Act-7*リアと『窃盗団』(1)
「おお、またこれは、派手に燃えてるなぁ~、アイザック」
そういって、煙を避けてステンドグラス近くの空中で、高く浮いていたツェーザルは、リアの周りの炎を自身の意思で退けた。
いくらゲラルトを遠ざけるためとはいえ、自分の娘を燃やしてしまうわけにはいかない。炎のエルフ、ツェーザルにとって、炎を自由自在に操るのは造作のないことであった。
炎の下から焼け焦げた床が現れる。そこへ、彼はふわりと灰塵ひとつ巻き上げることなく降り立った。その軽やかな羽根のような着地は、大人の体であるツェーザルのものとは思えない。
「まぁ、あれだけ古かったんだ、さぞかし乾いた木材だろうし、さらに木っ端微塵ともなれば格好の燃料だな」
炎の妖精ツェーザルもゲラルトと同じことをいって、足元に倒れている自分の娘リアを見下ろした。
恋慕の指輪に体力と魔力を吸い取られたリアは倒れたきり動くことができず、熱い熱い炎の中ですぐに意識を失った。
髪は乱れ、手も顔もお仕着せも煤で汚れている。ツェーザルの操る炎の中の安全地帯には、ぼろきれとなったリアがいた。
旧図書室は依然、メラメラと燃えている。建物の内側は、床は赤い炎のカーペットで、壁は同じ赤のカーテンで覆われている状態だ。
その揺れる赤い視界の中で、黒い煙は上へ上へと立ち昇る。あんなに美しく星光で輝いていたステンドグラスは、もう地上からはみえなくなっていた。
魔法で本棚のネジを抜き、ドミノ倒しの要領で、猫のザックは本棚の転倒を引き起こした。
逃げるふたりの前に飛び出して、ゲラルトの持つランプに魔法をかけた。ランプの炎が火屋を越えて大きくなるように、その炎がジレへ飛び移るように。
ツェーザルの魔法も手伝って、結果、ジレへの着火はゲラルトから冷静を奪い、彼に恐怖を植え付けた。ランプだって通常ではあり得ないサイズの炎になれば燃料タンクにまで火が回り、ランプそのものが暴発した。
こうして静かな夜の旧図書室は、本棚の瓦礫の海となり、炎の海へと変わったのだった。
安全な場所から図書室内部の崩壊と火災発生を静観していた猫のザックは、エルフのツェーザルが炎を制するのを確かめて、自分も炎の海の中へ分け入った。
目の前に立ち塞がる何枚かの炎の壁を通り抜ければ、明るい炎に照らされて、猫のザックは人間の姿へ戻る。炎の赤が加わって、ザックの金髪はストロベリーブロンドのように輝いた。
火災発生前までは白い猫であったが、今のこの炎による光度でザックは人間の姿に戻っていた。そう、燃える旧図書室は、今だけは昼のように明るいのだ。
二百年前にかけられた魔法は太陽の光でなくとも強い光であればその呪縛がとける、そんな事実がわかった瞬間であった。
「さっきまで猫だったくせに、今頃、元に戻るのかよ?」
ザックの変身ぶりをみて、ツェーザルが皮肉を込めていった。
確かに人間の姿であるならば、あんなまどろっこしいことをしなくても、ゲラルトからリアを取り戻せただろう。リアはザックにゲラルトのことを隠していたが、ザックは知っていた。
“何でも知っている”魔法使いは、リアが恋慕の指輪に囚われて、ゲラルトとキスをしたことも知っている。そして、この旧図書室へ呼び出されていることも知っている。さらに、恋慕の指輪の効果でその誘いに応じてしまったことも知っているのだ。
“何でも知っている”魔法使いでも、猫の姿のザックでは、何もできない。しかもその変身の実態は、完全に思考まで猫になってしまって何も覚えていないときもあれば、意識はしっかりと人間のままで覚醒し魔法まで操れるときもある。
今晩は、魔法が使える中身が人間の猫だった。傷を負わせてしまったが、リアを不誠実なゲラルトから守ることができた。不幸中の幸いだった。
「悪いか? 好きで猫になっている訳じゃない」
人間の姿でツェーザルの横に立てば、開口一番、ザックは悪態をついた。そうだ、好きで猫になる訳じゃない。
ザックに絵画封印の魔法をかけたのはヘボ魔法使いだから、彼は難易度の高いこの魔法を完全に施すことができなかった。
中途半端に魔法が発動し、ザックは二百年の間、意識を残したまま絵画の猫となる。完全に己が消え一枚の猫の絵になってしまえば、どんなによかっただろう。額縁の中から国の移り行く様を、いいことも悪いことも全てをみることとなった。
絵画の猫は何もできない猫だった。歴史を傍観することしかできなかった。不幸中のさらなる不幸であった。
「まぁ、魔法使いもピンからキリまでいるし、悪事に手を貸して出世しようってヤツだから、その腕前は三流だろうな。でなきゃあ、権力に媚びなくてもやっていけるはずだし」
ここでもツェーザルは二百年前の名前も知らない魔法使いのことを皮肉った。
「そいつは術も三流なら、自分の身も守れないうすのろだった。発覚をおそれたファビアンにあっさり始末されたからな」
「事故死じゃないのか?」
「ああ、違う」
それは事故死に見せかけた証拠隠滅であった。そんな二百年前の顛末を思い出すだけでも、ザックは腹立たしい。
††
二百年前、この国ではまだまだ魔法が広く使われていて、魔法は人間と非人間を繋いでいた。人間とエルフが互いの存在を認めて共存共栄している間は、魔法は今よりもずっと身近なものだったのである。
ザックはそんな国の第十五王子で、彼の母は第五位の愛妾であった。母の魔力はそう強くなかったが、子供のザックは違っていて、先祖返りの強い魔力を持って生まれた。
ファビアンは第八王子の側近で、ザックの友人であった。魔法は使えないが、近衛騎士団の一員として王城に出入りしていた侯爵家の次男であった。
クリスティーンは国境に近い田舎の領主の娘で、魔法使い見習いとして王城にあがっていた。城で魔法を学ぶ際に、魔法使いでもある王子ザックと騎士ファビアンに出会った。
ザック、ファビアン、クリスティーンの三人は、生まれ育った背景はバラバラであるが、妙にウマが合った。休みが取れたときは、三人で馬に乗って遠出をしたり、王庭で樹木をみて食事をしたり、図書室で国の防衛について議論した。文武両道を目指して鍛練し交流を深める仲良し三人組だったのである。
ザックは王子といえども第十五王子、こんなに王子が多くては王位継承権など到底、回ってこない。成人したら王位継承権を返上して、一魔法使いとして父王や未来の兄王に仕えるつもりで魔術を磨いていた。
ファビアンは侯爵令息だが、兄が爵位を継承すれば親戚に貴族がいるというただの騎士になる。今のまま、兄王子の側近として主に生涯仕えると忠誠を誓っていた。
クリスティーンは家族仲のいい領主一家の三女であった。辺境防衛も担う家族の助けになればと、自ら魔法使いになることを志願していた。魔術を習得した暁には、田舎へ帰るつもりであった。
そう、時期がくれば、三人はバラバラの道を歩んでいく予定になっていた。
はじめは均衡のとれた三人の仲だった。しかし、『よく遊び、よく学べ』と交流が長くなるに連れて、ザックもファビアンもクリスティーンに対して特別な想いを抱くようになる。
ファビアンと違い、ザックはクリスティーンと一緒に魔法を学んでいた。そう、ザックはファビアンよりもクリスティーンと接する時間が圧倒的に多い。ザックがクリスティーンの心を射止めるのは、ごく自然な成り行きである。
ふたりはファビアンのいないところで、こう誓い合っていた。
━━ねぇ、アイザック、早く貴方の誕生日にならないかしら? 貴方が十八才になれば、すぐに結婚できるのに。
━━そうだね、クリスティーン、私がもう少し早く生まれていたのなら、もうとっくに結婚できていただろうに。本当に、すまない。
━━気にしないで、アイザック。もし貴方が私と同い年でなければ、私たちが出逢うことはなかったのだから。それでいいのよ。
━━ありがとう、クリスティーン。私が十八才になったら、すぐに結婚しよう。そのときはこの城を出て、君の故郷で新しく生活を始めよう。
━━嬉しいわ、アイザック、その日がとても楽しみ。
━━私もだよ、クリスティーン、愛してる。
ファビアンは、ふたりから現在と未来のことをきかされて衝撃を受けた。薄々は勘気づいてはいたが、確信が得られるとやはり悲しい。
ザックの恋人となってからも、ファビアンはクリスティーンにずっと横恋慕していた。クリスティーンはアッシュブロンドと銀の瞳を持つきれいな娘、賢くもあれば気立ても優しい娘であったから、ファビアンはなかなかクリスティーンを忘れることができなかったのである。
表面では祝福を口にしながらも、ファビアンはクリスティーンを手に入れるために王太子殺害事件を画策した。
もちろん、それは偽の殺害事件で、その首謀者はザック。それを未然に防いだのはファビアン本人という、三文芝居も顔負けのもの。
ファビアンは、配下の騎士や魔法使いに嘘の証言をさせ、偽の誓約書を用意させ、ザックに冤罪を擦り付けた。犯行時期だって、ザックとクリスティーンの婚約が整った直後だ。
ザックはクリスティーンと一緒にいるところで拘束され、そのまま彼女と離れ離れになり、絵画に封印された。
残されたクリスティーンには、反逆者のフィアンセいう経歴が付けられた。これはとても体裁が悪い。もうクリスティーンに新しい縁談は望めなくなった。仮に話がやってきても後妻か愛妾か、それを断り独身を通せば修道院行きである。
そんな状況の中で唯一求婚してくる人物がファビアンだとしたら、自分とザックのことを知った上で愛をささやくのだ、クリスティーンが彼を選んでも誰も咎めない。
ファビアンは時間をかけてクリスティーンに求愛しながら、並行して共犯者をひとりずつ始末していった。
††
だが今はそんなこと、どうでもいい。
人間の姿に戻った『図書室の白い猫』ザックは、リアのそばに膝をつき、そっと彼女を抱き起こした。
ザックの腕の中のリアは、煤まみれ。頬には木塵による細かい擦り傷がたくさんあって、足は腫れて痛々しい。体に力はなく、だらりと腕を落としたまま目を閉じていた。
そんな満身創痍の体でも、リアの呼吸には一定のリズムがあった。
リアの左手を取れば、薬指にはかつてアイザックがクリスティーンに贈るはずのオパールの指輪がはまっている。リアの体力と魔力を吸い取って、赤い炎に照らされていても白く輝いていた。