Act‐1*リアと『白い猫』(2)
「一階に比べて二階は明るいですね。吹き抜けが近いからですか?」
「二階は窓が多いからですよ。ああ、そうそう、リアさんの二階の窓拭きですが、内側だけでいいですよ。外側を拭いて落ちてしまってはいけませんからね」
予定外に掃除場所のこともきけた。しかも、この内容は嬉しい。
カウフマンは手近な窓へリアを案内した。北向きに腰高窓が数枚並んでいて、そこから穏やかな光が取り込まれている。二階が明るいのは、吹き抜けのステンドグラスからだけでなくこの北向きの窓からも採光しているからであった。
その淡く輝く腰高窓の並びの先に、一枚の重厚な扉があった。
(?)
それは、この図書館で入口以外のはじめてみるドアであった。
扉はここの北側の窓までこないとわからない位置にある。どちらかというと、階段を上ってすぐの踊り場から扉がみえないように本棚を設置しているという感じもする。
「あそこは資料室になります。資料といっても、時代遅れになった技術書や再測量して誤りがわかった地図とかが入ってます。あと、古い絵画やタペストリーとかもあったかな?」
どうやら、使えないものを放り込んである物置のようである。あまりお披露目には向かないようだから、わかりにくい場所にしまってあるらしい。
「鍵がかかってますから、リアさんは入れません。だから二階の掃除は書架のところだけでいいですよ」
鍵がかかっているのを確かめるべく、カウフマンは扉に近づいた。慌ててリアもあとを追う。
重そうな扉には、それに呼応して古めかしい金属の大きなドアノブがあり、カウフマンは遠慮なく回した。ガチャガチャと硬い金属の当たる音がして、施錠の具合も強固であった。
ね、いった通りでしょう? という顔で、カウフマンはニコッとしてみせる。
こんなフレンドリーな態度をとられると、リアはちょっと意外な気がした。このカウフマン、第一印象は神経質な感じであったが、実際はそうでなさそうだ。彼の表情に合わせて、リアの方も、うんと、首を縦に振った。
「では、一階に戻りましょう。掃除の手順ですが……」
と、カウフマンが踵を返す。そのあと不意に、何か白いものがリアの目に入った。彼の姿が消えたその向こう側、本棚と壁に挟まれた細長い空間の奥に。
思わずリアは硬直する。
(何? 誰か、いる?)
白くてぼんやりしたものが、資料室の扉と同じ壁の奥先に宙ぶらりんで浮いている。そこは、ちょうど扉とは正反対の一番南の場所になる。北向きの窓の光はあまり届かない。だから、暗くてよくわからない。
あらためて後日、確かめにくればいいだろう。今はカウフマンが新参者のリアに図書室のガイダンスを行っている。リアはこの図書館でこれからずっと掃除娘として働くのだから、今でなくてもいいのだ。
でも、リアは気になった。今、確かめないといけないような気がした。
「リアさん?」
追いかけてこないリアに気がついて、カウフマンが戻ってきた。
「どうかしましたか?」
「はい、あの奥の……何か白いものが……」
恐る恐るリアは指差した。まるで、幽霊でもみたかのように。
「ああ、猫の絵ですね。私よりもずっと長くこの図書館に勤めている猫ですよ」
冗談を交えながら、平然とカウフマンは絵画へ歩いていく。
(猫の絵?)
リアも勇気を出して一歩、踏み出した。
資料室の扉のある壁には、絵画が六枚、掛けられていた。一番奥の白いものに気を取られたが、リアはここがギャラリースペースになっていることに今やっと気がついた。
その猫の絵は、図書館のミニギャラリーの一番地味な場所にある。
装飾文字で飾られたフレームの狭い金の額縁の中に、足の長い少し痩せた白猫が立っている。
その表情は目を閉じているから、よくわからない。笑っているのか、怒っているのか、はてさて泣いているのか、どれだろう?
ただ毛並みはふさふさとしていて、柔らかそうで、手触りはよさそうだ。
白猫の背景は、抽象画のようなダークグリーンの色で塗られている。
一見して猫は、緑色のタペストリーの前に立っているとも、ソファのファブリックの上に乗っているとも、単に夏の庭の中を歩いているとも思われた。いずれにせよ、沈んだグリーンの背景に、猫の白い毛はずいぶんと映えてみえたのだった。
「猫は好きですか?」
熱心に鑑賞するリアに、カウフマンが尋ねた。はっと、リアは猫から我に返る。
「あ、はい。飼うことはできませんでしたけど」
猫が好きかどうかは、あまり意識したことはない。かわいい猫をみればかわいいと思うし、それは犬にだって同じ感想を持つ。でもここではとりあえず、そう答えておいた。でないと、カウフマンに何だか申し訳ない。
「リアさんには悪いですが、あまりかわいいとはいい難い猫ですね。どちらかというと、不細工かな?」
(不細工?)
カウフマンのセリフに、リアは目が丸くなった。あらためて、よく観察してみる。
(ま、まぁ、そうね。目が開いてないから、どうともいえないわ)
カウフマンとリアのやりとりなどどうでもいい、そんな感じで目を閉じて、猫は絵画の中にいる。
「他にも猫の絵はあったと思います。資料室に入るときには、呼んであげましょう。では、一階に戻りますよ」
促されて、仕事の続きに戻る。
もときた道ではなく違うルートを通って本棚の森を抜け、ふたりは階段まで戻った。その途中、本棚を曲がる際にもう一度振り返り、リアは白い猫の絵を確かめた。
これがリアと『白い猫』の最初の出会いであった。
***
カウフマンはリアのことを業務補佐といったのに、やはり彼女の仕事は掃除であった。
その内容は、本棚の埃を落とし、床を掃き、窓やカウンターを磨く。それを午前中に行う。リアが掃除をする間、カウフマンは掃除場所から離れたところで図書司書業務を行う。
だいたいお昼前にお城の人がやってきて、彼らは侍従だったり役人だったりするようだ、主人のリクエスト本を引き取っていく。
前日にほしい本をカウフマンに申請しておけば、彼が翌朝までに探しておくシステムらしい。カウフマンは本棚の間を何度も往き来してリクエスト本を集め、入口ホールのリーディングデスクの上に積んでいった。これが、リアが配属初日にみた本の山の正体である。
役人らは、本の引き取りと同時に前回借りた本をおいていく。午後からはその返却された本の整理に入る。カウフマンが汚れや破損をチェックして、それをリアが元の場所に戻すのだ。
本は薄いのもあれば厚いのもある。手のひらサイズの小さなものからリアの上半身を隠してしまう大きなものまである。当然、軽いのから重いものまで、まちまちだ。
カウフマンはリアにここでの片付けのルールを教えた。本には記号と番号がついているから、本と同じ記号の本棚へ、同じ番号の段へ、数字が順序正しく並ぶように入れなさいと。
リアは話すことはできるが、読み書きがやや覚束ない。だって、小さいときから市で働いて、学校になどいっていないから。
でも数字の意味は理解できて、簡単な計算もできる。りんごを数えるのに数字は必要で、売れ残りの数を知るために計算が必要であったから。
ものの名前にしても、市で扱っているものは綴ることはできる。人の名前も同様。知らない単語は、庶民には縁のない宝石の名前とか詩集に乗っているような難しい表現の言葉である。
あとはアルファベットは正しく並べることはできる。ときどき、pとq、bとd、mとwを間違えるけど。疲れていると、bと6という間違いもしてしまうけど。
リアの識字レベルは必要最低限で、だから図書室配属になったのである。なぜなら、文字が読めると本を読んでしまうから。それでは、仕事をサボってしまう。また、お城としては、知の宝庫である図書室の情報を、庶民に盗み出されても困るからであった。
全くの文盲では本の片付けができない。リア程度の識字能力が、また小柄なわりには力持ちということも合わせて、図書室の掃除係にはちょうどよかったのである。
午前の掃除はほぼ毎日同じ内容だが、午後からの図書の片付けは日によって仕事量が違う。
だから、すごくたくさん本が返却された日は夕方までずっと、カウンターと本棚の間を移動する。逆に、びっくりするくらい本が返ってこない日は、三時までカウフマンから読書をすることが許された。
もちろんリアは字が読めないから、正確には“読む”でなく“眺める”になる。字のない本、つまり図鑑や絵画の本をそのときの気分で取り出してきては、眺めたのだった。
リアが“読書”をする場所は、はじめはカウフマンと同じカウンターの奥であった。だが、図書室にやってくる役人らが、本を読むリアをみて、いい顔をしない。用事でやってくる侍女とかも、楽な仕事でいいわねと、こっそり嫌みをささやいていく。
「絵を眺めているだけなのにねぇ」
と、カウフマンはそういうだけで特に注意はしない。
でも、リアは考えた。いくら仕事のない時間だとしても、やっぱり就業時間中だからよくないと。
そこでカウフマンに断って、リアは二階で“眺める”ことにした。
書庫に椅子はない。でも脚立はまあまあ、ある。上段の本を出し入れするために。
リアはそれを椅子代わり、読書台代わりとして、大きな本はリアの手だけで支えて読むことができないからなのだが、使うことにした。
午後から射し込む陽の向きと、外部の人間の目につかなくてかつカウフマンの呼びかけがきこえる必要を考えて、リアは本を“眺める”のに適する場所を探した。
色々な場所で読書をした結果、あるところに落ち着いた。
そこは、猫の前である。並ぶ本棚の横の、あの『白い猫』の絵画の前。はじめてリアが『白い猫』と会ったときは、そこは薄闇の空間で、猫は白いお化けであった。
だが、午後からはうまい具合に陽射しが細く射し込んで、朝よりも明るい。二階の一番奥だから、滅多に人はこない。もともと図書室はカウフマンの独壇場みたいなところがあって、図書室に彼以外の声が響くこともなく、用事で呼ばれてもすぐに参上できる。まさに、リアの“読書”にうってつけ。
仕事の少ない午後、リアはここに本を持っていった。脚立に浅く腰をかけて、『白い猫』の前でページを捲る。時折目が疲れて休憩をすれば、上げた視線の先には『白い猫』がいる。
(こうやってみていると、愛着がわいてくるわね、なまじ不細工だから、かしら?)
幾度となく『白い猫』を眺めては、そう思う。不思議なことに、隣に人物画や犬や鳥の絵画が並んでいても、この『白い猫』ほどリアの興味は引かない。
こうしてリアは、『白い猫』と“読書”をともにした。それは、しばらくの間、リアの空き時間の習慣となるのであった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
(R15の活動報告はX活動報告へ、との注意書きを受けてここに記します)
普段はムーンライトノベルズで、恋愛小説を執筆しています。
思い付いたお話が、R18よりもR15の方が似合うと思い、こちらで連載することにしました。
詩を少し上げてありますが、こちらでの小説連載ははじめてになります。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ムーンライトノベルズではひとつ連載を執筆しています。
なので、こちらはサブ執筆となります。
投稿ペースは、
『1話4000字、1章を毎日投稿、その後次ができるまでお休み』
という形で進めていく予定です。
Act-1は今日でおしまい、次回は12/17~となります。
できるだけ章の最終話あとがきにて、次回投稿日を予告できるよう、執筆したいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。