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Act-4*災厄の猫(1)

「そうなの、エマちゃんって、そんなにかわいいの」

 軽く母イルザは微笑んで、娘リアに先を促した。空になった自分のカップに新たなティーを注げば、爽やかな芳香が再び広がる。それをゆっくりとイルザは口に含んだ。

 昨日から二日の予定で、リアは下町の自宅に戻っていた。

 新図書室への引っ越しで、リアは休日返上で働いた。だから疲労の度合いが甚だしい。彼女に適切な休暇を与えるように、そんな休暇取得理由が記された書面が、カウフマンのところまで回ってきた。真面目なカウフマンは忠実に実行し、リアは今、母の前にいるのだった。

 その強制休暇取得命令の書面だが、もちろん、あの金髪オッドアイの魔法使いの仕業である。

 猫ちゃんは私である━━いくらいっても信じないリアに、魔法使いは無理やり自分の記憶を移植した。だが、膨大な記憶量の流入に体が耐えきれず、リアは気を失った。魔法で捏造した休暇取得命令書は、それに対する彼なりの計らいである。

 休日の日取りこそカウフマンが決めたのだが、そんな裏事情、リアは知らない。単純に、普段の真面目な仕事のご褒美だと考えて、喜び勇んで帰宅したのであった。

 今回の帰宅もリアの手土産は、ティーである。お城のティーはとても香りがよくて美味しい。

 下町に住むイルザはこんな上等なティーを飲んだことがない。だから、何杯でもおかわりをしてしまう。またティーを飲みながら、リアのお城の話をきくのはとても面白い。母はいつも娘の帰宅を楽しみにしていた。

 リアはリアで、下町にもどるときは手土産はティーと決めていた。食べ物は傷んでしまうからなかなか持って帰れない。でも茶葉なら、その点、問題ない。母の喜ぶ顔だってみれる。

 厨房のおばさんにお願いすれば、余りものの茶葉を分けてもらえる。本当はいけないことだが、持ち出す量も少ないし回数も多くないからと、こっそりと大目にみてもらえた。

 こんな風に、リアの下町のお休みでは、母娘ふたりで向かい合って美味しいティーをいただきながらお城の話に花を咲かせる。どこにも出かけずに親子水入らずの時間を過ごすのだ。これがここ数ヶ月のふたりの習慣になっていた。


「かわいいから、第二王女様のサロンの掃除係になったのよ。やはり、お姫様の周りはきれいな人が多くって、エマぐらいの美人さんでないと務まらないわ。

 それでね、王女様のお部屋ってかなり人の出入りがあるから、いっぱいお菓子を用意するのだけど、日によっては余っちゃうようで、それを侍女たちで分けているのよ。

 図書室はそんなのがないから、ときどきエマがくれるんだ。ほんの少しだけど、美味しいの。お母さんにも食べさせてあげたいのだけど……」

「タイミングが合えばで、いいわよ。このお茶だけでも充分、お城の雰囲気が味わえるわ」

 夢中になってお城の話をするリアに、イルザは嬉しくなる。元気いっぱいに次から次へと言葉が出てくる様子から、娘はお城務めを無難にこなしていると安心できた。


 最初、通いで(・・・)庭師の手伝いをしにお城に上がっていたときは、イルザはそんなにリアのことは心配はしていなかった。だが、正式に使用人として住み込み勤務になると、どうかしらと思っていた。

 リアは生まれたときからずっと下町にいて、多くの住人と共同生活を送っていた。母が用事で不在になったとしても、常に誰かがリアのそばについていてくれた。

 でもお城では個室が宛がわれるというから、仕事が終わればリアはひとりきりの部屋に戻ることになる。今まで経験したことのない静寂に、リアが不安になりホームシックになりやしないかと、イルザはひどく気にしていたのである。


「エマにはね、素敵な恋人がいるのよ。クルトさんっていうのだけど、書記官の仕事をしてて、物知りで親切な人なの。あとね、カウフマンさんが、この間……」

 エマのこと、エマの恋人クルトのこと、図書室長のカウフマンのこと、侍女長や厨房のメンバー、買い出し係、庭師など、お城で働くようになって二年あまりの間に、リアにはたくさんの仕事仲間ができていた。

 どの人の話をしても、イルザはふんふんと熱心にきいている。こんな風に他愛ないリアの話をきいてくれる人は、そんなにはいない。だって、リアはお城では下級使用人の掃除娘だから。

 エマみたいに可愛ければ、クルトのような恋人ができるかもしれない。だが残念ながら、お城でのリアの評判は、『体は小さくても力持ち』である。年齢の割には背が低いから、二年たってもお城の使用人の間では、恋愛対象外のレッテルが貼られたままであった。


「あのね、お母さん。この間ね、王子様に会ったの。ハインリヒ第二王子様よ」

「あらっ、リア、なあに? そのハインリヒ様のことは初耳よ」

「へへへ……図書室が新しくなって、ちょくちょく王子様がやってくるようになったのよ」

 資料室の整理の真っ最中にやってきたハインリヒのことを、自慢気にリアは話し始めた。案の定、イルザの瞳がキラリと輝く。女の子はいくつになっても、王子様が大好きなのだ。

「面白い本がたくさんあるっていって、そうね……一週間に一回ぐらいの割合で訪れるわ。背が高いから、上の方の本にも手が届いて……」

 ある昼下がりの本の返却整理のことをリアは思い出した。



 †


 ラベルに従えば一番上の棚に戻すことになる本が五冊、リアの返却籠に入っている。だが、リアの背では届かない。そんなときは脚立の出番となる。

 いつものように、返却本をその場に籠ごとおいて一番近い脚立を取りにいった。

 リアが脚立を取って戻れば、その本棚の裏側にハインリヒがいた。この日のハインリヒは友人のゲラルト侯爵令息と一緒に図書室へ閲覧にきていたのだった。

「ゲラルト、君はどれにする?」

 明るい図書室だから、この日もハインリヒの金髪がキラキラと眩しく輝いていた。

 王子の友人のゲラルトもハインリヒと同じくらいの背があり、その彼は黒髪だ。彼の髪は、ハインリヒの金髪に比べると色目は地味にはなるが、ハインリヒに負けないきれいな艶があり時おり青くもみえる。いわゆる烏の濡れ羽色の髪である。

 ハインリヒの顔つきは優美、一方のゲラルトの方は精悍である。文官の王子に武官の友人といった感じで、美貌のふたり組がそこにいた。

 やや節くれ立ったゲラルトの手が、一冊の本を引き出した。

「そうですね、これとこれの二冊にします。今回の先生の課題は調べる範囲が広くて、もう一冊ぐらい必要かもしれません」

 ふたりは家庭教師の課題の参考文献を探していた。もちろん、リアにはさっぱりわからない。だって、リアは字がほとんど読めないから。

 邪魔をしてはいけないと、リアは作業を一時中断して静かにその場を去ろうとした。だが、背板のない本棚に立てられた本の隙間から、碧のハインリヒの瞳と目があってしまう。

(!)

「リア?」

 名を呼ばれ、どきんとする。

(わ、見つかっちゃた!)

 以前、名前を訊かれて“リア・コリント”とフルネームで答えてしまったのだが、それ以降なぜかハインリヒはリアのことを、“コリント”ではなく“リア”と呼ぶ。

 こんな掃除娘に王子が名前を尋ねるのも驚きだが、その彼に“リア”と呼ばれるのも畏れ多い。嬉しいけれど、恥ずかしい。また、いけないような(・・・・・・・)気もする。複雑な乙女心である。

「あ、はい。すみません、お騒がせしてしまいました」

 静かに動いて物音は立てていないが、リアはそう非礼を詫びた。

「脚立があるということは、上の方の本かな?」

 ぐるりと本棚を回ってリアの隣に立てば、ハインリヒは上段を見上げる。彼の視線の先にはちょうど五冊分のスペースが空いていて、それを確認してからリアの足元の籠を覗き込んだ。

「リアの背では大変だろう」

 そういってリアの返事を待たず、勝手に本を掴みハインリヒは上段に戻してしまう。脚立など使わず、そのまま軽く背伸びして、丁寧にしまった。それでおしまいであった。

「ハ、ハインリヒ様、あの……」

「じゃあね、リア。君は女の子だから、むやみやたらに脚立に上がってはいけないよ。滑って落ちたら、大事だから」

 本だけ戻してしまうと、ハインリヒは待たせているゲラルトとともに書架コーナーを去っていった。

 一瞬の出来事で、リアはお礼をいえず終い。ぼぉっと突っ立ったリアが残されるのみ。

 でも、こんなこと、ハインリヒに見つかったときには、まぁまぁある出来事であった。


 †



「さりげなく、そんなことはしてくれるのよ。優しいわよね」

 リアは図書室での嬉しいハプニングを、母に暴露した。図書室のカウフマンに報告すればそうでしたかのひと言で終わるが、大食堂でエマにいおうものなら、それをききつけた他の女性使用人に睨まれそうだ。

 あとでリアが知ったことなのだが、ハインリヒ第二王子は王太子のコンラート第一王子よりもずっと人気があった。コンラートが厳格で近寄りがたい王子なのに対し、ハインリヒは柔和で誰にでも優しい王子という評判であった。

「ふうん、素敵な王子様ね。心根がお優しいというか、リアみたいな子供でもレディ扱いしてくれるなんて、とても紳士ね」

「失礼ね、私だってもう十八よ。お母さんがお父さんと出会った年になるわよ」

「違うわよ、ツェーザルとは十七のときに出会って、十八でお付き合いを始めたの。そして十九であなたが生まれたの」

 母の話だと、十八と十九の間に結婚がないのだが、そこは父が船乗りということで結論付けられている。

 父は船乗りだから、この町に住むことができるのは限られた短い期間だけになる。一度、船に乗れば、しばらくは帰ってこないのだ。

 イルザは十八のときに港からツェーザルを送り出して、十九のときにリアを抱いて迎えにいったという。

 当然、おくるみに包まれたリアをみてツェーザルの目は丸くなった。驚きはしても、特に疑うこともなくツェーザルは素直にリアの存在を認めた。

 このふたりは結婚と出産の順番を間違えたのだが、そこは下町だから、そんなに非難されることはなかった。以後のリアとイルザ母娘の生活は、先の通りである。


「リアも十八なら、そろそろそんな素敵なお話があってもいいわよね。いつもエマちゃんのお話が多いけど……どうなの?」

「うーん、そういわれると、辛いなぁ~。でも、そのときはきちんというよ」

 母から恋人の存在を探られて、ボンッとリアの脳裏にオッドアイの自称魔法使いと白い猫が浮かび上がった。リアは目を強く瞑って首を振り、即座に否定した。

 あれは、恋人ではない。押し掛け同居人(・・・・・・・)だ。

 リアは半月前からあのオッドアイの青年と猫とルームシェアしているのだが、それはいわないでおいた。

 母が心配するのは目にみえているし、説明しても信じてもらえそうにない。実際リアだって、慣れるのに一週間はかかったのだ。

「まだ時間は大丈夫? 夏が近くなって陽が長いといっても、あなたは年頃の女の子だから」

 お城へは夕方までに戻ればいい。もっと母と話をしたい。でも母はお城の規則とリアの身の安全を心配して、そう帰城を促す。

 母のいうことはもっともで、次の休暇をいただくためにも無難に戻る方が賢明だ。

 重たい腰を上げて、リアは帰り支度を始めた。



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