狩る者、狩られる者、守る者
ロトルの故郷である"ディバイド"へとやってきたロトルとグラーム。しかしそこには危険な怪物が目撃されるようになっていたという。2人は望んで怪物退治を買って出たものの──
ナニかガ、チがウ
なにカガ、ニオう
テキのケハい、てきのニオい
マエに、コロシた、てキとハちガウ
イマ、くラッタ、エモのとモチガう
ひトつはドウホウ、二、にテイル
もウヒトつハ……? ワカらナい
わカらナイ……?
※※※
黒髪の小柄な少年ロトルと、対照的に天を突くような逞しい体躯を誇る竜人、グラームの2人は森の中にいた。ひたすらに木が立ち並び雑草の生い茂る環境の中、かろうじて見て取れる轍の上を進む。雑草達が処理されていないのを見るに、村人達もここしばらくは足を踏み入れていないのだろう。どうしても邪魔なものは折ってみたり、引きちぎったりとするしかなく、ただ歩くよりも多分に体力を消費する。当然、身体の大きなグラームはそれ相応に障害物も増えるわけで、払い除けるのが面倒になったのか、顔に当たるもの以外はないもの同然に折り砕きつつロトルの後ろを続いた。既に片手の指の数では収まらない数の木が苛立ったグラームにへし折られてしまっている。後で片付けさせなければならない。
「だーーー! ちきしょ、邪魔だクソ!」
顔に被さる枝を何度目かもわからない悪態と共に払い、折る。
「おいチビスケ。ほんとにこの道しかねぇんだろうな? てか、道じゃなくてもいいからもう少し背のたけぇ木が生えてるとこはねぇのかよ?」
「ない。この当たりは温暖で湿気が強いからな。背の低い常緑樹が多い」
「最悪じゃねぇか……」
心底げんなりした様子のグラームはこれみよがしに肩を落とした。ここまでの道程を鑑みれば、流石のロトルも気の毒に思ったのかある提案をする。
「まぁ……」
「あ?」
「いいんじゃないか?」
「何もよくねぇよクソが!」
「違う。お前がさっき言ったことをやっても、って意味だ」
「さっき言ったことぉ…?」
しばし悩むグラーム。一体なんのことを言ってるのかわからないと口に出しかけたその時、ふと先刻自分がボヤいた言葉を思い出した。
「…やってもいいんだな?」
「どうせ村の人間にとっても悪路に違いはないしな。道幅が広くなるに越したことはない」
「はっはぁ! んだよ、そういうことは早くいいやがれ! ストレス解消も兼ねて全力で行くぜ」
言うが早いかグラームは元より前傾気味の体勢をさらに低くした。腕を大きく横に伸ばし、左膝は地面につきそうなほど折り曲げる。続いて脹脛の筋肉を更に肥大させ、溜め込んだ力を一気に爆発させた。
「待て、バ……!?」
ただでさえ巨体に見合わない瞬間加速力を持ち合わせたグラームは瞬発力を逃がさない完璧なタイミングで増幅魔法を発動。飛び出した瞬間、ロトルの眼前は抉られて舞った土で埋め尽くされた。付近の鳥達が一斉に飛び去る。
グラームが移動した距離は約15m。それだけの距離をただ進んだだけではなく、太くしなやかな常緑樹達がまるで土筆の様にして根っこから引き抜いているではないか。あれほどまでに見晴らしのか悪かったこの森に、まるで地中を大蛇が畝ったかのような一本道を生み出してしまった。
「次行くぜぇ!」
「……っぺっっ……ぅえ…障壁……ぉえ…」
もろに土を被ったロトルが堪らず魔力の盾を形成する。その間に唾を吐き散らし、左手で頭に乗った土を必死にかき落とす。グラームはといえば言葉通り次の開拓を始めていた。再び土を舞いあげつつ、斜面をものともしない突進。最早突貫と呼んで差し支えないだろう。
「ラァッ!!」
豪快に突き進むグラームの雄叫びに樹木はメキメキミチミチと聞いたことのない音を立ててひっくり返る。既に倒れた木の本数は20近くに及ぶことだろう。
「もっぱついくぞぉ!」
あまりに破壊的な進軍の三本目。ロトルは飲み水で口を注ぎながら苛立ちを隠せない様子でその姿を睨んだ。途端、突き進むグラームの姿が掻き消える。
「……落ちた? いや、コケたのか…?」
不自然に思ったロトルは警戒を強めて先へ進む。
「んだ、こいつぁよぉ!!」
グラームの怒号が響いた。何かあったことに変わりはないがどうやら生きてはいるようだ。ロトル自身、視線の先にある違和感に気づいた。立ち並んで視界を遮るはずの木々が、一定距離に存在していないのだ。考えるよりも先にグラームの元へとたどり着く。そこにあったのは直径20m程の平らな空間だった。
「…テリトリーだ」
此度のターゲットであるケトゥン・シマは縄張り意識が強い。標高の高い山を好み、比較的平坦な場所を見つけては周囲の木を切り倒す。空間という表現は息が詰まりそうな程林立した木々が全て切り株となっていた為だ。
「ほーぉ、つまりここで待ってりゃそのケツなんとかはくるんだな?」
「どうだかな。確かに僕達がここにいるのを見つければ間違いなく戦闘になるだろうが、ケトゥン・シマは1個体で複数の縄張りを持つことも少なくはないらしい。今この場にいないことも加味すると、散策に出ているか、別のテリトリーを拠点としているかのどちらかだろう」
いかにも不満気な顔でグラームは喉を鳴らした。当てつけのようにして切り株の年輪を爪で乱す。
「……挑発か?」
「宣戦布告だっつの」
ケトゥン・シマを追うためにこの場を離れる方針とはなったものの広い山の中だ。遭遇できる確率はそう高くないだろう。であれば、こうした敵の拠点に自らの存在を誇示するのは得策と言えた。
「それにしても…」
ロトルが切り株を睨む。それらの中で複数の切り口を持つものはざっと見ても二つ三つ。これが何を意味するかといえばそのほとんどを一撃の元に切断してしまったという事実だ。おそらく一刀で切り倒せていないのは巨体ゆえに十分な予備動作距離が取れなかったのだろう。その為か複数の切り口を持つ切り株は集中して存在している。主幹を刈り取る一撃は、恐らくロトルの強化魔法を持ってしても防げはしまい。平素であれば不敵な笑みを浮かべていたところだが、今回は状況が異なる。少年は必ずこの怪物を村に降ろしてはならないと再認識した。
※※※
散策を始めてからおよそ8時間程が経過した。常日頃から身体を鍛えているロトルではあるが、特に持久力という点においては再重要視して身につけているものだ。しかしそれにも限度はあるもので、少年にも披露の色が見られた。竜人はといえば飽きと苛立ちとで目線が定まらない様子だ。
「おう、今日のところは出直そうぜ」
「……まぁ、それもありだな」
何ひとつ手掛かりがなかった訳では無い。二つ目の縄張りを発見したのだ。自ら狩りを行い、食い荒らしたと見られるイノシシの残骸も見つけた。とはいえ、肝心のケトゥン・シマには会えずじまいなのだが。
「道を作るのだっていつまでもやってりゃ疲れるしよぉ。酒が飲みたくなってきたぜ」
「まて、道が平坦になってる。テリトリーが近いかもしれない。帰るのは周囲を探ってからだ」
「へいへい。どーせ今度もハズレだろうぜ」
間もなくしてあっけなくテリトリーは見つかった…のだが、やはりケトゥン・シマの姿は見当たらない。
「そーらハズレだ」
「……」
本命以外にはまるで興味を示さないグラーム。しかしロトルはあることに気がついていた。今までのテリトリーにおいて、切り倒された木々は切り株だけが残っていて、伐採された木そのものはどこにやったのかテリトリーには置かれていなかった。しかしこのテリトリーには数本。たった数本だけ忘れられたようにしてその片割れが倒れたままなのだ。これではまるで──
「──片付けの途中だったのか…?」
「あ?」
「気をつけろグラ、近くに…」
ロトルが振り返ったその時にはグラームの右横から大剣が襲いかかっていた。視認するよりも早く反応したグラームはとっさに腕での防御に出る。
「くそっ!」
防御する腕ごと身体を切断されてしまうと判断したロトルは、毒づきながらも反射的にグラームへと強化魔法を放った。魔法は他者に付与する場合は質が落ちてしまうものだ。グラーム程の巨体にもなれば効力も薄い。加えて直接触れずに付与するにはほんの一瞬タイムラグが発生する。今はその一瞬を争うというのにだ。
刃先がグラームの鱗を易々と貫通したところでロトルの強化魔法が作用した。振り抜かれた凶刃にグラームの身体が吹き飛ばされる。
ギリギリ強化が間に合った腕は半ばまで切断された上で不自然に曲がっていた。折れているのだ。多少格落ちしているとはいえ、ロトルの強化魔法を付与した竜人のグラームの骨を、断ち切るには至らないまでも折ってしまった。
「ちっ…、オレの背後をトるたァやるじゃねぇか…」
「言ってる場合か。くるぞ!」
「わってるよ。燃えんなぁ、おい!」
雑木からヌラリと姿を現したのは、なにより目を集める二振りの巨大な鎌と一本角を携えたカマキリの化け物だ。昆虫における頭と胸に当たる部位はいかにも硬そうな甲殻に守られており、肉厚で湾曲した二本の鎌は鎌と呼ぶよりショーテルを彷彿とさせる。更に先端には二本の爪が並んでいた。
それは当然グラームを吹き飛ばした張本人であり、探し回った敵『ケトゥン・シマ』に他ならない。全高は4m程。全長も10mはくだらないだろう。つまり、過去に発見された個体達よりも一回り大きいのだ。
「傷が塞がるまで退ってろ」
「はぁ? アホが。もう治ったっつの」
竜人族の中でも使えるものが限られてくるという再生能力。反則もいいところだが今回の相手もそれなりのものだ。
「あれと正面からぶつかるのは分が悪い。森に駆け込むぞ」
言うが早いかロトルは開けた縄張りを抜け、言葉通り木々に身を潜める。しかしグラームは一向に動く気配がない。ケトゥン・シマは動き出したロトルに触発された様にしてグラームへと襲いかかった。左右の鎌を挟み込むようにして同時に繰りだす。対して構わず前進したグラーム。あろう事かつい今しがた易々と鱗を貫通したそれを両の手で受け止めたのだ。当然掌は裂け、血が滴っては肘から垂れていくが、その骨は断ち切れぬまま確かにカマキリのバケモノと拮抗している。
「はっ! てめぇはそこで見てやがれ。嬢ちゃんに死んだなんて報告はできねぇからな」
「……はぁ?」
片手での被弾白刃取りなど格好のつくものではない。自らの肌や肉を切り裂けても、骨までは断ち切れないことを理解したグラームは再生能力を盾に真っ向勝負を挑む気なのだ。幸いと言うべきか、桁外れな自然治癒力を持つ竜人の痛覚はそもそも薄いものであった。
ケトゥン・シマが体勢を整えるべく素早く刃を引く。続いて左の鎌を大きく薙いだ。これには機敏に反応してバックステップで回避するグラーム。しかしケトゥン・シマはすかさず右に捻れた主軸を逆方向に回転させ、折り畳んだ右の鎌を真っ直ぐに突き出した。
「くぉっ…、パンチだとぉ!?」
これにはグラームも度肝を抜かれたようで全力で上半身を仰け反らせて躱す。
「コンビネーション…」
コンビネーションとは、かいつまんで説明すれば技の終わりと始まりのモーションが酷似するものを繋げることで予備動作を失くすテクニックだ。加えて今のはグラームの言う通り、人間におけるパンチであった。
「こいつぁ、カマキリっつー認識は改めた方が良さそうじゃねぇか」
グラームは蛮勇のままに一息で距離を詰める。しかしリーチに差があるせいか先に仕掛けたのはケトゥン・シマの方だった。左から袈裟懸けに鎌が振り下ろされる。グラームはそれにあわせて跳躍。空中で身体を一回転させ、鎌の裏に着地。勢い余って刃が地面に突き立った隙を見逃さず更に距離を詰めた。前脚の付け根近くを抱き抱えると力いっぱいに身体を反らせる。
「ぉぉらあ!!!」
投げ飛ばした。あろう事か、自らの3倍は大きな化け物を放り投げるように投げ飛ばしてしまった。
「バカがいる……」
後方の樹木へと身体をぶつけたケトゥン・シマへとこれまた一直線に突き進むグラーム。一息に勝負を決めるつもりの様だ。ケトゥン・シマもダメージはほとんどないようですぐに立ち上がった。しかし応戦する為に振り下ろそうとした鎌は木の幹に絡まるようにして引っ掛かっていた。
「ザマァみやがれ!」
駆け込み様渾身の一撃を見舞おうと、グラームも拳を振りかぶる。途端、ケトゥン・シマの鎌が構うことなく枝を断ち折りながら放たれた。
「あぁ!?」
「フェイク…!?」
意表を突かれた事もあるが、枝を断ち切った勢いのままであったことで初動がこれまでよりも段違いに速い。攻撃態勢に入っていたグラームも本能的に身を捻って致命傷箇所をずらしたが、掬い上げるような軌道で脇腹から逆袈裟懸けに振り抜かれる。グラームの巨体が大量の血液を撒き散らしながら吹き飛んだ。着地もままならず落下し、切り株を支えになんとか立ち上がる。割れた横腹からは次々に血が流れるが、肋骨がとどめていたために内臓へは到達していないようだ。その肋骨も衝撃で折れてしまったが。
「…っそ…。のやろー、やってくれんじゃねぇかっ」
言い終える前にケトゥン・シマは息をつかせまいと突進を始めた。鎌の関節を曲げることで先端の爪を前方に向ける。つまりは先程も繰り出したパンチである。点の攻撃ではあるがケトゥン・シマにとっては最速の攻撃だ。動きの鈍ったグラームに向けて放つ攻撃としては最善だろう。
状況に応じた使い分けだけでなく、フェイントまで使いこなすことからこの個体が高い知能を有するのは明白だった。
「キャァァア!」
ケトゥン・シマが初めて声を発した。悲鳴のように甲高い奇声とともに爪の拳が打ち出される。グラームは傷の再生が間に合わない不安定な状況でその攻撃を受けるつもりのようだ。しかし、その拳が竜人に届くことは無かった。
「あ?」
「ギィ…」
少年が砲弾のような速度で横から鎌を殴りつけて弾いたのだ。
「……バカスカ突っ込むからだ。お前は退ってろ」
「はぁ!?」
乱入者を警戒してかケトゥン・シマは数歩後退り構えたままで静止した。
「動きを観察していた。お前よりも随分頭が良さそうだ」
「うっせぇぞ」
「お前は黙って見てろ」
嫌味を口にして動き出したのはロトル。悠然と歩いて距離を詰める少年を前に、怪物は鎌をもたげて上体を背伸びするように逸らす。受けの姿勢であった。
(……そもそも、虫をそのまんま大きくしたところで通常通り動けるわけがないんだ)
ロトルがケトゥン・シマの射程内に入って間もなく、左右から抱きつくようにして鎌を振り回す。左にひとつステップ。猛然と襲いかかる鎌を前に、なんの焦りもなく細かなジャンプで躱すも、同時に振り抜かれたもう一方の鎌が迫る。ロトルは空中で引力魔法を発動。側方に回転しつつ、その勢いのまま鎌の先端近くを拳で殴りつけた。
「ふっ!」
弾かれた鎌はもう一方と交差するようにして干渉し、硬質な音を響かせる。
(鎌がそこそこの重量だからな。パリングは有効だし、何より予備動作が大きい)
地面に打ち付けられた鎌を引き戻すよりも早く、ロトルはそれを足場に跳躍した。敵の頭を飛び越える程の勢いで宙を駆け、渾身の蹴りを頭部目掛けて放つ。ケトゥン・シマも咄嗟に角で応戦しようとするがその頃には既に蹴りが到達していた。
「グィァッ」
「…っ! 硬いなぁ、もう」
悪態をつきつつも全力で蹴り抜くロトル。外骨格に覆われた頭部はやはりと言うべきか、ロトルの蹴りでも軋むことすらないが、派手に蹴飛ばされたことで細い首が大きく仰け反った。咄嗟に引き下げた鎌もその勢いにつられて閉じこもりがちだ。好機と判断したロトルが追撃をと空中で体勢を整えたその時、怪物が二つの鎌を予備動作もないまま当てずっぽうに伸ばしきる。身体のひねりを加えていないパンチは勢いこそないものの、空中に存在するロトルへの牽制としては充分であった。
「くそっ!」
慌てた様子で身体を捩りつつ引力魔法で思い切り斜め下に自らを引っ張らせる。転がる様に受け身をとって立ち上がったロトルが敵を見上げた。掠っていたようでズボンの裾付近が裂けている。
(大振りを当てにくる正確さもそうだけど、極めつけはあのパンチ。一目見た瞬間から違和感があったけれど、こいつの腕には節がひとつしかない。だとすればもうひとつはあの鎌の中だろう)
本来、カマキリの鎌は二つの節からなる。鎌の自由を利かす節と、鎌を二つ折りにして獲物を挟みこむための節だ。しかし、ケトゥン・シマには後者の節が見当たらなかった。肥大化の影響で獲物が変わったこともあり、捕らえるよりも、殺して食らうことに特化したのであろうか。殺傷能力を高めるために得た長大な鎌を巧みに扱えるのは仲介する節が、鎌を形成する甲殻に内蔵されているからなのだろう。そのためケトゥン・シマの鎌は節を持たず、大剣のような形状をしている。
考えているうちにケトゥン・シマは体勢を立て直して攻撃に転じた。自らの主軸を斜めに大上段から鎌を大きく振り下ろす。ロトルはもう片方の追撃を避けるため外にステップして回避するがケトゥン・シマはすかさず地面に突き立った刃をロトルに向け、身体を大きくつかって外に薙ぎ払った。
(──きた!)
ロトルは迫る凶刃に対して前腕と膝で白刃取りをしようと対面する。しかしその時、背後から飛び出してきたグラームが鎌の幅半ばを正確に捉えて拳を振り下ろした。
「キィァァァァァァァァァァァァァ」
魔法で増幅された拳によって叩きつけられた鎌に、大きな亀裂が走る。グラームの渾身の一撃を受けてもなお折れないのは脅威的といえよう。とはいえ攻撃力は大幅に削がれたはずだ。
「バカ! なんで手を出した!」
「アァ? 礼を言われるようなことでもねぇが、文句を言われる筋合いもねぇぞ!?」
「そんなことしたら──」
絶叫するケトゥン・シマは器用に四本の足を使って後方へと旋回。
「──逃げるだろうが!」
「……あー…」
今回の目的はあくまで討伐であり、生け捕りでも撃退でもない。そのためロトルは逃がすことなく勝負を決めたかったのだが、グラームの一撃で痛手を負ったケトゥン・シマは予測通り森の中へと逃げ出した。
「追うぞっ!」
言うが早いかロトルは焦った様子で後を追う。ケトゥン・シマは細長い身体を器用に畝らせて木々の間を縫っていく。速度こそ大したものではないが2人にとっては木々が障害物となる。小柄なロトルはまだしも、グラームでは到底追いつける速度ではなかった。
「デブがっ!」
「るせぇ!」
ロトルが増幅魔法により高速化されたステップを連続させることでジグザグに加速し、とんでもないスピードで追い上げる。しかしながら"山の神"という名は伊達ではないようで、身のこなし方ひとつで距離が縮まることを許さなかった。斜面を降ることでロトルも加速し続けるがこのままでは山を降りてしまいかねない。万が一にもケトゥン・シマを村の方に降ろすわけにもいかず、ロトルはそれまでに決着をつけねばならなくなったのだ。
「当たれっ!」
高速で移動する最中、純粋な魔力を拳大に練って放つ。自分だけでなく相手も不規則に動き続ける中では命中する由はないが現状追いつくためには敵の足を止める他もない。無闇矢鱈と放つうちに数回命中するも、羽を多少削り取るだけか、堅い甲殻に弾かれただけであった。
「はっ……はっ……。まずい…はぁ…。もうすぐ村が……!」
積もり積もった疲労がここに来て現れ始めるロトル。速度を緩めるわけにも行かず必死の様相でもう一発と魔力弾を撃ち出したその時、ケトゥン・シマが大きくバランスを崩した。
なにやらわからないが、決定的な機会を得たロトルが気勢をあげる。爆速で地を蹴りスレスレで目前の木を回避。更にその木を空中での足場として水平方向に蹴伸びした。体勢を整えて再び走り出そうとするケトゥン・シマ。今ここで確実に後ろ足のどれかを破壊する必要がある。でなければこの追いかけっこは村に至るまで終わることはないのだから。
「そこっ!」
追いついたロトルが追い抜き様で左後ろ脚の節を的確に蹴り抜いた。比較的脆い関節を突いたことで見事に脚をちぎり飛ばす。ケトゥン・シマの移動は四本の後ろ足に依存し、その中でも最後尾の二本は特に重要だ。足が3本となった今ではロトルとの鬼ごっこを逃げ切ることは不可能であった。
追い越してケトゥン・シマの目の前に立つロトル。見れば周囲にはひっくり返された木々と荒れた地面が広がっている。紛れもなくあれの跡であった。
ケトゥン・シマが少年を見据え、怒りを全面に表すようにして両の鎌を大きく開いて威嚇する。
「はぁ……ふぅ……っ!?」
息の整わぬロトルに健在である左の鎌を大振りするが射程外に退くことで躱した。軸となっていた脚が欠けたためこれにより前によろける。しかし執念であるのか、無理矢理に鎌を静止させ、刀の峰にあたる部位で前方を薙ぎ払った。
「はっ…それを…はっ…待ってたんだよ。……さっきも」
疲労のピークである中、ロトルが不敵な笑みを浮かべる。初めて見せる峰打ちを待っていたのは、回避次第ではこういった攻撃もありえるだろうと確信していたためだ。少年を吹き飛ばすには充分な一撃であろう。それに対するロトルは先刻の構え。前腕と膝による白刃取りを成功させた。
「アルケミー」
自分だけに聞こえる声で、錬金術の呪文つぶやく。当然鎌を押しとどめることなど出来ず、しがみついたまま振り回されている。
「ディケイ…!」
続けて命令の一句を付け足す。少年の掌にはいつも用いられる何らかの原料は存在しない。であれば対象となるものはひとつ。今現在掴んでいる、ケトゥン・シマの大鎌だ。
呪文を唱えた後にロトルは弾かれるようにして鎌から振り落とされた。ケトゥン・シマは追撃を加えようとまたもや左腕の関節を畳み、パンチの予備動作へと入ったまま突進する。放たれたパンチに合わせてロトルは鋭く斜めに踏み込んだ。自らの目線の高さに存在する鎌を一瞥し、その中心に向けて右ストレート。しかして小さく鋭い拳は、剛力を誇るグラームでさえ折り断つに至れなかった鎌を易々と叩き折ったのだ。
「ギャァァァァァァァァァァァァ」
ロトルが使用した錬金術のディケイとは、対象物質の結合力を弱めるものであった。強度の下がった鎌はその長大さも災いし、──ロトルからしてみれば──いとも簡単に砕けてしまう。ケトゥン・シマは絶叫してヒビの入った右の鎌をやけくそ気味に振り回す。タイミングを見計らって叩き折ってやろうと回避を続けていたその時、
「どぉらららぁぁぁ!!!!」
咆哮とともにグラームが姿を現した。どうやら例のあれを使って一直線に駆けてきたらしい。驚いたケトゥン・シマはヒビの入った刃を竜人に向ける。
「せいっ!」
掛け声とともに襲いかかる刃をグラームは左フックで真正面から完膚なきまでに叩き折った。
「…………」
「はっはっァ! このチョーシでもう1本も…ってあれぇ!? テメ、オレの楽しみを奪いやがったな!」
急に出てきたかと思えばマイペースに喚く竜人に嫌気がさしたのか、ロトルは眉間にシワを寄せる。
「……疲れた…。もう後はお前がやれ」
「言われなくてもそのつもりだっつの!」
距離を詰めるグラームにケトゥン・シマが折れた鎌でなお応戦する。軽くなったことで素早さこそ増したもののそれではグラームの鱗を貫くことは出来なかった。肩口、脇腹。それぞれに折れた鎌を振るうもそのどちらもが腕で的確に弾かれる。防がれる度にコンビネーションを使った連撃を浴びせるがそのどれもが大雑把に払われていく。とうとう距離を詰められたことで低く下げた角をグラームへと向けたがその先に竜人の姿は既になかった。更に低く腰を落としたグラーム。脇腹に据えた拳は流れるような軌道で頭部に吸い込まれる──
「終いだ」
──強靭な下半身の力を存分に込めたアッパーカットは、ケトゥン・シマの頭部を捉え、首を引っこ抜きながら振り抜かれた。
※※※
頭部を失った身体は時折ピクリと動きはするものの、絶命したと見て問題はなさそうだ。
「案外と骨のあるやつだったな!」
「何本も骨をやられたからな」
「るせーぞ。二本だけだっつの」
とは言ったものの、グラームの骨が折れると言う事態は、彼が特別監査員になって以来初のことであった。つまりはただ事ではない。
「……ま、それなりの相手だったからな」
呟いたロトルが徐ろに踵を返す。
「どこ行ってんだよ。なんか落としたか?」
「墓参りだ。先に戻ってていいぞ」
「はぁ? そんなの明日でも構いやしねぇだろ」
「……明日からはルイラの仕事を手伝う」
「……ほーん?」
妙な間を感じたグラームは堂々と後に続いた。
「そーいや誰の墓なんだ?」
「……マモル・アマノ」
「……有名人なのか?」
「いや、全く」
悪びれもなく言ってのけるロトルは、黙々と歩みを進める。
「なんだそりゃ!? 知るわけねーだろ!」
「…僕にとってルイラ以外の幼馴染だ」
「は…? つーこた…わけぇのか?」
「死んだのは僕が11の時。四つ上だったから15の時だな」
「難儀なこったな。事故かなんかか?」
「……みたいなものだ」
表情こそ見えないが、およそ雰囲気と呼べるものが一気に暗くなった。グラームもそれ以上の追求はせず、別の質問に切り替える。
「それにしても聞かねぇ名前だよな。なんつーか、発音ってーのか?」
「出身は東の方だと言っていた。原生大陸で唯一人族が集団で暮らしいている"アンサン"という街らしい」
「おお、アンサンか。行ったことはねぇが噂は聞いたことあるぜ」
竜人であるグラームは、大きくわけて二つある大陸のひとつ、原生大陸出身のものだ。物好きな彼はその強さを買われて特別監査員として働いてはいるものの、竜人族が人族の都の特別監査員をすると言うのは極めて希な例であった。原則、特別監査員となる人間は、その地域の種族のものよりも同等かそれ以上の武力をもつ者でなければ務まらないので、条件は十分に満たされているとは言える。否、彼は条件に対して過剰過ぎる能力を持っているのだ。この竜人には、進化大陸の何者も太刀打ちできないのだから。
「……ルイラの魔法」
「あ? どした急に」
「知りたくないならいいけど」
「わかった。続けろ」
面倒くさいと言いたげにグラームが促す。
「お前はルイラの魔法が、魔法だと気づけなかったと言ったよな?」
「おお、あれな。結果的にゃ魔法とわかったが、魔法の…なんてんだ?魔力とかそういうあれは感じなかったな」
「ルイラの左目に泣きボクロがあったろ?」
「どーだったかなー…ま、あんだろ。で?」
「あれは生まれつきあったものじゃないんだ」
「まわりくでーなぁ。さっさと結論を言えよ結論を」
ロトルが小さく肩を竦めてみせる。「我慢の利かない奴だ」とでも言いたげだが、こういったある種無駄な素振りを見せるのは決まって機嫌のいい時だ。
(さっきは気落ちしてたくせに。……付き合いはそこそこになるが、相変わらずわけのわかんねーやつだなこいつも)
「あのホクロはルイラの力が魔法由来であることを隠蔽する魔法なんだ」
「……は? 待て待て、お前それじゃあ端折りすぎだろ?」
「だから外堀から埋めてたんだ。わかってると思うけど、本人には言うなよ?」
「あいよ」
進まない話題にややげんなりした様子でグラームは頷いた。
「さっき言ったマモル・アマノは僕に魔法を教えた相手でもある。ついでに戦い方もな」
「ほー、まだ年端も行かねぇガキだってのにな。お前に魔法を教えるってこたそーとーやんだろ?」
「いいや。マモルが使えるのは強化と増幅。それに封印の魔法だけだった。むしろ専門は戦闘技術だったな」
「じゃあオメェどうやって魔法覚えたんだよ」
「書物と勘…に、少しのアドバイス」
「……」
魔法とは魔法式を正確に読み取る演算能力とイマジネーションによって成り立つものである。魔法を使うにはどちらも不可欠であるが、そのどちらもを天性のものとして持ち合わせていたロトルに足りないのは知識と経験だけであった。実際、ロトルの魔法に多様性が芽生えたのは特別監査員として見出された後の話だ。
「んで、それとどう関係があんだよ」
「そのホクロをつけたのはそいつなんだ」
「封印の魔法とかいうやつでか?」
「そうだ。封印の魔法は、本来高等魔法だ。なにせ、使える人間がいるにも関わらず未解明の魔法だからな」
「ほーん」
なぜそれをろくに魔法を扱えないマモル某が使えるのかと問いたいところであったが、聞けばまた長くなると察したグラームは適当に返事をする。
「マモルはいち早くルイラの異常に気づいて対策をうった。変な噂が広がって、ルイラがこれから生活しづらくなるのを避けるためと──」
「?」
ここにきてようやくグラームの方を向き直る。見れば開けた土地には墓石と思われる構造物が一面に並んでいた。
「──目をつけられないないためだよ」
「はぁ?」
「……墓参りを済ませて帰るぞ」
「……おー」
駆け足気味に会話を切り上げるロトル。そのうち、他と何ら変わらない墓石の前でロトルは足を止めた。腰に下げられたポーチを漁り、卵を取り出す。
「お前そりゃ祝福の卵じゃねぇか!? なんだ、もうひとりの馴染みってのは薬でもキメてたのか!?」
「はぁ? …あぁ、祝福の卵じゃない。防虫剤だよ。少し匂いがするけど、香の代わりだ」
卵を墓石にうちつけ、亀裂から煙が吹き出し始める。
「…うぉ…、確かにオレにゃちときつそーだ……」
鼻のきくグラームはたじろぐようにして距離を置いた。表情の伺えない、屈んだままの体勢でロトルがひとつ問う。
「……お前は隣人が死んだ経験はあるか?」
「まーな」
「そうか……。お前は色々渡り歩いていたみたいだからな…」
「そゆこった。それに竜人だって一度死ねば記憶が消える。なーんも覚えてない奴なんざ、元のそいつじゃねぇんだ」
「……そう…か……。不躾なことを聞いたな」
「そらぁお互い様だな」
竜人は「ハッハッハッ」といつもと変わらぬ調子で笑う。少年も少しだけ口角をあげ、最後に短い黙祷を捧げて立ち上がった。
「帰るか」
「嬢ちゃんも心配してるだろーしな! 酒でも飲みながらオレの勇姿を聞かせてやろーぜ」
「バケモノ相手に知恵比べで負けたこともな」
「ネチネチしたヤローだなオメーはよぉ!?」
2人が帰路についた頃には、山々を燃え上がらせる赤い太陽がその身を隠そうとしていた。
※※※
「あんた、そんなに泥だらけになって!!」
「ちが、これはそこのデブのせいで……」
「言い訳しない! 服だってそこら中ほつれて……わ、なにこれ。ズボンの裾破れてるじゃないの!? アタシ裁縫そんなに得意じゃないんだからね!?」
「い、いーよ。自分で治すから」
帰宅後、すぐさま幼馴染であるルイラからお叱りを受けた。グラームはといえばもう珍しくなくなったのか2人の喧騒を尻目に水を含ませた布で身体を拭きあげる。常にパンツ一丁といったガサツさだが、竜人は清潔である事を好む。
「わりーな嬢ちゃん。仕事の手伝い行けなくてよ」
「え、や、あ! そんなことないです。いつもひとりでやってる事だし、これで村のみんなも山に入れると思いますし」
「おー、ありゃちょっと危ねーやつだったからな。山に入らなくて正解だったと思うぜ」
「ほんとに助かります。食事の用意、もう少しでできますから、待っててください。ほら、あんた着替えたら手伝って」
「…はい」
身長3mを超えるグラームはもちろんのことだが、小柄ながらに身体を鍛えたロトルも栄養の摂取量は並ではない。激戦の後だというのだから尚更であった。そのことを把握していたルイラは、相応の量の食事を作っていたのだが、それもものすごいスピードでなくなっていく。
「イノシシ1匹がものの5分で消えたわ……」
食事マナーのしっかりしたロトルだが、無駄のない動作で次々に料理を口に運んでいく。グラームはといえば、豪快ではあるが決して散らかしたりもしない。というよりもほとんど一口二口で平らげられているのだ。
「そういえば、このイノシシどうしたんだ?」
「仕事中に猟師さんが通りかかったから、アンタが帰ってきててグラームさんと一緒に怪物退治に出かけたって話したら帰りがけにわざわざ持ってきてくれたのよ」
「おお、そりゃありがてぇな!明日からは自分で捕ってくらぁ」
「あ…多分……それには及ばないかと……」
「だろうな……」
「……?」
なにを言っているのかいまいちグラームにはつかめなかったが、多少酔いが回ってきたことでそれも気にならなくなった。
「それよかよぉ、オレの最後の一撃なんかちゃんと見たか?──」
※※※
それから1週間、2人はルイラの仕事を手伝いつつゆったりとした日々を過ごす。ケトゥン・シマの死骸は報告から間もなくして都から来た回収部隊が綺麗に片付けていった。大食らいの2人の食料もケトゥン・シマを打倒した噂が瞬く間に伝播し、礼としてそれぞれが食材なり貴金属なりを持ち寄ったため、困ることはなかった。最も、食料品以外は突き返したのだが。貰ったものも滞在期間内にほぼ消費してしまった。
「ロトル、そろそろ時間でしょ? それ運んだらグラームさんつれて駅に行きなさい。荷物忘れてかないようにね」
銀時計を手に、ルイラが告げる。
「ああ、そんな時間か。悪いな」
「あんたにはあんたの仕事があるんでしょ。別に今更止めはしないけど、……2ヶ月後には帰ってきなさいよ?」
声色を低くして語尾を強めるルイラに若干怯んだロトルだが、どうやら既に溜飲は下がっているようで、本心からではないらしい。
「わかった。前にも言ったけど、ルイラも息抜きがてら遊びに来いよ。畑は金さえ払えば他の奴に頼めるだろ?」
「あんたはまた……まぁ、いいけど。そうね。そのうち顔を出すわ」
「列車の時間、手紙で教えてくれれば駅まで迎えにいく」
「はいはい、あんたも過保護ね」
苦笑するルイラからは魔法を通じずとも、喜びの様なものを感じた気がした。やはりこれも魔法の影響かもしれないが。
「そういえば、言い忘れてた」
「?」
背を向けたロトルが、歩みを止めることなく振り返る。
「15歳、おめでとう」
「……ありがと! 行ってらしゃい!」
小さく手を挙げた少年に、少女は諸手を大きく振って応えた。この地特有の強い東風も今現在は向かい風で、風に乗せるなど詩的な表現にはそぐわない。では、それに負けまいと少女は強く強く激励した。怒ってばかりの顔も今回ばかりは晴れやかな笑顔にして。
「グラ、もうそんなに時間はないぞ」
収穫を終え、放置されていた畑をひとりで耕していたグラームが慌てた様子で駆け寄ってくる。
「マジか。そんならちょいとひとっ走り、嬢ちゃんに挨拶してくるぜ」
「遅れたら置いてくぞ」
「おうよ」
再び自分も向かおうかと、走りゆく竜人の背を見つめたが、数瞬考えてそれもやめた。
「……格好がつかないからな」
少年は1人、歩き慣れた道を辿る。
虚ロト5話。お読みいただきありがとうございます!
さて、今回既に本文を読まれた方はご存知かと思われますが、この度から前書きにてあらすじを設けたいと思います。既に前話が頭に入っている方は読み飛ばされて構いませんが、この作品は期間が開く上に1話あたりの分量が比較的長めですので、こういった対応を取らせていただいた次第にございます。
虚ロトのサブストーリーである『虚ろのロトル-SP』の方も公開されております。こちらではおいおい季節に応じたイベント番外編も投稿したいなと思っておりますので、お気にかけてくださる方がいらっしゃれば是非あちらのチェックもお願いします。
長くなりましたが、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!更新ペースを早めていきたいなと思いつつ、未だゆるりゆらゆらと言ったペースですが、これからもよろしくお願いします。