8話「神の裁き」
クローシュの王城ではユニスの姿が見えなくなったと誰も気づかず、人々はみないつも通りの生活をしていた。
その中でほぼ唯一の例外がシンディである。
彼女は翔太がデーモンとの戦いに赴いたことを記憶しており、彼の無事を自室で祈っていた。
ユニスがいないこと、いつも通りの生活をしていないことに関しては一切疑問を抱いていない点は他の人と変わらない。
(ディマンシュ神、メルクルディ神、ヴァンドゥルディ神……守護三神よどうかショータ様をお守りください)
両膝をじゅうたんにつき、目を閉じて一心不乱に捧げられる祈りはメルクルディに届く。
(安心しなさい、シンディ。ショータは死なせないわ)
女神はシンディに返答しなかったが、したところで侍女は安心できなかっただろう。
メルクルディは愛の女神としてカルカッソンで認知されており、戦いとは無縁のところに位置付けられている。
カルカッソンの民にとって武勇を誇るのはディマンシュ神であった。
そのようなカルカッソンの民が異変に気づいたのは、急速に黒雲が空に広がったからである。
カルカッソンの気候では決して起こりえぬはずの現象に不審を持った人々の脳内に、雷鳴のような声がとどろいた。
「我こそは裁きの神。カルカッソンに生きる者よ、我が試練を受けよ」
これには人々しても困惑せざるをえない。
ざわめきがあちらこちらで起こる。
その中でクローシュ王はさすがと言うべきか、座して待つようなことはせずヘクター神父を呼び出した。
「そなたは裁きの神について何か知っておるか?」
「はっ」
老神父は王の前にひざまずきながら、自身の知っていることを話す。
「代々伝わっている書物には、カルカッソン創世の時には愛の女神、豊穣の女神、戦いの神以外にも裁きの神がいらっしゃったと記されております。何故かその名は残されていないのですが……」
それを聞いた王は表情をくもらせる。
「勇者殿がいまだ戻って来られぬところをみると勇者殿が復活させたのか? それにしては我らに対する裁きとは穏やかではないな。守護三神と同じ存在であれば、我らの味方であるはずだが……」
何の事情も知らぬ身としては当然の疑問であった。
「勇者様の御身に何かあったのかもしれませぬな」
ヘクターが慎重そうに言えば王がとがめる。
「滅多なことを申すな。まるで勇者殿が裁きの神を目覚めさせ、怒らせたようではないか」
「決してそのようなつもりは……」
ヘクターはあわてて弁明した。
温厚な王はともかく、近くにひかえる側近たちはどのようなふるまいをするか分からない。
たしかな人望を得た勇者の器に彼は感心していたのだが、今回ばかりはそれが脅威になりかねなかった。
「まあよいわ。言葉尻をとらえてあげつらっている場合ではない。裁きの神の試練とはいかなるものか、推測はできるか?」
「分かりませぬ。ただ、裁きの神は命を愛で邪悪を嫌う、厳しく公正なる神であると記されていたはずです」
「それが事実であれば、必ずしも我らにとって災厄になるとはかぎらないか」
クローシュ王は翔太が聞けばあまりにものん気すぎると嘆きそうな発言をする。
彼らの会話が中断したのは大きな雷鳴が突如として轟いたせいだ。
クローシュではもちろん、カルカッソンでも初めての現象である。
少なくとも人類が国家を成立してからは。
「いよいよはじまるのか、神の試練が……」
一体どのようなことがはじまるのか。
沈着冷静なクローシュ王も思わず生唾を飲み込む。
どこからともなく黒い霧が出現して城内に流れ込み、彼らの視界を埋めていく。
思わず城内にいた人々は身がまえ、口に手を当てて後ずさりしたものの体に異変は起こらない。
その代わり黒い霧から何やら景色のようなものが浮かび上がった。
霧がスクリーンのかわりとなって映像が流れ始めたのである。
ここの世界の人々は映画もスクリーンも知らないため、何が起こっているのか理解できず呆然と目の前の光景を見ていた。
映し出されているのは彼らが生まれてから一度も見た覚えがない種族である。
空を自由に飛ぶ獅子グリフォン、体が鶏、尻尾が毒蛇というバジリスク、首から上が牛で怪力を誇るミノタウロス、大型の犬のようなリュカオーン、岩のように硬い皮膚を持つ巨大なコウモリガーゴイル……そして世界樹と呼ばれる巨大な霊木に住みその地域を守護していたニーズヘッグ。
これらの種族は平和で穏やかで笑いの絶えない日々を送っていた。
初めて見る種族が珍しく好奇心を刺激される。
どの種族も仲良く暮らしていて、人々の心は自然とあたたかくなった。
これを見ることの何が試練なのか、カルカッソンの人々に疑問が首をもたげてきた頃、映像は次の場面へと移る。
最初に映し出されたのは必死に森の中を逃げるブラックドッグとそれを捕殺する人間だ。
人間は馬鹿正直に後ろからブラッグドッグの群れを追うばかりではなく、あちらこちらに罠を仕かけていた。
成体は巧みに罠を回避していくが、子どもにはそのような知恵も経験もなく罠にかかってしまう。
悲しそうに鳴いて助けを求める子どもに気づいて慌てて戻ったところへ、人間は火矢や石で仕留めるのだ。
動けなくなった子どもを身をもって庇いながら親のブラッグドッグが死んでいく様は、人々から声を奪う。
「な、なんだよこれ……」
誰かがうめく。
次に滅んだのはミノタウロスである。
オスを皆殺しにされ、メスは奴隷にされたが人間との間に子どもは作れなかった。
グリフォンは親を遠くにおびき寄せ、その隙に子どもや卵を殺すという方法を用いた。
当たり前の話だが子どもが全滅すれば種は滅びるしかない。
「嘘だろこれ」
誰もが目を背けたくなるような光景だが、何故か誰も目を逸らせなかった。
人間以外の種族を滅ぼしていくのは人間である。
それも種族の存亡の危機を賭しているようには見えなかった。
他種族を襲う人間の顔は欲望や愉悦で醜くゆがんでいたのである。
ある日、世界樹をわが物にしたくなった人間はニーズヘッグを狙う。
さすがにニーズヘッグはすさまじく強く、数万の大軍もあっさりと蹴散らされてしまった。
ではどうしたのかと言うと、人間はニーズヘッグに詫びの品として毒入りの酒を飲ませたのである。
大好きな酒をたらふく飲んだ守護竜は眠ってしまい、そこを人間たちに襲われた。
独りで数万の軍隊を一蹴するニーズヘッグも、泥酔しているところを十万の敵に奇襲されてはたまらない。
あっけない最期を迎えてしまう。
それに怒ったのがニーズヘッグの友である竜、ファブニールであった。
怒り狂った黒き竜はニーズヘッグの首を誇らしげに王都の城門に飾っていた国へ単騎攻め込み、恐るべき強さでこれを滅ぼしたのである。
一国を攻め滅ぼした暴悪竜ファブニールの凶名はあっという間に広まった。
だが、ファブニールがどれだけ強い竜であろうとも、あくまでも一個の生命体である。
戦えば疲れるし腹も減り、休息をとらなければならない。
一国を滅ぼし、次の国の都市を半分壊滅させたところでファブニールは休んだのだ。
今さら言うまでもなく残りの人間たちは決死の覚悟でそこに押し寄せたのである。
「おのれ! 人間どもはどこまで卑劣なのかっ!」
決して正々堂々と戦おうとせず、相手が休んだり眠ったりしているところを狙う人間の姿勢は、ファブニールの怒りを増幅させた。
攻め寄せた五万の軍勢を返り討ちにし、さらに半壊させていた国の残りも完全に破壊したところで黒き竜はとうとう人間の手で討たれる。
これによって人間がカルカッソンの覇者となる時代が大きく近づいたのだ。
「見たか、貴様らの先祖の悪業を?」
どこからともなく低く重苦しい声がカルカッソンの人々の脳に響く。
「理解したか、貴様らの罪を?」
この声はおそらく裁きの神のものだろうとクローシュ王やシンディは想像する。
「貴様らは罪なき種族を己の欲望と享楽のために根絶やしにした悪逆の末裔……彼らの怒り、悲しみ、憎しみが私を立ち上がらせたのだ。これでも貴様らに生きる資格があるのか?」
裁きの神シュガールは真っ青になり声も出せない人々に容赦なく叩きつけた。