英雄、救世主と相対する。
北海道は良いなぁ。(自転車旅行中)
「ちょっと待てよ、皆ッ!」
血溜まり中、弓軌が吼えた。
怒りに似ているが異なる、悲しみに似ているが異なる、驚きにも似ているが異なる。畏怖からの咆哮だった。
目の前の十本腕ボンガレに対するものか、それを操る弥勒に対するものか、それとも人間だった肉を食料として受け付ける町民に対してか。おそらくはその全て。
「弓軌、か?」
「工場長!」
困惑めいた波の中、人垣から出てきたのは、ヒゲ面の男が前に出てきた。さくらは弓軌の働いていたサルベージ工場の工場長らしいことを察する。
「無事だったのか、心配してたんだぜ!」
「工場長! これはどういうことなんです!」
再会を祝うような工場長に、弓軌は激情を返す。
数時間前まで死んでいるかもしれないとすら思っていた相手の薄ら笑いに、弓軌は込み上げる熱さを抑えられない。
「――お前の言いたいことはわかる。だが」お前の生まれる前からよくあったことだ、肉を食べるために生き物を殺すことは」
「戦前って……牛やブタに見えたのか、あの子がッ? 人間だった、俺より若い女の子だったんだぞ!? 見てなかったのかよォッ!」
弓軌の叫びに、弥勒も周囲の人間たちはただ黙っていた。
「…牛やブタが今は手に入らないことぐらいお前でも知ってるだろ? 人間の肉をそのまま売買する連中だって居るんだ…今のご時世じゃ仕方ない」
「仕方ない……? 肉なんて食わなくたって、野菜だけでも生きてけるだろっ! 今までだって、そうして来ただろッ!」
弓軌の正論に、工場長と呼ばれた男は眉をひずめ、半笑いになった。
「野菜ってのは、あの臭ぇゴミのことを言ってンのか?」
「ッ?」
「口に入れるたびに吐くほど臭ェ、あれがかっ! 戦争の前だったら、あんなものは野菜とは云わなかった。ゲロ以下のゴミだ…戦後生まれのお前には分らないだろうが、昔はメシが食いたければコンビニに行きゃよかった」
工場長の吐いた息から、先ほど食べたと思われるカレー粉の臭いがした。
「甘いもんも塩辛ぇものも、麺もパンも…それが当たり前だ、それが当然だったんだッ! だが今はただ生きるためにはゴミを食わなきゃならねぇ。俺たちが何をしたってんだ? 戦争を必死に生き抜いて苦労してお前たちを育てるために町を直して…肉ぐらい食って何が悪い?」
暴論ではあったが人垣からはこれが総意だとでも云うかのようにその矛盾や過ちを指摘されない。
そして次に口を開いたのは異常の中心、弥勒だった。
「私は東京都救世主です。先ほどの素体の娘は、東京都民ではなかったので給食係になっていただきました。
…餓死する人間すら居る中、たった一人の給食係のおかげで都民全員が一〇キロの肉を手に入れられるのです。何が間違っていると言うのですか?」
「間違ってるだろ! 間違ってないとしても、正しいわけがあるか!」
「…あなたも都民でしたね、あなたも給食として肉一〇キロの配給を受けられますよ?」
弓軌の顔に、何かが宿る。先ほどのシャワーで付いた血液が隈取のようになり、形相は険しかった。
だが、弥勒の視線はスっと隣のさくらへと向いた。
「そちらのお嬢さんは東京都民ではありませんよね…お名前をお聞かせ願いますか? お嬢さん」
「込中さくら、です。…皆さん、香りが悪い物でも、工夫次第で食べられます。 皆で頑張れば、頑張れると思います」
うちの料理長なら、と続ける直前に工場長が開口した。
「ふざけてんな、小娘ぇ。『なんとか食える』と『美味いものを食う』は違う。歯を食いしばって仕事して、歯を無理に開いて食うのか?」
戦後、食事によって心を病み、身体を壊す者も珍しくない。それほどまでの苦痛を一日三度。工場長が孕む怒気も決して浅い物ではない。
「…そういうことですよ。 他人が一人死ねば、自殺すら考えていた人間が美味しくマルチフードが食べられる。 私には管理できる能力がある…なにせ救世主ですから」
「どんな理屈があれば人殺しが正しいものになる! 寝言を言うなッ! メシってのは…そんな…!」
そのとき、弓軌はなぜ自分がこうまで自信に溢れて反論できるかの理由に気が付いた。
先ほど食べた、蛮の作ったカレーだ。あれは決して悪臭と戦うのではなく、その悪臭すらも味の一部にしていた。
希望ある未来を見た気がしたのだ、毎日苦しみながらカレーを食べるのではなく、楽しみにあのカレーを食べられる未来を。
「苦しまずに肉を食べられ、人は未来に希望を持つ…何が間違っているのです?」
自分が見たような希望と似た理想を殺人の上に構築している男に、ただ無性に腹が立っていた。
「…込中さくらさん。 あなたには、これから先ほどの女性と同じように次の給食係が見つかるまで眠り続けてもらいます。 マルチフード化する場合、その直前の精神状態によって肉量が左右されますから……リラックスしていただきます」
冷静に、冷徹に、冷酷に。当然のように弥勒が歩み寄り、同じだけさくらが後退る。
この世には、死の宣告をこうも笑顔で言える人間が居るのか。
「恐怖には値しません、ただそこには英雄的な尊敬ある死が待っているだけです」
云ってから、弥勒は再び千手観音ボンガレのコクピットに乗りこみ、十のロケットパンチを飛ばした。
それらはさくらを中心に据え、その周囲に時計の文字盤のように浮かんだ。
「ズバンドアァーァップ!」
朝の冷め切った空気を裂いて、さくらの足元から、襲い掛かる一〇の鉄腕を跳ね除け黒い鉄柱が生えた。
鉄柱の正面は爆ぜたように開き、さくらや弓軌が見慣れたダルマ型のロボット。どうやら弥勒も見覚えがある様子だった。
「あれは陸戦量産型ボンガレ、ゴーディオスッ!?」
「違うっ!」
千手観音型ボンガレのスピーカーから広がった弥勒の言葉を、青い風が否定した。
青い風、正にそれは青い烈風。
ブルーシートをたなびかせ、弓軌とさくらを浚ってダルマ型ボンガレのコクピットに乗った。
「こいつは我がマシンにして我が兄弟、その名をビッグ・ズババンッ!」
「料理長!」
ハッチを手動で閉じた青い烈風、もちろんそいつは料理長、頭刃蛮だ。
《まさか私のトリプルシックス以外に日本にボンガレが現存していたとは驚きです。給食係のさくらさんを返してその機体のガレドライヴを献上するなら、都民にして差し上げますよ?》
今度のはスピーカーではなく、ボンガレ内部の無線機を使って直接通信を掛けてきた。
バタバタと蛮はダッシュボードを開けたり、モニターの影やらをひっくり返して無線機を探す。どうやら暫く使っていなかったらしく、さくらとの写真やらなんやら色々落としながら探す。
結果、さくらがサラリと見つけ出した受話器を蛮に渡し、蛮は表情も変えず受け取った。
「ふざけるな、うちの副料理長が欲しいなら金払え」
《おいくらで譲って頂けますか?》
「七千億と消費税で譲ってやる」
《…少々、持ち合わせがありませんね》
彼の性格上、『うちの大事な副料理長は絶対にやらん』とは云えないんだろう。
弓軌は先ほどまでのささくれた気持ちが、蛮の背中になだめられていくのを感じていた。
《あなたのゴーディオスは、シングルドライヴの量産機のはず。私のトリプルシックスはイレヴンドライヴの特。戦力差は分りますね?》
「何度も言わせるな、コイツはゴーディオスではない。俺の愛機、ビッグ・ズババンだ」
「皆さん、あのシングルドライヴのボンガレが、私のトリプルシックスに戦いを挑むようです。離れていてください」
それが合図だった。
先に宣戦布告したのは自分だというのに、さも蛮から宣戦したかのような言葉をスピーカーで大仰に広めた。蟻のようにバラバラと散らばる人々……だが人々は戸惑っており、どこに逃げたら安全かすらわかっていない。
「俺たちが移動した方が早い」
《それは賢察》
二人の無線でのやりとりの直後。
十のロケットパンチがそれぞれ意思があるように浮かび上がり、内五本がトリプルシックスを、残りの五本がビッグズババンを抑える。
《向こうに空き地があります、そちらで。》
蛮の応答を待たず、ロケットパンチは飛んだ。
二つの胴体を持ち上げ、軽々と移動し、会話する間もなく空き地に着いた。
周囲は大戦中の爆撃の標的となったビルが立ち並び、その中には都庁と呼ばれていた残骸。
かつてこの国の経済の中心であった地、そこで今、都民の食事と命を巡る戦いが、始まろうとしていた。
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