suspect? doubt?
白い光が見える。埃が舞っている。いや、埃はへばりついている。そこはレトロな空間で景色は濁って青白い。薄いガラスの窓から薄白い明かりが射しこんでいて、バタバタと音を立てている。焦点を広げれば、屋根が音を立てていたことを理解する。懐かしい……。ここでの睡眠。
雰囲気は暗いのに、黒が生える空間。髪が揺れただけでもわかる。
彼女はそこにいなかった。
ソファアに寝転がる。掃除をしたとはいえ、汚いものは汚い。と誰かは言うのかもしれない。でも、私に汚いと綺麗の概念はない。本当にないのかと言われれば、それはイエスとは答えられない。多少なりとも葛藤はある。親から埃をかぶったソファが汚いと教わらなければ、一生掃除なんてしなかっただろう。現に掃除してしまっている。
花火が、なぜ綺麗なのか。誰かが綺麗と言ったからだ。
あの子は美人だ。私もそう思う。
汗臭い。その匂いは汚いのか?
これは綺麗なものなんだ、汚いものなんだと、何かに促されたに過ぎない。自分で気づくことこそが、本当の感性だと思っていた――。
でも見当たらないんだ。花火を貶す自分も、美人なあの子をブスだと蔑む自分もどこにも見当たらない。花火はこれほどなく人の心に纏わりついて、夏の記憶を思い出させるし、美人が見せる様々な角度からのスナップ写真は、あら捜しする方が間違っていると思わせられるくらいの艶麗。
いつかすべての概念が覆る。人間が弱者で、蟻が強者。何も感じず靴で踏みつぶせていた彼らを、踏んだら法律違反と言われる日がいつか訪れるのではないか。
「来ないわなー」
雨粒の音が弱まってきた。雨が降っているのに明るいのはどうも落ち着く。本当は家の中が暗いはずなのに、雨がそれを調和する。雨粒自体は色味がないのに、雨は暗いはずなのに。
私はソファから体を起こし、立って入口のドアを開けた。数センチの高さのタイルに腰を下ろす。一応屋根の下のはずだが、雨粒は脚にぽたぽたと一定の早さで触れる。一度樹に触れた雨粒が大きさを変えて落ちてきているのだろうか。重さが感じられる。
「裸足で歩くのか」
呟いたのか、彼女に向けていったのかは定かではない。そう思っただけだ。
「あ……」
「ちなみに、この家は靴脱がなくていい家だから。ほら、床汚いでしょ?」
私が足の裏を見て見な、と促すと彼女はつられて自分の足の裏を見た。案の定足の甲に対して黒くてすすけている。
「あの、あたし、」
必死の形相がどうもその意思の強さを感じさせた。だから、その先の言葉を私は拒んだ。
「誰にでもさ、裏表ってあるんだよ。影の部分がある。まあ、雰囲気的に君の場合は逆だと思うけど……。まあ、何というか、疲れたらさ、休めばいいんだよ。俺の家だったら全然大丈夫だし」
そう言い残して、私は部屋に戻った。格好いい自分を見繕おうとしても、選び抜けるほどの材料は散らばっていなかった。だからこうやっていつもどこかのドラマで出てきそうな言葉を見繕って、自分を正当化する。
見知らぬドラマの主人公を憑依させたまま、この暗い空間に電気をつけようとする。が、つかなかった。だって発電してないからね。振り向くと、簡易の太陽光パネルはすぐそこの棚に立てかけてある。
当初の予定だと、本当は一度ここへ来ていろいろ準備をして実家に帰るはずだった。のはずが、いくらか眠りについてしまったようだった。だから何か食べようにも食料も何も買って来ていないのだ。
今からこの山を下るのは気が引けた。今夜は暗そうだ。
暗いのなら、さっさと寝てしまえばいい。つい昨日までは人で溢れ返った都会にいて、頭が唸るようなデスクワークに励み、こなし、気が滅入っていたはずだろう。再び寝ても、数十時間目が覚めない自信があった。
気づけば、空腹に気がつかないくらい、社会で生きていたのだ。
誰かが、「働くことが生きることだ」と言うなら、今の私は死んでいる。
誰かが、「食べなければ生きていけない」と言うなら、今の私は死んでいる。
誰かが、「夜に電気がないと暗い」と言うなら、今の私は明るい。
誰かが、「夢みたい」と言ったら、私は、「この世界は幻だ」と言ってやる。天井を見ながら――。
私は汚いともとれる床に仰向けになった。瞼を閉じる。そして、意識が瞼の裏の闇に消えるのを待った。
しばらくしてドアが開くような音がしたが、私は目を閉じたままだった。気にすることはない。どうせ彼女が入ってきただけだ。だけなのか……?
ここで死ぬのも悪くない。寝ているうちに死ねるのなら幸いかもな。頭の中でドアの開く音が残りつつも、私はゆっくりと瞼の裏の世界へと沈んでいった。




