道化師ピエロ
行きと帰りとでは景色が違う。だから道に迷うのだろうか。
同じ光景のはずなのに、視点によっては全く別のものに見える。よく絵画でもあるじゃん? 普通に見るとおじさんだけど、上下ひっくり返して見てみると美少女に見えるとか。ある人には横を向いている男性に見えるが、ある人には正面を向いた女性に見えるとか。
樹なんてどの角度から見ても同じだなんて以前は思っていたが、意外と風格があるように見えたりする。影とか、樹の筋とか、その方向からでしか見えないものが見える。雲は動き続けるし、光の量もその時々によって微妙に変わる。陰で黒く見えていたところが深緑に見えたり、また黒くなったり。そのグラデーションも千差万別、支離滅裂。無為自然、百載無窮。とにかく退屈せずに歩いていけた。
谷川を左手に、アスファルトに変わった地面を強く蹴る。高校時代、夜勤明けのバイト先から学校に走って行ったのを思い出す。ちょうどこのぐらいの時間だった。バックパックのリュックを背負って走るのだけれど、どうも背中で荷物が上下に揺れて落ち着かない。心地よく走れない。両肩のショルダーハーネスを両手でそれぞれ握りながら走る。それでも、多少の揺れは感じる。
止まったり、歩いたり、それでもやっと学校に着くと、達成感があった。「はあ、やっと着いた」じゃなくて、「やった、着いた」と。
毎日が小さな目標だらけだった――。
荷物の重みはない。肩甲骨は動く。腕も振れる。汗こそ出るものの、着替えは実家に帰ってからでいい。
以前田舎に帰って来た際、戻ってきてからまず行ったのは実家だった。一応、来る前に母親に帰ることは伝えたが、「ああそう」ぐらいの反応で、私が居ようが居なかろうが、いつもと同じ家庭であることには変わりないであろうと思っていた。実際、帰ったときは誰もいなかった。鍵も、実家暮らしのときと変わらず、玄関横の植木鉢の裏に入っていた。
玄関のドアを開けても、懐かしいな、なんて思わなかった。寧ろ、こんなんだったっけと思ったのが正直なところ。まるで他人の家だった。
ポケットからハンカチを出し、キャリーバッグのタイヤを拭く。靴を脱いで段差の高い階段を上り、折り返しの廊下を渡って姉と私の部屋に入る。机とベッドの位置は変わっていなかった。ただ、一番印象深い姉の私物が綺麗にまとめられていた。まとめられていたとは言っても、段ボールがある訳ではない。百均で買ったような色鮮やかな収納ボックスに、手前から服、服、服、服、アクセサリー、下着、バッグ。姉は結婚して実家を出ているにもかかわらず、もはや、この部屋に姉が住んでいるかの様だった。
ドア付近に多く物が置いてあったので、奥にキャリーバッグを置こうと進む。窓際に置いた。
これがつい昨日、山奥のアトリエに行く前に実家に帰ってきたときの話だ。
そのことを思い出し、またその光景をたどるように私は窓際に寄っていった。
置いてあったキャリーバッグに手をかけ、ファスナーを横に引く。開ける。
財布だけポケットへとしまった。誰かさんの落とし物を見つけたが、その封は開けられることなく、キャリーバックの中へ閉じ込めた。重いキャリーバックを引きずらないようにと片手で引き上げて運び、一歩ずつ重い足取りで階段を下りた。玄関のタイルにキャリーバッグを置き、自分はリビングに出た。
朝なのに誰もいないリビング。
机の上の新聞。
斜めに置かれたテレビのリモコン。
雑に落ちているエアコンのリモコン。
カーテンは薄緑で、朝の眩しい光を弱めて孤独なのにそれを手助けするような、憐みの光が漏れていた。
視線を変えた。
誰もいなくても、時計の振り子だけは止まらずに動き続けていた。それと一緒に飾りのピエロも左右に揺れる。赤と青のピエロ。手を繋いでいる。道化師特有のメイクで口は引き裂かれたように大きく吊り上がっている。妙に顔が白くて、赤い口紅と赤いアイラインが際立つ。
誰もいないのに、道化師は笑ってくれている。いつまでも、いつまでも。何かを忘れた大人に気づいてもらえずに、今も時計の一部として働き続ける。そんな生命が宿っていないピエロによって郷愁を抱いてしまった。
生命はなくても、命はある。さすがクラウンだ。騙された。
私は思い残すことなくリビングを出た。どうせまた戻ってくる。勢いよく玄関のドアを押し、背筋を伸ばす。キャリーバッグを忘れずに引き出し、鍵を閉めた。鍵は鉢の下へ。
食品を求めて、街までのまた長い道のりが続く。




