6話「四の神」
最深部で待っていたのは十五、六歳くらいの美少年だった。
白い服に透き通るような白い肌、白い髪に赤い瞳は神秘的ですらある。
「やあ、待っていたよ。地球の日本から来た、山本翔太くん」
少年はにこりと微笑む。
神々しくさえあるその顔に翔太は胸がざわつく。
同性すら見とれてしまいそうな美貌を見ても、高鳴らずに恐ろしいものを見たような気分になってしまう理由は恐らく一つだ。
「お前が魔王シュガールだよ?」
「たしかに私がシュガールだよ。でも、魔王と呼ぶのは止めてほしいね。それは忌まわしき者たちが私を貶める為につけたレッテルなんだよ」
笑顔の中に不意にほとばしった凄まじい殺気に翔太は背中が凍り付く。
かつて彼と対峙した三巨頭サラヴァンですらこれほどのプレッシャーを与えてはこなかったはずだ。
「それは失礼した。シュガールでいいのかな?」
思わず後ずさりしてしまいそうになるのを我慢し、彼はそう話しかける。
シュガールの話を聞くという段階が必要である以上、とにかく物分かりのいいところを示すべきだった。
「ああ、それでいい。さすがに君は話が分かるね」
美少年は機嫌を直したようで笑顔が戻る。
「どうして俺のことを知っている?」
翔太はつい尋ねてしまう。
あるいは魔王とはそういう存在なのかもしれないが、シュガール自身がどういうのか確かめてみたかったのだ。
「どうしてと言われても私は神だからね。それくらい造作もないこと。君にはかつて神として崇められ、今は悪の象徴として見なされるようになった存在と言えば想像しやすいかな?」
魔神、邪神とされるようになった土着神の一種なのだろうか。
翔太がそう思っているとシュガールは満足そうにうなずく。
「大体合っていると思うよ。一つ言っておきたいのは、私を貶めたのは守護三神ではない。このカルカッソンと呼ばれる世界の者どもだ。君が信じているディマンシュ、ヴァンドゥルディ、メルクルディに恨みはないんだ」
「そうなのか……」
魔王シュガールの言葉をどれくらい信じればよいのだろう。
勇者には迷いが生まれはじめる。
美少年の姿のシュガールは、赤い目を細めながら話す。
「もうこの世界の者どもは覚えていないのだろうけど、元々この世界に降り立った神は四柱なんだよ。豊穣の女神ヴァンドゥルディ、戦いの神ディマンシュ、愛の神メルクルディ、そして死と裁きの神シュガール……この私さ」
「死の神が嫌われるのはこちらの世界でも同じだったということか?」
ついつい訊いてしまったが、元神を名乗る者は不快感を示さずに肯定する。
「大体はそうさ。我々が降り立った頃はもっと多種多様な種族がいたが、人間たちが全て滅ぼした。それも身勝手な理由でね」
実に耳が痛く響いたのは、元の世界でも人間の身勝手さについて各種媒体を賑わせていたからだろうか。
「私は許せなかった。死を司る神たる私には、人間に滅ぼされた者たちの怒り憎しみ悲しみが流れ込んできたよ。裁きの神として人を裁こうとしたら人は何と言ったと思う? 人を裁く神は神にあらず悪魔だと言い出したのさ」
彼は思わず目を閉じてしまった。
嘘だと一言で否定してしまおうにも、シュガールの言葉に情感があまりにもこもりすぎている。
「君はもう気づいたかもしれないが、百八のデーモンとはかつてカルカッソンに存在し、人間どもによって滅ぼされた百八の種族のこと。魔界と呼ばれるこの地は本来、死者たちが安らかに眠る場所のこと」
「レオナールは手柄を立てないとお前に消されるとおびえていた。あれが嘘だったとは思えないが?」
翔太はたまりかねてそう質問した。
一体何に対して我慢ができなかったのか、自分でもすぐには理解できない。
そのような勇者に憐れむような赤いまなざしが向けられる。
「その方が彼らの為だろう? 理不尽に自分や仲間が殺され滅ぼされた怒り、悲しみ、苦痛、恨み……それらを永遠に覚えていろと言うつもりなのかい?」
シュガールの問いに返す言葉がなかった。
それでもただちに全面的に認める気にはなれず、必死に反撃の糸口を探す。
「守護三神があんたと敵対した理由は? 話を聞いた限りだとあの三神がカルカッソンを守る理由はないはずだけど」
「彼らが守っているのはこの世界ではない。神々の掟さ」
「何だと……?」
シュガールの憐れむような悲しそうな笑顔は一寸たりとも崩れない。
「その世界がどうあろうと守護する為にやってきた神が滅ぼしてはいけない。もしそのような神が現れた場合、他の神が討伐しなければならない。それが神々の掟。つまり私は掟に背いた神であり、守護三神は内心どう思っていようとも私を討伐するしかないのさ」
舌が麻痺してしまった翔太に対して、シュガールはさらに言葉を重ねる。
「不思議に思ったことはないかい? カルカッソンを守る神であるならばどうして彼らは勇者の自我を奪おうとした? 私や私が生み出すデーモンを倒す道具にしようとしたのだ? 我々に対して有効な手段がいつまで経っても三つの神器だけだったのだ? 守護三神がその気になれば私を完全に滅ぼせると考えたことはなかったのかい?」
「そ、それは……」
何か理由があるのだろうと思っていた。
守護三神が直接戦ってはいけないような特別な事情が。
「実際はカルカッソン世界に対する罰みたいなものさ。私は裁かれるべき存在となってしまったが、この世界の者たちが無罪となったわけではない。そういうことなのだよ」
そこへ玲瓏たる女性の声が不意に響く。
「そこまでよシュガール」
聞き覚えのある声に翔太が驚いた振り向くとそこにはユニスが立っていた。
「今さらのこのこやってきたか、四神が長、大いなる愛の女神メルクルディ」
それに対してシュガールは忌々しそうな表情になる。
「ユニス……? ユニスがメルクルディ?」
翔太の視線が忙しくユニスとシュガールの顔を往復していた。
彼の頭は大混乱している。
見慣れたはずのユニスの顔は、いつもの柔らかさと温かさが消えていた。
普段の顔が春の陽気とするならば、今の顔は真冬に吹き荒れる吹雪だろうか。
そのような彼女も翔太のところにくるといつものものに戻る。
「私はユニスであり、メルクルディの化身……神でもあり人でもあるのです。だからあなたを愛し慕うユニスという女は、れっきとして存在しているのです」
愛おしそうに彼の頬を撫でる彼女の細い手は場違いなほど温かった。
「そうなのか?」
「はい。あなたがわたくしを受け入れてくださるならば、添い遂げたく存じます。受け入れられなくとも、我が愛が変わることはありません」
慈愛に満ちた表情は確かに翔太がよく知るユニスのものだが、それだけではないと思う。
「よく言えたものだ。人と神の恋愛など、私以上の重罪ではないか。何も知らぬ人間を巻き込むつもりか、メルクルディ」
シュガールが棘だらけの声をぶつけるが、メルクルディは冷笑する。
「それは神と人の恋愛でしょう? 私は確かに愛の神メルクルディだけど、わたくしは王女ユニスでもあるのよ?」
「そ、そんなことがまかり通ると思っているのか?」
さすがのシュガールもあきれ返ったようだが、女神の笑みは深くなった。
「まかり通るのではないわ。押し通すのよ」
同時に彼女の全身から凄まじい光のオーラがほとばしる。
翔太が三種の神器の力を限界まで使った比ではなく、あまりの凄まじさに魔界が激しく鳴動しているかのようであった。
愛の神は果たして強いのだろうか。
そのような疑問など今さら浮かぶはずがない。
愛の女神メルクルディこそ四神の長であり、最大最強を誇る存在。
一介の人間でも嫌というほど思い知った。
「シュガールよ、愚かなる神のなれの果てよ。いい加減因縁に決着をつけましょう」
「さんざん日和見を決め込んでおいて、好みの男が現れた途端にこれとはさすが愛の女神だな」
シュガールの言葉は負け惜しみだが、それで片付けるには侮蔑と嫌悪が強すぎる。
「私は、わたくしはずっと待っていた、ショータのような人を。そしてようやく出会えたのよ……」
彼女の言葉に込められた想いの深さはいかばかりか。
神ならぬ翔太では想像することさえ不可能だ。
しかし、このままではいけないということは分かる。
「ま、待ってくれ。このままシュガールを倒してはいけない」
彼のこの発言にはシュガールもメルクルディも意表を突かれたらしく、目を丸くしていた。
「ショータ……わたくしがシュガールを滅ぼせば、二度とこの者は復活できません。長い戦いは終わるのです。それでもいけないのですか?」
ユニスの顔と声で尋ねてくる女神に彼はうなずいてみせる。
「ああ。ダメだと思う」
困惑する彼女に彼は存念を明かす。
「神に対して傲慢かもしれないけど、この戦いを終わらせるべきなのは人じゃないとダメなんじゃないか。女神が終わらせてしまったら、今までが何だったのかとなってしまうんじゃないか。人が魔王を倒してこそ、初めて意味があるんじゃないかという気が」
「なるほど……」
メルクルディは理解を示したが、シュガールはそうではなかった。
「人が私を倒すだと? 君ならばいざ知らず、カルカッソンの人がかっ?」
怒りと憎しみと驚き、それ以外の感情で端正な顔が醜くゆがむ。
「そうだ」
あるいは独りよがりかもしれない。
だが、カルカッソンの人が何も知らないところで決着つけてよいのか。
翔太はそう思わずにはいられなかったのだ。
(生き返らせてくれたユニスの為、俺を世界を救う勇者と信じてくれるシンディ達の為にも)
来たばかりの彼であればとてもそのようなことは言えなかっただろう。
それなりの時間、こちらで生活して人々と触れ合ったからこそ言えたのだ。