第1話「欠陥的輪廻転生システム」
気分転換です。続くかどうかも微妙です。
「――て――さい。――きて――」
誰かの声が、耳元で聞こえた。
春の風のような柔らかい声だ。
その声に押し上げられるようにして、俺の意識は深い闇の中から急速に浮上する。
「起きてください! マサト様!」
「……ん……。ここ、は……?」
焦ったような声が、鮮明に聞こえる。
重い瞼を持ち上げて、俺はあたりを見渡し、そうして息を飲んだ。
「何だ、ここ……っ!」
倒れていた身体を、上半身を起き上がらせる。
周囲一帯に広がっているのは、白く輝く雲海だった。
果ては見えず、ただどこまでも平らに広がっている。
俺はその上で目を覚ました。
「マサト様! やっと目が覚めたのですね!」
嬉しげな声が真横から飛び込む。
振り向いてみれば、そこには大きな青い瞳を潤ませる、可愛いお姉さんが立っていた。
ゆったりとした白いワンピースのような服を着て、艶やかな長い金髪が緩く波打っている。
何よりも俺の目を捕らえて放さないのは、その魅力的な双丘だ。
「わぷっ!」
「良かった~! このまま目を覚まさなかったらどうしようかと!」
俺が男の性に抗えないでいると、突然その柔らかな胸が迫ってくる。
顔が完全に埋もれ、温かく心地よい香りが鼻腔をくすぐる。
「や、やめ……くるし……」
しかし息は続かず、俺は彼女の背中を叩く。
その時、指の先に何か柔らかい感触を憶えた。
彼女の抱擁を振りほどいて見てみれば、そこには大きな純白の羽があった。
「は、はね……?」
「はわ? あ、これですか?」
きょとんと不思議そうに首を傾げるお姉さん。
彼女は俺の視線を辿って、納得がいったらしく、パタパタと器用に羽先を揺らして見せた。
「あ、あんたは一体?」
俺の問いかけに、彼女はむふんと鼻を鳴らして胸を張る。
たゆんと大きく揺れるのに、視線が動くのは仕方ない。
「何を隠そう、私は天使なのですよ!」
「てん、し……」
理解に数秒の時を要する。
頭の中の辞書を開き、貧弱な語彙の中から検索する。
天使。
神の使い。
なるほど、たしかにそれなら羽の一つや二つ――
「天使!? なんで天使!?」
「おっとびっくり。そう来ましたか」
思わず声を上げる俺。
天使のお姉さんは少し仰け反る。
「私、セラウがマサト様の下に訪れましたのは、それはそれは深い訳がありまして――」
彼女――セラウはスカートの裾を整えると、こほんと一つ咳をして話し始めた。
「簡単に言えば、マサト様は死にました」
「一言で言えるのかよ」
ぴょこん! と人差し指を立てるセラウ。
俺は思わずがっくりと肩を落とした。
「でもでも、本来なら人の生死に私のような天使は介入できません。なぜなら昨今のオートメーション化の煽りを受けて、天界でも事務的作業はすべてAIに移管済み、日夜やって来る大量の幽霊さんはベルトコンベア方式で輪廻判定システムに掛けられて、自動的に次の転生先が決定しますから」
「はぁ……」
言ってることの9割が分からなかった。
「それだけでなく、他宗教や地獄各部署との提携も進んでいて、魂浄化の為の試練設定および申請、監督、承認、更には職員の福利厚生に至るまで! ぜーんぶ担当者不在でも動くようになっちゃってるんですよ」
「はぁ……?」
言ってることの10割が分からなかった。
「それじゃ、なんで俺のとこには天使さんが?」
「それがですねぇ。なぜだかマサト様の魂は輪廻転生システムに反応されないらしいのですよ。マサト様だけでなく、たまーにそういう人いらっしゃるんですけどね」
案の定よく分からないが、まあ、そういうことらしい。
「そういう魂は、往々にしてこちらの管轄ではないのですよ」
「管轄……」
「はいー。いわゆる、住む世界が違うってヤツですね。だから、マサト様のような魂は、本来あるべき世界へと戻さないといけないのです」
「はぁ」
曖昧な顔で頷く。
理解などできようはずもない。
ただこちらの反応は些末な問題なのか、セラウは構わず話を続けた。
「そういうわけで、マサト様には異世界に行って貰いまーす」
「い、異世界! つまりは、よくあるファンタジー的なアレなのか!?」
「はい! ファンタジー的なアレですよ!」
俺は思わず立ち上がり、ぐっと拳を握る。
何を隠そう俺も健全健康な日本男児。
ラノベの100冊や200冊は所蔵しているし、昨今の異世界転生モノブームも大歓迎。
なんなら目が覚めた時点で薄々期待はしていた!
「つ、つまり特典的な? チート的な? モノもあったり……?」
「もちろんですよ! マサト様は地球という異なる世界で暮らしましたので、その時に“徳”という地球特有のポイントを貯められました。それは転生先の世界では使えませんので、特殊能力や特別な装備品などとして持ち込んで頂く形になります」
テンション上がってきました!
「そ、それじゃあ、すっごい魔法が使えたり、天才的な剣技が使えたりするのか?」
「ああ、すみません。流石にそこまでは」
「ずこー」
しらっと手を振るセラウ。
俺は雲海に拳を振り下ろす。
ぽすぽすと突き抜けて案外気持ちよい。
「マサト様が今世で貯められた徳ポイントは12ptです。転生特典は、こちらのカタログから選んでください」
そう言って、セラウはどこからか分厚いカタログを取り出す。
今はすっかり見なくなって久しい電話帳ぐらいの分厚さだ。
「ていうか、俺の徳ポイントは12しかないのか」
「しかたないですよ。徳を貯めようと意識して行動されてたわけでもないですからね」
それもそうだ。
お坊さんにでもなっていたのならまだ分かるが、俺はただの平々凡々な男子高校生。
毎日の挨拶や頂きますご馳走様を欠かさなかったくらいが唯一の美点だ。
「ハイパーなお坊さんなら億とか行くんですけどねー」
「億!?」
お坊さんすごい……。
転生したら聖職者になろうか……?
それはともかくとして、俺は早速カタログを開く。
ある程度の分類分けはされているらしいが、なにせ量が量だけにすべて見るだけでも大変だ。
「なになに、【全属性魔法才能・超】が5000兆徳ポイント。は?」
無理ゲーすぎる。
ハイパーなお坊さんも裸足で逃げるぞ。
よくよく見てみれば【剣技・超】500兆ポイントやら【精霊王の寵愛】1,000兆ポイントなどなど、めぼしいモノは全部兆が基本になっている。
こんなの貯められるの、それこそ選ばれた主人公だけだろ。
「これ、ほんとにこれだけ用意する必要あるの?」
「まあまあ、色んな人がいらっしゃいますからー」
疑念の目を向ける俺に、セラウはぱたぱたと羽根を動かして暢気に答える。
仕方がないから、俺は12ポイントで取得できるモノを探すことにした。
「えっと、【四つ葉のクローバーが見つけやすくなる】5ポイント。って、こんなので5ポイントもするのかよ!」
【体温を±2℃の範囲で操作できる】10ポイント。
【箪笥の角から足の小指を守る】200ポイント。
【目当てのページを開ける】5ポイント。
「……碌な能力がありゃしねえ」
俺は失望に暮れながら思わずカタログを閉じる。
欲しい能力は軒並み桁違い。
選べそうな能力は軒並みしょぼい。
一応と思って見てみたら、武器や防具の欄も同じようなものだった。
「これ、どうすればいいんだよ……」
「コレばっかりはシステム上のお話なので、その中から選べるモノを選んで頂ければと」
セラウの言葉が耳を突き抜ける。
俺は大きくため息をつくと、またパラパラとページをめくり始めた。
「……うん?」
そうして、どれくらいの時間が過ぎただろう。
だだっ広い雲海の上では、時間の感覚も曖昧になる。
自我すら失いかけそうになっていた俺は、カタログの片隅にならんだ一つの項目を見つける。
「……【引き継ぎ】?」
簡素な名前だ。
説明もない。
目立たないようにひっそりと、隅っこの方に並んでいる。
必要ポイントは丁度12だった。
「……もうこれでいいや」
何を引き継ぐのかは知らないが、まあ何かしら引き継げるなら悪くない。
俺はそんな適当な思考で決定する。
「ん、決まりましたか? 決まりましたね? ふむふむ了解しました! それでは――」
ぴょこんと立ち上がってセラウが俺の肩越しにのぞき込む。
そうして、カタログを手に持つと、俺を立たせた対面する。
「特典付与【引き継ぎ】! 完了! よーし、ではでは、異世界での第二の人生、楽しんでくださいね!」
「え? は? ええ!?」
ぽわんと身体が光ったかと思うと、じんわりと内側から熱くなる。
そうこうしているうちに足の下の感触がなくなる。
慌てて見下ろすと、俺の真下の雲海に、丸く穴が開いていた。
目の前に立つセラウを見る。
満面の笑みを浮かべて悠々と手を振っている。
さっと血の気が引く。
重力が俺を捕らえる。
視線が下がる。
「う、うぁあああああああああああああああああああああああああああっ!?」
そうして、俺は絶叫と共に雲海から落下する。
轟々と耳元で響く風の音。
思わず堅く目を閉じる。
真っ暗な視界の中で、俺は――
◇
「――て――さい。――きて――」
誰かの声が、耳元で聞こえた。
春の風のような柔らかい声だ。
その声に押し上げられるようにして、俺の意識は深い闇の中から急速に浮上する。
「起きてください! マサト様!」
「……ん……。ここ、は……?」
憶えのある声が、鮮明に聞こえる。
重い瞼を持ち上げて、俺はあたりを見渡し、そうして息を飲んだ。
「なんで、ここに……ッ!」
そこは、どこまでも広がる雲海の上。
隣を見れば、美しい天使のお姉さん。
「マサト様、あなたは死にました♪」
そう言って、天使はたわわに実る二つの果実を大きく揺らし、柔らかい笑みを浮かべた。