半透明
私はまたも呆然としていた。この映像に出てきた男。これは紛れもなく私自身だった。だが、私はこんな山奥の家に言ったことなどなかった。だから、呆然としていた。
考えを巡らせるのだ。こんなことがあっただろうかと過去を振り返る。しかし、当然私の過去にこんな映像などなかった。小学校の史跡見学? そんなところへ行った覚えはない。子どもの頃に女の子と一緒に来た? そんな女友達いなかった。
だが……。
そこで引っかかったのが以前見た夢のことだった。大きな樹の裏で泣いていた女の子。一緒にサッカーボールを蹴った。彼女の家に行く途中下った坂。団地の階段を駆け上がる私。前を行く女の子。そして、その女の子はおばさんに顔を平手ではたかれるのだ。そして私は逃げる。
「その女の子、あたしなんだよ」
私が自身の頭の中の空想を出て顔を上げると、百華がそう言った。
「わからない? さっきの食事中にあたしが話した、小さい頃の話。あれ鉋君なんだよ」
私は訳も分からず顔を左右に振った。私の幼少期にそんな女の子と出会った記憶などないのだ。ただ、私の夢と彼女の話の辻褄があっているのは気がかりである。もしかしたら忘れているだけなのか。いやそんなことはない。
「そんなことあるんだよ。鉋君が忘れているだけであって、実際は起きたことなの。思い出してみて。さっきの山奥の家。あなたは絶対に行ったことがあるはずなのよ。それも小学生の頃の史跡見学だけでなく、大人になった鉋君もね」
私は深く考え込んだ。映画のラスト。あの水溜りに映っていたのは、紛れもなく体の大きくなった私、今の姿だった。大人になってからなど尚更記憶に新しいのだ。そんなこと忘れるはずがない。記憶喪失になって一部の記憶がすっぽり抜かれている訳でもあるまい。
「んー、半分正解かな。鉋君の記憶がなくなっているってのは確かなんだよ」
「どういうこと?」
私がそう聞くと、百華は大きく溜息を吐きふらふらと私の周りを歩き始めながら話し出した。
「こうは考えられない? 前世の記憶とごちゃ混ぜになっているとか」
「はあ? それじゃあ、あの水溜まりに映った俺は何なんだよ。まったく同じ人間に転生するっていうのか?」
「うん。それもそうだね。それはおかしいか。じゃあ、ちゃんと言うからよく聞いてね。あなたはね、二度人生を繰り返しているの。あなたの覚えていない記憶は一度目の記憶って訳」
「二度……人生を?」
「そう。それであたしが最初に出会った鉋君は一度目の大人の姿をした鉋君だった。あたしね、妙にその日は祖母の機嫌が悪かったみたいで叩かれて近くの神社で泣いてたの。するとさ、一人の男性が近寄ってきて、しゃがんで、『飴食べる?』って笑顔で声かけて来てくれてさ。たったそれだけのことだったのにさ、あたしはその優しさに感激しちゃったんだよ。だからもう一度その人に会いたいと思った。毎週土曜の二時過ぎ。この時間だけは泣くふりでもしてよくその神社まで行った。特に家を出ることは止められもしなかったから行くのは簡単だった。でも、男性が現れるのはまばらだったのよ。最初の二週間、三週間ぐらいはちゃんと会えたんだけど、それ以降は会える日と会えない日があった。でもあたしは根気強く通い続けた。ブランコに乗りながらずっと待った。もう最後に会えたのが何か月も前だったのに、まだ通い続けた。
あの日もそんな日だったのよ。今日いなかったらもうやめようかって思って案の定男性の姿は見えなかった。どっかに隠れているんじゃないかと思って神社の隅々まで見て回ったけど、やっぱりいなかった。それでもうどうでもよくなって帰ろうとしたとき、そのときに会の男性が現れたのよ。
どうやらどこかに連れてってくれるみたいで、軽トラックの助手席に私は座らせられた。そのままなされるがままに連れていかれたのが、山奥の廃屋だったのよ」
「そ、その廃屋で何を?」
「彼、好きな時代に飛べることができたんだって。信じられないよね。そこで、その権利をあたし与えてくれようとしたの。彼は、鉋君は、自分の人生をやり直したかったみたい。それでいろんな時代、自分の過去に飛んでたわけなんだけど、どうも自分の人生をやり直すよりあたしの虐待のことの方が気になっちゃったみたいで」
「よく虐待されてるって気づいたね。そん時の俺」
「なんか大学でそんな感じのこと勉強してたみたいよ。それで、自分の過去を変えるよりも今助けられる人を助けたほうがいいじゃないかって思ったみたいで。『この能力を使えば、好きな時代に自分の好きな姿で飛ぶことができる。誰かに叩かれることもないんだよ?』ってそう言われてさ、最初はよくわからなかったんだけど、ちょっとした好奇心で受け取っちゃったのよ。その能力とやらを。でも彼は大事なことを私に言わなかった。
この能力を持ったものは、誰かに渡すまで死ぬことができないこと。
この能力を誰かに渡してしまった人間は、一度目の記憶は消えてもう一度赤ん坊から人生を歩まなければならないということ。
帰ろうって彼に言われてから少しして後ろを振り返ったらさ、誰もいなくなってた。これもちょっとした好奇心だった。彼のことが知りたかった。初めて話した男の子。要するに好きになっちゃったのよ。だから、あたしは鉋君の時代に飛び続けたの」
長い話を終えて一息つくかのように、彼女は私の方に寄り掛かった。
「この時代はさー、あたしの虐待も特にひどい時代で、見るに堪えられないんだ。慰めてくれる?」
「正直頭が追い付いてない。何が何だか」
「あたしはね、自分の虐待も嫌だったけど、あたしが飛んでいる間にもうひとりのあたしが虐待を受けていることを想像するのも結構な苦痛だったの。だから同じ時代にも何度か飛んで、同じ苦痛を何度も味わわされた。そう考えると、鉋君も同じ苦痛を味わっているんじゃないかって思って」
「やり直したかった……要するに嫌だった人生をもう一度歩んでいることになるってこと?」
「うん。まあそんな感じ」
「あたしはね、鉋君を見てるだけで幸せだったの。高校の昼休みとかすごく楽しかったんだよ? 鉋君はそっけなかったけどさ」
「いや、普通に楽しかったよ……」
私は俯きがちだった。恥ずかしかったのだ。人に自分の感情を伝えるというのが。
百華の顔を窺おうと目を上に上げると、
いつもと同じその顔があったのだ。百華は笑ってごまかしているのではなかった。愛想笑いをしているのではなかった。心から笑っていたみたいだった。
「そろそろ種明かしの時間は終わりかな」
彼女のセーラー服が透けていく――。
「それは言わせない約束でしょ? 女の子はね、好きな人の前じゃ可愛く居たいものなんだよ。今度はちゃんと気づいてあげてね」
そう口角を上げて言う彼女の裸体は。いつか川でみたものと見間違えるほどに痣だらけだった。
「どこまで行ってもあたしたちは人間なの。誰かに気づいて欲しいって感情は捨てられない。慰めて欲しいって感情は捨てられない。信じて欲しいって思うんだよ? 」
『ちゃんと生きてよ、鉋』
私は無様に手を伸ばしていた。




