Act-4*災厄の猫(7)
長いです(5400字)
いつの間にか、足元の床がきれいになっていた。王家一族の住まうエリアに入ったらしい。
またもやリアの知らない廊下を曲がり、階段を上る。階段も連続でなくて、一階分上るたびに違うところの階段を使った。長い廊下、踊り場、短い廊下とジグザクに進み、四階まで上がれば、また長い廊下を歩く。そうして、ある部屋の前にやっとたどり着いた。
本を抱えたまま器用にザックがノックをすると、勝手に扉が開いた。中から顔を出したのは、クルトとよく似た服を着る侍従の青年だ。
「あ、先生、お疲れ様です」
彼の声に、馴染みの感がある。ザックが先生になって、ある程度、日数が経っているとわかった。
「申し訳ありません。追加の教材です」
「それは……さぞかし、重かったでしょう。おーい……」
侍従が本の分量に驚いて奥へ声をかければ、バラバラと同じような服装の青年らが現れて、ザックとリアの持つ本を受け取った。資料の運搬が終わったのだった。
「まだ四時まで時間があるな」
手ぶらになって、廊下の窓外を確認してザックはいった。外は三時半の夏寸前の陽気である。まだまだ明るい。
「ここからなら、ちょうどいい。展望回廊へ連れていってやろう」
資料を運び終えてまっすぐ図書室へ戻るものと信じきっていたリアは、目が丸くなる。
「え! ちょっと、それは話が違う。四時を過ぎちゃう!」
それはまずい、即座にリアは反論した。もうこれ以上、図書室を無人にしてはいけない、今のリアに迷いはなかった。
「なぁに、違う帰り道で帰るだけだ。それに、リア、ひとりで帰れるのか?」
「うっ!」
またもやリアは、言葉に詰まってしまう。
「帰れるのだったら、別にリアだけ先に帰ってもいいぞ」
ザックに連れられて、知らない場所を通ってここまでやってきた。当然、リアは帰り道がわからない。
最初はなんとか道順を覚えていたが、何度も何度も角を曲がり何ヶ所もの階段を上れば、もうリアにわかることはここが四階のどこかということだけ。
それを知っててザックはいう、好きにしろと。意地悪な魔法使いである。
「こっちだ、リア、ついてこい」
不敵な笑みを浮かべて寄り道を決めてしまうと、ザックは今きた道とは違う方向へ歩き出した。
慌ててリアが追いかければ、ザックは再び階段を上り、何枚か知らない扉をくぐる。最後にはまぶしい青空の下へ出た。
お城の廊下は暗い訳ではないが、やはり天井があり窓も限られているから閉塞感がある。それらが一度に取り払われて、明るいだけでなく、頭を抑えつけるもののない解放感溢れる場所、展望回廊に出たのだった。
展望回廊━━言葉が通り、建物の屋上を利用したお城の塔と塔を繋ぐ屋外渡り廊下であった。四つの塔に四本の廊下が渡されてぐるりと一周できる。
「え、何? すごい、町が全部みえる!」
転落防止の高い柵の間から、城下町が一望できた。その柵にぴったりとへばりついて、リアは歓声を上げた。
リアの瞳に、手前の城壁から港まで、石造りやレンガ造りの家がびっしりと並び建つ様子が写った。
建物の間に川が流れ、その沿岸にはテントやタープが張られている。それらは建物と違いカラフルな色。町を飾るモザイク模様みたいだ。リアがイルザとともに働いていた市もそこにある。
港の向こうは少し深みのある青い海、遠目に薄く島影がみえて、さらにその向こうはもうグレーに近い青色となり、空と海が融合している。
そんな見事な風景がリアの眼下に広がっている。自分の住む町なのに、生まれてはじめてみる光景であった。
「すごい、すごーい、港までみえるんだ! あれは、……のお父さんが乗っている船ね」
さっきまで時間を気にしていたが、もうそんなもの、リアの頭の中から追い出されていた。
興味がわき起こるままに、リアは展望回廊に沿って歩き出した。移りゆく柵の隙間から、城下町の光景も流れていく。
「うわぁ~、こっちからはお城の中庭がよくみえる! 古い図書室って、あんな形なんだ!」
反対側の回廊から覗けば、お城の中庭が一望できた。造園の様子もよくみえた。地上を歩いているときはいつもきれいに整備されているなと思っていたが、上からみても見苦しいところがない。あらためて、リアは庭師らの仕事の丁寧さに感心する。
「えっと、あっち側も、みにいっていい? 自分の家の方向なんだ」
お城で働いているといっても、ずっと地上勤務のリアは、この展望回廊からの景色が珍しくって仕方がない。展望場所さえ変えていけば、町のどこでもみることができるような気がしてくる。そう、母の住むリアの家だって。
「いいぞ。で、リアの家は、どのあたりだ?」
ザックもリアの喜ぶ様子に満足していた。リアの予想以上の反応の良さに、ザックも提案した甲斐があるというものだ。彼の顔もほころんでいた。
「えっと、ね……あの通用門から出入りしているから……」
リアのセリフが途切れた。この場にひどく似合わないものを感じたからだ。
それは、かすかに焦げくさいにおい。とても薄く、気がつかない人の方が多いくらいの。
風が吹いて、リアの茶色の髪が揺れて、そのにおいも揺れる。におったかと思ったら消えたりと、本当にあやふやである。
(気のせい?)
とっさに、ザックを助けた焼却場での燃えるごみの炎のことを、リアは思い出した。
何気に眼下へ視線を彷徨わせれば、においと変わらないくらい存在感の弱い黒い薄い膜のようなものが頼りなさそうに上がっている。
「ねぇ、ザック、あの細くて長い影のようなものって、煙?」
リアは指差して、ザックにその正体を問うた。
「どれ?」
「あの、礼拝場の尖塔の左側で……」
「尖塔っていっても、たくさんある。どの尖塔だよ?」
尖塔がまとまって建っているところがあり、その一画から煙らしきものが上がっている。塔はどれも同じような色に、同じような高さに、同じような形状で、確かに区別がつきにくい。リアが特徴を告げても、横のザックにうまく伝わらない。
まごまごとリアが説明している内に、煙のようなものはどんどん大きく黒くなっていく。まるで、焼却場の焼却物に火がついて、本格的に燃え出したときのように。
リアは金の瞳を大きく開いて、高く立ち上がり濃くなっていく煙と大きくなっていく炎をみた。それは、夏の青空には相応しくない禍々しいもの。
「やだ! 燃えている? ザック、燃えている! 早く、皆に教えないと!」
リアは居ても立っても居られない。隣のザックの服を掴み、彼に向ってリアはわめきたてた。今ならまだ、被害は少なくて済む。
「燃えちゃう! ザック、火事よ! あそこ、火事! 早くしないと、みんな燃えちゃう!」
リアの脳裏にあの焼却炉の炎が甦る。燃え上がる火炎は青空を舐める赤い舌、立ち上がる黒い煙は猛毒の吐息、そんな恐ろしい火獣となって。
お城の中の限られた空間でも、火の番人に管理された状態でも、燃やされる量だって制限されていても、炎は熱くて恐ろしかった。それと同じものが、今、城下町で、人の手から外れて暴れ出そうとしている。
この高い展望回廊だから、燃え始めの状態で見つけることができた。地上の人はきっと、気づいていない。
(今なら、被害は少なくて済む!)
「ザック、あなた、魔法使いなんでしょ! 魔法で何でもできるんでしょ! だったら、あなたのその魔法であの火事を消して!」
ザックの宮廷服をぎゅっと掴み、体を寄せてリアは彼にいい募った。
リアはずっと魔法のことを否定してきた。が、このときばかりは強くその存在を信じる。それで火が消せるのなら、安いものだ。都合が良すぎると非難されたっていい。町を燃やす火が消えるのなら。
「は? 何いってるんだ?」
リアの焦る様子とは対照的に、隣の魔法使いは反応が薄かった。火事などみえないという。
興奮して体が震えているリアの両肩を掴み、ザックはリアとの距離を取った。
「それに、何も燃えていないぞ」
ザックは腰を落として、リアと目の高さを合わせた。いいきかせるように、ザックのオッドアイがしっかりとリアの目を凝視する。
「え?」
さらにザックはリアの掴んだ両肩を回して、後ろを確認させた。
そこに広がるは、夏の明るい青空のもと、眩しい城下町の光景であった。
(あれ?)
「何がみえたんだ?」
冷静なザックの声。呆れられたような気もしたが、なぜだかその声色に、リアはひどく安心できた。
「火事……のはじまりで……細長い煙が立って、それから、ぶわぁあっと赤い炎が出てきて……」
今の先、瞳に写ったものを、身振り手振りをまじえてリアなりに正確に説明してみた。傍からみれば、滑稽なジェスチャーに違いない。いつもの不遜な魔法使いなら鼻で笑いそうだが、ここではそんなこと、ザックはしなかった。
「ふうん……だが、そんなもの、ないぞ」
リアの大騒ぎをバカにはしないが、依然、魔法使いの反応は素っ気ない。
「う、うん……何でだろ、消えちゃった……さっきまで、空が真っ黒になりそうな煙の量だったのに……」
穏やかな城下町の様子に、リアはしゅんとしてしまう。
一体、自分がみたものは何だったのだろうか、煙も炎も、跡形もなく消えて、隣のザックは知らないという。
(夢?……だったのかしら?)
(また白昼夢? でも、火事じゃなくて、よかった)
(ああ、このザックといると、そんなのばっかり!)
ザックとの出会ったときは、記憶が飛び、記憶が増え、記憶が再生され……と、頭の中が掻き回されるひどいものであった。最近はごくごく普通の日常生活だから、そのときのことをだんだん忘れつつある。あれはあれでザックにかけられた魔法による一時的なもので、もう克服できたと思っていた。なのに、またもや幻影をみたとなるとリアは自分の精神状態に自信がなくなってくる。
「疲れているのかしら?」
「そうじゃないのか? それより、そろそろ戻るぞ、四時に遅刻する」
「あ、うん」
火事が本物で非常事態を知らせるならば、多少はカウフマンのいい付けを破っても許されそうだ。
でも、眼下の風景は、平和そのもの。平和過ぎて退屈であくびが出る、なんてこともいう人がいそうなくらいの。
(気のせいよね、うん、そうよ。ザックだって、何もみえないというし)
非常事態でないのなら、カウフマンのいい付けが大事である。ザックに連れられて、四時までにリアは図書室へ戻ったのであった。
***
リアがみたものは、嘘ではない。
嘘ではないけれど、リアがみたものはリアにしかみえないものであった。
それは予知夢。白昼夢でなく予知夢。ツェーザルがリアに送ったメッセージ。
そう、今日が星降る夜の日であることを、リアは知らない。
カウフマンは四時半に戻ってきて、その後の図書室は通常の業務で一日を終えた。
ザックは先に帰って本を読むといい、さっさとリアの自室へ引き上げた。中途半端な時間の方が、使用人棟の人けがなくなるから、余計な魔法を使わなくてもいいといって。
いつものようにリアは大食堂でエマたちと少し話をして、ここでも昼間みた火事のことはまったく話題にあがらなかったのだが、厨房で夜食のバスケットを受け取って使用人棟へ向かう。
自室に戻れば、腹を空かせたザックが本、例の二百年分の歴史の本だ、を読んでいた。
ザックはバスケットを見るなり、大急ぎで食事に取りかかる。リアは大食堂で食べてきたから、横で彼のがっつく様を観察していた。体が大きいと食べる量が違うな、と思いながら。
ザックの食事が終われば、今日のハインリヒの話題になった。
━━あの一族は、女好きが多いから、気をつけろ。食われてしまってからでは、遅いからな。
━━ハインリヒ様に限ってそんなこと、あるわけないでしょ。ちゃんと、謝ってくれたし。
━━ああ、やっぱり騙されている……リア、悪いこといわない、ヤツとはふたりっきりになるな。
━━え、そんなこと、いったって……
会話の途中で急にザックは席を外す。例のタイミングがきたようだ。
ザックが衝立の後ろに隠れると、しばらくして、“にゃーん”という鳴き声がきこえた。衝立の後ろを覗けば、脱ぎ置かれた服、しかも昼みたのとは違う朝に着ていた服が床の上に放置されている。
(猫ちゃんになったか)
これで、ハインリヒのことをガミガミいうザックはいなくなった。
リアが自分のベッドに目をやれば、白い図書室の猫が丸まっていた。
ザックの衣装を籠に入れ、自分も夜着に着替えてベッドに入った。猫はリアの足元の定位置で行儀よく眠っている。
もう少ししたら、猫ちゃんが眠る籠を新しく用意しよう、でないとお互い熱くって眠れない。
そんなことを思いながら、リアは眠りについたのだった。
リアは眠る。
その晩、城下町で火事が起こったことを知らずに。
その火事は、父ツェーザルが母イルザを連れていくために、わざと起こした騒動だとも知らずに。
こちらの世界にただひとり残されることになったなど、リアはまったく知らずに眠るのだった。
ザックは知っている。
ツェーザルはイルザだけを星空の向こう側へ連れていくということを。
エルフのツェーザルは向こう側の世界の王に告げられた。仲間入りできるのはひとりだけということも。
ツェーザルといっしょにいけるのは、ひとりだけ。ツェーザルはイルザを選び、リアをアイザックに預けたのだった。
星降る夜に起こった火事は、城下町の一部を焼き尽くした。その場所は、イルザの家とその周辺。
夜中の火事にもかかわらず、焼死者はひとりだった。
そう、イルザひとりだけ。
火の勢いの割には被害は小さくて、不思議な火災だと、不幸中の幸いだと、亡くなった女性には娘がいて残されたその娘がかわいそうだと、近隣の住人は口々にいったのだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
一週間、お疲れ様でした。