5話「魔王と百八のデーモン」
翔太が案内されたのは十二畳間ほどの広さを持ち、壁一面が本棚で埋まった部屋だ。
全ての本棚はびっしりと本で埋められていて、読書の類が苦手だった彼に心理的な圧迫感を与える。
小さな窓の付近に立派な机と椅子も置かれているのだが、存在感はあまりない。
「こちらは書斎になります。何かございましたらお気軽にご利用くださいませ」
「うん」
一人で来ることはないかもしれないと彼は情けないことを考えつつ、ユニスの言葉にうなずいた。
「それではデーモンたちのことをお話いたしましょう。もっとも、わたくしがお話しできるのはこの国に伝わっている話であり、全て真実だということは保障できないことは、あらかじめお伝えしておかなければなりません」
「まあ、伝承のたぐいってそんなものだよな」
どこか不安そうな彼女の言葉に彼が理解を示してみせると、彼女は愁眉を開く。
「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけるなら、気が楽になりますわ」
彼女はそう言って彼に椅子に座るようにすすめる。
王女という肩書を持つ少女は黒い装丁の本を手にとると机の上に置き、彼の右側にまわり込む。
「こちらの本に魔王シュガールと、魔王に従う百八のデーモンについて大まかな逸話が残っております」
しなやかな手によってページがめくられる。
彼が本を見るのと同時に彼女ものぞきこん為に二人の顔は接近し、彼女の髪が彼の頬にふれそうになった。
ほんのりとした甘い香りが彼の鼻腔をくすぐり、彼の平常心をかき乱す。
彼女の方は彼の様子に気づかずに口を開いた。
「かつてこの世界にはカルカッソンと呼ばれる大陸、ガルタンプと呼ばれる大陸がありました。ガルタンプという大陸は緑が美しく、たくさんの穀物が実る豊かな地だったとか。しかし、それ故に悪鬼に目をつけられてしまったのです」
そこで説明を区切った彼女の横顔に暗い影がさし込む。
彼の口からとっさに言葉がついて出る。
「それが魔王シュガール?」
「はい。魔王はどこからともなく悪鬼たちを率いて現れ、ガルタンプにあった全ての国家を滅ぼしました。そしてその次に狙われたのが、このカルカッソンだったようです」
そう語る彼女の横顔は物悲しそうであった。
「当然、カルカッソンの国もどんどん攻め落とされていきました。しかし、人々の祈りが神々に通じて、神は魔王を倒せる勇者様をお遣わしになり、神器を下賜されました。勇者様は魔王と百八のデーモンを倒されたものの、滅ぼすまではできなかったそうです。そこで神々は完全に魔の大陸と化したガルタンプごと魔王を魔界に落とし、封印してしまいました。こうして平和が戻り、勇者様は救世騎士と呼ばれるようになったそうです」
「なるほど……」
どうして神器や神々の力で魔王を滅ぼしきれなかったのか翔太には疑問だったが、ユニスに訊いても仕方ないだろう。
少なくとも彼女には答えられないに違いない。
「それで封印が解けてデーモンたちが攻めてきたから、俺が召喚されたってことでいいのかな?」
「はい……」
彼の問いに彼女は表情を戻さないまま即答する。
何となく言葉が途切れてしまい、沈黙が訪れた。
「俺が三体ほど倒したから、残りは百五名か……」
「そうなります」
翔太が言えばすぐに応えてもらえる。
それに若干救われた気持ちになりながら、彼は問いを投げていくことにした。
「どのような敵がいるかは分かっているのかい? 俺が十二将のラドゥーンを倒したと言ったら、皆驚いていたみたいだけど」
分かっていなければああいう反応はまずありえないだろうとは思う。
彼の疑問を王女は肯定する。
「はい。百八の星全て、十二将以上の幹部については名前も残っています。残念ながらそれ以外はほとんど分かっていないのですが」
罪悪感にまみれた表情になった彼女を慰めるように、その華奢な肩に手を置く。
それから続きをうながしてみる。
「よかったら幹部について教えてくれないか」
「御意」
ユニスは咳ばらいをひとつして、ゆっくりと語りはじめた。
「まず、魔王に次ぐのが三巨頭と呼ばれる最高幹部です。天魁星アジ・ダハーカ、天興星ファブニール、天機星ニーズヘッグが該当します」
「三巨頭……」
三体の怪物の名前はどれも聞き覚えがある。
しかし、彼が知る存在と同一なのかまでは分からない為、続きをうながす。
「その次の高級幹部にあたるのが魔界七本槍です。天間星ケツァルコアトル、天勇星アルゴス、天雄星クエレブレ、地魁星ガルグイユ、地殺星バジリスク、地勇星バラウール、地傑星ケートスの七名になるそうです」
「なるほど」
彼は教えられる名前は脳に刻み込もうと心がける。
名前だけ知っていてもあまり意味がないかもしれない。
それでも知らないよりはよいと彼は思う。
「そしてその次が十二将かい?」
「はい」
彼の言葉にうなずき、ユニスは言った。
「天猛星リンドヴルム、天威星ムシュフシュ、天英星ウルリクムミ、天貴星マンティコア、天富星クラーケン、天満星グリフォン、地雄星ウールヴへジン、地威星アルミラージ、地英星ミノタウロス、地奇星ギーヴル、地猛星ラドゥーン、地文星メリュジーヌの十二名です。このうち地猛星ラドゥーンは勇者様がすでに倒されたので、残りは十一体になりますね」
彼女の言葉にはどこか畏怖の念がこもっている。
翔太はいい機会だと疑問に思っていたことをたずねた。
「十二将ってそんなに強いのか? いや、たしかに普通に斬りつけるだけじゃ、倒せなかったんだけどさ」
「そうなんです」
彼女は力を込めて返事をする。
「かつて救世騎士と呼ばれた方が残された記録によると、十二将はディバインブレードの力を引き出さないことにはダメージを与えることすら困難だったそうです。ですから、剣を抜いたばかりだったショータ様が
かなうはずがない相手だったのです。……最初聞いた時は何かの間違いではないかと、心臓が凍りつくような思いでした」
彼女は胸に手を当てて言葉と嘆息を同時に吐き出す。
「危機を救っていただいたのに咎めているわけではないのです。ですが、やはり無謀だった感は否めません」
「そうだよな」
彼女の言葉には真情が込められているのを感じたし、彼もまた冷静になればとんでもない行動だったと思う。
「心配させて悪かったよ。自分でもよく分からない衝動に突き動かされてさ」
一言言わずにはいられない気分になったので謝ったものの、どこか言い訳めいた内容になってしまった。
しかし、ユニスが「はっ」とした表情になったのは別の理由である。
「よく分からない衝動ですか?」
「ああ。言葉では上手く説明できないんだけど、出撃を決めたのは何となく自分じゃない自分だと言うべきだろうか」
適切な言葉が見つからず、彼は眉間にしわを寄せて左頬をぽりぽりとかく。
真剣な表情で聞いていたユニスは「もしかしたら」と前置きをして自身の見解を話す。
「それもディバインブレードの力かもしれませんね。伝承によるとディバインブレードは戦うべき時、倒すべき相手を所持者にそれとなく伝える力があるそうです。つまりディバインブレードはショータ様なら、いきなり十二将を倒せると判断したのですよ」
「この剣にそんな力が……?」
翔太はつい、懐疑の念が含まれた反応をしてしまう。
たしかにすごい剣ではあると思えるのだが、それほどまでの力はあるのだろうか。
「そうであれば、説明ができると思います」
「それはそうだな」
ユニスの言葉に彼はうなずく。
別に納得できたわけではなく、「神剣と呼ばれているくらいのものだし」と自分を言い聞かせただけなのだが。
彼はそこでふと浮かんだ疑問と不安をこぼす。
「しかし、三巨頭や七本槍が十二将よりも強いのなら、今のままじゃ危ないかもしれないよな」
と言うより勝ち目がない気がしてならないのだが、彼はそうは言わなかった。
ユニスの前でささやかな見栄を張りたかったのである。
「そうですね。ですが、かつて救世騎士様が修行された場所や内容も残っています。それを参考にされてはいかがでしょうか?」
「それはいいな」
かつて世界を救った英雄と同じことが翔太にもできるとはかぎらないが、何もやらないよりはいいだろう。
そう考えた彼はあることに感心する。
「それにしても、この国にはずいぶんとたくさんの伝承が残されているんだな」
これほど残っていると彼としても非常にありがたいのだが、本来伝承のたぐいは散逸するものではなかっただろうか。
それともそこが地球とこのカルカッソンの違いなのだろうか。
彼の心情が伝わったのか、ユニスはあいまいな笑みを浮かべる。
「魔王シュガールとそれに従う魔星がいつの日か復活する、という警告は残されていましたから。だからご先祖様がわたくしたちの為に、備えてくださったのだと思います」
「そうか」
それで肝心な点がきちんと残されているのは素晴らしいことだと、翔太は思う。
そのせいか、この世界に対して親しみを持てるような気がした。
だが、彼はそれを言葉にせず、別のことを口にする。
「せっかくだし、残されているという修行方法なんかも教えてもらってもいいか? これも本に残っているのかな?」
何かを感じとったのか、彼の表情をまじまじと見つめたユニスは目をみはりながら訊く。
「はい、もちろんです。ですが……まさか、これから修行をなさるおつもりですか?」
「えっ? だめなのかい?」
予想外の反応に彼は素で問い返す。
珍しく呆然としていた彼女は、慌てて表情をとりつくろいながら応える。
「いえ、いけないというわけではありません。ですが、今日は戦われたばかりなのですし、今日くらいはお休みになってもよいかと思うのですが……」
気遣わげにサファイアのような瞳を向けられて、翔太は悪い気がしない。
しかし、彼女の反応はどこかのん気なようにも思える。
「そうか? 今日はともかく、明日になればまた攻めてくるんじゃないのか?」
彼が懸念を示すと、彼女は考えながら言葉を発した。
「いえ、それはないかと思います。わが国の中でデーモンの存在が確認されたのは、今回が初めてですから。十二将が倒されたという情報が敵の本陣に伝わるまで、どうしても時間が必要になるでしょう」
「距離の壁が味方をしてくれるわけか……?」
彼がそう言うと彼女は満面の笑顔で肯定する。
「その通りです、さすがですわ!」
「あ、いや」
何となく思ったことを言っただけなのにも関わらず、これほどまでに純粋な賞賛を向けられるとどことなくうしろめたさがある。
それから逃れるべく、新しい質問で彼女の気をそらすことにした。
「そう言えば、世界地図のようなものはないのかい? どこに何があるのかとか、他の国のこととか」
「地図は大ざっぱなものしかないのですが、それでもかまわないでしょうか?」
どことなく恥ずかしそうにためらっているような彼女の顔を見て、彼は地図を作ることの大変さについて思いをはせる。
「うん。それでいいよ」
大まかな位置などが分かればそれでよいと伝えた。
「それでしたらちょうどよいものがあるかと思います」
ユニスはどことなく嬉しそうに口元をほころばせながら、一冊のうすい本を持ってくる。