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Act-5*リアと『先生』(4)

 ザックとリアの間には男女の体格差だけでなく、能力の上でも格差がある。知的レベルひとつとってもリアが不利なのに、さらにザックは魔法も操る。

 実際に彼が魔法を掛けているところを、リアは未だにみたことがない。けれどその痕跡を、リアはたくさん知っている。ありとあらゆる書面が捏造されたという形で。

 ザックは何度も何度も魔法を使っては、食事を用意させ、衣服を手配させ、王子の家庭教師の地位までも手にいれた。とても、世渡りが上手だ。

 これらのことをよくよく考えると、リアはザックにもっと恐怖してしまってもおかしくない。彼に戸惑うことはあっても、怖いと警戒したのは最初だけであった。

 そう、ザックは口は悪いが今みたいに手が出ることはなかったのだ。それをどこか当然とリアは思い込んでいた。

 そんなことないのに……自分の認識が甘かったと、リアは反省した。


 ━━にゃん!


 ふわふわしたものが、膝に強く何度も当たる。少しこそばゆい。

 天井から視線を下げれば、白い猫がリアの膝小僧に頭をこすりつつけていた。

(さっきまで、怒っていなかった?)

 喧嘩して気分を害したなら、とっととベッドにでも別に用意した籠にでもいって、猫特有の丸くなった姿で眠るだろう。だが、リアにすりすりと甘えるこの様子は、どうだ? まるで、遊んでとねだっているよう。

(前々から思っていたのだけど、猫のときはザックのときのことを覚えていないようなのね)

(ザックはザックで、猫のときのことを何もいわないし)

 あまりにもしつこく頭を押し付けるから、前足の下に両手を入れて、リアは猫を持ち上げた。


 ━━にゃん、にゃん!


 大人しく猫はされるがまま、リアに持ち上げられる。白い猫の体がびよーんと長くなった。

 伸びた体のまま、白い猫はまっすぐにリアをみつめる。青とオレンジのオッドアイが、ザックと違って無邪気だ。


 ━━にゃん!


「お前、ザックの記憶はないの?」

 問いかけても、白い“猫ちゃん”は、宙に浮いた後ろ足をばたつかせるのみ。


 ━━にゃん、にゃん!


「ねえ、猫になれば、魔法は使えないの?」

 もちろん、この質問にも“にゃん”としか、答えない。

 持ち上げられて体がつらくなったのか、“猫ちゃん”はもぞもぞと暴れ出した。

「あ、こらこら!」

 器用に体を捻じると、白い猫はリアの手から逃れて着地する。そのままベッド下までいき、ぽおんとジャンプして、いつもの定位置で丸くなった。

 昨夜と変わらない、猫のザックであった。

(怒ってるの私だけ?)

 リアのベッドの上でくつろぐ猫の姿を確認すれば、何だか拍子抜けしてしまう。

(もういいや!)

(寝よ寝よ!)

 戦意をそがれて、リアも少し早いが休むことにしたのだった。



 ***



 ザックと口喧嘩になってから、数日後のことだった。

 今日の図書室は朝から人の出入りが少なく、図書の返却も貸し出しも多くなかった。

 カウフマンによると、王家一族が総出で式典に出ているから、側近らの皆がそちらにいっているらしい。図書室は式典など関係ないから、忘れられたかのように静かなものであった。


 ザックと口論した翌日こそは、リアもザックもギクシャクしていた。

 だが、それから二日、三日と経てば、喧嘩前のふたりに戻る。まだまだ同居生活の終了はみえていない。早くザックの自立を成功させるためにも、いつまでもいがみ合うのは不効率だ。ザックもリアも同居は期間限定だとよくわかっていたのだった。

 元の仲に戻ったふたりといえども、一つ変わったことがある。それは、ザックがリアを気遣って、ハインリヒのことについて一切、言及しなくなったということ。それ以外のことは、ザックの毒舌は相変わらずだが。



「今日()本を読んでいるんだね」

(!)

 頭上からの不意な声に、リアは顔を上げた。

 こんな展開、前にもあった。あのときは、顔を上げればまず金髪がみえて、碧の瞳と目があった。そのときの声の主はハインリヒで、その後の展開についてザックと口論になったのだった。

「あ……」

 前と違って、午後の陽射しを受けた黒髪が青く光ってみえた。こんな色を烏の濡れ羽色と、誰かがいっていた。切れ長の目と合えば、そこに嵌まるは黒色の瞳。それは知的でストイックな印象を与える。

(誰だったかしら?)

 リアはいいよどむ。今日の声の主は見覚えがあるけれど、名前が思い出せない。いや、そもそも、この彼の名をリアは知っていただろうか。

 彼の服装は共布のジレとブリーチーズ、侍従らの服とは少し違う。かといって、大臣らがきているような仰々しいものではない。どちらかというと、公務のない日のハインリヒのものと似ている。

「ごめんね、邪魔をしたようだ。ハインに頼まれて様子を見にきてたんだけど」

(ハイン?)

 目の前の黒髪の青年だけでなく、“ハイン”もリアにはわからない。

 なんと答えればいいのか、リアは沈黙してしまう。それを青年は拒絶ではないと判断した。

「今週は城外の行事が多くてここにはなかなかこれないからって、ハインはいっていたよ。君が本を読んでるのはハインの気を引くためのパフォーマンスかと思っていたけど、本当に勉強しているから感心したよ」

 ハインの気を引くためのパフォーマンス━━そのセリフで、ハインが誰のことなのかわかった。ここでリアが本を読んでいるのを、正確にはまだまだ眺めている段階であるのだが、知っているのは、ザックとカウフマンと第二王子のハインリヒだけだから。

(ハインリヒ様をハインと呼ぶこの人……使用人でも、きっと高い職位の人だわ)

 彼の着ているような制服をリアはみたことがない。リアが知る偉い地位の人は、せいぜいクルトの直属の上司か、侍女長ぐらいである。エマのように、お城の奥まで出入りすることができれば、服装から彼が何の仕事をしている人なのか、わかったかもしれない。

「ああ、ごめんごめん。ハインはハインリヒのことね。僕らの間ではハインって呼んでいるんだ」

 と、親しげに“ハイン”の秘密を黒髪の青年がばらした。

 そして、僕らの間ではというところから、目の前の彼は、本人の前では“ハイン”と呼ばないと思われた。

(やっぱり、この人、ハインリヒ様のお付きの方のひとりね)

(今日のハインリヒ様は式典に出られているし、この人は留守番役で、いい付けられてここにきたんだ)

 ハインリヒの関係者だとわかれば、リアの警戒は解けていく。だが警戒はなくなっても、緊張がなくなることはない。

 やや態度が固いリアに、黒髪の青年はにこにこと人懐っこい笑みを浮かべ、親しげに話しかけてくる。

 その振る舞いは、ザックのように見下すようなものではなく、ハインリヒのようにこちらが畏れ多くて恐縮するようなものでもない。王子の侍従らしいこの彼は、同じ使用人として対等に接してくれている。

 その上、ここでの読書のことを感心するなどといわれもすれば、リアは嬉しくなる。努力は必ず花開くというハインリヒの言葉を思い出した。

(あのお言葉は、こういうことね。ハインリヒ様は、やっぱり素敵!)

(このお付きの人だって、感じのいい人ね。素敵な人の周りには、素敵な人が集まるものなんだわ)

「あの、ご用件は?」

 すっかりこの青年のことを王子の側近だと信頼し、リアはハインリヒの要望を尋ねた。

 黒髪の青年がここにきた理由は、ハインリヒから頼まれて緊急で本を探しているのだとリアは思ったのだった。

 リアのことは、そのついでだろう。

「君の勉強を手伝うようにって、いわれたよ。君が読めない単語を、僕が読んであげるようにって、ね」

「えっ?」

(本のご用じゃないんだ!)

(それに、なんでそんなこと、してくれるの?)

 予想もしない先生が突然現れたことに、リアは驚いてしまう。

 そんな間にも、黒髪の青年は一番近いところからリーディングチェアを持ってきた。リアの座る椅子の隣りに並べて、彼もそこに座る。繋がった椅子はまるで長椅子のようで、仲良く並んで本を読むふたりが出来上がっていた。

「あの……」

「今日はどのページ?」

 軽く腕を組んで、青年はリアの膝の上の教本を覗き込む。

 ふわりといい香りがして、それはリアの鼻をくすぐった。カウフマンとは違い、彼は香水をつけていた。ハインリヒと同じように。

 さらに教本の向こう側にすらりとした長い足がみえて、隣の青年はリアよりもずっと背が高いともわかる。

 黒髪の青年の中身を素敵だと思ったが、彼のルックスも素敵だったのだ。

 可愛いエマがマルガレーテ様のサロンの担当になったように、この彼も選抜の段階でそんな基準をクリアしているのに違いない。そんなことに気がつけば、急にリアはドキドキしてくる。

(同じ使用人といっても、王子付きだもの、やっぱり私なんかとは格が違う)

(本当に、いいんだろうか?)

 困惑した顔でリアはちらりと隣の青年の顔を盗み見した。盗み見したつもりだったが、すぐに見つかってしまう。

 リアの表情から青年は何かを察し、補足した。

「僕も時間があるときだけだし、いつでもできるわけではないからね」

 そりゃそうだ、今日はハインリヒの命でここにきている。本人の希望ではない。王子の公務がたまたま城外で行われているからであって、今日はタイミングがよかっただけである。

 運よく語学レッスンを受けることができそうなのだが、ひとつ気になることがある。思い切って、リアは口にした。

「あの……教えていただけるのはとてもありがたいことなのですが、私、あなたにはお礼を述べることしかできません。レッスン代なんて……ごめんなさい、払えそうにないわ。だから、やっぱり……」

 ここは恥を忍んで、リアは告白した。レッスンを受けた後で代金を要求されても、払えない。そんなお金、母を亡くしたばかりのリアには負担が大きい。

「そんなつもりで声かけた訳じゃないよ。純粋に、真面目に勉強している()がいるから、協力してやって、ハインにいわれてね」


 ━━純粋に、真面目に勉強している()がいるから

 嫌々勉強していたが、ハインリヒにはそうみえていた。だとしたら、もっと真面目にやらなければと、リアは気が引き締まる。


「最初はハインの気を引くためにやっているのかと思ったんだが、君は誰もみていないところでもきちんと勉強している。偽物の勤勉者はたくさんいるが、君はそうでないらしい。だから僕も協力してあげたいと思った。レッスン料のことなんてまったく考えていなかったよ。それはなくていいから、安心して」

 隣りに座る青年は、誠実にそう告げる。はじめはハインリヒの命がきっかけだったが、途中からは自発的に講師をしたくなったという。

 じんと、リアの胸の奥が温かくなった。

「ありがとうございます。あの……失礼ですが、お名前を教えていただけますか。ごめんなさい、私、あなた様のお名前を知らなくて……なんとお呼びすればいいのか」

 リアがおずおずと申し出れば、今度は青年の方が目を丸くした。でもすぐにその色を消し、彼は口角を上げて自分の名を教えた。

「僕は、ゲラルト。あまり堅苦しいのは嫌だから、ラルでいいよ。君は?」

「はい、リアで、いいです」

「じゃあ、リア、どれが読めない?」

 ふたりでリアの膝の上の教本を覗き込む。途中だった発音練習が再開された。

 リアが読みに詰まるたびに、ゲラルトは丁寧に発音する。ゲラルトの時間が許すまで、静かな図書室にふたりの声が響くのであった。


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