かない。依然ゲラルトはすました顔で、先へ先へと進んでいく。

「リア、着いたよ。扉を開けて」

 ぴたりとゲラルトの足が止まった。リアはずっとゲラルトに抱かれたまま、お城のある部屋にたどり着いていた。たくさん階段を上ったから、きっとここはあの空中回廊に近い高層階に違いない。

 前後を見渡すと廊下はとても長い。その壁にはリズミカルに絵画が掛けられ、規則正しくコンソールテーブルが置かれ、その上にふんだんに花が生けられている。使用人棟の廊下とは全然違う贅沢で華やかな廊下。

 そして、扉は目の前の一枚と遠くに二枚あるのがみえるのみ。これも、ずらりと扉ばかりが並ぶ使用人棟とは大いに違う。

(なんだろう……)

(ここを開けると、取り返しのつかないようなことが起こるような気がする)

(……怖い)

 目の前の扉が重厚過ぎて、畏れ多い。本能が開けてはいけないと、リアを警告する。

「リア、僕は手がふさがっている。リアが開けて」

 再びゲラルトに催促されるが、リアは手が伸びない。小さく震えもする。

「リア、震えているの? 大丈夫だよ」

 軽く笑ってゲラルトがリアの耳元でささやいた。耳元に当たるゲラルトの吐息が、彼の手や腕と同じでひどく温かい。

 ぞくりと、本能的な恐れとは違う官能的な震えがリアの背中を走り抜けた。同時に、落ち着いていた左薬指の指輪が、ゲラルトの声が合図かのように熱を帯びだした。リアに恋慕の指輪の呪縛が発動した。

(また、体が熱くなってきた……?)

(この指輪が、原因?)

(そもそも、この指輪……何かとおかしい……)

 もちろん、リアは恋慕の指輪の効果は知らない。ここ数日の発熱を伴う不調の際には、いつもこの指輪が薬指にあった。今再び体が熱くなり、さすがにこれだけ回数が続けば、いい加減、気がついてもおかしくない。

 そう、最初にハインリヒが好きと告白したのに、本棚の陰でキスしたときもこうだった。

 二回目にゲラルトの求愛を断ったのに、またキスしたときもこうだった。

 三回目に夜の旧図書室でキスしたときは、どうだった?

(あれ?)

(夜の旧図書室? 昨晩、あそこは火事になったのよね?)

(三回目のキスが、夜の旧図書室って? 私、いつ、旧図書室へいったの?)

 恋慕の指輪の効果が引き金となり、混濁しぼやけていたリアの記憶の一部が姿を現した。

(待って、何か思い出せそう)

(二回目のキスと三回目のキスの間に、何かあった!)

(よく思い出すのよ!)

 ゲラルトの腕の中で、密かにリアは葛藤する。意識のないときの自分、それは今まで考えていた自分の姿と異なるのではないのか、そんな疑惑が大きくなっていく。

 ゲラルトは、曖昧ではっきりしない思考と葛藤するリアの邪魔をした。こうささやきかけて。

「リアは僕が守ってあげる」

「リアは何も悪くないんだ」

「リアは僕のいう通りにしていれば、何も問題はないんだよ」

 ゲラルトのささやきを受けて、指輪の熱がもっと高まった。

 同時にリアの体のあちこちで熱を孕む。一度治まって消えたと思っていた熱は、完全に消えてはいなかった。リアの体内のあちこちに飛び散り機会をうかがってくすぶっていただけだった。


 ━━リアは僕が守ってあげる。

 ━━リアは何も悪くないんだ。

 ━━リアは僕のいう通りにしていれば、何も問題はないんだよ。


(ああ、そうね。私はラルに守られている)

(ああ、そうよ。私は何も悪くはないわ)

(ええ、私はラルのいう通りにしていれば、いいの)


 一生懸命リアが意識を覚醒させようとしても、恋慕の指輪が邪魔をする。ゲラルトのセリフと同じように。体が火照り、視界がぼやけ、思考が溶けていく。

 主人を見失っていても、恋慕の指輪の効果は何も陰っていなかったのだった。



 ***



「やはりゲラルト様でしたか、どうぞお入りください」

 リアがいつまでたっても開けないから、部屋で控えていたゲラルトの侍従クレーデルが勘づいて扉を開けた。

「ああ、すまない。なかなか、頑固なお嬢さんでね。気づいてくれてありがとう」

 腕に抱いたリアに軽くキスを落として、ゲラルトは入室した。入室しても、ゲラルトはリアを下ろさない。意識が朦朧としたリアをしっかりと抱き、迷うことなくさらに奥の部屋へと向かっていく。

「掃除娘にしては珍しいですね。殿下の思し召しがかかったというのに、すんなり受け入れないなんて」

「まぁ、今回は、“ばあや”の目もあって、ここまでくるのにいろいろ回りくどいことをしてしまったからね、本人はよくわかってないよ」

「しかし、ハインリヒ殿下も掃除娘のことが気に入るなんて……まぁ、容姿はそう悪くなさそうですが」

 どんな娘だろうと、興味津々でクレーデルはリアを覗き込んだ。リアをみて、ふうんという顔になり、あっさりと元に直る。どうやらこの侍従、リアはお好み(・・・)でないらしい。

「いつもと違う雰囲気が、ハインにはかえって新鮮に映ったのだろうね」

 こんな風に侍従のクレーデルは、気さくな感じでゲラルトと会話を交わした。

 この侍従、ゲラルトがハインリヒ付きになる前からゲラルト付きである。ゲラルトが王城に上がると同時に彼も上がり、ハインリヒの要望に応えるためにゲラルトとふたりでいろいろ共謀し走り回っていた。身分の上ではゲラルトが主人であるが、ハインリヒに仕えるという意味では同志といっていいふたりの仲であった。

「確かにマルガレータ殿下の淑女教育としてはいいようには映りませんが、政略結婚した際には、それとうまく付き合っていかなければなりません。そう考えれば、『処世術を学ぶ』にして、いつまでも目隠ししておくわけにはいかないでしょうに」

 ゲラルトはクレーデルの意見に頷きながら、奥の部屋に続く扉の前で一度、歩みを止めた。侍従に自身の身だしなみを確認してもらう。

「まぁ、そこは、やはり、“ばあや”次第だな」

「こういっては何ですが、前時代の塊のような女性ですから、あの“ばあや”は。ロジーネ殿下がここに置いて嫁がれたのは、皆が納得でした。押し付けられたマルガレータ殿下も窮屈でたまりませんでしょう」

 このクレーデルもゲラルトと同じくらいの親密さで王家に仕えているから、他の王家兄妹たちについてもすっかり事情通であった。

「確かにね。こっちとしてはある意味、行動がわかりやすいから対策が立てやすい。で、今日は何を贈ってある?」

「はい、本日は朝摘みのブルーベリーをお届けしました。王女殿下の方からは、タルトにすると伺っております」

「そうか、マルガレータ殿下のところでいただけると嬉しいのだが……こちらの姫も頑固だから、困ったものだ」

 毎日のようにゲラルトは本命(・・)の姫へ贈り物を貢いでいるが、いつも素っ気ない社交辞令的な返事しかもらえない。あの“ばあや”のことも目の上のたん瘤であれば、留学を終了し帰国した隣国の宰相の息子の存在も、マルガレータを手に入れたいゲラルトには目障りであった。

「ゲラルト様、出来上がりました」

 うむとゲラルトが頷けば、侍従は扉をノックする。中からは誰何(すいか)の声、ハインリヒの声であった。



「ハインリヒ様、リアを連れてきましたよ」

 一歩ゲラルトが自分のサロンへ入室すれば、ハインリヒは読書を止め、彼の元へと駆け寄った。

「ゲラルト、手間をかけた。あれ? 眠っているのか?」

 ゲラルトの腕の中のリアを覗き込んで、ハインリヒは嬉しそうに目を細めた。

「はい、さっきまで取り調べを受けておりましたから。私が駆けつけたときには疲労困憊でした。解放されてからは、その緊張が一度に切れたようです」

 そういってゲラルトは献上品のようにリアをハインリヒに差し出した。差し出されたハインリヒの方は、何の躊躇もなく彼女を抱き受け取った。受け取ればすぐにその顔を覗き込み、リアの額にキスを落とした。

「ああ、かわいいね。やっぱり、この()はかわいい。この寝顔、まるで天使か妖精か」

 すっかり腕の中のリアに感激して、ハインリヒは感嘆の声を上げてしまう。このはしゃぎよう、まるで小さな子供のようである。でもそれは、いつものこと。

 そんなハインリヒを心底では冷ややかな気持ちで、でも表面的にはにこやかな笑みを浮かべてゲラルトは見つめていた。これも、いつものこと。

「お気に召されて何よりです、ハインリヒ様」

「ゲラルト、今回()ありがとう。褒美は何がいい?」

「褒美など……ハインリヒ様の喜びは私の喜びでもありますから」

 側近らしく模範的に、謙虚に、従順にゲラルトはいう。

「そうはいかない。いつもいつも、君は私の願いを叶えてくれるのだから」

 ハインリヒがそう告げれば、ここは少し目を見開いて、ゲラルトははにかんでいってみせた。

「では……マルガレータ殿下とクレマチスの庭園で午後のティーをいただきたいと……もちろん、王女殿下のご都合が合えばの話ですが……」

「ああ、いいだろう。お膳立てしてあげよう」

「本当ですか! ありがとうございます!」

 ここはすこし大袈裟なくらいに声を弾ませて、ゲラルトは謝意を述べた。

「私は、マルガレータの相手にはゲラルトがいいと思っている。ただ、やはり妹の気持ちは尊重したい。だから、ゲラルト、妹の心をしっかりと射止めるように」

「はい、ハインリヒ様、ありがとうございます。では、私はこれで失礼します。何かありましたら、クレーデルが隣りに控えておりますので、遠慮なくご用命ください」

 そういって、邪魔者のゲラルトはさっさと退散する。これは、いつものこと。

 ゲラルトは、自分のサロンを王子に貸し出して、そこへ王子の望む娘を召し上げる。これも、いつものこと。

 サロンを出てゲラルトはクレーデルにいった。マルガレータ殿下のところへいってくるよ、と。

 そう、マルガレータのご機嫌伺いとは別に、“ばあや”の目を逸らす役目を打って出るのも、ゲラルトにすれば、いつものことであった。





ここまで読んでくださり、ありがとうございます(^^♪

悪党ばかりが暗躍する(?)Act-7でした。

次回、最終章になります。更新は6月下旬の予定です。

どうぞよろしくお願いいたします <<(_ _)>>

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