第十八話:「弟」
「あの世界は夢ではないのですか?」
一番気になることだった。
あれは夢なのか。
夢でないのか。
夢でないとして、なぜあちらでかなりの時間が経ったのにこちらでは一晩の出来事なのか。
ご都合主義なのか。
「夢かどうかは微妙なところね」
少し唸りながら紗希さんは言った。
「少なくとも、関わった人間への影響はあるわ。特に私の弟に」
「と言うと?」
「例えば、私たちは向こうの世界で出会ったわ。もし、向こうが普通の夢であるならば、あなたがここにいることはあり得ないわ。しかし、夢であったとしても、お互いに交信、というか、交流ができるようなものであったら?」
「でも、もしかしたらお互いに同じ夢を見ただけかもしれないじゃないですか」
「そうね。せめて、別れ際にこっちのどこで集合するかなどを打ち合わせしておけば現実味が増す話だったわね」
「優太さんの方が影響が強いっていうのは?」
「ああ、そうね」
そっちの方がわかりやすいか。
そう紗希さんは納得した。
「じゃあ、部屋に乗り込みましょう」
「え?」
「ああ、今金槌を持ってくるわ」
そう言って立ち上がった。
私も慌てて立ちあがりながら鞄の中に手を突っ込む。
「あ、それなら大丈夫です。持ってますから、金槌」
取り出して見せる。
紗希さんはきょとん、としていた。
しかし、次の瞬間、彼女は頭を下げた。
「弟のせいで変な癖をつけてしまったようで、申し訳ないわ」
「い、いや、いいんです。とりあえず、行きましょう」
紗希さんの後ろを着いていく。
そして、優太さんの部屋とやらの前まで来る。
家の端の方で、部屋の位置から既にひきこもりだ、と思った。
紗希さんがノックする。
返事はない。
もう一度ノックするかと思いきや、紗希さんはドアを蹴った。
開いたドアの向こうにいる男性から、足でドアを開けた女性の姿が浮き彫りとなった。
男性は非常に驚いていた。
私も驚いていた。
そして、男性の視線は見知らぬ女子高生である私へと移った。
のだが。
「ひ、ひぃぃ」
怯えられた。
「なんか、私、怖い人なのでしょうか?」
「そりゃあ、怖いでしょう」
そう言った紗希さんの目線を辿る。
金槌。
ああ、なるほど。
「で、私は金槌で叩けばいいんですか?股間を」
「そうね。そうしたければそうするといいわ」
「では」
私は部屋の中に入った。
目で目標を中心に、腕や足などの動きに注意しつつ接近する。
「ひいいいいっ」
物凄く怯えている。
涙目だ。
まだ殴っていないのに。
「てやー」
振り上げる。
「いぎゃあああああああ!」
まるで今にも殺されようとしている人間のような悲鳴だった。
いや、確かに命に支障が出るかもしれない攻撃だけど。
「しっかし、怯えてますねー」
「あなたがそうしたのよ」
「私が?」
「金槌に対する恐怖心、それはあなたがあの世界で彼に植え付けた価値観よ」
「そうなのですか」
「あなたは魔法で自分の価値観を植え付けることもしたけれど、魔法無しでも随分とやっているのよ」
「あははー」
「おそらく、今の彼はあなたの影響でもって、BLなども多少はたしなむ人間になっているわ」
「うごあ」
自重するべきでした。
「だから、ただの夢ではないし、そこでの出来事が直接彼に関わってきているのよ」
「はー」
嫌な実感の仕方だなあ、と思う。
はらり。
「はひ?」
視線を下方向へスライド。
スカートがめくられているのを確認。
誰が?
……男性。
名称、確か優太。
……。
…………。
天使のような微笑みを彼に投げかけてあげた。
その後、処理した。
その後、しばらくしてから家に帰った。
寝転がる。
「あー」
適当に声を発する。
「うー」
発する。
「あー」
金槌で悪をこらしめた後である。
再び紗希さんと話をしていた。
その時、私は聞いた。
「また、あっちに連れ戻されたりします?」
今、ここにいるのは半ば無理やり追い出されたからだ。
だから、もしかしたらまたあっちに行くことになってしまうかもしれない。
「わからないわ」
紗希さんはそう答えた。
「でも、彼にとって、優太にとってまだ私たちがあの世界で何かすることが必要であるのならば、戻されるでしょうね」
それは、戻される可能性が大いにあるということを意味していた。
むしろ、戻されることを前提に構えていた方がいいだろう。
戻されて、何をすればいいのか。
今度はそれが課題だ。
彼にとって私たちがあの世界で必要のない存在であれば向こうへ戻されない。
ならば、あの世界で必要のない存在になればあっちから帰ってくることができる。
そういうことでもあるはずだ。
魔王を倒す。
そうすればいいのだろうか?
そもそも、私たちはどうしてあの世界へ連れてこられたのだろう?
何を期待されているのだろう?
魔王を倒すための力?
それとも別の何か?
それは一体何?
わからない。
わからないまま、睡魔が襲ってきた。
そうだ。
向こうで考えよう。
私はそう結論して、睡魔に身を委ねた。




