9話「遭遇戦」
アハ・イシュケのオーベールを倒した翌日、翔太とユニスは旧バニョレ領へと足を踏み入れる。
この国を踏破すれば次は北上していくのだ。
勇者としてこれでよいのかと思わなかったことがないわけではないが、デーモンと遭遇する機会が複数あった以上、間違っているとは言えないだろう。
バニョレでは美しい花が咲いている野原を発見した。
人がいなくなっても変わらないものも存在する。
当たり前ではあったものの、いざ目の当たりにすると色々と考えさせられてしまう気分だ。
人の営みが間違っているとは思わないが、自然のたくましさや雄大さが何かを訴えているのではないか。
翔太はそう思ってしまうのである。
「ショータ様?」
そのような同行者にユニスは怪訝な声を投げた。
「いや、何でもない」
今考えても詮なきことである。
戦いが終わったからでも遅くはないだろう。
彼はごまかすべく足を少し早める。
「あ、お待ちください」
不意に彼がそのようなことをしたせいでユニスは慌てた。
「なんてね」
彼がすぐに足を止めるといたずらっぽく笑う。
「まあ、ショータ様、意地悪ですわ!」
彼女はすねたように口をとがらせる。
「ごめんごめん」
己の非を自覚している翔太は笑いながら謝ったが、彼女はすぐには許してくれない。
仕方なく彼は彼女の体を抱きしめる。
「きゃっ」
ユニスは可愛らしく悲鳴をあげたものの、抵抗はしなかった。
目を閉じてされるがままになる。
「ごめんな」
翔太が耳元でささやきかけると小さくうなずく。
「許します。でも、卑怯ですよ。こういうの」
抱きしめられて優しい声で謝られると、許さないわけにはいかないと彼女は笑う。
「そういうものかな」
「そういうものなのです」
女性心理にうとい彼が首をひねると、ユニスは目を開けて真剣な顔で主張する。
その力強さが彼の印象に残った。
自然と彼らは体を離して土地歩きに戻る。
無言の時間が増えたが、それは苦痛ではない。
たまに目があえば微笑を交わし合う。
それだけで満たされる気分であった。
彼女の方も同様であればうれしいと翔太は思う。
そのようなかすかに甘い空気は永遠には続かなかった。
二人は前方の空間に黒い裂け目のようなものが浮かんでいることに気づいたのである。
「ショータ様……」
ユニスが緊張に満ちた声を出し、翔太は彼女を背後にかばう。
「ああ。もしかすると魔界につながっているのかもしれないな」
さすがに今すぐ試してみるわけにはいかないが、警戒はしておくべきだった。
何となく後ずさりをしていると、突然落雷のような音が生まれて黒い裂け目が大きくゆがむ。
そして中から三体の異形を姿を見せた。
それぞれが黒い牛頭、白い鷲頭、緑色の爬虫類のような頭を持っている。
言うまでもなくデーモンであろう。
偶然と言うにはあまりな急展開に翔太たちはとっさに言葉も出ない。
彼らの方もすぐに人間たちの存在に気づいた。
当然、翔太が神器を持っていることにもである。
「これはこれは……勇者殿じゃないか。飛んで火にいる愚か者がいるとは、手間が省けた」
中央にいる緑色の爬虫類顔の男がそう笑う。
黄色のいやらしいねっとりとした瞳をユニスに向ける。
「それも女連れとは……格好の餌食すぎて罠かと勘繰りたくなってしまうよ」
三巨頭を倒した勇者と知って、残り二人の顔はこわばっているのにこの男だけ変化が見られない。
「ミノタウロス、グリフォン、一挙に決めてしまうぞ。活躍した者は女を好きなだけむさぼる権利を、褒美としてくれてやろう」
「うっひょーっ? ケートス様、話が分かりますね!」
いかがわしい発言に喜びを見せたのは、牛頭の方である。
おそらくこちらの男がミノタウロスのデーモンだろう。
(だって牛頭だしな)
単純すぎるかもしれないが、これまでのデーモンも基本的には単純だった。
「ユニス、俺から離れるなよ」
翔太は低い声で彼女に言う。
できれば逃がしたいところだったが、彼女の方も狙われるとなると一緒にいる方が安全だ。
「はい」
ユニスは顔を青くしながらも、信頼のこもったまなざしを彼に送る。
こうなると翔太としても頑張ろうと闘志がわいてきた。
「卑劣な手で三巨頭を倒したくらいでつけあがるなよ!」
ケートスと呼ばれていた男が吠える。
どうやらデーモンたちの間では、勇者が三巨頭に勝ったのは卑劣な手段のおかげだという共通認識があるらしい。
それほどに強いからだと警戒されるよりはマシか、と翔太はありがたく思っておく。
「行くぞッ!」
ケートスが叫ぶと同時にデーモンたちが左右に散開し、それから勇者をめがけて突進する。
「剛斧断砕」
「抉穿貫嘴」
左からミノタウロスが交差させた太い腕を叩きつけ、右からはグリフォンが鋭く伸びた手刀を突きさす。
その動きの速さは並みのデーモンの比ではなかったが、過去の経験のおかげで翔太は冷静に対応できた。
まず勢いを止めるべくディバインシールドによる光の盾を展開する。
神聖な雰囲気を持つ白い光の壁は、デーモンたちの攻撃をたやすくはね返す。
「さすがディバインシールド、だがいつまで閉じこもっていられるかなっ?」
そこにケートスが攻撃に加わる。
言葉からも分かるように、彼にとっては部下たちの攻撃が神器の力で止められてしまうのは想定どおりだった。
「猛炎天焦」
そこへ自身も攻撃を加える。
地傑星ケートス最大の攻撃、猛炎天焦は名前から連想できるとおり、炎のブレス攻撃だ。
七本槍の一角だけあってかつてないほどに強烈だし、ケートスも自信がある一撃である。
だが、ディバインシールドはその火炎攻撃も退けてしまう。
三者の攻撃が終わった時、光の盾はびくともしていなかったのだ。
「馬鹿な……十二将と七本槍の攻撃を耐えきっただと……」
ケートスは黄色い目を剥く。
一体いつの間に勇者はこれほどまでに強くなっていたのだろう。
(まさかニーズヘッグ様を倒したのは卑怯でも何でもなく、こいつの実力なのか……?)
もしもそうだとすると勝てるはずがない。
地傑星のケートスは戦慄する。
三巨頭を実力で倒せるほどの敵が相手ならば、せめて十二将二体ではなく己と同格の七本槍が必要だ。
「貴様ら、時間を稼げ」
七本槍は十二将たちにそう命令をする。
ミノタウロスとグリフォンを足止めをさせて、その間に七本槍を呼ぶのだ。
七本槍全員がそろえば勇者ごとき恐れるに足らず。
そういう計算があったのだが、あいにくと翔太が真っ先に狙ったのがケートスだった。
彼はユニスを左腕で抱えまま地を蹴り、ひと息に距離を詰めたのである。
「なっ、んだと……」
まさかそのような行動をとるとは夢にも思っていなかったデーモンは、虚を突かれたことで硬直してしまう。
そこにディバインブレードの聖なる剣先が襲った。
それでもケートスはさすがに七本槍の一角で、とっさに両腕を前に出す。
ディバインブレードはケートスのたくましい両腕を、まるで豆腐を斬るように斬り落としたものの、本人にはギリギリで届かなかった。
両腕から激痛とともに青い血が吹き出したが、ケートスはそれにかまわず空間の裂け目に飛び込む。
「くっ、逃がしたか……」
翔太は舌打ちをして悔しがる。
本来ならば追いかけたいのだが、今はユニスが一緒だった。
さすがに彼女を連れて魔界に殴り込みをかけるようなまねはできない。
追撃は一度あきらめ、残りのデーモンに向きなおる。
彼らは先ほど何が起こっていたのかほとんど理解できておらず、唖然としていた。
唯一理解したのはケートスが両腕を斬り落とされ、魔界に逃げ込んだということだけである。
それでも彼らに徹底の選択肢はなかった。
「時間を稼げ」という命令がまだ有効であったし、何よりも彼らの退路は勇者の向こうにある。
勇者と戦わずに逃げるのは不可能だった。
翔太としても残り二体を逃がすつもりはない。
先ほどのケートスの言葉から遭遇したのが七本槍と十二将だと知った。
だからこそ命令していた男を真っ先に狙ったのである。
残った二体がどちらも十二将クラスであるならば、ここで倒しておきたい。
敵に自分たちを逃がす気はないと理解したのだろう。
グリフォンとミノタウロスたちが殺気を放つ。
翔太はユニスから手を離し、ディバインシールドで彼女の周囲を守る。
「……ようやく本気というわけか?」
グリフォンが挑発するように問いかけてきたが、彼は無視した。
女を抱えながら戦うのでは、舐められていると勘違いされても仕方ないと思ったからである。
彼にしてみればその方が安全だと思ったからだし、今手を離したのは二対一ならばその方が良いと直感したからだ。
それでもデーモンのプライドは傷つけられたらしい。
「女を守る為にディバインシールドを使うとはな。もう我らの攻撃を守る術はないぞ」
「ディバインシールドなしで我らと戦えると勘違いした傲慢、あの世で悔いるがよい」
彼らは敵意をむき出しにして威嚇してくる。
「御託はそれだけか?」
それに対して翔太は露骨な挑発を返す。
デーモンたちは口を閉ざし、刺すような眼光を向けてくる。
もはや彼らに言葉は不要だった。
デーモンたちは再び左右から同時に襲いかかる。
ある時を狙って翔太はミノタウロスを目がけて跳躍した。
ちょうど技を繰り出そうと腕を振り上げた瞬間、目と鼻の先に勇者が現れた形になったデーモンはぎょっとする。
反射的に攻撃をしようとしたものの、それよりも先にディバインブレードで体を両断されてしまった。
残されたグリフォンはそれでもあきらめず、攻撃を繰り出してくる。
その攻撃を難なく受け止めた翔太は、一撃で斬り倒す。
瞬く間に十二将クラス二体を撃破してしまい、彼は己が強くなったと実感した。
剣を鞘におさめてユニスのところに行き、次の提案する。
「ここはいったん帰ろう」
彼女は素直にうなずいた。
「はい。期せずして魔界への入り口が判明しましたし……わたくしはいない方がよいでしょうし」
そう言うと目を伏せる。
今の戦いで彼女が邪魔でしかなかったのは火を見るよりも明らかだった。
気にするなと言う方が無理だろう。
翔太はそう思いつつも、努めて笑顔を見せる。
「想定外のことだったから仕方ないさ。ユニスが悪いわけでもない」
力を込めて励ませば、彼女はぎこちないながらも微笑を浮かべた。
思いがけない遭遇戦で七本槍を取り逃がしてしまったが、十二将を二体も倒したのである。
戦果としては悪くなかった。