憂人
次の日、二つの意味でだるかった。一つは仕事。昨日、居酒屋と乃杏の家に寄ってからアパートに帰って来たので、家でやるつもりだった仕事は片付かないまま眠りについた。それはもう、大変。
そして二つ目は、この女。
「ねえ、先輩。昨日の私なんかしてました? お酒飲んだせいか、何も覚えてないんですよ」
朝からこれの繰り返しだった。私は、「別におかしなことはしてなかったよ。ちょっと饒舌になってたけど」と伝えた。そしたら、「饒舌ってことは、なんか私余計なことしゃべったってことですよね? ねえ、そうですよね」ってこればっかり。
本当に酒だけで性格変わるのかと思うと、怖くて、サワーでさえ何杯も飲めない。
だが、これはこの日に始まったことではなかった。
この日から彼女の愚痴を聞く破目になったのだ。昼は一緒にくっついて近くの公園のベンチで一緒に座ってくるわ、他の人が十七時に帰っても乃杏は十九時までいる。その後また居酒屋に行って、酔っぱらって、家まで送って、もうこれ以上は仕事を先送りできないと目を擦りながら残業をする。この繰り返しの日々だった。
でも、心から拒絶するほど嫌であったとは言い難い。行動こそ自分勝手なものの、芯はしっかりしている。自分の思うこと、その場所、方向、は一貫して変わらなかった。だから私も彼女に付き合っている。ただのお遊びだったらとっくに断っているだろう。彼女に嫌われたとしてもだ。
「この会社ってちょっとおかしくないですか?」
「むしろ快適じゃないか?」
砂肝の焼き鳥が届く。私が箸を使って串から外そうとすると、「そのままでいいですよ」といつもとは変わった口調で乃杏は促した。
串を持って砂肝を咥えている姿が妙に癇に障った。パンツスーツ姿でジャケットは脱がれている。真っ白のワイシャツ? ブラウス? で、さっきまでは結ばれていた髪が、邪魔になったのか、肩が隠れるくらいに下ろされている。
「一日中誰とも話さないから、気が滅入っちゃいません? なんか仕事って言うより作業みたい。友達の話聞いてるせいか、うちのとこやば過ぎないって」
鬱憤を晴らすかのように、二つ一気に頬張った。
「まあ、俺はこの企業体制を好んで入って来てるからなあ。まあ他が入れそうになかったってのもあるんだけどさ。頭悪いし」
「へー。そうなんですか。先輩って頭いいかと思ってました」
「いやいや。乃杏は頭いいの?」
数秒私の目を見つめて、彼女は残り少なかったビールを飲み干す。「すいません」ともう一杯ビールを頼み、一息ついてまたこちらを見る。
「あの、もう一回お願いします」
「え? ああ、乃杏って頭いいのかなって」
「いや、ちょ、もう一回」
「や、だから、頭いいのかって」
何度も聞かれるのでなんとなく恥ずかしくなり、ウーロン茶に口をつけた。
「もしかして、乃杏って呼びました?」
「え、違うの? 名前」
「いや、そうじゃなくって、前は古橋って呼んでませんでしたっけ?」
「そう呼んでたんだけど、この間、乃杏って呼べって酔っぱらって絡んできたから……」
「ええー! 全然覚えてないです! っていうかめっちゃきゅんと来ますね! これからもお願いします」
「そう言われると意識しちゃうな」
ほんのりと赤い彼女の頬は、酔っているせいなのか陽気な印象を与える。
「私、結構頭いいと思いますよー。大学もそれなりのところ出ましたし。なのに、こんな会社にいるってことは、本当は頭よくなかったのかもしれませんねえ」
一瞬にして覚めてしまったような目が、妙に訝しげだった。そのときやっと、頬の赤さが化粧によって見せられていたものだと気づく。これがシラフの状況で話していた自慢話となると、また印象が変わってくる。酔っていないのに寄っている自分を演じて、酔っているせいにして自慢をする。
なのに、
「またこよっか」
と私は言ってしまった。
路傍の乞食に、拾った百円をあげたような私の言葉にも、彼女はちゃんと反応してくれた。
素直になれないのは、自分を騙せてしまうからであって、必ずしも自分に否があるとは言い難いと思っている。
みんな感情が一つだったらいいのに。寝穢く、そのまま貪っていて欲しい。
永遠に、葬れたらなんて片隅で思ったのだ。