shut out
怒りは体力を消耗させる。怒りに限らず、感情の起伏は精神を疲れさせる。それを知ったときに、「じゃあ目を瞑ればいいのか」と馬鹿なことを考えた。電車の中で目を瞑るならまだしも、目を瞑りながら歩いたり、仕事をするなんて以ての外だった。生きてはいけない。生きづらい。でも、目の不自由な人は、それでも生きている。
学生時代は、夜は複数のコンビニ、昼間はホームセンターでアルバイトをしていた。規模はそれほど大きくない。田舎染みたホームセンター。コンビニに至っては、どこにでもある一般的なもの。
この頃に私が思っていたのは、生涯年収に値するほどの金を稼いで、三十を過ぎたら造った城で一人気長に暮らしていこうということだった。だから、それを達成すべく寝ないで働くなんていうのはざらだった。
だが、目標達成のために情熱を注いで毎日励んでいるのではなく、なんとなくという気心でアルバイト先に通っていた。他にすることがなかった、興味をそそるものがなかったというのも一つの理由だった。今思うと、それだけ肉体労働をしていたのになぜ体調に異変が出なかったのか不思議なくらいである。
高校時代からアルバイトはしていた。高校の部活には入らず、近くのコンビニで働き続けた。大学に入ってからは拠点をホームセンターに移して、コマ単位でシフトを入れた。そのために、アパートからバイト先までは歩いて五分のところを選び、大学も行くための最寄り駅まで歩いて十五分弱。電車一本で三十分かけて大学につく距離に住んでいた。
そこまでするのなら大学に行かなくてもいいのでは、と思うかもしれないのだが、これは母親との約束であった。
「好き勝手やらせてあげているのだから、大学にはちゃんと四年間通って、ちゃんと卒業しなさい」
と、会うたびに、何度も何度も念入りにくどいくらいに頭に押し込まれた。お金は払ってあげているんだからと。それを無駄にするつもりなの? と。同時に「だったら高い金払ってまでして大学に行く必要あるか?」と疑問が生じたが、そんなことを面と向かって言えるほどちゃんと育ってきた覚えもなければ自覚もない。言えないよな。好き勝手やらせていただいているので、それだけは承知いたしました。心に刻んだ。
両親が働いたお金で生きていることは、重々承知していた。感謝していた。わかっているからこそ、働いた。誰かに養ってもらうっていうのは、なんか申し訳ない気がした。たとえ長年付き合ってきた、一つ屋根の下で行動を共にしてきた両親であったとしてもだ。
こんな生活を送っていたことは、何かきっかけがあったからという訳ではないと思う。あったのかもしれないが、未だに疑問であるし、不思議な感覚だ。何をきっかけに山奥で暮らしたいと羨望したのかも覚えていないくらいである。
幼少の頃はあまり覚えていない。あったかい想い出もあったかもしれない。しかし、我が家は円満な家族とは程遠く、父親は私の行動や家庭にあまり口出しをせず、仕事一筋みたいな性格だった。中学時代、休日に父親と二人きりになっても、言葉なんか交わす雰囲気ではない。たまに「学校はどうだ」なんてありきたりなことを聞いてくるのだが、「それなりに」などと濁して私は答える。その返答に父親は、それ以上追及しようとはしなかった。
母親は母親で、いい意味で父親に従順だった。確かに父親様様であったのも確かだったが、父親の反応は実際薄い。母親が敬語でおだてても、「ああ」とか「そーか」と、曖昧な返事しか返ってこない。そう考えると、それがねじれて私に遺伝したのかもしれないと思ってしまってもおかしくないのではないだろうか。そのせいにするほどではないが……ねえ?
姉が一人いたが、私と違って彼女は優秀で、よく一緒に比べられた。「姉を見習いなさい。どうしてあんたはこんな風に育ってしまったのかしらね」とよく母親に言われた。姉の出来がいいせいで、私のウィークポイントがより一層浮き彫りになる。芸能人のキラキラした女性と、一般人の男性を並べたときの不釣り合いな感じ。絵にならないというか、合わない訳ではないのだが、微妙……みたいな。正にあれだった。
だが、こんなことを言われたのも中学までで、高校に入ってからは呆れられたのか面倒になったのかは知らないが、「大学はちゃんと卒業しなさい」ということ以外は何も言われなくなった。寧ろ、今思えば今まで私のわがままに乗ってくれていたのかもしれない。許容してくれたのかもしれない。そう考えると恨めないのだ。
もうおわかりだろうが、姉はそれなりに美人だった。それなりにと付けたのは、嫉みとか羨ましいからではない。実際にそう思うからである。目はそんなに大きくないのだが、細目でも美人な人がいるのはご存じだろう。簡単に言えば田舎にしては、って感じだろうか。それも違う気がするけど……。
清楚と言うよりは、ストリート系のカジュアルな感じ、とでも言おうか。黒いレザーのシューズ。ダメージの入った黒スキニーによって太ももや膝は大きく露出。バニーガールの履く網タイツみたいだった。まあそれは言いすぎだが、田舎者の私から見ればそれと同等に見えた。トップスはまだましで、白のTシャツに黒のコーチジャケット。たまに帽子も被っていた。当然清楚とはかけ離れた帽子だけれど。後はピアス。似合ってはいたが、どこか違和感があった。黙ってさえいれば可愛いものだけれど、話し出すと見た目と声のギャップにやられる。「めっちゃ清楚やん」って。
田舎に住んでいたものだから、そんな服どこで買うんだよと思ったことがあったが、すぐにはっきりした。ポストに入っている不在票がその証拠。気がつけば家には段ボールが山積みになるくらい増えていて、たまに家に帰ると彼女の服もつられて山積みになっていた。
ちなみに、私と彼女の部屋は一緒であった。二段ベッドと勉強机が二つあるだけの狭い部屋。昔は仲良く使っていたが、私が東京に出てからは彼女の私物で溢れていることだろう。実際、上京するまでの高校時代までは、バイトをしまくっていた私だったので家に帰ることが少なく、当然私の勉強机は彼女のクローゼット化していた。
連日の夜勤で疲れ果てていたときに、店長が親切に「今日はもう帰っていいよ。宝生君の目、死んでるから。お客様に伝染しちゃう」と冗談半分に上がらせてくれたことがあった。というか、この頃の高校生で夜勤は許されていたのだっけ?
真夜中の誰も乗らないアスファルトの上を、賞味期限切れの菓子パンを食べながらひたひたと歩き、ただでパンを食べられていることに心からの感謝と、歩きながら食べるパンの旨さに感動しながらありがたく家に帰らせていただいたときに、自分の部屋に知らない男がいたことは今でも忘れない。まさに同衾の真っ最中。仰向けになっていた姉を覆うようにかぶさっていた男は、もう就寝しているだろう親を起こさないようにとひっそりと部屋に入った私に気がつかなかっただろう。が、姉とはちゃんと目が合った。内心、びっくりするぐらい驚かなかった。声も出なかったし、身体も振れなかった。
部分的とはいえ、姉は弟に裸を見られたというのにもかかわらず、顔色一つ変えず、目で、「ごめん」と訴えていたのがわかった。
何処か悲しい気分だった。兄弟喧嘩をする者たちにとっては鬱陶しいだけなのかもしれないが、しない者にとっては少し憧れていたりするのだ。
姉は謙虚すぎた。他人と思えるくらいに。もはや仲の良い女友達と呼んでもいいくらいだった。
「ずいぶん早い出勤だね」
「俺はお呼びじゃなかったようなので」
「そう。でも、目は治っちゃったみたいだね」
結局、バイト先の事務所で寝た。
高校生で家に帰らないことが多くても、親には特に何も言われなかった。その時点でもう見放されているな、ということがはっきりわかった。
親とは今でも話す前は緊張するのだが、姉とは今でも仲がいい。今もメールは続いていて、たまに二人で出かけることもあるくらいで、一緒に飯を食べながら愚痴を聞いたり……。姉にもいろいろと事情があるようだった。不満があるようだった。完璧に見える彼女も、実は普通の女の子で、嫌われないようにだとか人間関係に気を使っているのだそうだ。目で見ただけではわからない、努力の塊が彼女の中には埋まっている。
歪に見える人ほど綺麗だったりもするのかな、なんて思っちゃうくらい印象的な姉で、彼女との会話はこれからの人間関係に役立ちそうだった。まあ、あまり参考にできる人間関係ではないのだが。
大学に入ってからのバイト先のホームセンターは、もはや、私の家と言っていいほどだった。アパートにいるよりもそこで過ごす時間の方が圧倒的に長かった。
毎回毎回レジに立っていると、いろんな人が来る。顔見知りのように普通に話しかけてくるマダムもいれば、理不尽に怒鳴り散らして帰られるお客様もいる。最初こそいらだったものの、「アルバイトだし」とちゃんと割り切っていた。
視覚障害を持った方を生で見たのは、このときが初めてだった。
品出しをしていた私は、店が混んできたせいでレジに入るよう呼び出された。急いでレジに入り、もう何千回と発したであろう「お次でお待ちのお客様どうぞー」という声をかけた。だが、誰も来ない。もう一度声をかけても反応が鈍い。すると、隣のレジに向かっていた一人の中年男性が、私の声につられてかゆっくりとこちらを向いた。
「大変お待たせいたしました。お預かりいたします」と言った私だったが、お預かりするべき商品がないことに気がついた。
「どうかなさいましたか?」
そう聞くと、男性は、「洗濯の洗剤はどこですか」と答えた。
私は「ああ」と相槌をうった。こうやって商品の置かれている場所を聞かれることは少なくなかったからだ。スーパーではあまり質問している姿を見かけないのだが、なぜかそういう人がここにはいる。
こう聞かれた場合、店のマニュアルとしては、商品の置かれた場所まで案内するということになっている。だから、マニュアル通りご案内しようとした。
無造作に歩き始めた私だったが、確認するように後ろを振り返ると、中年男性はレジからまだ動き出せていなかった。そのときなんとなく理解した。目が見えないのかと。
見た目は一般人と変わらないから気づくのが遅れたが、彼は白杖を脇に抱えていた。床に付けているわけではない。だから、まだ使いこなせていないのかなと思い、その感情に促されてか、まだ目が不自由になって間もないのかなとも勝手に思った。
すぐに彼の元に戻り、声をかけた。
「ここまっすぐ進んでください」
「……あ、はい……」
おぼつかない脚で、不安そうに歩き始める。
「ここ左です」
そのとき壁に肩をかすめながら曲がった中年男性を見て、私の指示によって彼が動いているんだという実感がわいた。私の手によって彼がぶつかるもぶつからないも決められてしまうのだと。
一気に、血の気が引いた。
気を引き締める。
「どういった種類の洗剤をお探しですか?」
「えっと、箱の、粉の洗剤で」
「あっと、ええと、いろんなメーカーのものがあるんですけど……」
「全部言ってもらえますか?」
そう言われてそこにあった洗剤のメーカーを端から一つずつ言っていった。
そして、好みの洗剤を見つけ、「確認していいですか?」と彼が言うので手渡すと、彼は神妙な面持ちでそれを手のひらでなぞっていた。
箱であることを確認して、さてレジに行こうかとしたとき。
「あの……腕…摑まってもいいですか……」
それは弱弱しい、不安げな声だった。
「ああはい。私でよろしければ」
そう私が言うと、さっきとは打って変わった速さで私の腕に摑まった。足取りもさっきと比べて早い。腕に摑まるというだけでこんなにも変わってしまうものなのか。一人の不安がよぎった。
いくらか視線を感じたが、羞恥はなかった。別にこの店にいる顔見知りなんて店員意外誰もいない訳だし。ただ、初めて会った見ず知らずの男にまだ彼女もできたことがない俺の右腕を取られたということには、少しの空虚が頭を撫でた。だが、すぐに非情になる。
腕に摑まっているとはいえ、目が見えていないということには変わりがないので、一応進む方向は口で伝えた。「ここ右に曲がります」のように。
そうして着いたレジで会計を済ます。彼は小銭を何度も何度も指の腹で触って確かめ、それを私に差し出した。
「三百六十円ですね」
私がそう言うと、彼は二回頷いた。
私が居なくなっていたせいでレジは行列になっていた。だから、ありがとうございましたと言った後は彼の姿を見送ることができなかった。だが、横目で視界の端から薄く確認できたときは、普通に歩いて出ていったように見えた。
非日常の一片のおかげで、その後のレジではずっとその男性のことを考えてしまっていた。もしかしたら、ちゃんと買ってこれるか練習させられてたのかなとか、祖型な推測が頭をかすめて消えなかった。
それからだ。
目が見えない方がよっぽど疲れる。じゃあ、目を開けて、現実を見て、どう行動すればいいのかを結局は考えなくてはいけなくなる。正しい方向へ歩くことを無意識に選び抜くのは、私にとっては難しいことだ。誰かがそれを得意にしていたとしても、生きているのは私だ。苦い思いをしているのは私自身。何か変化を起こさなければならないと思う一方で、自分の欲に抗わず、そのまま、ありのままに生きていこうと思ってしまう。
生きたいように生きて何が悪いんだろう。
死にたいように死んで何が悪い。
どこかで、光を望んでいないのであればの話だが。




