【番外編】 119番
僕は今日、すごいものを見てしまった。
パーカーやブーツを買っていってくれた高校生の女の子が、買った服を着て帰ったのだが、あろうことかローファーを忘れて帰ってしまった。次に試着室を使ったお客様に言われるまで気がつかなかった。
まだそんなに時間は立っていなかったので、一応追いかけてみた。もういないだろうか、そう思いかけたときに、目の前に男と見覚えのある服装の女の子がいた。
僕は声を掛けようとした。でも、「おきゃ、」まで言って息を飲んでしまった。
その男は、よく見るとガタイがよくて、服装は僕と似ているものの、喧嘩になったら勝てそうになかった。要するに怖気づいたのだ。
ただ、そのまま引き返すこともできず、二人の後を追うことにした。様子を見て、彼女が一人になったところでローファーを渡す。この作戦で行こうと。
二人をつけていくと、住宅街に入っていき、一軒の家の中へ入っていった。
彼女が出てくるまで待っていた――。
結構長い。もう少しで一時間になる。そう思っていたらちょうど出てきた。
僕は声を掛けようとした。「お客様! ローファーをお忘れですよ」とたったこれだけの言葉を言おうとした。なのに……。
「僕はダメ人間だあ」
圧倒的美女オーラに怖気づいてしまった。
男にも女にも怖気づくとは何たる失態。でも、そこでひらめく。
「そうだ! ポイントカード作ってもらったんだった!」
僕の店のポイントカードは、電話番号登録が必須である。だから、その電話番号に電話して取りに来てもらえばいいんだ! そうだ、それがいい!
気分上々で、ルンルンで帰ろうと思った。だが、またしても事件は起こる。彼女が出てきた家の中から、うめき声が聞こえるのだ。
「さ、さっきの男の人かな……」
こういうとき、僕はほっとけない性格になる。めんどくさいよね。
鍵が開いているのはわかっていたので、家の中には入ってみることにした。
恐る恐る家のドアを開けた。
「お邪魔しまーす」
ゆっくりと音をたてないようにドアを閉め、爪先からそろりそろりと家の中に入る。物語の泥棒かって。
すり足でリビングに入ると、足が濡れたような感じがした。視線を落とせば、
「ああああああああ!」
白い靴下は血で染まり、真赤な血の海がそこにあった。
「だ……誰か……いるのか…………」
「あ、あ、あ、あ、あ、ご、ごごごめんなさい!! 許してください! 僕じゃないんですー!」
「そんなことは……わかってるから、早く……助けて、くれ……」
そうだ。早く助けねばならない。そう思った僕は、洗面所や寝室からタオルや洋服をかっぱらってきて、傷口を止血した。それと同時に、救急車も呼んだ。
生まれて初めて一一九に電話をかけたよ。
「ああー。人助けしちゃったよ。もうびっくり」
半ば興奮気味に、同僚に話しかける。
「お前にしてはよくやったよな。その身なりして小心者なのに」
「え、正直者? それって褒めてる? 珍しいなあ、お前が褒めてくれるなんて」
「馬鹿馬鹿。全然褒めてないから。小心者っつったんだし」
同僚は呆れるように腕を組みなおす。
「で、そのローファーはいつまで持ってるつもりなんだ?」
「あ! 忘れてた! そうそう。電話しなきゃいけないんだよ。電話電話。我ながら自分を褒めたいくらいの気づきだったなあ」
「いや、自己完結するなや。話が見えん」
「お客様の忘れ物。電話しなきゃ」
ローファーを素早く床に置き、またも溜息をつく同僚を傍らに、レジの下の引き出しから先ほど書いてもらった申込用紙を取り出そうと開ける。
「あれ?」
先ほどしまったはずの申込用紙が見当たらない。
「おーい。申込用紙っていつもここに入れてるよね? 知らない?」
僕は、引き出しを指さしながら言う。
「一応そこだな」
「だよなあー。おっかしーなー」
どこかに落ちてしまったのではないかと思い、ガサゴソとレジ周辺をあさってみる。後ろの棚やレジの横。たくさん探したが見当たらない。
「ああ、めんどくさ。まあいっか。別に」
そう呟いてふと我に返る。
「僕、何でこんなことしてたんだっけ?」




