雪が降った翌日
ちょうど雪がぱらつく頃だった。二月にしては、寒い気がした。昨晩降った雪が道路を覆い、サラサラでなくびちゃびちゃと歩く人が行き交う。それだけ人が通っても、ビルや日陰の多い東京では、ちょっとやそっとでは雪が溶けない。明日にはテカテカに凍り付いてしまうのは火を見るよりも明らかであるはずなのに、誰も動こうとせず雪かきを後回しにする。
結果、整備されていないでこぼこのスケートリンクの上をスニーカーやヒールが音を立てる。踵から入った靴は、抵抗する余地もなく、歯止めがきかないまま前へと滑って人々に尻もちをつかせる。
大学の学生課に行ったのはそんな時期だった。雪を日が照らし、大通りや一部の歩道では雪が解け始めている。その解けた水たまりをも日が照らす。眩しくて、眩しくて、湿ったアスファルトに目を移すのだが、そちらも似たようなもの。しょうがなく辺りを見回すと、下を向いている者など誰もいなかった。これだけ光っているのに眩しさに気がつかない。ちょっと角度を変えれば幻想的にも見えそうなものなのに。
単純で、身近で、あたりまえのことに気がつけないってのは、このことを言うんだと思った。
その感情のまま、私の身近なものにけりをつけた。
ほぼ、通っているだけに過ぎなかった大学だったが、それなりに響く講義もあった。大体教室に行けば寝ているはずなのに、気まぐれからかたまたま起きていると、そのときに限って大切なものを教えてくれる。翌日の講義、それをもっと欲しいと願って張り切って起きていると、今度は教えてくれない。
それなりに身近にあったものが、欲しがった途端に手から離れていく感覚。借金とか、金をくれだとか、クソみたいな理由だったとしても、父親と母親にかまってもらったのがうれしかったのかもしれない。たとえそれが、金をくれという非情な言葉でも。
自分が馬鹿馬鹿しい。あれだけ将来働きたくなくて、人と関わりたくなくて、寝る間と空腹を隠しながら生きてきたのに、私を利用しようとかけられた言葉に、自分を頼ってくれてるんだと勝手に解釈して物事を破裂させる。時間と労力と贖罪。誰も返してはくれなかった。
そこまで消えてしまったら取り返しがつかない。なのに、それでも「もっとこうすればよかった」と思うことができない。気まぐれなのか、能天気なのか、「まあそんなもん」という言葉を作って、蟠りは微粒子になっては散布していく。激情というような想いを吐き出せない。もしくは、もとからないのかもしれない。
大学中退でも、採用してくれる企業はあった。私が生まれた頃は、巷で不景気、不景気、と叫ばれていたが、今は実際そうでもないらしい。
一流には程遠い三流企業だが、それでも社会の役割を担って活躍していることには変わりない。誰にも知られないようなところで、誰にも理解できないようなことをしているのだろうが、部長や先輩方はやりがいを持っていた。給料だって高くない。残業も当然ある。だが、それ以上に彼らの熱意が行動を伝って私の元に届く。それも、なされるがまま導かれる。
なぜ採用されたのかは知らない。面接も大したことは話せなかった。でも、「採用」という形で私のことを認めてくれた。言葉という形にはならずとも、どこかでその喜びがあったことは、はっきりとさせていたい。