2話「一夜あけて」
事態の詳細が分かるまでは当然のことながら、夜明けを待つ必要があった。
翔太はその間宮殿の一室にて待機していた。
部屋には国王夫妻にユニス、それとシンディだけが一緒だった。
勇者がいれば護衛戦力は十分と判断されたのか、他の者は外で警戒をしていたのである。
一人で王族三人の世話をしなければいけないシンディが一番大変だっただろう。
「報告いたします。特に異常は見られません」
定期報告をすませた騎士が下がると、国王はそっと息を吐き出す。
「何事もなしか。宮殿付近にきたのは七本槍のみだったのかもしれぬ。後は他の地域次第だが……」
「私も確認に行きたいところです」
彼に向かって翔太が遠慮がちに言った。
許可を出せば宮殿の守りが手薄になってしまうし、認めなければ国民よりも己の身を心配する利己的な王となってしまう。
この場には王族とシンディしかいないから言えることだった。
「勇者殿に確認していただいた方が確実なのはたしかだ。しかし、勇者殿が魔界に赴いている間のことを考えれば、他の者も勇者殿ぬきである程度のことはできるようになっていなければ困る」
アレクシオス王はゆっくりとそう答える。
正論だと感じた為、翔太は沈黙した。
「どうだろう、勇者殿。ここは我が臣下に任せてはもらえないだろうか。貴殿に全てを押し付けぬ為にも」
「御意。陛下のご厚誼、感謝いたします」
王にそう言われてしまうと、彼としては礼を言って引き下がるしかない。
彼抜きでもカルカッソンの人たちが何かをできるならば、その方が望ましいのは事実である。
あまり彼が頑張りすぎるとディマンシュ神あたりが「カルカッソンの民は救う価値なし」と判断してしまうかもしれないからだ。
「礼を言うのはこちらの方だ、勇者殿。貴殿の厚意と尽力によってこの世界の平和は維持できているのだ」
アレクシオスは勇者に対して深々と頭を下げる。
一国の王者の割にはずいぶんと腰が低い、と翔太は思う。
だが、尊大な王よりもずっと好ましく感じるし、できるかぎりの協力はしようという気にもなる。
「なに不自由のない暮らしをさせてもらっているのですし、お互い様ということで」
「無欲だな、勇者殿は」
彼としては気にすることはないというつもりで言ったつもりだったのだが、アレクシオスには呆れられてしまった。
いい暮らしをしているというだけで世界の為に戦おうというのだから、とんだお人よしに映っているのかもしれない。
(永久的にいい暮らしをするというのは割と要求が高いと思うんだけど、価値観の違いだろうか?)
ふとそう疑問を抱く。
元の暮らしが暮らしだけに今でも十分贅沢な環境だというのが、翔太の本音だ。
しかし、王族にしてみればこれが日常であろう。
もしかするとそのあたりのすり合わせをしておいた方がよいのかもしれなかった。
そう思ったが吉日とばかりに彼は王に笑いかける。
「そうでもありませんよ。王女や侯爵令嬢をめとってなに不自由しない暮らしをずっと保障されるというのは、相当な褒美です」
「ふむ……? 勇者殿の感覚ではそうなるのか。王女一人に貴族の娘一人くらいでは、せいぜい国一つ助ける分の価値ではないかと思っていたのだが」
アレクシオスはよほど意外だったのか目をみはった。
それでも翔太が異世界人だということで納得したようである。
好きでもない女の子との結婚であれば、あるいは彼もそう感じたかもしれない。
だが、ユニスとシンディの二人が相手ならば、何事にも代えられない価値があるのだ。
(照れくさいから言葉にはできないんだが……)
少なくとも本人たちには一度くらい言った方がよいのだろう。
それでもできれば他人の耳目がない時にしたかった。
「いえ、決してそのようなことはありません」
その為、王に対してはかろうじてそう言うにとどめる。
「ならばよいのですが」
アレクシオスは彼の発言を社交辞令と受け止めたような態度であった。
まさかここでユニスへの想いを熱く語るわけにもいかない。
「はい、大丈夫ですよ」
彼が改めて言いきれば、当の本人が嬉しそうに口元をほころばせる。
しかし、王と勇者の会話に入ってくることはなかった。
彼らはそのまま魔界に関することに話題を切り替える。
「話を戻すとして、魔界へはどのようになさるおつもりかな? こちらとしては慎重を期していただきたいのですが」
「もちろんです。そもそも魔王がいる本拠地かどうかさえ、実際にたしかめたわけではありませんから」
翔太も慎重な口ぶりで言う。
彼が目撃したのは空間の裂け目から七本槍と十二将が出てきて、七本槍が逃げ込んだだけだ。
その先に拠点があるのはほぼ間違いないだろうが、そこに魔王がいるのかどうかまでは分からない。
時間を置いたことでそう考えられるようになったのである。
「そのくらいのお気持ちでいた方がよいでしょうな。極端な話、魔王さえ倒してしまえばよいのですから」
魔王を倒してしまうとデーモンたちの恨みは消えず、戦いの火は次の時代に持ち越されてしまう。
そう思っていても彼はこくりとうなずく。
「魔王さえ何とかすればよい」という発想自体は間違っていないのだから。
その後彼らはいつもの日常に戻り、周辺から報告が集まるのを待つ。
「……デーモンの目撃例はなく、被害らしい被害も見当たらないようです」
「国境にも異変はないようです」
報告をまとめたアレクシオスはひとまず安堵する。
「どうやら七本槍五名にかぎった電撃作戦だったようだな」
七本槍というレベルを考えれば、並みの者では足手まといになると判断されたのかもしれない。
実際、三巨頭ニーズヘッグとの戦いやたゆまぬ鍛錬のおかげで格段に強くなった勇者がいなければ、果たしてどうなっていたのか。
昨夜のうちにクローシュという国が壊滅していた可能性すらあったと言える。
デーモンたちは翔太の成長速度を見誤っていたが、それを除けば恐ろしく危険な一手を繰り出してきたのだ。
アレクシオスはそのことに気づいている為、表情が明るくならない。
(敵がこれ以上なりふりかまわぬ手できたらどうなるのか……)
本当に勇者に出撃してもらってよいのか、という考えすら浮かぶ。
勇者が敵を倒しても帰ってくるところがなくなっていたではあまりではないか。
ここが勇者の帰ってくる場所だというのが、王としてのひいき目でなければだが。
結局、勇者に出撃中止を要請するのは思いとどまることにする。
魔王を倒さなければ何も変わらないのだから、勇者が近くにいても危険は同じであろう。
それどころかかさにかかって攻勢に出てくるかもしれない。
それならば思い切って攻撃を選ぶのがアレクシオスという男の性格であった。
この判断が正しいか否か、後の歴史が証明する。
改めてやってきた翔太にそう告げると、彼は目を丸くした。
「本当にいいのですか? もう少し様子を見てからでもいいのではないかと思うのですが」
「こちらを守勢に回したい、あるいは慎重を期させたいからこその手ではないか。そう考えましてな」
魔界がデーモンの本拠とするならば、クローシュの王都こそ勇者の本拠と言える。
そこに不意打ちを仕かけることで心理的な圧力をかける狙いがあったのではないかとアレクシオスは推測したのだ。
「そういう可能性もたしかにありますね」
さすがは一国の王、自分とは違って敵の戦略を読む能力があると翔太は感心する。
「それでしたら予定どおり、この後出発することにしましょう」
「よろしくお願い申し上げる」
勇者に対してアレクシオスは小さく頭を下げた。
それに微笑で応えて翔太は一人出撃する。
見送りはいらなかった。
帰ってきた時に笑顔での出迎えがあればそれでよい。
ごく自然にそう思ったあたり、勇者としての考え方が身についてきたのだろう。
七本槍の一人が逃げ込んだ空間の裂けめは、そのまま維持されていた。
(閉ざされていたらどうするかと少し不安だったが……)
あるいはデーモンたちの意思で自由で開閉できるものではないのだろうか。
どちらにしても翔太には都合がいい。
軽く深呼吸して空間の裂け目へと飛び込んだ。