第五話【レティさん】
「今何をなされていたんですか? そこは私の妹の部屋なのですが……」
ふらり、ふらり、とこちらに歩いてくるレティ。何の感情も感じられない笑顔をしているが、得物を持っていないだけマシだと思う。これでナイフとか斧とかマチェットとか人の腕とか持ってたら間違いなく失禁してた。
「妹? その話詳し……いえ、すみませんすみません! い、今すぐ出ていきますから!」
俺のバカ! 妹さんの話も詳しく聞いておくべきなのだろうが、そういうこと言ってる場合じゃないだろう、誤魔化しが効かないところまで言ってしまったし後悔しかない。若干レティの口角が下がった気がする。
「いえいえ、出ていかなくてもいいんです。別にユウさんを叱ったり嬲ったり殺したりするわけではなくて……」
出てくる言葉のひとつひとつがめちゃくちゃ怖い。レティは一体何を考えているのだろう。ゆっくりと俺の方へと迫ってくる。頼む、もうやめてくれ。先程「武器持ってたら失禁する」と言ったが前言撤回。武器持ってなくても失禁しそう。ただの町娘に震える自分が少し情けないが、きっとレティ、実は戦闘経験豊富な町娘(元殺人鬼)とかなんだ。多分! そういうことにさせてくださいお願いします。
「ヒエ…………あ、あのじゃ、じゃあどうするんです!? 街の埋込みに捨てるとか?!」
俺は震える声で叫んだ。情けないとは思うがこれしか出来ない。彼女の眼光の前では抵抗も許されない、そんな気がする。叫べただけでも俺はすごい……と思いたい。
「……私をなんだと思ってるんですか?! いや、そんなこともしないです! ……ただ」
さっき色々言ってたのは何なんだよ、と反論したくなるが、声が出ない。ついに触れられる距離にまで接近されてしまった。ああ、ありがとう現世。多分俺は今からボロクソに言われた後、ボコボコにされて記憶喪失になると思います。さようなら現世……。出来るなら このまま帰れて 幼子と いっしょに生活 できるといいな……俺が辞世の句を詠み終わると同時にレティの口が開く。俺は覚悟を決めて目を固く閉じた。
「お代、頂いてもよろしいでしょうか!?」
あれ。
おかしい、聞こえたのは不思議な一言だった。数秒経ってもそれ以外のことは何も起こらない。拳が飛んでくることもなければ罵声が飛んでくることもない。恐る恐る目を開いても叩かれなかった。そこにあるのはレティの物欲しそうな手のひらだけだった。彼女の目は心做しかギラついているように見える。
「……あの、レティさん?」
俺は首を傾げながら彼女に声を掛ける。気が抜けてきた。先程とは別の意味で声に力が入らない。変な笑いさえこみ上げてくる。
「はい? 後払い決済でも構いませんよ? どうされます?」
明るい声色で彼女はそう言いながら俺にずずい、と詰め寄ってくる。近い! いくら幼女趣味とは言えこれは色々と不味い気がする! 本能と葛藤しつつふと下の方を見ると目の前にある手のひらがひとつ増えていた。まるで某テレビ局の集金みたいだ、という謎の感想を抱きながら、そして理性を勝利に導きながら。俺は彼女の手のひらに自分の手を重ねた。
「後払いでお願いします…………」
深く息を吐くように呟く。彼女の華奢な手を強く握る。ああ。本当に、今まで怯えていたのはなんだったのだろう、「失禁しそう」などと泣きそうになっていた自分が馬鹿みたいだ。少女に対してそんなことを思うだなんて恥じるべきだと思う。懺悔懺悔。
「毎度ありがとうございます! えぇと、料金の方がですね、『我が家を勝手に探索した料』、『幼女趣味が高じて私の妹のことまで探ろうとした料』、『地味な男のクセして私と赤い糸で結ばれている料』、『私のことを恐らく物凄く勘違いしている料』……その他エトセトラエトセトラ……」
「多い! 多いです!」
思わず耳を塞いでしまうような事実ばかり。正直なところ最初の二つは俺の世界でも罪状を渡されそうだから恐ろしい。やらかしたのが別世界で本当に良かった。良くないけど。
「そこまで多いです? まぁ、三つ目はぶっちゃけ私怨なんですけど……」
レティは考えるようなフリをしながら胸ポケットからペンと紙を取り出す。──私怨で金取ろうとするとかなかなかクレイジーでギルティだと思うんですけども!、と反論してやろうかと思ったが、口が悪いのは健在なため黙っておいた。もしかしたら暴力を振られるかもしれないと思うと尚更だ。
「むむ、これだとすごい量になっちゃいますので……、えい。いくらか割引しておきますね、平民のユウさんでお支払い出来るように、払えない金額を提示してお客様に逃げられて利益ゼロ、というわけにも行きませんので!」
彼女はウインクしながらペンの先をこちらに向ける。
「平民ってレティさんも平民じゃないんですか!?」
そのペンに噛み付く勢いで俺は彼女に反論する。さすがにこのくらいなら怒られることもないと思い……
「じゃあお客様は身分:愚民にしておきますね」
すみませんでした。ちょっとの意見すら彼女は許してくれない。くっ、発言の権利すらないと言うのか、なかなかにハードだ。
「私はこの辺りでは結構有名な商人の娘なんですよ、同じ平民でも訳が違うと思います。あ、お客様は愚民でしたね失礼いたしました」
レティはわざとらしく頭を下げて可愛らしい笑顔を見せる。謝るところはそこじゃないと思うが。
「えぇ、こんな茶番はさておきです。ご料金の方がこちらとなっております」
クリップボードから紙を外して俺の方に押し付ける。そこには一桁、二桁、三桁、四桁、五桁……。数えるだけで頭が痛くなりそうな桁だ。頭のおかしい請求額。桁外れ、という言葉が正しく似合う請求書に目眩がする。今さっき「割引しておく」と言ったのは何だったんだ!?
「あの」
──もう、我慢の限界だ。彼女の肩を叩き声をかける。こんなことしちゃいけない、とは分かってはいるのだが、こうでもしなきゃこの狂った請求は無くならないと思ったのだ。俺は構える。いつでも走れるように腰を落とした。
「はい? どうされました?」
彼女が紙を避けて顔を覗かせる。その瞬間を見計らって俺は彼女の額に──
と、そのときだった。
後ろからがちゃり、と扉が開く音がして俺とレティは恐る恐る振り返る。なんとそこには。
「お姉ちゃんとお兄さん、何やってるの?」
大きな瞳。ぷにぷにとした頬。艶やかな唇。小さな手足。
──そこには、幼女が立っていた。
次回!「不動、死す」! というのは冗談ですが、とうとう幼女が現れましたね…ふふふ、次回もお楽しみに…