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悪魔を憐れむ女  作者: 機乃 遙
悪魔を憐れむ女
4/12

 デトロイトに到着したチューズデイは、その晩、街の中心部にあるホテルを借りた。そして翌日、彼女はそこでドレスに着替えて外出した。i8のトランクに入れて置いた黒のドレスだ。

 偽造の身分証明書も申し分無かった。ユニバーサル貿易の社長秘書、ジェイミー・ボンド。チャリティパーティに出席し、そこでデトロイトの一大企業に接触を図る。いざという時は、太股に隠したレッグホルスターからルガーを抜くまで。

 ドレスに毛皮のジャケットを着ると、チューズデイはi8に乗り、パーティ会場に急いだ。ドレスにルミノックスというのは、いささか不格好だったかもしれないが。

 会場は、街の中心部にある高級ホテルの大広間だった。数百人は収容できよう巨大なホールを貸し切り、立食パーティが開かれている。ホール奥の演壇には、チャリティーコンサートとして地元で有名なクラシック楽団が演奏を続けていた。

 豪奢なシャンデリアが光を落とす中、容姿を整えた男女が談笑している。ウェイターが銀のプレートにワインを載せ、騒ぎ立てるセレブを更に酔わせていた。

 チューズデイはそんな成金趣味のパーティに割って入って行った。リベレーターのギャッツといい、ここに集まる連中は、概してチャリティーなぞどうでもいいのだ。合法非合法問わず稼いだ金で馬鹿騒ぎが出来ればいい。むろんそこでビジネスの話もするだろう。だが、その多くは口約束きりの軽い挨拶みたいなもので、ゆくゆく効力を発揮することは無さそうだ。

 黒のイブニングドレスを身にまとったルビー・チューズデイは、右足にこさえたルガーを気にしながら進んだ。出来るだけ自然に見えるように。ドレスの裾は長く、濃い黒色の布地を使っているので、銃自体が見えることはないだろう。だが、その動作から武器を隠し持っていると見透かすことは、訓練された諜報員なら造作も無いことだ。

 しかし、幸いなことにギャッツ含めこのパーティに臨席する成金連中には、そんな能力のあるボディガードを雇うほど気の回るものはいなかった。

 目標のジェローム・ギャッツは、バーカウンターのそばにいた。経歴をざっとみたところ、目立ちたがり屋の新興成金だと考えていたが、チューズデイのその予想は当たっているようだった。ギャッツはバーカウンターに両肘をつき、大きく肩を開いて、パーティ会場を見回していた。その周囲にはイブニングスーツ姿の男たちと、胸元の大きく開いたドレス姿の女性が何人もいる。美人というよりは、化粧と美容整形で誤魔化しているというような雰囲気だった。

 しかしギャッツがほかの人間とひと味違ったのは、ボディガードらしき付き人を侍らせていたことだ。彼は何人もの女性を侍らせていたが、その二、三メートル離れたところには、鋭い視線をした筋肉質の黒人男性がカウンターに立ってマティーニを飲んでいた。その立ち居振る舞い、飲み方――酔わないように、しかし周りの体裁に気をつけた飲み方――からして、その道の者だとチューズデイは分かった。

 チューズデイは、ギャッツに近づく途中で、ウェイターから一つワイングラスをとった。真っ赤なロゼだ。ロマネコンティ。ワイングラスをゆっくりと傾け、その芳醇な香りを楽しんでから、口へ流し込む。それから、チューズデイは艶めかしい視線をギャッツへ送った。

 ギャッツはチューズデイをみた。予想通り、見栄っ張りの新興成金のようだった。このパーティにいかに寄付し、またこの成金集団の中でいかに豪奢過ぎる品のない格好をし、売女を侍らせているかで順位付けが決まる。

 ギャッツは白に金色のラインの入った、下品なイブニングスーツを着ていた。彼はスタイルこそ悪くなかったが、しかしそのような主張の激しいスーツを着こなせるほどハンサムという訳ではなかった。染めたのであろう、明るい茶色の髪をオールバックにした彼は、ショットグラスに注がれたテキーラを煽る。火照った赤い頬が彼の酔いを表していた。

 チューズデイはワイングラスを片手に、周囲の男たちの間に割り入り、ギャッツの横に立った。ギャッツもギャッツで、ビジネスの話をしてくる蠅のような男よりは、蛇であっても女がいいのだろう。付き人に言って男を退かせると、変わりにチューズデイの場所を空けさせた。

「ごきげんよう、お嬢さん」と赤ら顔でギャッツ。「私はジェローム・ギャッツ」

「存じ上げております」

 チューズデイはそう言って、ワイングラスをカウンターに置いた。

「美人に名前を覚えられているとは、光栄だ。どこで知ったのかな?」

「デトロイトのリベレーターといえば有名ですよ」

「ほう、この私を口説き落として、何をするつもりかね」

 ジェローム・ギャッツは言い、高笑いをあげた。

 ショットグラスをカウンターに預け、空いた手を近場の男性に回す。完全に酔っぱらっているようだった。腕を回された男も迷惑そうに苦笑している。

「これと言った目的はありませんわ。ただ、噂のギャッツ氏がどのような方か、一度拝見してみたいと思っただけです」

「へえ」とギャッツは男から腕を離し、「君、名前はなんと言う?」

「ボンド、ジェイミー・ボンドです」

「ジェイミー……ふむ、いい名前だ。だが、この街にはそぐわない名前でもある。その気品さも同じくね」

 言って、ギャッツは手をチューズデイに向けた。カウンターに手を伸ばし、そのままチューズデイの背中の当たりに触れる。

 背の開いたドレスを着ていたチューズデイは、ちょうどギャッツの手のひらを直に感じる形になった。身体が直感的にそれを拒んだが、ここで拒否しては身分がバレる可能性があった。チューズデイは、黙ってギャッツのセクハラを受け入れる。

「出身はどこだい。どこの会社の使いだ?」

「英、ユニバーサル貿易社の社長秘書をしております。リベレーター社のお噂は、こちらでもかねがねお伺いしております」

「へえ、わざわざヨーロッパから」

 腰に添えた手を、ギャッツは更に擦るように動かす。

 チューズデイはやはり拒否しなかった。良い気もしないし、悪い気もしないが。

 ロゼを煽り、添えられた手に応える。ギャッツのしたり顔が、さらにのろけた。

 彼はそれで更に気をよくしたのだろうか。酒を煽りながらチューズデイに目配せした。どういう意図かチューズデイには分からなかったが、しかしギャッツという男は、自分がプレイボーイであるという空回りした自信があるようだった。その実、彼の空虚な自信を保持しているのは、彼自身の魅力ではなく、彼が持つ金というものの魔力であって、さらにそれに群がるのは蛾のように見目だけ麗しく整えた集団だったわけだが。

 しばらくギャッツの相手をしていると、壇上の楽団が演奏を終えた。そして司会進行と思しき饒舌な男が登壇し、楽団に賛辞を述べてから降壇させた。男は地元のタレントか何かのようで、へたくそではないが、しかし特筆してうまいともいえない話術を弄しながら、パーティを進めた。

「それで、ミス・ボンド。この私に何の用だい」

「ええ。少しビジネスのお話を」

「ほう、ビジネスね。最近の秘書は営業もするのか」

 ギャッツは言葉を区切り、降壇する楽団に拍手をした。だが、その賛辞は心からのものではなく、酔いと雰囲気によって創り出されたものだった。

「いまはそういう話はしたくないんだ、ミス・ボンド。ここは子供たちへのチャリティーの場だ。そういうのは、無粋だろう?」

 言って、彼は周りにいた有象無象の男たちに目配せした。

 それは、彼の金を狙ってくるハエたちへの牽制だったのかもしれない。だが、彼に人望と呼べるようなものは見あたりそうになく、あるのは彼がひた隠しにしようとする財力のみなのだが。

「では、このあとなら……よろしくて?」

 チューズデイは出来るだけそういう素振りを見せるようにして、言った。

 再び腰に回してきた手を、左手で撫で返す。白いスーツの袖を這うようにして、指先から肩へ向かって指を絡めさせていく。そして、右手でワイングラスをつかむと、残りのロマネコンティを一気に飲み干した。

 顔が紅潮していくのが、否や応にも分かった。だが、酔いは回ってきていない。ただ、紅くなった頬はチークの役目を果たし、チューズデイの白く整った中性的な顔立ちを、更に魅力的させた。

 染めた茶髪をくらりと揺らし、首を傾けてギャッツを見た。

「すみません、少し化粧室に」

 思わせぶりな振る舞いからの、一時休符。

 彼女はギャッツの手を振り払ってターンすると、会場の外へ向かった。化粧室に行くというのは、間違ってはいない。だが、そこに行く理由は、ジェイミー・ボンドではなく、ルビー・チューズデイとしてだ。


 会場を抜けた化粧室では、仮面のような化粧をした女性たちが洗面台にたむろしていた。みな自分の身だしなみを整えているようだったが、しかしチューズデイには更に悪化させているようにしか見えなかった。

 チューズデイは、空いた個室に入って、鍵をかった。化粧室は女性たちの談笑で騒がしく、かんぬきをかける音など聞こえもしない。鏡の前で忙しく顔をいじりながら、男の品定めをする声が響く。チューズデイはそれを良いことに、バーンズへ通信することにした。

 だが念には念を入れ、ノイズとして水洗音を流すことにもした。トイレの水洗レバーに手をかける。バーンズが通信に出るタイミングで引くことにした。

 左腕のルミノックスを操作し、通信先をバーンズへ。右耳にはめた極小の骨伝導イヤフォンから音が響く。二、三回ほどコール音がして、それからバーンズが出た。

「予定通り接触した」とチューズデイ。レバーを引いてノイズを起こす。

「そうか。なんとかなりそうか」

「いまのところは。探りを入れてみる」

「了解した。調べによるとだが、ギャッツは、このホテルの最上階にあるスイートルームを借りている。何とかそこまで行って、やつから情報を手に入れろ」

「了解した」

 水の流れる音が弱まり始めた。

 それと時を同じくして、通信が切れる。チューズデイは時計の位置を直すと、かんぬきを戻して個室を出た。

 洗面台では、まだ化粧の濃い女性たちが談笑を続けていた。チューズデイは彼女らを無視して手を洗うと、その場を後にした。


 このあとは、パーティを楽しむフリをして、ギャッツの目を惹き続けるつもりだった。そうしてパーティが終わったころに、ギャッツのスイートルームにて接触を図る。

 だが、そのような計画には、少し修正がいるようだった。

 化粧室を出ると、会場である大広間へ向かう廊下に、一人の男が立っていたのだ。純白のスーツを着た男だ。その隣には、耳に無線機と繋がっているのだろうイヤフォンを付けた黒人の男も。ジェローム・ギャッツ。そして、その付き人兼ボディガードの男だ。

「どうしたんです、ミスタ」とチューズデイ。

 ギャッツは鼻の下を擦りながら、笑った。

「ビジネスの話をしたいと、そうおっしゃいましたね。ミス・ボンド」

「ええ、よろしければ」

 ギャッツが一歩、チューズデイに近づく。

 彼の赤ら顔は、依然として酔いの深さを示していたが、しかし彼の立ち居振る舞いは、先ほどのバーカウンターの時よりもずっと狡猾そうに見えた。それがハッタリかどうかは、まだ分からない。

 ギャッツはチューズデイの目の前まで来ると、彼女の茶髪を優しく撫でた。そしてまた微笑みかける。彼はゆっくりと顔を近づけ、口元をチューズデイの耳のそばにまでやる。そして、髪の匂いを吸った。

組織(シンジケート)のことが知りたいんでしょう、ミス・ボンド。だから私に接触してきた」

 耳元でささやく。息が優しくかかったが、チューズデイは気のないフリをした。あまりなびくと、この手の男はつけあがって、簡単に飽きる。

「何のことです、シンジケートって?」

「とぼけてもむだだよ、ジェイミー」と、甘い声でファーストネームを呼ぶ。「君の狙いは分かっている。もし君がいいのなら、それについてもたっぷり教えてあげるよ。……最上階の、スイートルームで」

 するとギャッツは、チューズデイの太股に指を這わせようとした。

 思わずチューズデイは足を引く。そこには、ルガーがあるからだ。銃の存在を悟られては、すぐにでも後ろの黒人に取り押さえられる。

「待ちきれないわ、早く行きましょう?」

 矢継ぎ早に言葉を口にし、不審さを消す。

 完全に酔ったギャッツは、むしろ気を良くし、チューズデイの腰に手を回した。

「いいだろう、ジェイミー。私のスイートまで案内するよ」


 最上階のスイートは、成金趣味のパーティよりは、まだ幾分控えめで、少しはマシな印象があった。

 金の刺繍入りのソファーに、どこかの民芸品か何かのような絵画、銅像。そして赤と金で彩られたキングサイズのベッド。支柱の部分には、金色の金属細工がなされており、それがシャンデリアの光を浴びる度に様々な表情を見せた。

 ジェローム・ギャッツは、部屋に入るなり鍵をかけ、早速チューズデイを押し倒した。キングサイズの豪奢なベッドは、チューズデイの身体を優しく反発する。だが、起きあがるなり、彼女の身体をギャッツが押し返す。

 チューズデイに覆い被さると、ギャッツは両腕を押さえつけ、指を這わせ、顔を髪に押しつけた。

「良い匂いだ。海の向こうの女の香りかな」

「そんなこと……」

「ふん、そうやって異国情緒のミステリアスさで、私をたぶらかそうというのだろう。ミス・ボンド?」

 髪についていた鼻を、今度は首筋へと移した。手は腰へ。ドレスの上から腰に触れ、そこから股へと指を動かしていく。

 チューズデイは、直感的に脚を閉じ、それを拒んだ。だがそれは、むしろ相手を誘う行為にもなったようで、邪険にされてギャッツは燃えたらしい。顔を歪ませて、彼は微笑む。

 ギャッツは白いジャケットを脱ごうとする。チューズデイもそれに合わせて彼の肩に触れ、上着を脱がす。ジャケットをソファーの方へ投げやると、彼女はギャッツの背中に手を回した。

「教えて。そのシンジケートというのは、なに?」

「いまさら何を言うんだね、ジェイミー。君のボスは、組織の仲間入りがしたくて、私に接触してきたのだろう? シンジケートとの関わりがあれば、向こう百年は稼いでいられる……そう言ってもいい。結局、みな考えるところは金さ」

「向こう百年稼いでいられる……? どういう組織なの……?」

「おいおい、これ以上は聞いてくれるな。彼らが怒る。……それよりもだ、ジェイミー。いいだろう?」

 ギャッツの指が、再びチューズデイの股に触れた。

 チューズデイは微笑む。そして、彼の侵入を許可するように、脚に込めた力を緩めた。さらに背中に回した手をきつくし、ギャッツを抱きしめる。彼の唇を奪い、舌を中に入れる。向こうもそれに応えてきて、したり顔で舌を絡めてきた。

 だが、チューズデイの真意はそこにはない。

 背中に回した両腕。それをさらにきつく締め、左手にはめた時計に触れる。リュウズに触れると、その先端を引き起こした。撃鉄(ハンマー)だ。バーンズも言っていたが、この時計には麻酔針の射出機構が備わっている。後は引き起こした撃鉄を元の位置に戻せば、内部のスプリングによって針が文字盤脇、撃鉄=リュウズの下より射出される。相手の皮膚でリュウズを押し込ませると、ちょうどそこへ向かって針が飛んでいく仕組みだ。

 チューズデイは指を背中に這わせ、ゆっくりと首筋へと持って行った。そして、彼の顔を持ち上げるようにすると、舌を抜いて唇を離す。ギャッツの顔が、チューズデイから離れた。

 息を切らすギャッツ。激しい接吻と泥酔とで、彼は疲弊していた。しかし、そんな男にもチューズデイは容赦しない。

「おやすみ、ミスタ」

 彼女はそういうと、左手首をギャッツの首に押しつけた。

 リュウズが戻る。これは、トリガーを引くこととまったく同義だった。まもなく麻酔針が射出され、それがギャッツの首筋に侵入。瞬く間に即効性の麻酔が効いていく。

 チューズデイは眠りかけのギャッツの下より這い出ると、それからベッド脇に立ち尽くした。時計で時刻を確認。まだ九時過ぎだった。

 まもなくギャッツは完全に眠った。彼一人、女を襲う体勢のまま、枕に突っ伏している。実に間抜けな格好だった。


 麻酔の効果は、およそ三時間。その間にチューズデイは、何か情報を得なければならなかった。

 すでに分かっていることの一つとして、シンジケートというものがある。その真相は不明だが、しかしギャッツの口振りからすると、そのシンジケートなるもののおかげで、彼はここまで儲けられているようだった。

 おそらくそれは、ASISを指す隠語に違いないだろう。向こう百年は稼がせてくれる、というのは、彼の酔いが創り出した冗談だろうが。しかし、ASISには莫大な資金源があり、それで武器・兵器を購入するだけの理由があった。安価で手には入りやすく、しかも怪しまれない模造銃(ブランクガン)という名の実銃があれば、それを手にしない理由はあるまい。特に、怪しまれずに市街地まで行き、鉛と爆薬をまき散らすには効果的なはずだ。

 チューズデイは、スイートルームにあるデスクに向かった。革張りのイスに、木製のシックな机。机上には金に縁取られたデスクライトがある。チューズデイはその電源を入れると、今度は机上、中央にあるノートパソコンの電源を入れた。OSが起動し、まもなくデスクトップ画面へ。その中に、おそらくリベレーター社の管理プログラムらしきアイコンがあった。というのも、これは一般に販売している経理、企業管理ソフトウェアの一つであったからだ。名前ぐらいはチューズデイも広告で耳にしていた。

 そのアイコンをダブルクリックし、起動。するとまもなくログイン画面が表示された。もちろんそれも一筋縄で行くはずはなく、社長権限のIDコードだけは入力されていたが、しかしパスワードの入力画面は無かった。その代わりと言わんばかりに、ディスプレイには「指紋認証をしてください」と書いてある。

「……指紋認証だって……?」

 パスワードなら、まだクラッキングをすればすむ話だ。だが、指紋認証とは。

 するとすぐに、チューズデイに通信。バーンズからだ。

「どうだチューズデイ、侵入できたか?」

「侵入は成功した。だが、やつのPCが指紋認証を求めている」

「どこかに外部デバイスがあるはずだ。ギャッツは眠らせているんだろう? 早く指を押し当てろ。ログイン出来たら、社長権限で見られるデータをすべて転送し、俺に送ってくれ」

「了解した」

 そう言い終えるよりも前に、チューズデイは先に手を動かした。

 机の引き出しを片っ端から開ける。大半は空だった。あるのはギデオン聖書。それから、ギャッツが護身用として持ち込んだのであろうコルトガバメント。

 しかししばらくすると、一番奥の引き出しの、さらに奥に、USB接続のデバイスを見つけた。それがどうにも指紋認証装置らしかった。チューズデイは早速それをPCに接続すると、本体ごと持ち上げてベッド脇へ。眠りこくるギャッツの隣にPCを起き、彼の指を装置に押し当てた。

 まもなくして「認証しました」と表示が返ってくる。侵入は成功した。

 しかし、問題はここからだ。なぜサタンはギャッツに接触したのか。それを探らねばならない。おそらくそれは、彼がシンジケート=ASISと絡んでいたからだ、とチューズデイは睨んでいる。だが現時点では、今一つ証拠が足りなかった。

 経理情報を開く。それから、過去数ヶ月分の会議資料も開いた。そのすべてを、チューズデイは自分の持ってきたUSBに転送。コピーする。数字の羅列には、ぱっと見て怪しげな様子はない。だが、彼が非合法な仕事に携わっているのは、明白だった。

 その証拠は、彼の引き出しにあった拳銃にある。どこからどう見ても本物同然のコルトガバメント。だが、チューズデイは認証装置を探している最中、この銃の異変に気がついていた。

 転送所要時間およそ一〇分、と液晶に表示。その間にチューズデイは机に戻り、先ほどのガバメントを取りにいった。

 触れただけで、彼女はその異変を感じ取った。あまりにも軽く、そして質感が銃らしくないのだ。見た目の色合いは鉄のようであるが、しかし持った質感は、まるでプラスティックなのである。

 マガジンリリースボタンを押し、試しに弾倉を左手に落としてみる。マガジンには、確かに黄金色の実弾があった。間違いない。薬莢と重ね合わされた鉛の塊。これは決して空砲などではない。つまりこれが、ギャッツが作り、売りさばいているものだ。

 まもなくして、コピーが完全に終了した。チューズデイは銃を元の位置に戻し、USBを引き抜く。そして再度、データを確認した。

 ここ最近、特に十三日にあったテロに近い日付を確認する。怪しげな取引データはないか。D.C.で起きたテロに関係しているかは不明だが、しかしギャッツがASISに一枚噛んでいることは、ほぼ確実だと言っていい。

 しばらくスクロールしていると、チューズデイは、拳銃型のブランクガンを大量発注している企業を見つけた。表向きは映画の小道具を取り扱う会社だと書いてある。だが、気になるのは、あとにも先にもその会社の名前は一回も出てこないことだった。新興の企業だろうかと思ったが、しかしそれにしてもおかしい。二桁の銃と、三桁近い弾薬を発注しておきながら、それ以降音沙汰なしなのだ。

 ともかく、このデータの分析は、バーンズに任せた方がいい。チューズデイはそう断じると、PCも元の位置に戻し、電源を落とした。あとは、この部屋を出ていくだけだった。

 ギャッツが起きたとき、怪しまれるのはマズかった。出来れば、彼が酔ったまま記憶を失ったと、そう思わせるのが得策だ。そういう風に、甘い夜を過ごしたと思わせる方がいい。

 チューズデイは、机上にあるペンとメモ帳をとると、そこに丁寧な女文字で「今夜はありがとう。また合いましょう。 ジェイミーより」と書き付けた。最後に、紙の端にキスマークを付ければ、あとはベッドサイドにハラリと落としておく。

 ギャッツは完全に眠りこけっていた。今頃、夢の中でジェイミー・ボンドとやっているに違いない。


 失踪の用意が整うと、チューズデイはハンドバッグにUSBとPDAをしまい、レッグホルスターのルガーを確認すると、外へ出ることにした。

 だが、ちょうどそのときに限って、面倒ごとが起きたのだ。スイートルームの扉にノック音が響く。そして数秒後、野太い男の声がした。

「ボス、お楽しみのところ申し訳ございませんが、下でタウンゼント氏がお待ちです」

 この声、おそらくあの黒人ボディガードに違いない。

 よもや自分の上司がお楽しみの最中に水を差すようなやつではないと、チューズデイはそう思っていたが、しかし意外にもそういう不躾な男だった。これでギャッツが起きていたら、やつはピシャリと叱りつけ、突っぱね返しているところだろう。だが、お生憎様、ジェローム・ギャッツは夢の中だ。

 チューズデイは迷った。ここで黙りを決め込んでいれば、いかに鈍い付き人であろうと、さすがに異変に気がつくはずだ。それで部屋の中に入って来られたら、チューズデイが咎められるのは必至だ。それならば、むしろ応対した方がいい。

 彼女は敢えてドレスを着崩し、それで行為の途中を匂わせた様子で、付き人に応対した。予想通り、扉を開けた向こうにいたのは、スーツ姿の屈強そうな黒人男性だ。

「あなたは、ミス……」

「ボンド、ジェイミー・ボンドです。……社長さんたら、お酒の飲み過ぎみたいで。途中で眠っちゃったのよ」

「はあ……ボスは眠っているので?」

「もうぐっすりね。テキーラの飲み過ぎよ。興ざめだわ……。私、帰るわね」

 チューズデイは言い、ハンドバッグを持ち上げると、その場を去った。

 付き人は、チューズデイを訝ることも無く、そのまま頭を小さく下げて婦人を見送った。


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