3話「突入」
翔太は魔界へと突入する。
文字とは裏腹にゆっくりと慎重そのものであった。
七本槍はせいぜい二体しか残っていないし、五体同時に戦っても圧勝に終わったのだからさほど警戒しなくてもよさそうである。
しかし、まだ三巨頭と魔王が残っているのだ。
これらと同時に戦わなければならないような状況はできるだけ避けたい。
空間の裂け目を踏み越えると明らかに空気が変わる。
これまでのものとは違ってひんやりと、それでいてざらついているような感覚だった。
中は闇夜のようにうす暗く、数メートル先でもはっきりとは見えない。
勇者として成長していなければ、この段階で途方にくれてしまっていた可能性すらある。
これまでの鍛錬に感謝して彼は先を行く。
道は人一人がやっと通れそうな狭いものが一本だけあった。
その左右には何もないようである。
足を踏み外してしまうと奈落の底まで転落してしまうのか、それとも地面はあるのか。
たしかめるには勇気が必要な雰囲気であったし、ここで使う必要がないものである。
翔太はためらわずに前に進んでいく。
これは単に敵の拠点をつく行為ではない。
クローシュという勇者の本拠地を危険にさらしての行動だ。
必要を感じない行為はなるべく慎むべきであろう。
翔太は一刻も早く敵にたどりつきたいという気持ちを抑えながら足を動かす。
道は最初まっすぐだったが、途中からカーブが増えてしだいに下へと伸びていく。
それ以外はとくに変わり映えしなかった。
ここまでのところ敵の反応らしきものが何もなく、不気味に思う。
(俺が侵入してきていることを知らないはずはないだろうけど……)
まだ誰も気づいていないのであれば、ずさんすぎるというものである。
最悪を想定するとすればやはり待ち伏せだろうか。
悪い展開はいくら予想し覚悟してもし足りないということはあるまい。
多数のデーモンに奇襲や不意打ちを食らうと覚悟はしておくべきだ。
それからどれくらい歩いただろうか。
翔太の体感ではたっぷり一時間は経過した後、大きな扉が見えた。
それを開けると大きな広間のような場所に出る。
広間の壁付近に煌々と燃える火がぐるりと並べられていた。
おかげで中央に一つの影が待ちかまえていることも分かる。
「ようこそ侵入者君」
紫色の醜悪な顔をした男性体と思しき存在が、ニタリと白く鋭い牙をむき出しにして笑う。
「ようやくおでましか」
翔太が神剣を抜き放つと不気味な笑い声が響く。
「ははは。愚かな勇者めが。七本槍や十二将を倒しているからと思い上がったか? まんまと飛び込んでくるとはな」
飛びかかろうとした彼は、自分の体がやけに重いこと気づいた。
そこへ嘲弄が浴びせられる。
「まさか今になって気づいたのか、間抜けめ。ここはシュガール様が我らの為にお創りになった領域。ここには忌々しい神の力は届かず、我らはの力は飛躍的に増すのだ」
言われてみれば神剣の輝きもいつもより鈍い。
冷や汗をかく翔太にデーモンが勝ち誇った表情で話しかける。
「もう一つ教えてやろう。七本槍がクローシュとやらを奇襲したのは貴様をここに誘い込む為なのだよ。本拠地を不意打ちされたとあっては、きっとやられる前にやれという気持ちになるだろうとレオナール様は読んだのだ。貴様はまんまとレオナール様の手のひらの上で踊ったにすぎぬ」
「そういうことだったのか……」
レオナールがどの階級にいるのか分からないが、デーモンたちを指揮する地位にあり、なおかつ己よりもずっと知恵者なのだと彼は理解した。
「なら、そのレオナールは倒しておきたいな」
頭のよい者がわざわざ彼と戦おうとするか疑問だが、あえて強気に出る。
そのような勇者を目の前のデーモンが笑う。
「馬鹿め、お前はここで死ぬのだ!」
一秒後、その笑いは硬直する。
翔太が問答無用で体を両断したからだ。
「何だ、ただの雑魚だったか」
体が重くなろうと神剣の輝きが鈍くなろうとも、下っ端のデーモンを一撃で倒せることに変わりない。
ならばいたずらに警戒する必要もないであろう。
翔太はどちらかと言うと慎重になりやすい性格である為、意識して楽観するのも大切なのだ。
デーモンが倒されたせいか、前方にある扉が重い音を立てて開く。
ゲームなどで経験した「部屋の主を倒すと入口ができる」パターンであろう。
彼にしてみればそれよりも今回の件がレオナールとやらの狙い通りだということが気がかりだった。
自分をおびき寄せてその隙に残存国家を破壊してしまおうという魂胆ではないか、と思えるのである。
(一度戻るか……?)
自身のことであれば意識して楽観的になれる彼も、周囲のこととなるとそうはいかない。
(いや、ここでひいては思う壺かもしれない)
しかし、彼は考えなおす。
彼がここに突撃してくることを読んでいたというのだから、話を聞かされた彼が撤退することも予想していてもおかしくはないだろう。
(それならここで一気に進んで、敵の計算を狂わせてやる)
本来の翔太からすればやや過激で好戦的な判断だ。
現在の状況がそうさせたのである。
扉の向こうへと足を踏み入れるとこれまでと似たような風景が広がっていた。
延々と同じようなことをしなければならないのか、という疑問が彼の脳内に浮かび上がる。
だが、進むと決めた以上受け入れなければならない。
同じような道を通過して次の扉を抜けると、新手のデーモンが立ちはだかる。
それを五回ほど繰り返したところで彼は小休憩をはさむことにした。
合計六体のデーモンを倒したことになるが、いずれも下っ端ばかりである。
まだ残っているはずの十二将はもちろん、七本槍や三巨頭が出てくる気配はない。
あえて戦力を逐次投入して消耗させ、疲弊しきったタイミングを狙って大物が出てくるのだろうか。
(だとすれば悪くない気がする……)
デーモンの被害が馬鹿にならないという点に目をつぶるのであれば、かなりよい策であろう。
みすみすその手に乗ってたまるかと翔太は思った。
再び歩き始めると第七の扉が出てくる。
そこは青くひんやりとした部屋だった。
「ここまでたどりついたか、勇者よ……」
中で待っていたのは青白いイカ頭の男である。
「私は天富星クラーケンのパスカル……サラヴァン様の仇、ここで討たせてもらおう」
パスカルの声から微量の怒りと悲しみを感じとり、翔太は問いを放つ。
「ニーズヘッグのサラヴァンの部下だったのか?」
「そうだ。私は数少ない三巨頭が封印された戦いの生き残り……サラヴァン様直属の十二将だ」
重苦しい肯定が返ってくる。
制御された怒りというものがあるとすれば、パスカルが抱いているものだろう。
赤い瞳からはギラギラした光が発せられている。
対話で戦いを避けるのは諦めるしかない強さだった。
「一つだけ訊いておきたい。サラヴァンは戦いを終わらせるにはデーモンに救いが必要だと言っていたが、お前も知っているのか?」
「……何故貴様がそれを知っている?」
パスカルは目を大きく開き、動揺をあらわにする。
もしかするとサラヴァンと彼以外に知る者はいない秘密だったのかもしれない。
思いがけないチャンスだと翔太は判断し、己の胸の内を明かす。
「もしも俺が真に世界を救いたいなら、単に魔王を倒すだけではいけないとサラヴァンが言っていた。デーモンに詳しい事情を聞こうとしても、誰も応じようとしない。何とかしたいと思うものの、八方ふさがりなのが実情だ」
「それは当然だろうな。先の戦いを、我らとカルカッソンの者の間で戦いが起こった本当の理由を知る者は、今となってはほぼいないと言ってよい。ほとんどが歴代の勇者によって滅ぼされ、魔王様の力によって代替わりした者たちなのだからな」
だから対話が成立するはずがない。
パスカルは淡々とそう話す。
その表情や声色からは怒りが消えている。
ほとんどの者が知らないことを翔太が知っていた為、怒りや悲しみ以外の感情が勝ったのだろう。
「代替わりをしたら、デーモンたちの記憶は引き継がれないのか……?」
「そうだ。シュガール様もそこまでの力はないのか、それともあえてやっていないのかまでは分からぬが」
翔太の問いにもきちんと応えてくれる。
敵同士であり、戦意をぶつけ合っているのにも関わらずだ。
何とも奇妙な展開であったが、少しでも情報が欲しい彼にしてみれば願ってないことである。
「私はサラヴァン様が封印された後、自らの意思で眠りについた。そしてサラヴァン様の封印が解かれるまで目覚めなかった。故に記憶も無事なのだろうな。単に興味を持たれなかっただけなのかもしれぬが」
「デーモンとカルカッソンの間で戦いがはじまった理由とは何だ? それさえ分かれば戦いが終わるかもしれないのか?」
翔太が思い切って本題に切り込むと、これまでとかわってパスカルは即答しなかった。
「そこまで教えてやる義理はないな。理由はどうあれ貴様はサラヴァン様の仇には違いない。それに貴様がサラヴァン様に期待されただけの何かを持っているのであれば、私が教えずともいずれ真実にたどり着けるだろう」
パスカルから再び大いに殺気が放たれる。
話し合いはここまでという合図なのだろう。
だが、彼はすぐには諦められなかった。
「待ってくれ。お前がサラヴァンの意思を知っていて肯定しているなら、俺たちは戦わなくてもいいんじゃないのか?」
デーモンにも味方、そうでなくても理解者がいた方がよいと思ったのである。
彼の言葉に返ってきたのは苦笑だった。
「ここでそのようなことをぬかすとは……サラヴァン様が気に入っただけはあるな。だが、答えは否だ。貴様やサラヴァン様の目的が同じとして、それを貴様の立場でかなえるには全てのデーモンを倒さなければならない。
私がギリギリ言えるのはここまでだな」
どういうことだと勇者が訝しがる間にクラーケンが発する殺気は増大していく。
「貴様がサラヴァン様に託されたというなら、あの方が待ちわびていた真の勇者ならば私を倒して見せろ」
これ以上言葉を重ねても無駄だ。
翔太は深々と息を吐き出して神剣を抜く。




