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パスバイクローンズ  作者: 面映唯
第五章
15/31

男勝りな食いっぷり

 休暇を使い田舎に戻ると、城はまだそこにあった。


 正直に言うと、ちょっとだけ期待してしまっていた。


 暇な時間があると余計なことを考えてしまう。仕事に打ち込んでいるうちは考えもしないことを、暇が訪れると先へ先へと想像を巡らしてしまう。その道を通ってきた私の想像は、「いやいやあり得ないって」「そんなこと望んでいない」と自らをを諭そうとすればするほど溢れ出てきてしまう。


 そんな期待を見事に裏切るのが大抵だが、それが現実になってしまったとき。「起こるはずじゃない未来だったのに」「奇跡だ」なんて思うよりも先に、心臓は動いて、うれしくて、でもそれを相手に汲み取られないようにと、自然と肝が据わっている。


「まだいたんだ」

「うん」


 彼女は玄関先のタイルに腰を下ろしていた。脚を小さく畳み、足は肩幅に開かれていて、膝を小さく抱えている。その付近をどこからやって来たのか、一羽のキジが歩いていた。


 顔が赤い。


 彼女は、触ろうとはしないものの手を差し伸べてはいる。当然その手にキジの足が乗ることはないのだが、キジはキジで何を考えているのか、草陰に帰ろうとしない。


「あ」


 私が近づくと、キジはトットトットと、トコトコ歩いて行ってしまった。


「俺、嫌われてんのかな」


 隣に腰掛けようとすると、彼女は腰をずらして私の座るスペースを空けてくれた。


「あたしだったら、嫌いな人が来たらバサバサ羽を広げて逃げるけどな」


 窮屈そうだった脚をまっすぐに伸ばして、彼女は立ち上がった。手を広げて、大きく伸びていた。


 重いバックパックを肩から降ろしながら、一緒に部屋に入ると、先週来たときとほとんど変わっていなかった。


 部屋を見渡しながら、食事はどうしていたのだろうと疑問に思って冷蔵庫を開けるが、何も入っていなかった。空っぽだった。


「冷蔵庫に入ってた食材って食った?」

「あ、食べちゃった」

「そう」


 ソファアに寝転がる彼女の姿から目を背け、再び冷蔵庫に目をやる。よく見ると、冷蔵庫の脇には膨らんで口が縛られたスーパーの袋が置いてあった。おそらくこの中にゴミをまとめたのだろう。


「スーパー行ってなんか買って食べた?」

「え? そんなとこ行ってないけど」


 じゃあこのスーパーの袋はどこから来たのだ。元から常備してたんだっけか。いや、あったとしてもそんなに漁るような子には見えないし……。まさか、先週私が買って来たときの袋か? もしかして。じゃあ、彼女は今まであの程度の食材で二週間近く過ごしていたことになる。


「じゃ、じゃあ、この二週間何食って生活してたの?」

「こないだ買ってきてくれたのとー、水かな。そこの川、都会に比べたら全然キレイだったし」


 いやいや、待て待て待て待て。私が買ってきたのはパンとおにぎりと鍋でもやろうかと思って白菜とうどんと豚肉、豆腐ぐらいだ。それで二週間とかもつのだろうか? 水があったとはいえ――。


 空腹なのには変わりないだろう。


「え、じゃあ、とりあえずなんか買って来ようかな。何食べたい?」

「何でもいい」


 ついて早々休めるかと思いきや、私はまた長い道のりを歩く羽目になった。バックパックを背負ってきて、本当に良かったと思う。嫌な気は全然しないけど。







 最初こそゆっくり食べていたものの、男勝りな食いっぷりだった。


 菓子パンとおにぎりいくつかと、適当に野菜と肉、水、うどんや焼きそばなどの麺を買ってきた。昼間だけど、肉と野菜を取らなきゃということで、とりあえず鍋を食べようということになった。


 お椀なんてものはないので、鍋を突っついて食べる。食べる手が止まらないので、よほど腹が減っていたのだろう。顔では全然だと言っていたが、本当は喉から手が出るほど何か食べたかったのではないか。


「素朴な疑問なんだけどさ、なんで飯買いに行かなかったの? あ、もしかしてお金なかったとか? 置いていけばよかったね。言ってくれれば置いていったのに」


 彼女は、煮えたって崩れたきりたんぽの欠片をうまく割りばしで掴み、それを口に入れた。ハフハフしながらも、最後まで飲み込み、コップの水を一口飲んだ。


「お金はちょっとならある。けど……」

「けど?」


 その後黙ってしまったので、慌てて口を開く。


「ごめんごめん。いろいろ事情があるよね。言いたくないこととか。そんな深く聞くつもりはなかったから、大丈夫。ごめんね」


 フォローしたつもりだが、顔色を窺っても先ほどと変わりはない。どうしようか悩んでいると、彼女が切り出してきた。


「あたしがここにいる理由、聞かないの?」


 以前来たときに、一度自分の中で終った話題だと思っていたので、突然のこと過ぎて唖然としてしまった。開いた口を一度閉じてから話し出す私。


「いや、今も言ったように深く追求することでもないかなって。別に、俺に危害を加えるようでもなさそうだし、許容範囲内かなって」

「もし私が鉋さんに危害を加えようとしてたらどうする?」

「えっ、そうなの?」

「もしもの話だって」


 いつの間にか前のめりになっていた二人だった。彼女は、体をほぐすようにソファアの背もたれに寄り掛かった。


「いや、なさそう。君が俺を刺すとか」 


 そう言い終えると、彼女は溜息をついた。そして、スキニーの後ろのポケットから何かを取り出して、私に向けるのだ。


「鉋さん知ってたでしょ? あたしがこれ持ってるって。最初にここで会った日の夜、わざと床に落としといたんだよ。なのに、鉋さんあたしのポケットに戻すから。戻すからさ……」


 急に彼女を覆う雰囲気が変化した気がした。明らかに怯えている。右手に握られていたナイフの刃先がわずかな光の反射で揺れているのがわかった。それを宥めるように左手で右手の拳を握った。なんどもさすっていた。何度も、何度も。


「俺に殺して欲しかったの?」


 何を口走ったか私。そんな訳がないだろう。思ったことをそのまま口にしてしまう性格やめた方がいいな。


 そう思ったとき、彼女の目頭から静かに流れた涙。それが鼻の下に来て初めて気がつけた。さっきまで豪快に口を開けて頬張っていた人間が、今では泣いている。纏っている。当然私は驚きを隠せなかった。


 今度は素直に疑問を問いかけてみる。


「君のこと名前も知らないし、事情もよくわかんないからさ、どうとも言えないんだけど、その涙って、どこから来たの?」


 立ち上がって彼女に近づいた。私が近づくと、彼女はその分だけ後ずさる。だから私も距離を詰める。そして彼女が後ずさる、とこれが何度も繰り返される。


「やめて、来ないで」


 何度か繰り返して彼女にそう言われたときは、身体が跳ねた。見ると彼女は壁際にまで来ていて、寄りかかりながら膝を曲げて崩れ落ちた。


 私は、肩に触れようと手を伸ばした。


「バシッ」と音を立てて振り払われた。


 そのとき、驚きと感情の順番がひっくり返った。


「ち、違っ、」

「わかってるよ。大丈夫」


 そう言うので精一杯だった。腹の底からじわじわと感情が登って、泣いて飛び出したいほど焦燥にかられた。


 何をしているんだ私はと。結局彼女に手を出そうとして、そういう下心を心の何処かで期待していて。乃杏と少し近い間柄になったから、自分も女性と話すことができると思い込んで驕ったのか? 自分はもしかしてもっと誰かのそばにいていい人間なのかと思い至ったのか? 馬鹿馬鹿しい、愚か者だった。


 彼女のことも知らない。私も感情を出さない。これも一つのコミュニケーションなのだろうか。相手のことを想って、聞かない。相手のことを想って、言わない。誰かの気持ちになって、誰かの気持ちを汲み取って、そんな会話が必要か? いや、この話は必要だ、と毎度毎度考えてコミュニケーションをとる。


 こんなんで、円滑に交友なんてできる訳ない……よな。


 私は逃げるように、でもそう思わせまいと取り繕って、タオルも持たずに「ちょっと川入って来るわ」と家を出た。人は彼女しかいないのに、大勢の前を歩くときのように足は速く動いた。崖に着くとゆっくりと下り、川辺に出た。


 燦燦と太陽は私のことを照らしてはくれなかった。曇り空がうっすらと紫外線を出していた。


 立ち尽くす。


 何をやっているんだろうと。


 年下の女の子が、人気のない山奥で自分より高い姿勢からよく知りもしない男に言い寄られればそりゃあ怖くなるだろう。ちゃんと想像できる。私にだってそれぐらいの感性はある。


 何をやっているんだろうと。


 過去を振り返れば、馬鹿な人間だった。正しい道を歩んでいたのは小学生まで。中学からは道を外れていった。中学でちやほやされたかと思ったら、高校ではバイトに明け暮れた。外部からの刺激が多くて、さまざまなことを考えるのが嫌で、何も考えたくなくて、寝る間を惜しんで働いた。そうすれば何も考えなくて済むから。未来に希望なんて残さずに済むから。不安にならずに済むから。倦厭せずに生きられるから。


 さっきだって、ただ、彼女のことを心配したに過ぎなかったのだ。だが、彼女にはそう見えていない。そういう表と裏の隔たった食い違い。それが嫌だった。どうすればいいかと悩むのが怠かった。


 そもそも人間に向いていなかったのだ。

 生きるのが不器用だった。

 でも本当は、生きたかった。それをさっき知ってしまった。


 誰かと飯を食べるなんてそうそうないことだった。彼女と一緒に鍋をつついていたとき、思い出されたのは懐かしい高校の昼飯。あれは楽しかった。こんな私と二人は一緒にいてくれて、話し相手にもなってくれた。本当に楽しくて、また話したいと思った。でも、そのうれしい感情が広がりすぎて、もっともっとって想像してしまう。


 壊れてしまう前にやめようと思った。いつか別れることは決まっていた。だから悲しくならないようにと、自分から辞めようと思った。でもやめられなかった。あの賞味期限切れのパンをかじりながら二人と話す昼休みがあれば、この先何でも我慢できる気がしたから。



「ちょっと! 鉋さん!」


 その声を聞いて、私は立ち尽くした足を無理やり動かして迷わず川に入ろうとした。川に入ると靴に水がしみて、重くなって、ぐちゃぐちゃで、薄いテーパードのパンツが脚にへばりついた。


「待ってって」


 そう言って彼女も川の中に入って来たようだったのを背後で感じた。川の心地よい流れの中に、ザバザバと人為的な音が入り込む。


 彼女をずぶぬれにしたくはなかった。申し訳なさからか振り返ると、前のめりになった彼女が目の前にいて、とっさに手が出た。「パーン」という弾ける音と、直後に襲う気泡の音色。ぼやけた視界が目に染みて、何度も瞬きをする。


 軽くなったそれを右腕で支えながら、左手を川の底に付いて起き上がった。


 息を吐く音。水から出る音。

 顔を手で拭く彼女は、俯いていた。


「ご、ごめんなさい」


 寒いのか泣いているのか、鼻を啜っている。


「いや……。君のおかげでいろんなこと思い出したよ。いつかの自分も今の自分も、昔の誰かも。忘れたと思ったけど、覚えてたみたい」


 私は何を言っているのだろう。


 彼女は濡れてへばりついた髪を、顔からほどこうとする。


「あたしも……」


 喧嘩後の仲直りのような。


「あたし……人、刺しちゃったの」


 そんな唐突な彼女の言葉を聞いて、驚きもせずに鵜呑みにして、彼女が刺している姿を鮮明に想像できてしまう私は、やっぱりおかしいのだろうか。




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