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Act-5*リアと『先生』(2)

 

 イルザの亡くなった下町の火災事故については、火事での被害者がたったひとりだったがために、その被害者の子供が王城で働いていたがために、さらに残された子供は年頃の娘ただひとりというがために、リアの不遇は、お城の使用人のほぼ全員が知ることとなった。

 火事直後、リアはいろんな人から励ましの声をいただいた。一番多かったのは、母イルザと変わらない年齢の女性からのもの。やはり自分の身にそんなことが起こったら、残された子供のことが気になって不憫で堪らないという。

 カウフマンはもちろん、他にも一緒に仕事をした庭師やリアをスカウトした買い物係、厨房のメンバー、ガラス窓磨きをしたときの同僚の掃除娘、侍女長と、皆がリアのことを気にかけ心配した。

 母のことは不幸であったが、母の代わりになってくれそうな人がリアの周りにはたくさんいた。下町で親娘ふたりで暮らしていたときのような人の輪が、ここにもあるのをリアは知ったのだった。


「いいのよ、エマ。王女様の方だって、そう毎日毎日、お茶会があるわけでもないし」

「でも、ねぇ……」

 エマがこうやって謝るには、訳がある。実は今週に入ってから、エマの貢ぎ物のお菓子がぴたっと止まったからだ。

 リアとしては毎回毎回お菓子をもらう度に、エマとクルトとの逢瀬を間接的に邪魔しているような罪悪感があった。お菓子の貢ぎ物が中断になり、正直、リアはほっとしていた。


「なんかね、持ち出しが厳しくなったの。きちんとお許しを得てもらっているお菓子なのだけど、お城全体で一度引き締めるといっていたわ」

 口を尖らせて、エマは文句をいう。エマは可愛いから、こんな仕草ひとつにも愛嬌がある。

 お菓子とは別に、今日のリアはハインリヒに慰めてもらったから、エマが気の毒がる必要はない。もちろん、エマにハインリヒのことはいえないのだが。

(うっかり、口になんかにしたら、危険)

(誰がきいているかわからないし)

(もし先輩侍女にまできこえていっちゃったら、睨まれてしまう)

 本当はエマにこのウズウズする甘酸っぱい心のざわめきのことをきいてもらいたいのだが、ここはぐっと堪えてリアは先を促した。

 お菓子とは別に、お城の方針が急に変わってしまったことの方が、リアはちょっと、いや、かなり気になる。なぜなら、ザックがリアの自室へいろんなものを持ち込むようになっていたからだ。

「引き締めるって? お城で何かあったの?」

「うん、実は……」

 こっそり、エマはこんなことをリアに耳打ちする。

「近いうちに抜き打ちで、持ち物検査があるかもしれないの」


 下町の火事のことはしばらくすれば落ち着いてきて、お城では別の話題が主流となっていた。それは、ここ最近、頻繁になってきた窃盗事件についてである。

「おととい、北の食糧庫からワインが盗まれたのは知ってる?」

「ううん、知らない。また、泥棒があったんだ」

 先々週から、お城のものが無くなっていると注意勧告が出された。盗まれたものは非常に些細なものが多く損害額も大きくなかったから、各自で持ち物の管理をしっかりするようにとだけで終わっている。これは、カウフマンが気を回してリアへ口頭で伝えたのだった。

(私は字が読めないから、カウフマンさんが直接、教えてくれたんだった)

 カウフマンがマメな上司だから、リアは通達を知ることができた。このときは、ザックのいうことが少し身に染みたリアであった。

 エマはひそひそ声で続ける。

「騎士団がいうには、港の倉庫にその空き瓶がたくさん見つかって、今、倉庫の持ち主が取り調べ中なんだって。そこね、古い倉庫で改修工事をするしないで揉めていて、しばらく使われていなかったらしいの。だから、隠れ家として利用されたっぽいのよね」

 王女様のサロンで流れている噂にしては、全然、色っぽくない。だから、これはきっとクルトからの情報だとリアは思う。ちょっと機密情報的な響きに、こんな人の出入りの多い大食堂では誰かにきかれやしないかとハラハラしてしまう。

「今まで、ものが無くなったらそれきりで見つからなかったじゃない。けど、おとといのワインはそうじゃなくて、はじめて見つかったものなのよ。それが“お城の外で”だったから、騎士団の詰所では大騒ぎらしいの」

 お城のものは、原則、外に持ち出せない。図書室の引っ越しで出た処分品はすべてお城の敷地内の焼却場で燃やされた、わかりやすい例だ。

(そういえば……)

 カウフマンの許可を得て、リアは六角形の赤い小箱をもらっていた。あれは城外に持ち出さないことを条件に許されたものだった。

 母イルザに会いにいくときの土産の茶葉も、少量でたまにのことだからと大目にみてもらえていた。

 リアのもらったものは本来なら許されないことで、ギリギリのグレーゾーンで留まっている。

(私の場合、金銭的価値はほとんどないから大丈夫だと、カウフマンさんも厨房のおばさんもいってくれたのだけど……)

 抜き打ち検査の単語にリアは内心ひやひやしてくる。そんなリアには気づかず、エマは続けていう。

「ワインだけでなく、見つかっていないものはとっくにお城の外に持っていかれて、さらに港からよその国へいっているんじゃないかって。それに……」

「それに?」

「それに、ワインは外部から入って盗んでいくには量が多くて、一回では無理だって。数回に分けて運んだと騎士団は考えているの」

 一体、見つかったワインの瓶は何本なのか、リアは見当がつかない。そもそもリアは食糧庫にいったこともなければ、どこに食糧庫があるのかも知らない。それだけお城の敷地は広くて、たくさんの建物が建っている。

「数回に分けてってことで、犯人はお城にいる人じゃないかって、疑っているみたい」

「えっ!」

 エマの推理、正しくは騎士団かクルト周辺の書記官のものだろうが、に、リアはドキッとする。

(私たち、使用人が疑われている?)

「もしそうだとしても、私とかリアには関係ない話よね。だって、盗んだって売りにいく先なんて知らないし、盗むにしても運んでもらう人が必要で、その人と連絡するにも自由時間なんてないし」

 うんうんと、リアも同意する。だって、リアの下町の知り合いには、そんな話を持ちかける悪い人はいないと信じているから。

「盗んだって、ちょっとお金をもらえるかもしれないけど、見つかってここのお仕事がなくなる方がずっと困るわ。ホント、いい迷惑。そのお陰で、私はお菓子がもらえないし、さらに部屋まで覗かれちゃうなんて!」

 窃盗犯逮捕のためにプライバシーが侵害されると、エマは大いに不満を漏らした。

 こうプンプンと憤るところをみると、エマはクルトからいろいろもらっていて、彼女の部屋にはそれらが並んでいるのかもしれない。

 恋人が相手にプレゼントを贈るのは普通のこと。でも、その中身は? 誰にでもみせたくないものがある?

(一体、エマ、クルトから何をもらったの?)

 みせたくないもの━━はっと、リアは気づく。自分だって、今日、大っぴらにできないものをもらってしまった。そう、ハインリヒのハンカチーフを。

 このあたりは、まだまだ恋人のいないリアならではの少しズレた推測であった。

「いい、リア。検査は確実なことかどうかはわからないけど、用心にこしたことはないわ、お互い気をつけましょうね」

 ぶんぶんと、エマのセリフに大きく首を縦に振るリアであった。


 ***


 リアが自室に戻れば、腹を空かせた魔法使いが待っていた。

 この魔法使いは、空腹だと機嫌がたちどころに悪くなる。dのテストの前に、リアは有無をいわさずザックにバスケットを押し付けた。

「お、今日はアスパラガスか」

 浮かれた声でザックはメニュー表を確認し、夕食を食べ始めた。

 ザックの向かいに座って、リアも渡されたメニュー表に目を通す。そして、見覚えのある綴りを見つけた。

 asparagus━━それは、aのページに載っていた単語だ。

(asparagusが、読めた!)

 勉強させられた内容がするりと記憶の奥から出てくれば、ひそかにリアは感激してしまう。

 ちょっと嬉しくなったが、あまりはしゃぐとザックにバカにされる。食事にがっつくザックを尻目に、黙ったまま、リアはにやけた顔を隠すようにして部屋を見渡した。

(そうだ、持ち物検査があるって、いってたけど……)

(まずいなぁ、この部屋。もう旧図書室の資料室、一歩手前だよ)

(こんなに本の並んだ掃除娘の部屋って、ある? 掃除娘は、字が読めないのに)

 そうなのだ、ザックは曖昧な記憶を埋めるべく、約二百年分の歴史の本とその関連資料をリアの自室に持ち込んでいたのである。


 ザックが王子たちの家庭教師だとわかった翌日から、彼は毎日二冊ずつ本を持ち帰ってきた。はじめはテーブルの上に載っていたが、毎日二冊ずつ増えるのだ、当然、載りきらなくなる。

 テーブルの本は、読み終わったものから順に床へ直接並べられた。それもすぐに長い列となる。いつの間にか崩れていることが多くなれば、ザックは木箱を用意し、そこに入れて一度整理した。

 整理しても、すぐに本は増える。木箱に入りきらない分の本がそれの上に並び、載りきらなくなった分が床に並び、またザックは木箱を用意する。

 気がつけば、ベッドの向かいの壁にあった三つのリンゴの木箱が、今では六つとなっていた。増えた三つはどれも、ザックの本でぎゅうぎゅうだ。

 今、リアとザックが着いているテーブルと椅子はもともとひとつずつだったが、これもザックがどこからか調達してきて椅子はふたつに増えていた。

 テーブルの上は、常にザックの文房具が鎮座するようになっていた。その文房具は、三点。カウフマンが使っているのよりもずっと立派な万年筆、きれいなつるつるした紙のノート、しおりの挟まった分厚い辞典。もうリアが使っていたときのテーブルの名残も何も残っていない。

 衝立そばには日替わりだが常に衣装籠があり、中はザックの服。洗濯係はリアが別室へ運んでいると思っているから、ここにそれが留まってるなんて知ったらどう思うことか!

 通達を無視して洗濯物を運んでいないだけでなく、男物の服が常に常備されている女の部屋なんて、不謹慎極まりない。

 エマが予告してくれた抜き打ち検査が行われば、一度にこれらが白日に曝される。よくよく考えてみれば、この状態は使用人棟利用規約に反していて、実は身の破滅になるかもしれない非常事態なのではと、リアは青くなった。

(早くこの同居生活を終わりにしたい!)

「リア、どうした? お前の好きなフルーツサンドがあるのに、手付かずじゃないか?」

 そんなこと、何ひとつ気にしない居候魔法使いは、のんきにリアへサンドイッチを差し出した。


 

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