Act-7*リアと『窃盗団』(2)
ゲラルトがリアに贈った指輪は、エルフの魔法がかかっている。
これは、頼みもしないのに、エルフはアイザックの元へ勝手にやってきて、アイザックに訊かずに勝手に願望をでっち上げ、アイザックの知らないうちに勝手に魔法を仕掛けて消えていった、あの二百年前の指輪だ。
アイザックは、指輪の宝石に、クリスティーンの瞳に合わせて白の色合いが強い宝石を選んでいた。だが今は汚された指輪となり、その輝きはもう禍々しいものにしかみえなかった。
━━エルフの魔法がかかった指輪を嵌めてもらった人は、指輪を嵌めたくれた人を好きになるという。
━━愛し合う恋人同士が使えば強固な絆となり、永遠の愛が存続する。なんて素晴らしい恋慕の指輪だろう。
アイザックの結婚を祝福するつもりでエルフは魔法を仕掛けていった。
━━片恋する人が使えばその魔法は呪縛となり、永遠の隷属が強要される。なんて恐ろしい恋慕の指輪だろう。
ファビアンはこの功罪を知っていたから、わざとクリスティーンにアイザックの指輪を贈り、彼女の薬指に自分が嵌めた。クリスティーンの身も心も確実に、“我のもの”とするために。
生涯の愛の証として用意したアイザックの指輪が、エルフの気まぐれとファビアンの策略で、クリスティーンの身も心も支配する呪いの指輪に変わってしまった。
その指輪が二百年の時を経て、クリスティーンからリアへと渡り、リアの薬指に収まっていたのだった。
リアの左手を取り、ザックは恋慕の指輪を抜き取ろうとした。このままでは、リアの消耗が激しいだけだから。
最初は外されまいと、指輪は一段と強く光って抵抗する。恋慕の指輪の効果『嵌めた人しか外せない』である。
「指輪よ、真の主を忘れたか?」
感情を殺した冷徹な声で、ザックが問いかけた。
指輪の輝きがやや鈍る。二百年の歳月は指輪の判断力を衰えさせた。指輪の中で迷いが生じていた。
「指輪よ、悩むのであれば、有能な主と無能な主、このふたつうちから、どちらでも好きな方を選べ。自分の主に相応しい方を選べ」
不遜にザックがいいきれば、指輪の輝きが消えていく。最後には全く光らないただの指輪になった。指輪はザックを自分の主として認めたのであった。
それをリアの薬指から抜き取れば、ザックは自分の小指に嵌めた。指輪は小さいから指の付け根まで通らず、ザックの小指の第一関節で引っ掛かる。
「へぇ~、たいしたもんだ。二百年前の頑固者を従わせるなんて、さすが、俺が認めた男だ」
横で成り行きを見守っていたツェーザルが、感心の声をあげた。
指輪が外れることで、リアの顔色が少しずつよくなっていく。それを認めて、ザックはひそかに安堵した。
「私は稀にみる優秀な魔法使いだ。二百年経っても、変わらない。お前は、知ってて預けたんだろ」
勝ち誇ったような顔をしてツェーザルにいいのけて、そのままザックは治癒魔法を使ってリアの傷を治してしまう。
傷の治療が終了すれば、さらに浄化魔法をかけてリアの煤汚れを落としていく。
リアをきれいな状態に戻してから、ザックは自分より少し年上の風貌のツェーザルを見上げた。
今さらながらに彼を観察すれば、奇妙な感じがする。娘のリアは十八で、父親のツェーザルが二十半ば過ぎ。親娘なのに、見た目は十と年が離れていない。
これだからエルフはやっかいだ、それに尽きる。二百年経ってもエルフに対するザックの感想は変わらない。
あらためてリアの膝裏を掬って横抱きにし、ゆっくりザックは立ち上がった。誰かにこの現場をみられては何かとマズいし、時間もない。
「今のうちに、部屋へ戻りたい。協力しろ」
毅然と炎のエルフに命じた。自分の義理の父になるかもしれないが、そんなこと、ザックは構わない。
「オーケイ。俺のこの炎があるうちは、お前さんは人間の姿でいることができるからな。そうだな、あと三十分、ここで火の番をしやろう」
ここ数ヵ月の経験で、ザックは日が落ちてもすぐには猫に変身しないと確認できていた。だから、旧図書室を燃やしているこの炎をしっかりと浴びてからこの場を去れば、しばらくの間は人間の姿で動くことができる。
「なんだよ、そのいい方。仮にもお前はこの子の親なんだろ? 少しくらいは親らしいことをしろよ。イルザにしたって、迎えにくるのが遅すぎる」
今、こうやって父親の顔をしてリアの様子をみにきているツェーザルだが、実際のところはイルザにせっつかれてやってきたのは目にみえていた。
エルフは何かとやっかいだ。
依然、ザックの感想は変わらない。
「そう噛みつくなよって、アイザック。俺のこの炎がなければ、アイザックはまた猫に戻るくせに」
「ふん、勝手にいってろ」
ザックから感謝の言葉のひとつも得ることができず、ツェーザルは大きな動作で肩を竦めて呆れてみせる。
「まぁな、確かに俺の同族にはいたずらが過ぎるヤツもいるけれど、俺は違うぜ。ちゃんと約束は守るよ」
エルフのいうことなど、信頼できない。過去の体験から、ザックはその先入観からなかなか抜け出せずにいる。
それを充分ツェーザルは知ってもいて、娘を預ける手前、彼には従順になれた。
「うるさい、エルフのヤツは、いつだって勝手なことをして後始末もなしに消えてしまう。エルフなんて、大嫌いだ」
「はいはい、知ってるって。まぁ、リアを連れて帰るには猫よりも人間の方がやりやすいから、早くいけ」
どんなに毒づかれても、ツェーザルは飄々とかわす。二百年、額縁の中にいた猫など、かわいいものだといわんばかりに。
おもむろにツェーザルは片手をあげて振り下ろした。
途端、炎の海の中から黒い焼け焦げた道が現れた。ふたりの足元から始まって、入口ドアまでまっすぐに帰り道が走り抜ける。それに合わせて炎のカーテンも左右に開かれた。
「リア、次に会うときは、もっと成長してイルザに似た美人さんになっているんだろうな」
最後にザックの胸元のリアを覗き込んで、ツェーザルは娘の頬を人差し指で擽った。
リアは眠っている。ザックの腕の中で。十年ぶりに現れた父親から慈しみの愛撫をもらっても、気がつかない。当然、記憶に残ることはないだろう。
「じゃあ、アイザック、頼んだぜ」
ザックはふんと尊大なため息だけついて、リアを抱いて旧図書室を後にしたのだった。
恋慕の指輪を嵌め、ゲラルトを求めてリアが通った道の逆を、ザックは辿る。
ツェーザルのおかげで、旧図書室の炎は内部に留まったまま、まだ外には現れていない。窓からは明るい室内のランプではない明かりがこぼれているが、それだけなら誰かがいると思うくらいだろう。
こんな時間に閉鎖された図書室へやってくる人は、普通はいない。いたとしても訳ありだろうから、中を確認し火事だとわかっても通報するのはまだまだ先になると思われた。
誰もいない庭園を、リアを抱いてザックはふたりの部屋へと戻る。ザクザクと庭園の砂利が音を立てるが、それに気づく人はいない。
かつてはこの王庭で、クリスティーンとファビアンの三人で食事を持ち寄り語りあった。クリスティーンとは魔法の、ファビアンとは剣術の練習もした。二百年前の昼の王庭の光景はまだまだ鮮明な記憶で、昨日のことのように思い出せすことができる。
二百年前、アイザックは友人に裏切られて、恋人を奪われた。自分に落ち度があったとは思わない。ただ、自分が好きになった人は友人も好きになった。ふたりの青年が同じひとりの娘に恋をした。ただ、それだけだ。
夏の夜風が小さく吹いてザックの前髪を揺らす。この風の具合なら、ツェーザルの制御が外れた後の火事の炎は旧図書室を焼くだけで終わると思われた。
現在の夜の王庭を、今一度ザックは歩みを止めて見渡した。
二百年前の風景は、もうここには存在しない。三人で鑑賞した素朴な花は品種改良されて、今では別品種のようなけばけばしい色や形になっている。トレーニングの後に涼を提供してくれた樹木は、枯れたのだろうか、植え替えられたのだろうか、もうそこにはなく違う大木が植わっている。城の城壁は変わりなくても、城内部の構造は何度も増改築を重ね、ここにも知らない風景が増えていた。
それなのに、恋慕の指輪だけが過去の遺物として朽ちることなく残存する。
過去はいくら悔やんでも、巻き戻すことはできない。友と恋人に置いてきぼりにされた今、立ち止まっても何も解決しない。妙に頭は醒め、死を選ぶほど感傷的ではない自分がいる。どんなに反芻し悩んでも、腹は減り、寝床が必要なのである。
「……ったく、これだから、エルフは嫌いだ」
リアは、エルフのツェーザルと人間のイルザとの半妖半人だ。この半分エルフの混ざった血が、額縁の中から微かに漂うザックの魔力を嗅ぎ取ったのだろう。
カウフマンに連れられてはじめて図書室二階に足を踏み入れたとき、リアは案内される前に『白い猫』を見つけたのだから。
━━猫ちゃん、おはよう。今日はいい天気よ。金木犀が咲きだして、外はいい香りなの。
━━猫ちゃん、今日は雨だよ。いっぱい汚れちゃうから、明日は掃除が忙しくなって、ここで本は読めないわね。
━━猫ちゃん、今日は戻ってきた本が多いから、また明日ね。
あんな呼びかけをするなんて、傍からみれば頭のおかしい娘だと疑われてもおかしくない。
でも、リアは額縁の『白い猫』に挨拶を続けていたのだった。
━━猫ちゃん。
━━猫ちゃん。
あの呼びかけを毎日のようにきいていたから、焼却場で燃やされるときに生命の継続を切望して、助けを求めてしまった。
そのまま命乞いをしなければ、燃えてやっとクリスティーンの元へいくことができたのに。額縁の中で死んだように生きていてついに死ぬことができるというのに、だ。
くしゅんと腕の中のリアがくしゃみをし、ザックは思考の海から我に返った。
夏の夜といえども、部屋ならともかく屋外だと少し肌寒い。さっさと戻ろう、人間の姿でいるうちに。
再びザックは歩み始めた。
回廊を抜け、使用人棟に入り、リアの自室ドアの前に立つ。ここまで誰にも会わなかった。自分の魔法とツェーザルの魔法の両方が、うまく効いて人払いできていた。
入室し、リアをベッドに横たえて、ザックは気がついた。自分の小指に恋慕の指輪が嵌まっている。
どうしたものかと思案してベッド横をみれば、リアが大事にしている赤い六角形の小箱が目に入った。開ければ中には何もなく、とりあえず、そこへ放り込んだ。自分で入れていないから、そこにものが入っているとは思わないだろう。
明日のリアは休みにしてやろうか、今の時間なら書面の偽造にまだ間に合う。
ザックがそんなことを考えていたら体に予兆が走り出した。タイムリミットである。猫に戻る時間がきたのだ。
こうなったら明日の段取りをつけることはもうできない。先に旧図書室でリアの傷の手当をしておいてよかったと思いながら、思考がだんだんとぼやけていくのをザックは忌々しく思うのであった。
ザックが猫に戻るころ、ちょうどツェーザルの方も約束の三十分になっていた。魔法の存在がだんだんと薄れていっているこの時代では、昔のようにエルフはこちらで長く存在することはできない。魔法の存続とエルフの存続は表裏一体なのである。
ツェーザルも後ろ髪を引かれる思いで、イルザの待つ星空の向こう側へ帰っていった。
ツェーザルが消えると旧図書室が大きく燃え出した。城の騎士団の元に火災の通報がやっと入るのであった。