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Act-5*リアと『先生』(3)

 ザックからのお裾分けのフルーツサンドをひとくち食べて、リアはもう一度自分の部屋を確認する。

(ここ、私の部屋なのに……)

 リアが読まない本、リアが使わないペン、リアが着ない衣服、どれもザックのためのもの。やたらと目についてしまう。

(私のものって……もしかして……あれだけ?)

 あえて自分のものを探して数えてみる。

 ベッド横の樽の上に六角形の赤い小箱、リンゴの木箱に旧図書室からもらった絵本が数冊、形見となってしまったイルザの赤いスカーフが衝立にかかっている。

 残りは支給品のお仕着せと粗末な私服が少し。それがリアの全財産であった。

 すっかりザックの所有品が幅をきかせ、リアの部屋はザックの色に染められている。この比率、まるでザックがこの部屋の主で、リアが居候みたいだ。

 圧倒的なザックの私物の多さに、リアは愕然としてしまう。そうと気づけば、口の中のフルーツがちっとも甘く感じられない。

「さっき、エマから教えてもらったのだけど……」

「エマ? ああ、可愛いとかいってたお前の友人か。そいつが、どうかしたのか?」

 エマは可愛い。使用人の間だけでなく、お城に勤める書記官や騎士団メンバーなどの間でも、エマのことは知れ渡っている。

 エマの情報はクルトと付き合っているという噂もセットとなっていて、またマルガレータ王女の管轄下にあるということもあって、評判の割にはエマは静かに仕事に励むことができている。

 だいたいの男性がエマのことを可愛いと褒めてちやほやしたがるのに、なぜかこの魔法使いは素っ気ない。今だって、“仕方ないからきいてやるよ”って態度である。

(エマが好みのタイプじゃないんだろうな)

(二百年前にはすっごい美人の恋人がいたって、偉そうにいうし)

(ま、どうでもいいけど)

「抜き打ちで、持ち物検査があるらしいの」

「ああ、そんなこと、王子(ガキ)の侍従らがいってたな」

 エマからの情報は、とっくにザックの知るところとなっていた。すっごい秘密を教えてもらったつもりだったけど、お城の中ではそうではないのかもしれない。

 それでもリアは口に出してみた、これ以上、自分の領域を侵害されたくない。私物の持ち込みに制限をかけるのに、いい機会でもある。今日だって、新しく四冊の本が足元に積まれているのだから。

「あのさぁ、この部屋、まずくない? 一応、ここは私しか住んでいないことになってるのだけど……」

「大丈夫だろ、ここまで調べにくるほど役人は暇じゃない」

 リアの懸念など、ザックは素知らぬ顔。変わらずむしゃむしゃと、ベーコンが巻かれたアスパラガスの焼き物を噛っている。

「でも、もしきたら……この部屋、怪しいよ。本の数が異常だし、それに……」

 男物の服がここにあるのは誤解を招くといいたいが、これを口にするのは勇気がいる。恋人のいないリアには、ハードルの高いセリフだ。

「窃盗犯のことだろ。あれは出入りの業者の仕業だ。もうだいたいの目星はついていて、現行犯逮捕を狙って泳がせている」

 もう解決しているようにザックはいう。

 リアは、目が丸くなった。大食堂でエマや他の使用人たちと噂していたのとは、ずいぶん違う。

「何でそんなこと、わかるのよ? 犯人のことなんて、全然見当がつかないっていっていたけど」

「バカかお前は。窃盗犯を泳がすために、わざと捜査が難航しているようにみせてるんだよ」

「本当?」

 さらにリアの目が丸くなった。エマの話は“……らしい”という語尾がついていたが、このザックのは違っていて、きっぱり“……だ”といい切る。

「ああ、本当だ。私は何でも知っている(・・・・・・・・)偉大な魔法使いだからな」

 へへんといつもの不遜な笑みをザックは浮かべた。

「それでも、この部屋に持ち物検査の担当者がきたら、どうするの?」

「うるさいな、こねーものは、こねーよ。そういっておけば、犯人は油断して次の犯行を行うし、使用人の横領も減るから、一石二鳥だ」

「使用人の横領?」

 またもやリアの目が丸くなった。リアのこの驚いた顔、今日は一体、何度この表情を浮かべただろうか?

「そう、横領。例えば……お前のあの赤箱とか……」

 ワインの瓶を唇に当てたまま、意地悪そうな顔で、ザックは樽の方を目配せしてみせた。

「あれはきちんと許可を取ったわ」

「ああ、悪い悪い、そうだった。でも、あのバカ王子からもらったハンカチーフは、まずいよな~、リア」

(!)

 とたん、リアの顔が赤くなる。

 一方のザックは依然ワインの瓶を唇に当てたまま、涼しい顔で真っ赤になったリアの方に視線を戻す。細めた彼の眼差しが、“私は何でも知っている”を強く主張していた。

(何で、それを知ってるの?)

 妙な汗が背中を伝うのがわかる。頭だって、なんだか水を浴びせられたような感じがする。

 ハインリヒからハンカチーフをもらったのは、今日の午後のこと。カウフマンにも、エマにも、誰にも話していない。

 そのハンカチーフだが、まだリアのお仕着せのポケットに入っている。これについて話題にもしていなければ、みせてもいない。

 焦るリアをみて、ぷっとザックが吹き出した。

「お前、ホント、正直で、面白いな。全部、顔に出ている」

「み、みてたの?」

 ハインリヒは、図書室へは公務の途中に立ち寄ったといっていた。あのときは周りに彼以外の気配を感じなかったけど、こっそりこのザックが本棚の陰から覗いていたのだろうか?

 もしそうなら、とても恥ずかしい!

 リアとハインリヒとの語らいをこそこそ覗くザック、そんなシーンを想像すれば、かあぁっとますますリアの顔が熱くなった。

「好きになるのは構わないが、あの王子(ガキ)とは深入りするな」

 呆れた声で、そうザックは釘を差す。仕方のない子供だな、というように。

「わ、わかってるわよ!」

 思わず立ち上がって、リアは大きな声で主張した。上からザックを見下ろす形をとれば、強気にもなれた。

 ザックの忠告など、今さらいわれなくても、よくよくわかっている。身の程をわかっているからこそ、そう指摘されると腹も立つ。

「って、そんなのじゃないわよ! 勉強、頑張ってるねって、褒めてくれただけなんだから!」

 このセリフは、リアの事実でもあり希望である。

 リア自身はハインリヒを素敵だと思うが、相手は王子なのだ。仮に相思相愛になれたとしても、王子と掃除娘では身分が違いすぎる。

 王子だって、たまたま名を覚えていた使用人が親を亡くし、偶然それをきいてしまったというだけ。彼にすれば、愛しいからという恋愛感情ではなく、若い身空で親を亡くして可哀想だという同情があるだけ。だって、王子は誰にでもお優しい方だから。

 リアの剣幕に、ややザックは気圧される。気圧されながらも、彼の毒舌だけは変わらない。

「わかっているのなら、いい。とにかく、あの王子は、(たち)が悪い。親切な顔をして、いつ食ってやろうかって、お前の隙を狙ってい……」

「そんなひどいこと、いわないでよ! ハインリヒ様はわからない綴りを読んでくれただけじゃない!」

「それが、あの王子(ガキ)のいつものやり方だ!」

「そんなことないわよ! ザックと違って、ハインリヒ様は、親切で、丁寧で、優しい王子様な……」

 ガタンと椅子が後ろへ倒れる音がした。不意の物音に、リアはビクッとなった。

 倒れたのはリアの後ろの椅子ではない、ザックの椅子。彼も勢いよく立ち上がったのだった。

 さらに、ドンとワインの瓶を乱暴に置けば、ザックはテーブルを回り、リアの前に立ち塞がった。

(な、なに?)

(何か、まずいこと、いっちゃった?)

 彼の逆鱗に触れたようだが、どのセリフかそうなのか、リアにはわからない。

 ザックは背が高い。背の低いリアは、彼と至近距離になれば大きく首を傾けて見上げなければならない。首が辛くなるから、自然と後ろへ足を引いた。

 が、コツンとリアの踵に何かが当たる。背面は部屋の壁であった。

 それを承知で、ザックはさらに間合いを詰めた。片腕をリアの顔横の壁につき、体が触れるかどうかの距離で、上からリアの金の瞳を覗き込んだ。

「もう一度、いってみろ! 誰が優しいって?」

 さっきとは逆で、上からザックに見下ろされる。凄むオッドアイが、とてつもなく禍々しくみえた。目の色が右と左で違うから、なおさらに。

 壁とザックの腕に囲まれて、頭上から睨まれる。普段こんなことされたなら、怯みそうになる。

 だが、今日のリアにはそんなことなかった。積もりに積もった同居生活の不満がリアの我慢の限界にまで達していたからだ。

「ハインリヒ様! おかあさんが亡くなって辛かったねっていってくれたのよ!」

「それで?」

 ザックの空いた手が、リアの顎を掴む。減らず口を叩くのはどの口だ、そんなセリフがきこえてきそうだ。

「ハインリヒ様はそういってくれたわ。なのに、あなたはどう? そんなこと、いってくれた? あれしろ、これしろ、お前はバカか、そんなのばっかりじゃない!」

 リアのセリフの終わりの方は、やや涙声となっていた。

 母が亡くなっても、何も変わらず普段通りにこのザックはリアに接していた。それはエマも同じ。

 だが、エマには言葉や行動の根底にリアに対する温かいものがある。対して、この同居人にはそんなもの片鱗も何も感じられない。

 毎日ザックは傍若無人に振る舞い、リアを(しもべ)扱いする。

 ザックは家族ではない、同居人だ。だとしても、それなりに必要最低限の礼儀をみせてくれてもいいだろう。でも不遜なこのザックは、リアをバカにするのみ。

「バカなのは真実だから、仕方がない」

 リアが我慢ならずに本音を打ち明けても、やはりザックはバカだと繰り返す。

 このバカは、リアのことだろうか? ハインリヒのことだろうか? 誰がバカなのか、どっちつかずでわからない。リアは悔しいし、悲しくもなってくる。

 リアの中で何かが切れた。

「それが、ひどいのよ! 真実だとしても、もうちょっと優しくいえないの? そんな偉そうな態度だから、お友達が……」

 リアの方も感情が理性を上回り、遠慮がなくなっていた。

「黙れ! お前に何がわかる? お前がこの先、苦労しないように、私だって……」

 顎を掴むザックの手に、力が入るのがわかる。

(ここで降参したら、ずっとこの魔法使いのいいなりになる!)

 自分よりも圧倒的に体が大きくて力も知性もある男性に、リアは恐怖がまったくないわけではない。でも……

「わかんないわよ! 優しくない(・・・・・)ザックな……」

「うわっ! まずい!」

 終わりは、ふたりの予想外のところで訪れた。

 喧嘩上等の火蓋が切られる寸前のところで、ザックが戦線離脱した。

 リアを囲い込んでいた手や腕を外し、ザックは慌てて衝立の向こう側へ姿を隠す。

 陽が完全に落ちて、ザックが白い猫になる時間がきたのであった。




 ザックの拘束から解放されて、リアは体の力が抜けた。張り詰めた緊張も切れて、へなへなと床へ座り込む。そのまま壁に凭れて、ぼんやり天井を眺めた。

 掴まれた顎が解放されても、かすかにそこに痛みが残っている。この痛みに、今さらながら自分の同居人は一般の青年男子だと再認識した。

(陽が暮れるとザックは猫になってしまうから……うっかりしてた)

 ザックの本体は猫ではない。猫の本体がザックなのだ。ザックと接する時間は猫のときが圧倒的に長いから、勘違いしてしまっていた。

 たった今、ザックの強さを見せつけられて、リアはしゅんとなってしまう。体の大きなザックがその気になれば、体の小さなリアなんて何とでもできると証明された口論だった。


 ━━にゃん!


 ぼんやりしたところに猫の鳴き声がきこえて、リアは膝にふわふわとした感触を得た。


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