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8話「マナーについて」

 ヘクター神父と別れて、翔太とユニスは宮殿の居住区に戻ってきた。


「後は一人で練習してもいいんだな?」


 彼がそうたずねると王女はうなずく。


「はい。後は鍛錬を中心で大丈夫だと思います。お教えしたように癒しの力はいくつか種類があるのですけれど、最初のものを今日いきなり会得できたショータ様ならば、何も焦ることはないでしょう。少しずつ学ばれていけばよいかと存じます」


「そういうものなのか」


 一日に一気に覚えてしまうのはあまりよくないとやんわりとたしなめられてしまう。

 そう言われては彼としては引き下がるしかない。

 

「それよりもショータ様、申し訳ございません。今晩は両親との会食する予定があるのを忘れておりました。断りいただいてもよいのですけれど、いかがいたしましょう?」


 ユニスが不意にそんなことを言い出して、彼を驚かせた。


「……別に大丈夫だけど、忘れていたのかい?」


 抜けているところもあるのか、と意外感を抑えきれずに口に出してしまう。

 彼にまじまじと見つめられた彼女は、恥じらって顔を両手で隠してしまった。

 彼女にとっても痛恨だったらしい。


「本当に穴があったら入りたい気持ちです」


 弱弱しい声でそう告白する姿は、見る者の保護欲を刺激する。

 さすがに居住区の中に戻ってきて人目が増えた為、抱きしめるのはもちろんのこと、手を握るのもはばかれるのだが。


「失敗は誰にでもあるんだし、そこまで気にしなくてもいいじゃないか」


「……そうおっしゃってもらえるのはありがたいです。以後気をつけますね」


 彼女はまだ自身を責めたりていない様子だったが、そう言ってぎこちない微笑を浮かべる。

 そう言わないと彼から延々と慰めの言葉が出続ける、と予想したのだろう。

 

「うん、それでいいと思う」


 彼らが微笑みをかわしあっていると、そこへシンディがやってくる。

 それに気づいたユニスが彼女に話しかけた。 


「いいところに来たわ、シンディ。ショータ様が晩餐に参加なさるから、マナーを教えてさしあげて。わたくしは陛下に報告しにうかがう必要があるから」


「かしこまりました、姫様」


 シンディがうやうやしく一礼をして命令を受けとる。

 王女は翔太に「また後でお会いしましょう」と言ってその場を去り、彼女だけが残った。

 彼女は彼に向きなおってにこりと微笑みかける。


「それでは勇者様、お部屋にまいりましょう。晩餐のマナーと申してもさほど難しくありませんから、きっと勇者様ならばすぐに覚えられるでしょう」


 彼には期待が重く感じられたものの、弱音を聞かせるわけにはいかないと思う。


「頑張るよ」


 そう答えた彼がシンディに案内されてやってきたのは、彼に割り振られている部屋であった。


「必要なものをとってまいりますので、しばしお待ちを」


 彼女はそう断りを入れて、一度彼の前から姿を消す。

 彼はほっと息を吐いてベッドに腰を下ろした。

 体から力を抜くのはずいぶんと久しぶりのように思われる。

 周囲に勇者として扱われるので、自分なりに応えようとしている結果だ。

 我ながらずいぶん背伸びしているものだと彼は苦笑したくなる反面、充足感を感じてもいる。


(誰かに必要とされるのは悪い気がしないもんな)


 そう言えばガムース城は今後どうなるのだろうか、と彼は思った。

 流通と国防の要衝とあっては放棄するわけにもいかないだろう。

 修復する必要があるのだろうが、素材や工員の調達はどうするのだろうか。

 それとも戦没者の慰霊が先になるのか。

 

(興味で訊くのは不謹慎な気がするしなぁ)


 誰も彼にはっきりとしたことは言わなかったが、ガムース城に常駐していた将兵が全滅したであろうことを察するのは難しくない。

 彼のことが必要ならばいずれ打診がはずだから、それまでは何も言わない方がいいのだろうか。

 

(いや、一応言うだけは言っておくか)


 一度出撃してデーモンを三体撃破しただけで、全ての人が彼に好意的になったと考えるのはさすがに浅慮というものだ。

 そしてそういう人が彼に対して厳しいのは、彼が戦おうとしなかったせいのだから、自業自得である。


(俺が死者がとむらったくらいで評価が変わると思わんけど、信頼を勝ちとる努力は続けるべきだよな)


 それがユニスやヘクターのように、己を信じてくれている人に応えることになるのではないか、と思うのだ。

 彼がそうこっそり決意を新たにしたところへ、ノックの音が響く。


「失礼いたします」


 入室許可を出すとシンディが入ってきたが、彼女は一人ではなかった。

 うすい青色の包みを四つ抱えた、見覚えのない侍女たちを二人連れている。


「お召しものをお持ちいたしました。まずはお召し替えからお願いいたします」


「あ、うん」


 それ用の服に着替えてから練習をするとは本格的だな、と翔太は思う。

 そして「ここは宮殿で王族と食事をするマナーを学ぶのだから当たり前か」と納得する。

 

「それでは失礼いたします」


 これまで無言だった侍女たちはそう前置きをして、彼の服を脱がしにかかった。

 そういうことだろうと予想はできていた為、彼は黙って受け入れる。

 ただし、恥ずかしいというか照れくさいのに変わりはなかったが。

 彼が下着姿になると、侍女たちは包みを開ける。

 中から出てきたのは真新しい白いシャツと同色のチュニック、それから黒いズボンであった。


(こっちの世界でも礼装は、白と黒なのか?)


 チュニックとズボンというとり合わせに小さな違和感を覚えたが、すぐに消える。

 着せてもらい終えると黒縁の姿見鏡が運ばれて、彼の姿が映し出された。

 この世界の若者らしい姿になれた、と彼は感じる。


「とてもお似合いかと存じますが、いかがでございましょう?」


 シンディに微笑みながら問われたが、彼はうなずいただけにとどまった。

 こういう時に話す適切な言葉がとっさに出てこなかったのである。

 赤髪の侍女は特に気にしたそぶりも見せず、他の同僚たちにさっと目で合図を送った。

 すると二人の侍女たちは彼に一礼して、部屋から出て行く。

 

(レッスンは二人でやるのか……どうせ恥をさらすなら、人数は少ない方がいいな)


 翔太は彼女たちの配慮をありがたく感じた。

 シンディは彼のひそかな感謝を知ってか知らずか、紅唇を開く。


「では、はじめに会食部屋に入るところからはじめましょう」


 彼女はそう言って説明する。

 

「ドアはわたくしどもが開けます。勇者様はお入りになった後、右手を開いて左胸に当てて、十五度のお辞儀をおこなってください」


 それから実際に手本をやってみせた。


「入る際の礼で晩餐会の主であられる陛下に対して、敬意を表明するのです。この礼は入る者の格によって違ってきます」


 三神に選ばれた勇者は、本来ならば一国の君主に対する礼儀を守らなくてもよいほどの存在である。


「ですから乗り気でないならば、何もなさらずともよいのですが」


「いや、王様や王族に対する礼儀は守るよ。できるかぎりは」


 意図せずして無礼を働いてしまうかもしれないが、可能なかぎりは守るつもりでいるという翔太の意思を確認し、シンディは内心ホッとした。

 たとえ勇者であろうとも自分たちの王には礼儀を守ってほしいと思う人は意外と多いし、守らないでいるとさぞ騒ぎ立てるであろう。

 そうなった場合、それを鎮めるのは他ならぬ王族たちなのだ。

 そういった懸念が一つ減ったのは、ユニス王女専属侍女である彼女にとって喜ばしい。

 

「椅子に座る時は特に何もございません。ただ、食事がはじまる際には……」


 こうしてシンディのレッスンは続き、翔太は繰り返して練習する。

 彼がそれらしいふるまいが身についてきたのを見計らって、彼女は休憩を挟んでくれた。

 だが、それは単なる休みではない。

 他の侍女たちが何種類か飲み物を持ってきて下がった後、シンディは


「晩餐の際に出される飲み物についてご説明いたしましょう」

 

 と言ったのである。


「ああ、うん。お願いするよ」

 

 翔太は一瞬虚をつかれたものの、もっともだと思ったので引き続き教わることにした。

 

「最初に出されるのは葡萄酒になります。それを注いだグラスで乾杯を行います。その際には……」

 

 説明を注意深く聞いて、シンディが見せてくれる手本をまねする、という手順はこれも変わらない。

 ただ、こちらの方が彼にとっては覚えやすかった。

 覚えなければいけないこともやや少なめだったし、のどを潤すこともできたからである。

 もっとも、彼の肉体はカルカッソンにおいては飲酒ができない年齢であった為、口にしたのは果実水だが。

 一通り終わるとシンディが優しい笑顔で翔太をねぎらう。


「お疲れ様でした。三十分ほど休憩といたしましょう」


 今度こそきちんした休憩になったので、彼としては安心する。

 覚えなければいけないと集中を保ち続けるのは、そろそろ限界だったのだ。

 シンディが渡してくれた水は、ひんやりとしてとても美味しい。

 これほど美味しい水は飲んだ記憶がないと本気で思ったほどに。


「美味いな、これ……」


 考えるよりも先に口から言葉が漏れていた。


「それはよかったです」


 燃えるようにと言うよりは秋の紅葉のような赤い髪を持った少女は、嬉しそうに微笑む。

 コスモスのような美しさに翔太は思わず見とれかけ、ギリギリのところで目をそらす。

 何となく二人の間には会話が生まれなかった。

 彼は話題を見つけられなかったし、彼女の方も話しかけようとしてこない。

 ただ、いたずらに時間だけがすぎていく。

 やがてシンディは立ち上がり彼に言った。


「それでは再開いたしましょう。まずは最初からお願いいたします」


 彼は仕方ないと水を飲みほし、教わったことを思い出す仕事を脳に与える。

 一通り観察していたシンディは満足そうに頬をゆるめた。


「ほぼできています。ぎこちない点はありますが、今日覚えたばかりである勇者様だと考慮すれば満点に近いと言えます」


「一応、覚えてたてという部分は考慮されるのか?」


 それならば多少は気が楽になるというものである。

 彼の願望まじりの質問に彼女はうなずく。


「勇者様が守護三神のお力によって、異世界から招かれたことは周知の事実ですから」

 

 だから今回のマナーもこなして彼の評価があがることはあっても、できなかったからと言って評価がさがることはないはずだ。

 彼女はそう語る。


「それなのにも関わらず、真摯に学んでいらっしゃるなんてとても素敵です」


 そう言った彼女の声には熱があった。


(どうしてこっちの世界の人たちは、俺の言動をいちいちいい方に解釈してしまうんだよ……)


 翔太としては正直なところ困惑するし、疲労感を覚えてしまう始末である。

 これでは「役立たずの勇者など追放するべきだ」と主張していた男の存在にありがたみを感じてしまう。


(いや、ぜいたくすぎるんだよな)


 彼だってただの人間にすぎないから、自分の境遇に一切理解も共感も示してくれず、自分たちの都合だけで一方的に批判してくるタイプの人間に好意は持てない。

 そしてその逆にユニスのように理解してくれ、いかなる決断も尊重すると黙って待っていてくれた人をありがたく感じる。

 好ましい人間だけ助けたくて、嫌いな人間が助かってしまうのは嫌だとまでは思わないが、できるだけ好ましい人たちのことだけを意識していた方が、精神の健全性が保てるというものだ。


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