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Act-6*戸惑いの猫(6)

「ラル?」

 今度はずっと生返事ばかりのリアから話しかけた。

 そうだ、ゲラルトはリアのことが好きといい、リアがハインリヒにぞっこんだから付け入る隙がないといっていた。

 リアが好きなのはハインリヒ、ゲラルトではない。だからといって、好きといってくれた人に惨い仕打ちをしてはいけない。

 好きだといってくれたのだからこそ、断るにしても礼儀が必要だ、そうリアは思う。

「あの……ごめんなさい。私、やっぱりハインリヒ様のことが好きなの」

「リア、ハインは王子で身分が違うんだよ」

「うん、それは……わかってる。前にもいった通り、みているだけでいいの。ハインリヒ様と親しくなりたいなんて……考えていないから」

 正直なところ、この気持ちについてリアは自信がなくなってきている。

 ハインリヒから一生懸命頑張ってるねと激励され、肉親の死は誰だって悲しく辛いものだと慰められ、教師や本のことを優遇してもらった。他の誰にでもなく、リアだけに。

 “リア”、“リア”と名前を呼ばれ、こんな特別なことをしてもらえば、どんなに自制していても心の底ではかすかに期待してしまう。


 ━━リア、王城に部屋を用意させた。今すぐに、こちらへ移っておいで。


 そんな言葉とともにハインリヒが自分に手を差し出す姿を、リアは夢見てしまうのだ。


 ザックには好きになるのはいいが深入りするなと忠告された。たった今、ゲラルトからも身分が違うと諭される。これが一般的な見解だ。

 ちらりとリアが横をみれば、ゲラルトは気弱な瞳でこちらをみつめていた。

「そうか、リアの気持ちはよくわかった。本当にリアはハインのことが好きなんだね。ハインが羨ましいよ」

 ため息をひとつついて、ゲラルトはリアから視線を外した。

 ゲラルトにはハインリヒに対する基本姿勢はわかってもらえたが、同時に彼を傷つけてしまった。どんなにきれいごといったって、リアはゲラルトの願いを叶えることはできない。

「そんなにハインのことが好きなら、仕方ないなぁ~。リア、協力してあげるよ」

「えっ?」

 ゲラルトから説得の言葉をもらってもエールの言葉をもらうことはないと思っていたから、びっくりだ。

「協力?」

「そう、協力。一分でも長く、ハインと一緒にいられる時間を作ってあげるよ」

「え、でも、それって……どういうこと?」

 ゲラルトの意図がわからない。彼はリアが依然ハインリヒが好きだということは理解しているが、みているだけでいいということはうまく伝わっていなかった。

「リア、左手を出して」

「えっ?」

 まったく同じセリフを、今とまったく同じ状態で、以前きいたことがある。そう、それはゲラルトとキスをした日。

 またキスされるんじゃないかとリアは警戒してしまう。

「いいから、左手を出して」

 いつまでも手を出さないリアに、ゲラルトは催促した。彼の顔をみれば真剣な表情で、真摯な懇願だとわかる。

 ゲラルトを振ったばかりということが、リアに罪悪感を抱かせる。その上、こんな簡単な要望をも拒絶すれば、もっとゲラルトは傷ついてしまう。

 恐る恐るリアは手を出した。あの日と同じように、手のひらを上にして。

 ゲラルトはポケットを探り、指輪を取り出した。リアの手のひらにそっとのせる。

「あ、この指輪……」

 それは、キスをした日にみせてもらったものだ。指に嵌めていたはずなのにいつの間にか消えてしまって、リアはなくしてしまったと思っていた。

 指輪は、午後からの日差しの中で、あの日と同じように不思議な色で輝いている。控えめな光沢の中に、赤の艶が、青の艶が、ときに緑や黄色の艶も現れて、光線の加減で虹のように輝いてみえた。

「あげるよ、リア。リアのために探してきたものだけど、不要になったからね。僕が持っていても仕方ないし。振られた男への(はなむけ)だと思って、受け取ってほしい」

 この指輪は、リアのために用意したのなら、次に好きなる人に回すことはできない。“僕が持っていても仕方ない”、確かにそうだ。でも……

「これ、高いものでしょ? だって、宝石だよ、ね?」

「まあね。王城の宝物庫にある品に比べると、貧相な部類だけど」

 掃除娘のリアは、宝石などに縁がない。とてもきれいだと思うけど、もっときれいな宝石が宝石庫にあるらしい。信じられない話だ。

「それでも、宝石だから……私には、もったいないわ。やっぱり、いい。やめておく」

 見返りなどなしに受け取ってほしいというけれど、リアは遠慮した。

 これをもらっても、指に嵌めて掃除などできないし、つけて大食堂へもいけない。部屋でこっそり眺めるにしても、そこにはザックがいるから、見つかったりなんかしたら間違いなく詮索される。

 となれば、この指輪はしまいっぱなしになる。こんなにきれいな指輪なのに、もったいないことだ。

「そんなこと、いわないで、リア。僕は振られた上にプレゼントも受け取ってもらえないなんて……ちょっと立ち直れないな。そんなに困ることかな?」

 そんな風にいわれると、ゲラルトに対して罪悪感いっぱいのリアは断れない。しぶしぶ、受け取ることにした。

「ありがとう、リア。最後にもうひとつ、お願いがある」

「何かしら?」

「指に嵌めていい? もう二度とみることはないから」

 ここでもそんな風にいわれると、リアは断れない。うんと、リアは首を縦に降った。

 ゲラルトの手がのびて、指輪をのせたリアの手を取った。残りの手が指輪をつまみ、リアの手をひっくり返してからゆっくり左薬指に嵌めていく。

「ラル? ちょっと待って!」

 リアはハインリヒのことが好きだといったのに、ゲラルトはリアの気持ちを尊重するといったのに、やはり彼は恋人の証となる薬指へ指輪を嵌めようとする。

 とっさに手を引いたが、男のゲラルトの方が強かった。難なくリアの手を操って、指の付け根までしっかりと指輪が入れられてしまった。

「ハインにはいわない。完全に僕の個人的な望みだから」

 指輪を嵌め終わっても、ゲラルトは手を離そうとはしない。リアの指に嵌まった指輪を、感慨深く眺めている。まるで、その様を心に焼きつけているかのように。

 しばらくそのままでふたりは並んでいた。ゲラルトはそれ以上のことはしなかった。

 確かにリアにあげてしまえば、彼はもうこの指輪をみることはない。指輪との最期の別れと考えれば、リアも大人しくしていることができた。

「リア」

 静かな午後の図書室に、ゲラルトの声が響く。突如、自分の名を優しく呼ばれて、リアはどきんとした。

「ラル、何?」

 呼ばれて素直にゲラルトの顔をみた。黒の瞳と目があって、リアは頬に熱が集まり出すのがわかった。

(あ……あれ?)

 一度大きく拍打った心臓が、そのまま速いリズムで鼓動する。頬を赤く染めた熱量が、次の行き場を求めて体を駆け巡り出した。

(どうしたの? 私、なんか……変……)

 目元が、頭が、熱でぼおっとしてくる。

「リア、本当に君は欲がないね。僕はそんなリアが大好きだよ」

 いつの間にか肩が抱かれ、手は強く握られていた。耳元でゲラルトが愛をささやけば、リアはこんなことを口にしていた。

「嬉しいわ、ラル。私も、優しいラルが好き」

(えっ? 私、好きなのは、ハインリヒ様じゃなかったかしら?)

 この感覚、以前に一度経験した。

 どこでだろう、必死になって、リアは思いだそうとする。だが、すぐにわかるようで、わからない。ひどくもどかしい。

「本当? 嘘じゃない?」

 明るいゲラルトの声。さっきまでの遠慮したものと大違いだ。

 この声をきいて、なぜかリアの心も弾んでくる。

「ええ、嘘じゃないわ。私は、ラルが好き。貴方の黒い髪はいつも青く輝いていて、黒の瞳も深くて素敵だと思っていたわ」

 それは本当。烏の濡れ羽色というのはゲラルトの髪の黒色だと知り、リアは納得がいって惚れ惚れした。黒の瞳だって、雑じり気のない純粋な黒一色で、潔いと思っていた。

「リア、可愛いね。ホント、可愛い」

 心擽るゲラルトのセリフがリアの耳を埋め、新緑の香りの彼のフレグランスがリアの鼻を擽る。抱かれる腕は力強く、感じる体温が温かい。とても頼もしくて、とても居心地がよくて、とても幸せな気分で、リアはずっとこうしていたいと思う。

(ああ、この感じは……)

 心臓の拍動がうるさくて、こめかみもうるさい。あまりにもうるさいから、もう余計なことを考えるのが面倒になってきた。

「リア、もっとこっちにおいで」

「ええ、ラル……喜んで」

 小柄なリアを難なくゲラルトは抱き上げて、自分の膝の上にのせた。ゲラルトがぎゅうっと抱き包めば、リアも素直に彼の胸元に身を寄せた。

 どくどくと、心臓の音がきこえる。どちらの心臓の音だろう。やかましいけど、ちっとも嫌じゃない。

 ゲラルトの大きな手がリアの頭を撫で、茶色の前髪をかき揚げる。リアの金色の瞳がゲラルトの目の前に曝された。

「リア、きれいな瞳だね。僕の黒色と違って、リアの瞳は明るく輝いて宝石のようだと思っていたよ。その唇だって、摘んだばかりのチェリーのようで、いつも瑞々しくって食べてしまいたいと思っていた」

 膝の上で抱かれ、頭を撫でられて、瞳を覗き込まれて、愛するゲラルトに称賛される。ああ、なんて心が震えることだろう。リアは嬉しすぎて、目眩を感じてしまう。

 もう並んで座っていたときよりも、ふたりの距離はずいぶん近くになっていた。

「嬉しいわ。そんな風にいってもらえるなんて。私こそ、貴方が望むのなら、食べられてもいいと思っていたの」

 金の瞳を潤ませて、リアは懇願していた。これを望んでいるのは本心なのか、もう、それもどうでもいい。

「リア、本当に君は可愛いね。じゃあ、遠慮なく、いただくよ」

 蕩けるような笑みを浮かべて、そっとゲラルトはリアにキスするのであった。


 ゲラルトのくちづけを、最初は唇にもらう。目を閉じて彼の体温と変わらないそれを感じ取れば、リアは温かな気持ちになりほっとする。

 唇へのくちづけは次に額に移り、チュッと軽いリップ音がリアの耳に入った。そのままチュッチュ、チュッチュと軽いキスを繰り返し、唇はリアのまぶたをかすめ、鼻筋を走り、頬へと移っていく。

 こんなくちづけに、リアはとても大事にされているような気分になる。心臓の高鳴りは、落ち着きそうにない。

 再びくちづけが唇まで戻ってくれば、最後に少し長めに押し当てられる。そして、ゲラルトの唇が去っていった。ひどく寂しい感じがした。

 キスを終えて、うっとりしたリアの表情をゲラルトが認めれば、彼は軽く微笑んだ。そしてポケットを探り、銀の懐中時計を取り出した。

「リア、開けてくれる? ここの釦を押せば開くから」

 リアを膝の上に抱いたまま、ゲラルトは懐中時計を手のひらにのせ、上蓋を開けるようにお願いした。

 いわれるがまま、リアは懐中時計を手に取った。

 この懐中時計はゲラルトの手のひらの上ではそう感じなかったが、大きくてリアの手にあまる。しかも、ずっしりと重い。安定感のある強固な造りが男性的で、かといって浮き彫りになった装飾文字は細部まで彫り込まれ、とても美しい。

(A……U……BE……ああ、これは……何て読むのかしら?)

 ぼんやりとした意識の中で、リアは上蓋に刻まれた文字を目で追う。でも、読めない。だって、まだまだリアは文字の勉強をしている途中だから。

 少し力を入れて竜頭を押せば、ぱちんと軽やかに蓋が開いた。

 時刻は四時半、図書室業務の終了まであと三十分だ。

「リア、僕はもっとこうしていたいけど、僕の方が時間切れだ。ハインの元に戻らないといけない」

 ひどく残念な声でゲラルトはいう。セリフをきくリアも、ひどくそう思う。

 そして、“ハイン”ときいても、リアの心は、なぜか震えない。

「ラル、お仕事なら仕方がないわ。辛いけど……貴方を引き留めてはいけないから、我慢する」

「リア、なんて君は聞き分けのいいんだ。理解があって嬉しいよ。でもリア、僕はもっと君と一緒にいたいから、こうしない?」

 軽く頬にキスを落としてから、ゲラルトはリアの耳元でささやいた。


 ━━お互い、今日の残りの仕事が終わったら、また会わない?

 ━━旧図書室で待っているよ。その指輪をつけて、僕に会いにきて。


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