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Act-6*戸惑いの猫(2)

 フォルカーはマルガレータの四つ年上の青年で、隣国の宰相の嫡男である。彼はほんの半年前までこの国に留学していて、隣国の外交使節団の現地スタッフとしても働いていた。

 そんな職務の性質上、フォルカーはマルガレータと公式行事でよく顔を合わせていた。式典での彼は外交役人の一員として裏方で働いている。ときにその後パーティーなどがあれば、マルガレータに隣国の紹介するという名目で、飲食をともにし会話を楽しんだ。今は自国に戻り、留学経験を生かして父宰相の補佐業務に就いている。

 これだけなら隣国の外交官兼留学生が、外交の一環として留学先の王族の要望に応じているという構図である。

 外部の目を気にしてふたりとも必要以上に親しくなり過ぎないように行動し、礼儀正しく品行方正に表面的な付き合いをしていた。公式行事以外では一切会わないということも、徹底していた。


 このフォルカーの出身は姉ロジーネが嫁いだのとは違う国である。さらに、この国には年齢的にマルガレータと釣り合う王族男子はいない。両国間の国交は昔から良好で、うまく働きかければマルガレータがこの国へ嫁ぐことも夢ではない。

 問題は、ふたりの立場である。

 フォルカーは一国の宰相の嫡男で、未来の宰相最有力候補である。実に高貴な身分である。一般的には。

 だが、マルガレータの身分がそれのもっと上をいく。だって、マルガレータは一国の王女だから。

 普通に考えれば、マルガレータの相手は他国の王族が相応しい。彼女はどこかの国の未来の王妃となるべき身分なのである。

 政略結婚という点から考えても、フォルカーとマルガレータの結婚は両国の友好を深めることになるのだが、その程度は王族同士の場合ほど効果的ではない。

 “不可能”ではないが、“是非に”でもないのだ。中途半端なふたりの身分差である。

 こんなふたりの状況で、頼りとするのはお互いの強い意志となる。それは、どうしてもこの人でなければならないという強い望みというもの。

 この点も、マルガレータは計りかねていた。

 自分はとてもフォルカーのことが好きなのだけど、フォルカーの方はどうなのか?

 なまじ一緒にいても公の場だからと品行方正に振る舞いし過ぎたために、フォルカーの気持ちについてマルガレータは自信がなかった。


 フォルカーはいつもニコニコしていて、マルガレータに優しく接してくれる。他国の王族が相手なら、外交役人にすればそれは当然のことである。

 フォルカーはとても博識で、マルガレータの知らないこと、知りたいこと、興味を持ちそうなことを丁寧に教えてくれる。この知識の深さはふたりの兄の上をいくと、マルガレータは思っている。

 フォルカーは文官といいながらも、屋外の活動にも積極的である。馬を駆って野山を散策したときのエピソードに、マルガレータは予想しない彼の粗野な一面を知ることとなり、びっくりしたのだった。

 そんな文武両道の他国の次期宰相有力候補のフォルカーだから、自分のような箱入りの王女など、恋愛の対象として認めてもらえるだろうか? 学問的にも人間的にも自分は幼いと自覚しているだけに、残念な気分になる。

 立場が立場だけに積極的に確かめることができず、別の国からの政略結婚の打診にびくびくしながら、マルガレータはひっそりとフォルカーのことを想っていた。


 相変わらず式典では友好的にフォルカーと会話して、時間が流れていく。

 フォルカーは留学生である。いずれは帰国する日がやってくる。そう、どんなにマルガレータがこないでほしいと祈っても、その日はやってくるのだ。

 政略結婚で別の男性(ひと)のところに嫁いでも、初恋の思い出のひとつぐらいならひそかに持っていっていいだろう。

 望みが叶うかどうかなど、マルガレータはどちらでもよかった。ただ帰国するフォルカーに、迷惑にならぬよう自分の想いを告げることができればいい、そう思い、いろいろ考えた。


 会うのはこれで最後になる式典で、マルガレータは帰国するフォルカーに餞別の品を贈った。将来、文官となる彼にマルガレータはファウンテン・ペンを贈ったのだった。これなら、友好の証としておかしくないし、意地悪な見方をする人は少ないと思ったのである。

 フォルカーはマルガレータの許しを得て目の前で包みを開き、自分の内ポケットにしまい込んだ。帰国したらこのペンで一番に手紙を書きますといって、別離となった。


 後日、マルガレータの元にフォルカーから帰国の挨拶状が届いた。

 少し厚めの封筒を手にして、マルガレータはどきどきする。

 私書でなく公式文書扱いで届いたそれは、この国の役人によってすでに内容が検閲済みである。聡いフォルカーなら検閲のことを想定して、中はきっと儀式的な文面に違いない。

 心地よい言葉など期待してはいけない、こうやって約束どおり手紙を寄越してくれたのだ、それだけでも充分ありがたい。そう自分に釘を刺し、マルガレータは封を切った。


 “ばあや”の目を盗んで開いたその手紙には、予想どおり公式文書の定型文が並ぶ。

 留学中に身に受けたマルガレータの計らいに謝辞を述べ、帰国後の現状が綴られている。餞別の品については一切触れられていない。だが、手紙の筆跡をみればマルガレータは嬉しくなる。公式行事で目にしていたのとは違う筆圧の文字に、フォルカーが自分の贈ったペンを使ったのだと確信できたから。

 このようにマルガレータの淡い初恋は実を結ぶことがなかったが、思い出としては上等なものとなった。

 紋切り型の挨拶状を読み終わって、次の二枚目の便箋をみれば追伸があった。危うく見落とすところだった。


 ━━以前、お話を伺った際に、興味を持たれた我が国の刺繍を同封させていただきます。話をきかれるより実物をご覧になる方が、よりよく理解できるかと存じます。


 教師然とした文面に、それはどのやり取りだったのかマルガレータは少し思い悩む。思い出せるものがとても多くて、これからもフォルカーにはどれだけたくさんのことを教えてもらったことかと再認識した。

 別封筒に入っていたのは、ハンカチーフであった。今までみたことのないパターンの刺繍が刺されていて、フォルカーの国独自のものだと一目でわかる。

 餞別のお返しだろう、多分。そう思いながらも、マルガレータは迷わずペンを取った。


 ━━覚えていてくださり、ありがとうございます。仕上がりが素晴らしいだけでなく、その刺繍の糸が私の好きな青色であることにも、とても嬉しく思います。

 美しい実物を拝見したので、もっとこの刺繍について興味がわいてきました。機会があれば、この刺繍の本を読んでみようと思います。


 礼状だけで、特に褒美のような何かを同封することはしない。だって、フォルカーに宛てるマルガレータの手紙は、私書でなく公式文書に相当するから。

 今、手元にあるフォルカーの手紙と同じように、マルガレータの手紙も検閲対象となるから無難な言葉を選んだのだった。


 返礼を出してからしばらくは、何の音沙汰もなくマルガレータの王女である日々が過ぎた。

 その間マルガレータ自身は、少し期待し考えていた。

 すぐにフォルカーから返事がかえってくるかもしれないと。もしかえってきたのなら、次はその返事に何を書こうかと。

 でも、そんなの、かえってこない。自身が主宰する茶会や公務関係の手紙がたくさん届いても、フォルカーのものはない。

 待つのに疲れて、期待するのに疲れて、考えるのに疲れて、そんな頃フォルカーの手紙が届いた。


 ━━我が国の産業に興味を示してくださり、ありがとうございます。従事する職人たちの多大なる励みとなります。

 最新の刺繍図案集をお届けいたします。王女殿下のさらなる深いご理解の参考となれば、幸いです。


 “最新の”とあるから、これが出版されるまで返事を出すのを控えていたのかもしれない。返事がくるまで時間が開いたことを、そうマルガレータは推測する。

 同時に、最初の手紙のときと同じように、期待してはいけないとマルガレータは自制する。

 これは、他国の王女が自国の産業に興味を持ち、それに対する外交的礼状かもしれない。だって、フォルカーは外交にも従事する高級官僚なのだから。

 フォルカーの中では、マルガレータのことなど、やはりその程度でそれ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。何度も何度もマルガレータは自制する。

 けれど、そんな表面的な繋がりだとしてもマルガレータは終わりにしたくなかった。


 ━━最新の資料を探してくださり、ありがとうございます。新しいパターンは、躍動感を感じさせるデザインですね。これは、貴国の風土ならではの発展した形なのでしょう。

 我が国との違いをここでも見出だすことができ、有意義な資料となりました。


 自分の真意を表面に出さず、あくまでも学術的な交流を望むと演出する。だって、この手紙は検閲されているのだから。自分の国だけでなくフォルカーの国に入っても、だ。

 慎重に言葉を選ぶのはひどく疲れるが、マルガレータは礼状を出す。

 そして、受け取ったフォルカーも、不定期になりながらも資料と解説(・・・・・)をマルガレータへ提出し続けた。

 留学中の公式行事のときと同じように、表面的には教師と生徒のような文通がフォルカーとマルガレータの間で交わされるのであった。


 今晩も、白猫のフォルがやってくるまでマルガレータはフォルカーへの手紙を書いていた。

 フォルカーが寄越してくれた大事な贈り物をライティングデスクの引き出しから取り出して、それをじっくり眺めながらマルガレータは文面を考える。

 届けられた贈り物は衣装室に放置、その礼状も義理で出すというゲラルトへの対応とは、ずいぶん違う。


「ねぇ、フォル、早く十八にならないかしら。そうすれば、ひとりで公式行事に参列することができるのよ。こちらからフォルカー様の近くへいくことができるのよ」

 今、マルガレータは十六だから、成人王族となるまであと二年の辛抱である。成人すれば、公務へはひとりで出席することが可能となり、フォルカーの国に関係する式典を意図的に選ぶことも可能となる。


『ゴロゴロゴロ……』


 マルガレータの膝の上で、白猫は喉を鳴らして寝返りを打った。自分の膝の上で安心し無防備になる猫の姿に、マルガレータは満足する。

 フォルカーへの想いは誰にも告げていない。唯一知るのはこの白猫のフォルのみ。その猫にそっと打ち明けることで、マルガレータもフォルカーへの切なくて苦しい気持ちを和らげることができていた。


「姫様、まだ起きておられるのですか?」


 不意にノックと注意する声が響いて、和むひとりと一匹に緊張が走った。いつまでも消えない王女の部屋の明かりに、“ばあや”が様子見にきたのである。

 声の主を察すると同時に、白猫フォルはマルガレータの膝から飛び降りて窓へ向かう。マルガレータもフォルの後を追い、テラス出入口のガラス窓を静かに開けた。

 フォルは何もいわず、窓の隙間を通り抜け、夜の暗闇に飛び込んでいく。あんなに真っ白な猫なのに、すぐにその姿は闇に溶け込んでわからなくなった。

 完全に白い塊がみえなくなってから、マルガレータはガラス窓を閉めた。フォルの食器をソファの下に隠し、ドアに向かう。

 ドアを開ければ少ししびれを切らした“ばあや”が立っていた。すぐに休むようマルガレータを叱咤する。

「うっかりしてたわ。もうそんな時間だなんて、まったく気がつかなくて……ごめんなさい」

 さも時間を忘れて本を読んでいたといえば、“ばあや”は疑うことなく引き上げていったのだった。


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