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虚ろのロトル  作者: 干物人間
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マリーゴールドの花言葉

「なんかついてきてんぞ」


 先刻、グラームが警告した。これからモンテグストの館に乗り込もうという時になんだというのか。敵の数が少なくないロトルはややげんなりする。


「…行動を勘づかれたのか?」

「やーさっき見えたのはあれだな、あのー、あれだ」


 いまいち要領を得ないグラームの答えを待ちきれず自分でも索敵を開始した。


 空気中に微量の魔力を伝達させる。連鎖的に大気を伝わせることで周囲の三次元的な立体情報読み込む索敵魔法だ。物体が存在する場所には物体を(かたど)るようにして空気の存在しない空間ができてしまう。要は対象とは別の情報を取り入れることで、欲しい情報を得るという仕組みだ。効果範囲はそう広くないのだが…


「右後ろ、民家の影にひとりいるな。こいつは……」

「あれだろ、3日前お前に突っかかってきたやつだよな」

「……」


 モンテグスト側の人間か? とは、どうにも考えにくい。あの場にいた人間は恐らくクラティ氏にとって信用に足る使用人ばかりだったのだろう。


「放っておこう」

「そーかい」




 ※※※




「おいおいおいおい、いきなりカマすじゃねぇかよ」


 ロトルとグラームの前に立つのは猛禽の青年。ハヤブサ種だろうか。それはクラティ氏の使用人であり、真っ先にロトルを襲った青年。つまりは先程尾行をしていた者でもある。


「あなた方の邪魔はしない。俺は俺でやります」


 ハヤブサの青年はぶっきらぼうに言い放った。見れば脚には強化と増幅の護符が貼られている。鳥人の脚力を加えれば正門の破壊には充分な装備だろう。


「別に構わないと言いたいところだけど、こちらにも段取りというものがあったんだ。あなたには法的な加護もないというのに」

「…どうにでもなるでしょう」


 どうにでもなるというよりも、そんなことはわかっている。といったところだろうか。青年は振りかぶるようにして跳躍。翼を開き館の屋根に着地したと思えば、開いた窓から内部に侵入したようだ。


「あいつなんか勘違いしてねぇか…?」

「さぁな、どっちにしろこうなる予定だったし…手間は省けた」

「あー…早速きたぜ、ほら」


 扉を破壊した際に昏倒させられた2人のカラスをグラームが脚で退かす。前方には6人のカラスが迫っていた。


「あの竜人がやったに違いねぇ、ほかのやつらも呼んでこい!」


 この状況を傍目から見ればその推測は大変正しいものだろう。1人のカラスが屋敷の方に戻っていく。


「どういう了見でこんなことしやがったテメェら」「治安維持隊に突き出してやんぞ!」


 竜人のグラームには勝てないと踏んでか増援が来るまで一定の距離から叫びかけるカラス達。


「グラーム。段取りを説明するぞ。僕達は扉を壊してない。監査にきたものの冤罪で矛先が向いたため仕方なく正当防衛」

「そりゃあどうでもいいが、ほんとに"お前のいうやつら"はいるんだろうな?」

「十中八九いる」


 責め立てる叫びを無視して言葉を交わした。間もなくして館からぞろぞろとカラスが飛び出し、見る見るうちに視界が黒く埋め尽くされていく。


「なんだぁ、雑魚ばっかじゃねぇか」


 その落胆はボヤキに過ぎなかったが当然彼らの機嫌を損ねた。数を揃えて勢いを増したカラス達が猛然と襲いかかる。


「グラ」

「あんだ?」

「殺しはするなよ──」




 ※※※




 館の中にカラスが少ない。どうやらあの2人を(おとり)にすることに成功したようだ。


 主人の命を救った相手にあろう事か牙を剥いてしまった。そのうえで囮に使うなど、いくら謝っても足りはしないが、元よりこの館の連中を武力で大人しくさせようとしていた2人だ。どうにかできてしまうのだろう。そしてその後で、全てを謝罪しよう。


 ハヤブサの青年、グリンは館の中を駆け回った。無論監禁されているであろうミレディを探してだ。閉ざした部屋の様子を伺って開いたと同時に飛び込む。部屋の中で待機していたカラスの2人組が驚き立ち上がった…がそれよりも早くグリンは動きだす。


 グリンは護符によって増幅された脚力で床を蹴り爆速で距離を詰めた。胸元への強烈な足刀蹴りで1人を壁に叩き込む。


「この野郎っ!」


 着地した所に片割れのカラスが襲いかかった。(くちばし)を突き立てようと突進してきたカラスよりも深く身体を沈めて、肩口を敵の腹にめり込ませる。タックルの体勢のままカラスを反対側の壁までグイグイと押し込み、終いには押し付けた。


「ごがっ…ぐぁ」


 腹を万力のごとく挟み付けられたカラスは苦悶の声を上げる。


「ミレディ様はどこだ!」


 昏倒させずこの体勢に持ち込んだのは全てこのためだ。館は広く、ひとつひとつ部屋を回るというのは現実的ではない。そのためこうして内部の人間から聞き出す必要があった。


「は、話す!話すから…助けっ」


 腹から肩を離し、代わりに二の腕で胸元を押さえつけた。


「知っているんだな?」

「あ、ああ…知ってる。クラティんとこの娘だろ…。あの娘なら3階にあるフラック様の部屋の向かいにある部屋にいるさ」

「本当だな?」

「本当だよ、頼むから早く解放してくれ…」


 グリンは胸に押し付けていた右翼でそのまま裏拳を見舞う。カラスは糸の切れた人形のようにドサリと伏す。倒れたカラス達には見向きもせず青年は部屋を出た。




 ※※※




「や、やめ…ぅあっ!?」


 館の庭は地獄と化した。黒色の鳥人達がちぎっては投げと蹴散らされる。竜人は巨木のような腕を振るい、少年は小さな竜巻のような連打で何者も寄せ付けない。


 鳥人族を含む進化種──進化を繰り返して人型へと分岐したと考えられる者達──は貯蔵魔力量が少ないため魔法での戦いには向いていなかった。そのため、肉弾戦こそ願ってもない話であるのだがいかんせん格が違う。攻撃は全て無効。被弾は即昏倒。少ない魔力で撃ちこんだ遠距離魔法も竜人の硬い鱗には傷ひとつつかず、少年には届くことなく霧散した。


「もう無理だ、奴らを呼んでこい!」

「なんで最初から呼ばなかったんだ、クソッ」

「呼んでもこなかったんだよ!」


 悲鳴に交じるその言葉を、グラームは耳ざとく聞き逃さなかった。果敢に群がるカラスを腕と尻尾で払いのける。


「聞いたぜぇ、ロトル。やっぱ中にまだいやがるらしい!」

「ああ、さっさと片付けよう…あと7人か」


 敵の胸元に高速の掌打を見舞って残党に向き直った。


「ところでこの扉、僕達が壊したわけじゃないんですよ。僕達は本来カチコミでも暴漢でもなく、ある調査にきましてね」


 既にすくみあがった7人はその言葉を黙って聞き届けるしかできなかった。


「なにやらこの館には鳥人貴族、クラティ氏のご令嬢であるミレディ嬢が監禁されているとか…」

「ご、ご令嬢は確かにここ数日間宿泊しているが…と、当然合意のもとだ!?」

「左様ですか。あとは、そうですね……。違法ドラッグの製造をしているとか…」

「っな、そんなことは知らない! 言いがかりだ!」

「へぇ」


 ロトルが横薙ぎに腕を振るう。途端、叫んだ1人を除いて離れていたカラスの身体が踊るように弾け飛んだ。


「うぁぁぁぁぁ!?」


 自分だけが取り残されたという状況に耐えかねた最後のひとりが館へと走り出す。が、その疾走は謎の浮遊感によって無意味となった。


「おう、待て待て。背中は向けんなよ」


 カラスは自分が気づくこともできないうちに胴を鷲掴みにされていたのだ。ありえない。この竜人との距離は10m程も離れていたのだから。今しがたあれだけ大暴れしていながらもそんな俊敏さは見せていなかった。


「わかった、話す。話すから助けてくれ!」


 ひどく狼狽した様子のカラスは声を掛けると跳ねるように返事をする。よほどの恐怖だったのかいくつかの質問も答えを聞き出すのに時間を要した。


「だいたい必要な情報は入ったか…グラ、いくぞ」

「はっはぁっ、ほんとにいやがるたぁな!」

「ああ。最終的な目的地は地下だが、まずは3階だ──」




 ※※※




「ミレディ様!」


 3階にあるフラックの向かいの部屋。そこにミレディが監禁されているという。当然、どちらがフラックの部屋なのか検討もつかない。しかし、入った部屋にフラックがいれば当然の様に半殺しにしていた。早いか遅いかの違いだ。果たして開け放った扉の先にフラックはおらず…


「どーしたぃ、兄ちゃん。えらく(みょう)なところに迷い込んだもんだな、おい! 薬ならここにゃねぇぜ」


 快活、というよりもその言葉は(あざけ)る様にして発された。どうやら"こいつら"はグリンのことを薬でも求めてやってきた中毒者とでも勘違いしたのだろう。部屋の中にはフラックは愚かミレディすら居ない。まんまと騙されたのだ。


「おい、待て、ミレディというのは確か、坊やのお気に入りで、地下に監禁されている娘だ」

「今なんと……っっ!?」


 グリンが問い詰めにかかると始めに声をかけてきた1人がその巨躯を活かして腕を振り下ろした。グリンは全力で床を蹴りなんとか壁の隅まで回避する。


「つまり、鉄砲玉ってことか!ここまで来ただけあって暇つぶしにゃなりそうだな」


 鳥人族の中でも3m近くある大柄な体長。発達した胸筋。長い首から先端に伸びる硬い嘴に巨大で鋭利な爪。特徴的な坊主頭。


「1人で相手してやるからよ。打ち込んできな!」


 それはまさに鳥人族最強クラスの猛禽、ハゲワシ種だった。




 ※※※




「魔法も肉弾戦も大したことねぇ鳥人族たぁいえ、最強レベルとくりゃやってみる価値はあるわな」

「合法的に立ち会える機会といえば悪徳商会の本拠地くらいのものだろうとは踏んでいた。──戦後の産業発達で──戦闘に特化した連中は適応できないでいる奴らが多いからな」


 過去に3度あったと言われる種族戦争。


 1度目はそれぞれが勝利を望んだ混沌とした戦い。これにより絶滅した種族も少なくはない。


 2度目は進化種と原生種──竜人種のように文明発達以前から知能を有していたと考えられる種族──との間に差別的な摩擦が生じ、この戦いには原生種が勝利した。


 3度目は第2次種族戦争を蒸し返したものである。しかし、当然ながら再び劣勢に立たされた進化種側との間に、ある原生種が介入したことで進化種が降伏することを前提に悪くない停戦条約を両陣営がしぶしぶ承諾することで幕を下ろした。


 ──とのことだ。それ以来種族間の差別は更に少しずつ改善され今に至るわけだが、皮肉にもその時活躍した者達こそ現在における弱者であるケースが多いのだ。


「まぁオレも人のこた言えねぇからな。胸張れる仕事かどうかの違いだ」


 そう言って鼻で笑った時には既に3階へとたどり着いていた。さて、部屋が左の壁に沿って二つ、右の壁にはひとつ、最奥にもう一室。どれが目的の部屋だろうかと悩みはするが最終的にはおそらくその全てに用があることだろう。と片っ端からの突入を試みたその時、左側の部屋から机をひっくり返したような衝撃音が響いた。


「聞こえたな、あそこだ」


 音のした部屋のドアをゆっくりと開けると、そこには大きなハゲワシ種の鳥人族が2匹とハヤブサの青年の姿があった。


 青年はどうやら脚を折っているようでぐったりと壁にもたれかかっている。


「なんだい、また客かい?ここに薬はねぇって…」


 ハヤブサの青年を嬲るハゲワシが言い終える前に突如としてもう1人のハゲワシが襲いかかった。一直線な突進で距離を詰め、長い首を活かして左上からしなるような啄み。


 予め警戒していたロトルは右足を軸にしたスウェーバックによりすれすれのところで回避した。しかしそれも見越していたと言わんばかりに第二激の左アッパーが右下から打ち出される。素早く繰り出された二激目を躱すのは体勢的に無理があったため咄嗟に脇腹を肘で固めた。体格差は歴然。敵のハゲワシからすれば小動物のような少年を破壊するのに防御など無意味であった。


「フンッ!」


 ヒットと同時に更なる気勢を込めて渾身の力で振り抜く。ロトルの身体は当然宙を舞い、ドアの枠に激突した。それでも飽きたら無いのか未だ浮いた小躯にフィニッシュの右翼を振り下ろす。しかし、鈍い打撃音と同時に背を向けていた壁まで吹き飛ばされたのはハゲワシの方だった。いかなる魔法か、ロトルはきりもみ回転するようにして蹴りを見舞ったのだ。グリンのような強化と増幅による基本的な打撃に違いはないが、ロトルのそれはまるで質が違った。


「おいおいおい、大丈夫か、おまえ? 急に突っ込んだと思えば弾かれてんじゃねぇか」

「問題ない。それよりもやつは特別監査員だ。今ので仕留められれば僥倖というものだったのだが事前に手を打たれていたようだな…」


 少年は何事も無かったように着地して(たたず)んだ。右肘のカッターシャツは擦れたようにして破れているにも関わらずどうやら腕の方は大事ないようだ。


「グラ、あっちはお前にやる」

「おうよ、久々の分け合いっこじゃねぇか」


 ギラギラとした目つきの竜人が扉をくぐり抜ける。


「…弱いものいじめよりオレと遊ぼうぜ」

「肉質の硬い獲物は好みじゃねぇんだが…たまには歯ごたえも欲しくなるよなっ!」


 巨躯と巨躯が組み合うようにしてぶつかりあった。体格はグラームに分があるように思えたがハゲワシもすかさず嘴をグラームの肩めがけて打ち込んだ。反応してみせたグラームも右肩を寄せ、拮抗状態にあった右腕を無理矢理に剥がしつつそのままの勢いでショルダータックルをブチかます。

 

「ぐぅっ…」

「体格がちけぇといいもんだなァッ!」


 更に腹めがけて縮められた右腕を押し込むようにして突き出した。距離を取らされて怯んだ隙だらけの顔にめがけて容赦のない左ストレートでワンツー。ハゲワシは間一髪で首を(よじ)って回避するがたまらずたじろいだ。しかしグラームはお構い無しに距離を詰め、太い脚で強烈な前蹴り。胸元にクリーンヒットしたハゲワシは窓を砕いて庭に転落した。


「ちっと狭すぎるからな、外まで行ってくらぁ」


 後を追うようにして窓から飛び出すグラーム。鳥人族用の豪邸は3階もあれば20mはくだらない高さだが、強靭かつしなやかな両足で豪快に着地する。ハゲワシの方もなんとか空中で体勢を立て直したらしく、血走った眼でグラームを睨めつけていた。



「んなもんかよ、これじゃ2匹平らげても腹は膨れねぇな」

「っ、殺す!」


 先ほどの力任せなものとは裏腹に比較にならないほどのスピードで低い姿勢からグラームの右脇に潜り込んだ。折りたたんだ首を一気に引き伸ばすことで緩急のついた啄みがグラームの脇腹を捉えた。ハゲワシはブレーキをかけることなく、突き立てた勢いのまま裂くようにして通り抜ける。脇腹からドロリと血が流れていく。


「ちと、硬すぎる獲物だな」


 その言葉にグラームはただニヤリと笑った。




 ※※※




 ロトルともう1人のハゲワシはただ睨み合っていた。否、動けなかったのだ。ロトルはひしひしと感じていた。久しい強敵と対峙した喜びに(たかぶ)る自分を。


 ハゲワシは感じていた。直後の奇襲で仕留めきれなかった時点で、易々とは勝てないことを。今現在、自分が狩られる側の存在であるかもしれないことを。


 お互いにダメージはないに等しい。ハゲワシの攻撃はしっかりと段違いの強化魔法で固められた腕に阻まれ、鎖骨に叩き込まれたロトルの蹴りは多少の痛みこそあるが放出されたアドレナリンでほとんど気にならない。元々頑丈な身体なのだ。


「……さっきの」

「?」

「空中で身体を回転させるという芸当は一体どうやったんだ?」


 奇襲に失敗した以上、ハゲワシの勝利には致命傷箇所への不意打ちが好ましい。しかし距離が離れていては不意打ちは成立しないため話しかけることで歩み寄った。


「ああ、あれはただ身体を固定化して丁度いい方向に引っ張っただけだ。引力魔法を応用すれば誰だってできる」

「誰だってはできない。素晴らしい魔法技術だ。杖も護符もなしであれだけの精度とは恐れ入る。さぞ名のある魔法使いなのだろう。私の名はクルーグァ。そちらの名を聞いてもよいかな?」

「知ってるんだろ?だから僕を見てすぐに襲いかかったんだ」

「…これは失敬。なにぶん外見的な噂は鵜呑みにしない(たち)でね。確証はなかったが、あの一撃で充分証明されたな。やはり君は無杖(むじょう)の魔法使いと名高いロトルだったか」


 本来魔法使いとは杖を媒体(ばいたい)として魔法を扱うのがセオリーというものである。魔法を学ぶ者はまず初めに杖を握り、その後自分と得意魔法に合った媒体に持ち替えるはずであり、それは剣であったりペンであったり、中には楽器を媒体とする者もいる。つまり、自分自身以外の媒体を用いた方が、魔法というものは精度を高めることができるのだ。


 それがどうしたことか。この少年は媒体なしで魔法を駆使するばかりでなく、高度な白兵戦闘に強化や増幅といった単純な魔法でもない複雑な魔法を織り込んで見せた。無杖の魔法使いという呼称を耳にした時、噂に尾ひれのついたものだろうと考えたが、特別監査員としての功績が次々と転がり込んでくるにつれ、クルーグァの中にも警戒心が生まれた。頭の片隅に置いておく必要ができたと言うべきだろうか。


 しかし、クルーグァは警戒とともに魔法使いというものの壊し方を理解していた。要は、呪文を唱えたり魔法式を組み立てる前に終わらせればいいのだ。果たしてクルーグァはロトルと対面し敵を認識した瞬間には身体が動いたものだが、その奇襲も不発どころか返り討ちにあった。


「で…?」

「…?」

「いつ攻めてくるわけ?」

「──!?」


 寒気が走る。反射的に全身の羽毛が逆立ち硬直した。始めからクルーグァの不意打ちは勘付かれていたのだ。こうなれば持ち前の耐久力とリーチの差で魔力切れを狙う他にはなかった。


「ずぁっ!」


 右翼一閃。細かな軌道での鋭い振り抜きは小柄な身体を更に屈めることで翼の影に隠れられた。死角ではあるものの反撃を受けないために右脚を振り抜く。蹴りが少年のいたはずの空間に到達するよりも先に右脇を何かが通り抜けた。一撃目をダッキングで回避した少年は間髪入れずステップを踏み、後の蹴りをも躱していたのだ。先刻の蹴りとは異なり確実に両の足を地につけた反撃。背を向けるほどに振りかぶり、上体をそらして回転させる。拳は弧を描くようにして凄まじいスピードで放たれた。


『引力魔法を応用すれば』


 引力魔法とは、読んで字のごとく引き寄せる力。対象を自らの拳に設定し、引き寄せることでその威力をブーストさせることが目的だ。加えて外見に見合わぬ鍛えられた肉体は体格以上の膂力を持ち合わせ、増幅魔法によって更なる相乗効果を生み出す。


「っら…!!」

「……っは!?…ぐぉぉぉぉ」


 確実に当たるという確信を伴った一撃は渾身の力で振り抜かれた。身体の芯を正確に捉えたため余すことなく衝撃が伝えられ、何がなにやら認識できぬまま足が地面から離れる。背中を床に打ち付けそのまま2回転半。


 恐怖に駆られ即座に受け身をとると、両翼に力を込めて立ち上がった時ロトルは案の定突撃を開始していた。酷い嘔吐(おうと)感と折れたであろう肋骨(ろっこつ)など気にかける暇もなく、本能が応戦せねば負けると告げている。是が非でもと力を込めた脚で左に横っ飛び。大柄な身体をくるりと回転させて壁を足場に蹴伸(けの)びして飛び出した。鳥人族の特徴とも呼べる翼を広げ、文字通りの全身全霊をかけたタックル。


 虚をつかれたロトルは咄嗟にブレーキをかけたが、運悪く床に敷かれた絨毯で滑り体勢を崩した。これ以上ない好機。これだけの大質量攻撃ともなれば例え防がれようとも相当の魔力を消費する。人族の魔力量は進化種の中では比較的多い程度だ。クルーグァの勝機は潰えていない。


「──フィクセイション」


 何かを呟いた、と同時にロトルの挙動が一変した。転倒すると思われた身体が一瞬硬直。それは固定化による身体に働いていたあらゆる力の無効化であり、およそ慣性と呼べるものの全てを排除する魔法だった。崩れた体勢を立て直し改めて向き直る。何よりも感服すべきはこれらの動作を冷静にやってのけたことだ。


「アアアァァァァァァ!!」


 なるようにしかならないと悟ったクルーグァは絶叫した。せめて今のスリップが原因で対処に必要な時間が削られていればと願う。


「ふぅっ…!!」


 激突。ロトルはあろう事か身体を前傾させ、3倍以上体重が違うクルーグァの両肩に腕を(つか)えて押しとどめた。造りの良い床がミシリと軋音(あつおん)を立てる。


 凄絶な物理衝撃に頑丈であるだけクルーグァの両肩は悲痛な軋みを上げた。ドサリと横たわったハゲワシはあまりの苦痛に身を捩ることも叶わないようだ。(うめ)きながら降参の言葉を述べるがロトルからは大して聞き取れなかった。意識のないハヤブサの青年の方に目を向け静かに深呼吸。


「……やっぱデブ竜(グラーム)は後で殴ろう」




 ※※※




 幾度目かの風きり音。竜人も拳を振るって応戦するが、鋭い爪が太股を抉ってすれ違う。段々とハゲワシの動きに合わせてきているがそうこうしているうちにダメージは溜まってゆく一方だ。広い空間を使って一撃離脱を繰り返すこのワンパターンはわかっていても避け難いものだろう。


「全然ついてこれてねぇじゃねぇか?現生種最強格っても、ただの力任せだったんだな!」

「…!」


 脚に力を込めて突進。攻撃範囲内に入る間際に翼を大きく振るい左斜めに軌道を移した。長い首を器用にしならせ肩口を裂く。


 しかしながら、随分と硬い鱗だ。大木にも穴を開けるハゲワシの突貫が、浅い傷を負わせる程度にとどまる。すぐに身体を反転させ、次の攻撃に備えてめいいっぱいの力を込める。跳躍と同時に大きく翼をはためかせた。舞い上がった体のバランスを保ち、小さく旋回、急降下。


 いくら鱗が硬かろうと粘膜は防げまい。つまり狙うは眼球。竜人は血を流したことで呆然としたのか肩の傷を睨んでいた。ようやくこちらを向き直ったが既に迫りきっている。あとは正確に眼球を捉えるのみ。


 だったのだが、嘴の攻撃は鼻の頭に付いた小さな角によって弾かれた。


「ぬっ!?」


 太い首を横に振り、ハゲワシの攻撃を払う。しかしハゲワシもここで終わらない。身体を反らせて脚をもたげることで同じく眼球を爪で刺しにかかった。それすらもグラームは左手でキャッチ。気だるそうに後方へと投げられてしまった。ポイ捨てである。


「あー、くそ…。ちったぁ期待したのによ」

「なに?」


 受け身をとって再び構えたハゲワシはグラームの独り言に憤慨した。どうもこの竜人、未だ侮っているらしい。


(あれだけ傷だらけになりながら…。傷が……ない?)


「おまえ…、それはどういうことだ!?」

「あ?」

「傷はどうした!」


 固まった血で今まで判別できなかったが、確かに傷が癒えている。驚愕するハゲワシにグラームは何を言っているんだと眉を寄せた。


「どうしたもこうしたも治ったに決まってんだろうがよ」

「な、なんだと! 竜人の再生能力は死んだ時だけのはずだろ!?」

「再生能力?こりゃただの自然治癒だよ」


 肉体は最高レベルの膂力を有し、魔力貯蔵量も一級品の竜人種であるが、最大の特徴は不死の存在であるということだ。肉体が活動しなくなった場合、瞬く間に身体を再構築してしまう。ただし再生後は記憶の初期化が行われ、自らに与えられた名だけを持って新たに生きていくことになるが。不死であるためか繁殖行動を行わず、性別による区別も存在しない。そのため、記録上個体数そのものは一個体の例外を除いて、変化していないのである。


「ふざけやがって…」

「それによ、再生ってのは生きたままでも使えるんだぜ。ま、確かに他の竜人種(やつら)はどうにも要領が悪くてできねぇってのも多いけどよ」


 突然告げられたあまりの理不尽にハゲワシは地面を掻いた。絶大な防御力に加え、桁外れの回復力。一撃受ければ致命傷。このまま続けても消耗するのは自分の方であるのは火を見るより明らかだ。庭に放られて心底よかったと己の悪運に感謝する。館は既にほぼ壊滅状態。到底信じられないがあの様子ではクルーグァが勝てたという保証もない。であれば逃げの一手以外ありえなかった。


「チィッ!」


 舌打ちとともに大きく跳躍。先程も見せたように鳥人の身体は長距離を飛ぶことは叶わないが、滑空程度ならできるのだ。緩やかな降下角を確保して竜人に背を向ける。


「そりゃ最低の選択だな」


 10mはあろうかという(そら)。自らの領域であるその背後で声が聞こえた。




 ※※※




 ふと、グリンは覚醒した。全身の痛みで尚更頭が冴えてくる。


(……特に脚が痛む。そうだ、確かあのハゲワシに折られて……)


「あー、ホンット期待はずれもいいとこだったぜ」

「お前の相手、お前とキャラ被ってたな」

「どこがだよ!オォン!?」

「単細胞そうなところとか」

「テメーは帰ったら潰す」

「奇遇だな。ちょうどサンドバッグが欲しかったんだ」


「………」


 人が気を失っている間に随分と騒がしい。喧騒の元は例の2人だった。見れば凄惨なほど散らかった部屋の片隅にはあのハゲワシの1人が横たわっている。


(もう1人は…どこに消えたのだろうか…)


「お?」

「あ」


 2人がこちらに気づいた。おもむろに近づいてくる。勝手な行動をとった上で囮にされて、尻まで拭わされたのだ。何を言われても仕方あるまい。その上でしっかりと謝罪をする必要がある。


「すまない。気を失っているうちに応急処置くらいしておくべきだった」

「……は…?」


 何を言っているのかは理解できた。が、理解できなかった。


「回復魔法はそう得意でもないんだけど、まずその脚をどうにかしよう。少し真っ直ぐにするけど、我慢してくれ」

「いや…、まっ…ぅああぁ…あぁ…」


 待ってくれ。という前に丁寧だが躊躇なく脚を真っ直ぐに伸ばされる。


「長時間の硬化魔法をかける。効果期間内はどうあっても曲がることはないけれど、効果が切れるまでにそちらで添え木をしておいてくれ。他の止血は大概すんでるから…」

「い、いやいや…なんでここまでしてくれてるんですか…。…俺は俺でどうにかするって言ったじゃないですか…。俺はあなた達にあれだけ……」


 口にするうちに悔しさと情けなさと申し訳なさとがグチャグチャになって言葉が出てこなくなった。


「別に…。被害者がいればできる限りの対応をするのも仕事だからな。それに…」

「…?」

「この後モンテグストとフラックに話を聞かせてもらって、ミレディ嬢を救出に行く。放っておけば、這ってでも付いてきそうだからな。ひとまずの処置は終わった。後はあのデブ竜に運んでもらってくれ」


 自責に駆られても零れることは無かった雫を、不覚にも落としてしまった。


「ありがとうございます…ありがとうございます…」


 全てを詫び、全てを受け入れるつもりが、感激のあまり口をついて出たのはただただ感謝の言葉であった。




 ※※※




「ひ、ひぃ」


 向かいの部屋の扉を開けると。フラックと思わしき青年がひどく怯えた様子で身体を丸めている。カラスの(ことごと)くを散らされ、向かいの部屋では轟音を立てて大暴れしていたのだ。無理もない話だった。


「フラック・モンテグストだな?」

「……はい」


 震えた声で認める。


「……ば、罰ならなんだって受けます。僕が…僕が全部悪いんです…」

「……? 同行を願うのは変わらないが、まずここで事情の聴取を行いたい」

「僕が悪いんです…僕が…」

「ああそうだ! お前が悪いんだ。この小悪党めが!」


 痺れを切らしたようにグリンが食ってかかった。身体中に傷を負っているといながら今にも飛び出してしまいそうな勢いだったがグラームに背負われているためそれも叶わない。


「あぁ……ああぁ、やっと僕をしかってくれる人が…あぁぁっ!」


 その言葉には恐ろしさの中に確かな歓喜を孕んでいた。責め立てたグリンでさえも困惑した表情を見せ、嗚咽とも笑い声とも取れる奇声を眺めた。


「ミレディさんを助けに来たんだよね! 場所を教えるっ!」

「…そのつもりだが、貴方の父親にも用がある。先にそちらを済ませよう」


 話にならないと諦めたロトルが部屋を後にしようとした途端、フラックは掴みかかるというより、(すが)るようにしてロトルの腰に手を回した。


「パパは悪くないんです!すべて僕が悪かったんですぅ!だから、だからぁ…」

「それはこちらの調査次第だ。無罪であったのなら無罪なんだろう」


 一転して喚き始めるフラック、精神状態が酷く安定していないようで、陽気なグラームでさえ口を開かないでいた。


「……グラ、こいつも連れていくぞ」


 グラームは隠しもせずに顔を引き()らせたが反論することなく鷲掴みで持ち上げる。これ程ぞんざいに扱われても尚フラックは「パパは悪くない…僕が悪いんだ…」とうわ言をつぶやくことをやめなかった。


「行くぞ、次はモンテグストのところだ」

「モンテグスト氏なら奥の部屋には居なかったよ」

「!?」


 いままでこの場にいなかった第三者の声。全員が警戒したがロトルとグラームはすぐにうんざりした顔をした。


「あっはっはっ、呼び出しておいてその顔とはまたご挨拶だな孫達よ」

「クラティ氏の館で待機する予定だったろ…?あと孫じゃない」

「おう…、このガキならともかく、どうもオラァ孫って歳でも柄でもねぇよ…」


 姿を現したのは壮年の男性だった。潤いのある緑色の髪の毛をオールバックに、シワひとつない整った顔はあどけなさこそ見られないが、老け込んでいるようでもない。人族にしてはやや大きめの身体付きで、背筋をピンと張ったその人物は、総領(そうりょう)(きょく)局長のカロス・サラスミスだ。ロトルの所属する知性種(ちせいしゅ)総合(そうごう)取締(とりしまり)()はこの総領局の一部である。つまり上司も上司、施設内ではトップの人間であるのだ。しかし、そんな彼には裏表のないグラームでさえも狼狽した様子だった。


「そもそも、どうやってここまで来た…」

「なに、モンテグスト氏の館なら街中の誰しもが知っておる様子だったよ。こんなに大きな館であれば無理もないがね。たどり着いた後は魔力の使用痕を探ったんだが…相変わらず遠距離の魔法はほとんど使っとらんようだね、ロトル」

「妖怪め…小言を言いに来たんじゃないんだろ?」

「ああ、可愛い孫の仕事っぷりをこの目で拝もうと思ってね」


 すました顔でつらつらと述べるカロスにはロトルも調子を崩すようで、不機嫌な顔を引っさげていかにもな舌打ちをする。


「もういい、次に行く。モンテグストがこの階にいないとしたら外…とは考えにくいから地下に逃げたんだろ。手早く済ませよう」




 ※※※




 1階の物置部屋。下っ端カラス(仮)の話ではこの部屋に地下への通路があるという。物置というだけあってなかなかに広く湿気も少ない。少し散策してみれば通路はすぐに見つかった。蓋のような扉の周りにホコリが積もっておらず隣には車輪付きの大きなコンテナがあった。本来であればこれでカモフラージュされていたのだろうが、自らが入ったのだから当然内側からカモフラージュの復元はできない。


「案の定鍵内側から鍵をかけている…なっ!」


 魔法で強化された拳を躊躇なく叩き込み、鍵らしきものを手で探り当ててむしり取る。


「はぁ…冤罪記録はなしだというのに賠償金が(かさ)む理由がよくわかった…お前、ただの南京錠くらい魔法を使えば開けれるだろう?」

「こうした方が圧倒的に早い。いつもは戦闘中相手が壊したことにしてるしな」


 聞き捨てならない言葉だが流石のカロスも頭を痛くしたのか何も言わなかった。おもむろにポケットに手を突っ込んだロトルが取り出したのはガラス玉だ。以前使ったハナシガラスではなく、正真正銘ただのガラス玉であった。


「アルケミー・プリズム」


 手のひらのガラス玉は多面体に形を変える。錬金術の魔法で、本来ならば分子の置換による物質変換を行うことが主体の魔法だ。難易度もそれなりではあるが、造形を変える程度であれば少ない命令と魔力でこのようにできてしまう。


 続けてロトルは詠唱することなく小さな多面体ガラスの中に光を灯した。


「光を閉じ込めたのか。なかなか気の利いた魔法だな」


 打って変わって感心したようなカロスには目もくれず、ロトルはズンズンと先をゆく。地下にはコンテナが敷き詰められていた。ちょうど上の物置に置かれていたようなコンテナだ。()()()()()()()()()()()()()。最奥は茶色いレンガが、黄色の明かりに照らされている。


 ドアなどはついておらず、一つだけの曲がり角の先にあったものは、部屋というよりも広間のようであった。


「くそっ!」


 角を曲がったロトル達の姿を認めるなり、ふくよかなカラスが走り出した。行先には七面鳥の女性。人質に取るつもりだったのだろう。ロトルは咄嗟に加速し、2人の間の壁を蹴りつけて進路を絶つ。


「なんだ貴様は!何が目的なんだ」

「知性種総合取締課特別監査員のロトルです。本日は局長許可により監査ではなく調査に参りました」


 その声は暗く冷える地下空間を更に冷たくさせるような声色だった。感受性に乏しいロトルだが、胸中には「なにか気に食わない」という本能的な不快感を覚えたのだ。


「ぬぅ……なんの調査だ!?私がなにかしたかね」

「……あんた以前、人狼族(ワーフルフ)の街で人族の子供を競りに出してたろ?」

「おまえ、まさかあの時の…!?」


 ハッとして口をつぐんだ時には遅きに失した。


「加えて祝福の卵と呼称される危険ドラッグの製造、販売。一個人の監禁、証拠も充分だ。あとはあんたを査問会に引き渡して仕事は終わりだよ」

「は、はは、はっはははははっ!ははははははははははっ!」


 モンテグストは笑った。心底から可笑しそうに。仰け反るほどに。腹を抱えるほどに。表情筋が引き攣ったままになるほどに。そしてようやく長く長く息を吐いた。相対的にその場の全員が息を飲む。


「…気は済んだか?」

「ああ、済んださ! 彼女のおかげで気は済んだとも!」

「…どういうことなの?」


 ミレディが不安げに眉をひそめる。これだけの狂気を目の当たりにすれば無理もないことだった。


「ああ、ミレディ…。君にはずっと嘘をついていた…」

「やっぱり!?父が悪徳商法なんかに手を出していたなんて真っ赤な嘘だったのね!」

「ああ、そうだ、お前の父は進んでそんなことはしない」

「……じゃあやっぱり、それを黙っている代わりにフラックと結婚したうえで、この館にいてほしいというのも…!」

「ミレディ様…」


 激情に駆られたミレディにグリンが呼びかける。


「グリン!? ……強いあなたがそんなに傷だらけで…ごめんなさい」

「お気になさらず…。それよりも現状の真実をお伝えいたしましょう…。お嬢様がフラックめにたぶらかされたことにより、モンテグストはお嬢様を交渉材料に旦那様への取引を命じました。その取引というのが祝福の卵と呼ばれる危険ドラッグを旦那様の商会から売ることです」

「なんですって!?」


 モンテグストは再びクツクツと笑った。


「ああ、もう全て終わることだしな。昔話をしよう。私がまだ学徒だった頃の話だ。自分で言うのもなんだが、私は成績優秀な学徒だった。同級生にはクラティがいたが、やつは遊び呆けていたため大して頭もよくなかった。そんなやつが卒業をすれば商会を立ち上げるという。私と全く同じ目標を持っていたのだ!とはいえ私の方がやつより確実に優秀だった。私は稼ぐことに関しては一級品であったしな。汚い商売にも手を染めたし、大して不況に陥ったこともない。しかし…!」


 満足気に語るモンテグストが表情を一変させる。わなわなと手を震えさせては大袈裟に広げた。


「あのクラティは何度も何度も破産寸前まで落ちぶれた。にも関わらずやつはその度に持ち直した。そのうえやつは汚い商売など絶対に手を出さん!酷く不愉快だった。あらゆるものを手に入れたが、やつだけが私の持ってないものを持っているように思わされた。そうしていくうちに私にもやつにも子が生まれた。……なにが、なにが違ったのか!」

「パパ、泣かないで!僕が悪いんだよね…」

「……大丈夫だ、フラック。フラックは何も悪くない…」


 歩み寄ったフラックをやさしく抱くモンテグスト。事情を知るミレディ以外その場の者達は意味を理解できないでいた。


「グリン……。ひとつだけ訂正しておくわ…」

「はい?」

「今回の件、フラックにはなんの罪もないの。私が彼を好きになったことも本当だし、それが原因でモンテグストの館に監禁されたのも間違いはないけれど…、そこにフラックの意思は絡んでないのよ…」

「当然だ。障害を持つフラックにどうしてそんなことができようか!」

「なんと!?」


 モンテグストが声を荒らげる。それは本物の怒りであり、先程までの不安定な感情ではなかった。


「ああ、そうだ。クラティは私が持たなかったものばかりを持っていた!はっきりいって妬ましかった。やつにも私と同じ気持ちを味合わせたかった。そんな折君が来たんだ、ミレディ!館の従業員には面目(めんぼく)が立たないな。そもそも私は破滅する覚悟でこれを選んだのだから!そしてまんまと成功した。やつはドラッグを売って金儲けをしたんだ。ああ、本当に……痛快なことだ……」


 息子を抱きながら天井を仰ぐモンテグストは再び笑った。


「モンテグスト、これが何かわかるか?」


 ロトルがサスペンダーに繋がれたポーチから取り出したのは黒い点のある卵だ。ロトルの暗い瞳がモンテグストを見据える。


「わかるも何も、当然それは祝福の卵だ。私にとっての祝福である」

「ここに黒い点があるだろ?実はこれ、偽物なんだ」


 恍惚とした表情のモンテグストが目を剥いた。仰け反った身体を音がしそうな勢いで前傾させ、血走った目で睨みつける。


「どういうことだ!?卵が偽物だと?馬鹿な。その殻の製作工程は機密事項だ。いちから作ろうと思えば型だけでもとんでもない金額になるぞ!」

「うん、そのとんでもない金額を費やしたんだろう。それも超特急で。中身は興奮剤と精力剤の混ぜものらしい。あんたから仕入れる卵の分の金も、偽物の制作費も、全て自費で工面しつつ、クラティ氏は真っ当であることを貫いた」

「うそ…」

「ほぉ?」


 これにはミレディだけでなくカロスまでもが感服せざるを得なかった。


「要するに、あんたの思惑は全部パーだ」

「そんな…馬鹿な…馬鹿なことが…お前は…クラティは…それほどまでに…」


 モンテグストは意外にも早々(はやばや)と崩れ落ちた。後に残ったのはモンテグストを気遣う、息子フラックの言葉だけ──




 ※※※




「それにしてもロトル、なぜ私は呼ばれたんだい?」

「なんで呼ばれたかもわからないまま来る方も来る方だろ?」


 にべもない返答にカロスは「それもそうだがね…」と(うな)った。


「…………局長権限を借りるためだよ。僕はあくまで監査員だからな。捜査には事前の許可が要る」

「しかし、お前、仮にも特別監査員なのだから…。これまで事後報告でもある程度融通を利かしてきただろう?」


「るさいなぁ」と心底から呟いては先を歩くロトル。


「要するに、現場には現場に居合わせた人間にしかできない。適切な処置があるだろ?」

「……ふ、…あっはっはっはっ、なるほどなぁ! お前、そういうの柄じゃないしなぁ!」


 合点がいった途端、カロスは盛大に笑った。


「僕は先に帰る」

「それは構わんが、きっとお礼の一つや二つじゃすまんようなもてなしがあると思うぞ?」


 とは言ってみたものの、ロトルは無視を決め込んで人混みに紛れる。カロスには「それが嫌なんだ」と言わずとも聞こえた気がした。




 ※※※




 ────2週間後


 かくして事件は幕を閉じた。モンテグスト商会の総罪数は二桁を軽く越し、重罪にあたる罪も重複していたため責任者と幹部は問答無用の無期懲役判決。商会そのものが解体。当然、この事件に関わったクラティ氏側は危険ドラッグ取締法に抵触していた。


 しかし──


「今回の事件で、クラティ商会が違法ドラッグである祝福の卵を所持していたことに関しては、脅迫による力が働いたものである証拠が取れております。その上で、あなた方は本物の祝福の卵を流出させなかったという事実の確認により、査問会での話し合いの元に不問と致します」


 当然というか、律儀なクラティ氏はばつの悪い顔をしたばかりか、意を唱えたという。これに対しカロスは


「では、代わりと言ってはなんですが、フラック君を預かってはくれませんか。それが貴方がたへの罰ということでどうでしょう?」


 どうでしょう?ではない、と言いたいところだが、クラティ氏はこれに納得し、フラックのことを何も知らないままでいたことを本人に謝罪したそうだ。


「クラティ殿はお前とグラームに改めてお礼に伺うと言っておったよ」

「勘弁してくれ…」

「それと、これは土産だ。どうも試作品らしいんだがね。偽の祝福の卵を作るために生産された型を使って新しく開発したそうな。何やら空気にふれると発熱して煙を出す物質が内包されているようで、殻に穴を開けることで(こう)の役割を果たすらしい」


 なんとも(たくま)しい限りだ…。破産寸前まで陥ったその悉くを回避してきたというが…。


「どれ」とひとつを机に叩きつけて割ってみせるカロス。小さな亀裂が薄い白煙を吹き始める。


「……こりゃ商会も潰れないわけだ…」


 呆れ半分のロトル。普段茶の匂いくらいしかしない局長室は、マリーゴールドの匂いでいっぱいになった。









 どうやら防虫剤らしい……。

虚ろのロトル3話。愛読いただき誠にありがとうございます。


今回の話、個人的には戦闘シーンに加えて出したかったキャラクターを出せたため書いていて大変楽しいものでした。


しかし、筆が乗りすぎたのもあって予定していたボリュームを大幅に超過してしまいました。


モチベーションを保持する目的で細部はその途中途中で書き表しているためそもそも想定文字数というものは毎度あてにならないのですが…。


何を隠そう、今回のタイトル及びラストについては土壇場で決定したものだったりします。隠した方がかっこよかったですかね…?


毎度のことですがスペシャルサンクスGoogle先生!いつもお世話になっています!!


ここまでお付き合い頂き改めて感謝いたします!第4話も、いつも通り書きあがり次第更新したいと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。

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