第2話「0.002ポイントの塵」
「え? お、俺、死んで――」
ここは見覚えのある雲海のど真ん中。
真正面にはニコニコと天真爛漫な笑顔を浮かべる巨乳な天使。
さっきまでの轟々と鳴り響く風の音はまだ耳の奥に残っている。
「はい♪ マサト様は死にました」
ぱたぱたと羽根を器用に動かして、天使――セラウは語る。
「ここ、天界から地上まで、地球世界の尺度を凌駕した遙かなる距離を音速を超えて真っ逆さま! その結果、マサト様は世界という超物理的な壁にぶち当たって今生を終えられました」
「音速……、落ちたのって比喩的な……」
「答えはノーですよマサト様! 天界とは文字通り天の世界。地上たる世界へと繋がれた門は雄大な大空でございます」
なんら含みを持たない明朗な答え。
それ故に俺の思考は混乱する。
いや、それならばそれで定番の展開ではある。天界だけに。
ぱかっと突然足下が開いて地上へ真っ逆さまなんてのは使い古されすぎた定番中の定番だ。
だからこそ、ギャグ時空的なミラクル補正でも働いて、なんだかんだ無傷でリスタートできるんじゃないのか?
「うっふっふ。そんな親切心、こちらのシステムには実装されていないようですね」
「そんな……。それじゃあ俺は一生ここから抜け出せないのか!」
落ちたら死ぬ。
死んだらまたここに戻ってくる。
地獄よりも恐ろしい、悪魔も裸足で逃げ出す暗黒ループだ。
そんなことをしていたら、いつか俺は発狂するぞ。
「いえいえ。そういう訳ではありませんよ。ほら、そのためにこれがあるのです!」
絶望の淵に立たされた俺を慰めるように、セラウは懐から何かを取り出す。
バカみたいに分厚いそれは、俺が長い時間を掛けて読み込んだ、転生特典カタログだ。
「このカタログのですねー、ほらここに! 【完全落下耐性】だったり【残機+1】だったり、死を回避できる能力が沢山ありますよ」
「つまり、これを使えば――」
「無事に地上へ到着。マサト様の第二の人生が始まります!」
万事解決、といったふうにセラウは胸を揺らす。
しかしである。
「けど、俺はもうなけなしの12ポイント使っちまったんだぞ」
俺が前世のすべてを使って集めた、たったの12ポイント。
これまでの予想からすれば、さっきセラウが言っていた能力はそれっぽっちでは貰えやしないだろう。
そうでなくても、俺はポイントを全部使ってしまったのだ。
「今の俺は0ポイント。もうなんにもできない……」
「いえいえ。そうではありませんよ、マサト様」
「え?」
再び座り込む俺の顔をのぞき込み、セラウが微笑む。
彼女の美しい顔立ちは、流石天使といったところか。
「実は、最低保証的なアレが徳ポイントにはあるんですよ」
「さ、最低保証……?」
なんだそれは。
「世界という過酷な舞台に登場する。ただそれだけのことだとしても、それは徳と認められます。そしてマサト様は本来異世界の魂でありながら、徳ポイントのシステムも取り入れられ
混成体。先ほど、ほんの一瞬だけですが”世界に誕生した”為に新たに徳ポイントが加算されました!」
「そ、それじゃあまたカタログが使えるのか!」
「はい。そういうことですー」
一条の光明を見出せた気がした。
神は俺を見放してなどいなかった!
「それじゃあ、今俺はいくつポイントを――」
「うっふっふ。喜んでください!」
すがりつく俺に、セラウはブイ! と二本の指を突き出す。
「え、えっと……2ポイント?」
ふらっと目の前が暗くなる。
「あ、いえいえ違いますよ」
「なんだ。良かった」
慌ててセラウが否定する。
俺はほっと胸をなで下ろす。
「0.002ポイントです」
「………………は?」
0.002ポイント。
2ポイントどころではない。
1000分の1である。
「世界に誕生した徳?」
「はい! マサト様は世界に誕生されたため、0.002徳ポイントを得られました!」
「そんなポイントで、落下耐性なんか貰える?」
「【完全落下耐性】は5000ポイントですね」
藁はちぎれた。
光明は途絶えた。
闇と暗雲が立ちこめる。
「そんなポイントでどうしろっていうんだ! なにもできないじゃないか! 第一小数点以下ってなんだよ!」
思わず立ち上がり、セラウの胸元を掴む。
我を忘れて吠える。
セラウは怯えた様子で羽根を縮めていた。
「ま、マサト様! 落ち着いてください。わ、私の話を聞いて――」
「こっからどうするんだよ! 話を聞いて何か解決するのか!」
「マサト様!」
「むぐっ!?」
唐突に視界が真っ暗になる。
柔らかい何かに包まれた。
温かい体温が伝わる。
「セラウ……」
「マサト様。落ち着いてください」
彼女の細い腕が、俺の頭を抱いていた。
純白の柔らかな羽根で包み込まれ、優しく背中を撫でられる。
俺は冷静な思考を取り戻す。
「確かに、マサト様は死んでしまわれました。徳ポイントも0.002しかありません。ですが――」
視界が光を取り戻す。
俺の頭を優しく掴んで、彼女は微笑む。
「マサト様には【引き継ぎ】があります!」
「【引き継ぎ】? 確かにそれは貰ったけど……」
セラウの言葉の真意をくみ取れず、俺は首を傾げる。
そんな俺に向かって、彼女はぴんと人差し指を立てて説明を続けた。
「本来、徳ポイントは前世から来世への引き継ぎの際に使われ、その後すべて精算される一時的なものです」
「つまり、さっき俺がもし5ポイントの能力でも選んで7ポイント余らせても……」
「結局今持っていられるポイントは0.002ポイントですね」
なんだそれは、と思ったけど、まあそんなモノかも知れない。
あくまで前世でどれくらいの徳を積んだかを見るのがこのポイント制度らしいし。
「しかし、マサト様はそのポイントを用いて【引き継ぎ】という能力を得られました。この能力には12ポイントの価値に相応するいくつかの効果があるのですが……。その中の一つに“
徳ポイントの引き継ぎ”があるのですよ」
「徳ポイントの引き継ぎ……。つまり、前世以前の徳も持ち越せるってことか?」
「ご明察です!」
予想は合っていたらしい。
セラウはぱたぱたと羽根を揺らす。
けど、その効果に一体どんな意味があるっていうんだ……?
……!
「もしかして……」
あまり考えたくはない。
しかし、俺の貧弱な頭で考え出せるのは――
「俺がまた、もう一回転生して、死んで……。それでここに戻って来たらポイントは……」
たどたどしい俺の言葉に、セラウは慈母のような微笑みを見せる。
「その時は、現在持っている0.002ポイントに、更に”世界への誕生”のポイントが加算されて0.004ポイントになりますよ」
さっと血の気が引くのが分かった。
背筋が凍り付く。
確かに、0ではない。
静止でも、後退でもない。
でも、それは……。
「地獄の方が……マシじゃないか」
唇を震わせる。
そんな俺を見下ろして、セラウは目を細める。
「さあ、どういたしましょうか?」
どこまでも広がる開放的な雲海のど真ん中で、俺はまるで断崖絶壁に立っているかのような絶望を覚えた。
どこへ逃げられるというんだ。
ここに、俺の平穏などない。
数秒後、俺は鼓膜を貫くような轟音と共に、世界へと身を投げていた。