10話「魔界へ」
想定外の遭遇戦の後、翔太とユニスはすぐにクローシュに帰還する。
魔界への入り口と思しき場所を発見できたのは僥倖だったが、ユニスを連れている時に七本槍、十二将三体と戦うハメになったのは冷や汗ものだった。
初め報告を受けたアレクシオス王は娘をじろりと睨む。
「だから言ったではないか。そなたがいなければ、勇者殿が危険な思いをすることもなかったのだ」
「申し訳ございませんでした」
ユニスも気に病んでいたのだろう。
目を伏せ翔太に頭を下げる。
彼は慌てて彼女をフォローした。
「いや、いいんですよ。道中は楽しかったし」
これは翔太の本心である。
しかし国王は渋面を作った。
「ですが勇者殿、罪は罪でございます。罰せねば他の者に示しがつきませぬ」
彼の言うことももっともである。
国王の愛娘であり、勇者のお気に入りだから罪に問われないというのはあまりよくない。
国王の意思こそが法であるという国家であるならばいざ知らず、クローシュはそうでないようだ。
「……分かりました。出すぎたことを言って申し訳ありませんでした」
そういうことであれば、自分が口を出さない方がよいと翔太は判断して引き下がる。
「勇者殿、ご理解感謝いたす。してユニス、そなたには一週間の謹慎を命ずる。即刻さがれ」
「ご命令謹んで承ります。ご寛恕感謝いたします」
ユニスは父王に深々と頭を下げ、部屋から出ていく。
内心翔太は軽い罰でほっとする。
(これだとユニスの魔界行きを禁止しただけのようにも見えるな)
デーモンの神出鬼没ぶりを思えばクローシュの宮殿が安全とはかぎらない。
それでも彼と一緒に魔界に突入するよりは危険は少ないのは確実だった。
ちらりと国王の表情をうかがうと、感情がきちんと殺された視線が返ってくる。
さすがに一国の統治者だけあって、おいそれと本音を読ませてはくれなかった。
「勇者殿はたっぷり英気を養い、十分な準備をしてから出立してくだされ」
「承りました」
もっともなことを言われた為、彼としてもうなずくしかない。
話はこれで終わりだと言外で主張されているのを感じとり、彼も退出する。
「あ、そうそう」
ドアに手をかけた翔太を珍しく国王が呼び止めた。
「ユニスに謹慎を命じたと言っても、誰かの訪問は禁止したわけではござらぬ。よろしければ後ほどあの者の様子を見てきてくださいませぬか」
これには彼は意表を突かれ、目を丸くする。
だが、すぐにアレクシオスの意図を理解して、無言で頭を下げた。
重厚なドアを閉めると彼はまっすぐにユニスの私室へと向かう。
ノックをするとシンディの声で返答があった。
彼よりも先についていたらしい。
「いらっしゃいませ、ショータ様」
侍女は可憐な微笑で彼を出迎えてくれる。
「ユニスはどうしている?」
「落ち着いていらっしゃいますわ」
翔太の問いに彼女はくすりとして、彼を中へ案内した。
「ショータ様」
浮かない顔をしていた王女だったが、勇者の姿を見て明るくなる。
「思ったよりは冷静そうだな」
翔太は少々迷った末、率直な言葉をかけた。
「ご心配をおかけいたしました。けれどもデーモンと遭遇した段階で予想できたことですわ。陛下が処罰と見せかけて過保護なところを発揮したのが残念ですが」
ユニスは若干悔しそうに話す。
彼女の不満は処罰されたことではなく、アレクシオスの保護者としての心情に向けられているようだ。
「いい親父さんじゃないか。うらやましいくらいだよ」
翔太はそうたしなめる。
一国の王をつかまえて「親父さん」呼ばわりするのはどうかと思ったが、この場合はこの呼称が最も適切だと思いなおしたのだった。
言われた王女は予想していなかったのか、目を丸くする。
それから首をかしげた。
「そういうものでしょうか」
否定しなかったのは彼とは育った世界も築かれた価値観も違うと頭にあったからだろう。
「俺がそう思うだけだな」
翔太としても自分の意見が正しいと主張したいわけではなかった為、そう言って口を閉ざす。
すると王女のサファイアのような視線はシンディへと向けられる。
「陛下は公人としても私人としても立派なお方だと存じます」
彼女は主人に対してそう答えたが、ユニスは感銘を受けなかった。
シンディの立場では他に言いようがないことくらい知っていたからである。
それでもつい見てしまったのは、彼女なりの甘えだろうか。
「いずれにせよ、明日は魔界に行ってみようと思う」
翔太はやや強引に話を切り替えた。
効果はてきめんで少女たちはたちまち心配そうな表情になる。
「大丈夫でしょうか? いかにショータ様が伝説の勇者と言えども、たった一人では」
そう不安を口にしたのはシンディだった。
魔界とは全く未知の世界であり、伝承にも残っていない。
不安が大きいのは無理もない話である。
一方ユニスの反応は少し違う。
「神器の力があれば魔界でも何とかなるかと存じますが、まだ三巨頭二体と七本槍六体が残っております。深入りしすぎるのは危険が大きすぎるでしょう」
もっともな指摘に彼はうぐっと詰まる。
逃げ出した七本槍くらいであれば複数でも何とかできるかもしれないが、ニーズヘッグに匹敵する強さの存在が二体となると一気に危険度は増す。
三巨頭はまだ復活できていない可能性があると言っても、楽観は禁物だろう。
「分かった。安全第一で考えるよ」
翔太が表情を引きしめてうなずくと、ユニスはようやく笑顔を見せる。
「はい。無事お戻りになることを祈ってお待ちいたします」
そう言ってもらえると彼としても嬉しい。
美しい乙女が自分の無事を祈ってくれるというのは、男のロマンのようなものではないだろうか。
魔界へ行くという前日でも彼らはある意味いつもどおりだと言える。
一方で両腕を失って魔界に逃げ込んだ地傑星ケートスのコルネーユは、他の七本槍に無様さを弾劾された。
「グリフォンとミノタウロスを失い、両腕を失い逃げ帰ってくるとはな」
「貴様、それでも七本槍の一角か? 恥を知れ、恥を」
「このような無能な役立たずが私と同格の七本槍とは絶望しそうだ」
「地傑星が七本槍最弱なのか? それとも今回の地傑星が最弱なのか?」
「みじめ、愚か、醜悪……地傑星のことを言うのだな」
誰もがケートスを非難し、擁護するそぶりを見せる者はいない。
だが、コルネーユはそれでもひるまずに主張する。
「だ、黙れ。私は聞いていなかったぞ。勇者があれほどに強くなっていることを。これはケツァルコアトルの怠慢ではないのか?」
己の落ち度ではないかと言われたレオナールは冷笑した。
「勇者が時間をおけばそれなりに強くなるのは、想定しておいて当然のこと。まさか地傑星ともあろう者がその程度のことすらわきまえていなかったとは……たしかにその点は私の落ち度だな。お前のような無能な輩に少しでも期待してしまったのは」
「な、何だと……」
ケートスは何とか再反論してやりたかったが、とっさに言葉が出てこない。
そこでレオナールは同僚たちに目をやる。
「いかがかな、同胞諸君。私もある意味では無罪とは言えないのかもしれぬのだが」
「ケツァルコアトルは仕方あるまい。私も地傑星がここまで使えない奴だとは思っていなかった」
「そうだな。我らと同格にここまでのクズがいると、事前に予想するのは難しかろう」
「僚友は信じたいもの。たとえ初対面であろうとも。それが裏切られるとは絶望しかない」
彼らは一斉にレオナールを支持し、誰もケートスには同調しなかった。
「くっ……」
苦境に立たされた地傑星は悔しそうにうめく。
そのような男にレオナールは言った。
「どうだろう、諸君。この無能をシュガール様に裁いていただくのも恐れ多い。我らの手で誅しては?」
彼が提案したのは言わば「仲間殺し」である。
「それはさすがにどうなんだ? いくら無能な同僚が迷惑だと言っても、こいつもまたシュガール様のシモベ。我々に裁く権利はないと思うが」
さすがに難色を示す者が現れた。
「何だ、お前は反対なのか、ガルグイユ?」
「反対と言うか……越権行為ではないのかと懸念しているのだ。我らが裁く権利を持っているのは、下級デーモンどもまでだろう」
「下級デーモンを裁いてよいのに、同僚を裁いてはいけないという掟はないぞ。我ら六名が合意すれば、無能を処分するくらいできるはずだ」
慎重な発現をするガルグイユに他の七本槍が意見をぶつける。
「それはそうかもしれないが」
唯一反対していたデーモンがトーンダウンしてしまったことで、ケートスの命運は決まった。
「貴様ら正気か? 七本槍であるこのケートスを本当に殺す気なのかっ?」
彼はすごもうとしたが、声が震えてしまったうえに後ずさりもしているのだから、失笑を買ってしまう。
……七本槍の一角はこうして消えた。