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8話「地然星」

 やがて二人は大きな川へと行き当たる。

 向こう岸まではざっと目測で五百メートルはありそうだ。


「かなり雄大だな」


 翔太は流域の広さと美しい水面に目をみはる。

 前世ではめったにお目にかかれないような見事な景観だった。


「あれがスヘルデ川ですわ。ティティエンヌとバニョレの境界にもなっていたのです」


 ユニスが解説してくれる。

 そうだろうなと彼は思ったものだが、一つ問題がある。

 かつては橋がかかっていたり、あるいは渡る為の船があったのかもしれないが、今はどちらも見られない。

 水量は豊富な為に川に入るのはためらわれる。


「ユニス、この川の水深を知っているか?」


「たしか五メートルほどだったでしょうか。船や橋を使わずに渡るのは不可能な大河として有名でした」


「そうか……」


 生身で渡るというのはたとえ勇者であっても無謀なようだ。

 ましてユニスを抱えているとなると不可能に近い。


(少なくともユニスが濡れないようにっていうのは無理だよな)


 そうなると別の方法を考える必要がある。


「ちょっと練習してみるか」


「……ショータ様?」


 小さくつぶやいた勇者に少女は怪訝そうに声をかけた。


「いや、ダメで元々だしな」


 彼は答えになっているようで答えになっていない言葉を返すと、おもむろに屈伸運動をはじめる。


「まさか……」


 その動きを見てユニスは、彼が何をやろうとしているのかピンときた。

 それには反応せず翔太は勢いよく助走をつけて、川の向こう岸を目指して跳躍する。

 騎士たちとの合同訓練で鍛えられ、神器の力で増幅された彼の身体能力は無茶を可能にした。

 しかもギリギリではなく、数メートルほどの余裕を残して。

 振り返ってそのことを確認した彼は、満足そうにうなずく。


「うん、これならユニスを抱えてもいけるな」


 そうつぶやいて元の岸へと戻る。

 一体何の為にそうしたのか、彼女にとっても言葉にするまでもなかった。

 彼はいわゆる「お姫様だっこ」で彼女を抱える。

 彼女が動きやすいようにズボンをはいていたのが幸いした。

 あるいは本人にとっては不幸かもしれなかったが、代替可能な手段がない以上は我慢してもらうしかない。


「あっ」


 可愛らしい声がもれ聞こえたが、抗議は生まれなかった。


(本物のお姫様をお姫様だっこをする日が来るなんてな)


 思えばおかしな話であり、奇妙な感慨を覚える。

 だが、おそらく彼女には通じないだろう。

 彼は笑みを殺すのに労力を割かなければならなかった。

 彼女は外見の印象どおりあまり重くない。

 さらに神器の力をあわせれば羽一枚よりも軽く感じる。

 助走をつけて地を蹴れば「きゃっ」という悲鳴が彼の耳朶を打つ。

 いくら修行しても彼女へ伝わる衝撃を無にすることはできなかったせいだろう。

 着地する時のものも同様である。


「ごめん」


 その為、ユニスをおろした後で彼は謝罪する。


「いえ、めっそうもありません。わたくしの方こそ足手まといになってしまって、申し訳ございません。考えてみれば橋が壊されていることくらい、分かりそうなものでしたのに」


 彼女は穴があったら入りたいとばかりに恥じ入った。

 

「ユニスが戦えないのは承知の上で連れて来ているんだから、気にすることはない。君を守ることも俺の役目だから」


 翔太が真顔で言えば彼女の端正な顔が朱に染まる。


「あ、ありがとうございます……」


 もじもじとする美少女はとても微笑ましいと彼は思う。

 ところがその甘酸っぱい気分は長く続かなかった。

 突然川から轟音とともに水柱が発生し、馬のような形に変わったのである。


「まさか本当に女を抱えて飛び越えてしまうとはな。敵ながらあっぱれだ」


 馬の形をした水流としか表現しようがない存在は、翔太のことを賞賛した。


「デーモンか」


 他にありえないと思いながらも、彼は問いかける。

 

「ああ。地然星アハ・イシュケのオーベールとは私のことだ」


「……どうして俺が飛び越える瞬間を狙わなかった?」


 あの瞬間の勇者は完全に無警戒だった。

 ディバインシールドで防御できただろうが、オーベールがそのことを知っていたとは思えない。


「そのような卑劣なまねができるか。憎むべき敵が相手であろうとも守るべき誇りがある」


 感情が抑制された声が返ってくるが、殺しきれていない怒りを翔太は感じとる。

 このデーモンは冷静で誇りを重んじる堂々とした戦士のようだ。

 そう判断した彼は問いを投げてみる。


「誇り高き戦士よ、一体どうしてそうまでしてカルカッソンの人々を憎む?」


 形式ばった言い回しになってしまったが、効果はあった。


「神の走狗と化した異郷の男よ。何故それを知りたがる? 貴様にとって我々が何者であろうと、意味はあるまい」


 オーベールは怒りをにじませながらも、対話に応じてきたのである。


「……サラヴァンと約束した。デーモンも救うと」


 ここで翔太は一つの賭けに出た。

 サラヴァンの名前を出し、さらに彼との約束があると嘘をついたのである。


「……ニーズヘッグ様とだと?」


 アハ・イシュケの声のトーンが下がった。

 関心を引くことには成功したものの、敵意を減らすことはできなかったらしい。

 

「はったりを言うなよ。ニーズヘッグ様がうす汚れた神の走狗と何を約束したというのだ?」


 デーモンからのプレッシャーは大いに増すが、翔太の心はびくともしなかった。

 おそらくこのオーベールはただの下級デーモンに過ぎないのだろう。

 だからと言って切り捨てたりはせず、きちんと向きあおうとするのは彼の気持ちの問題だった。


「デーモンを救ってこそこの戦いは初めて終わる。本当の意味で世界を救いたいなら、そうするしかないと彼は言っていたな」


 これは嘘ではない。

 たしかに消滅する前にサラヴァンはそう言っていた。


「……貴様が我らを倒し、シュガール様を封印したとしても戦いが終わらぬのは事実だな。そうなったとしても我らは封印が解ける日を待ち、再びカルカッソンを破壊するべく動くだけだ」


 オーベールの声からは鋭さがうすれ、代わりにさぐるような気配が生まれる。

 どうやら彼が己を欺こうと詭弁を弄しているわけではないと信じる気になったようだ。


「どこかでそれは終わらせなければならない。できれば俺の代で実現させたいと思っている」


「……貴様は伝え聞かされた勇者とは大いに違うな。勇者とは名ばかりで、理性も知性も品性もないケダモノだという話だったが」

 

 過去の勇者たちのひどさは、カルカッソンの人々の態度からも想像は難くない。

 味方側ですらそうだったのだから、敵であるデーモンの目にはさらに醜悪に映っていたのだろう。

 翔太の呼びかけを無視する輩が多いのは、そのせいなのかもしれなかった。


「とは言え、所詮私は下っ端にすぎぬ。私にどうにかできる問題ではないな」


「俺の意思を上に伝えてもらうくらいはできるだろう?」


 オーベールの言葉に彼は疑問を抱く。

 たしかに下っ端デーモンでは決定権などないのかもしれないが、上司に報告はできるはずだ。

 その後、上司が対話に出向いてくるというのは都合が良すぎるのだろうか。


「私が勇者に欺かれた、あるいは操られたと思われて終わりだろうな」


「仲間同士なのにか?」


 彼のこの言葉には笑いが返ってくる。

 侮蔑ではなく苦々しい成分が含まれたものだった。


「私もまた兵隊にすぎぬということだ。シュガール様の怒りを表す道具ではあるが、それだけだ。自由意志などはない。勇者と同類だと思っていたのだが、貴様は違うようだな」


「結局はデーモンに何を言っても無駄……魔王をどうにかするしかないということなのかもしれませんね」


 それまで黙っていたユニスがここで口をはさむ。

 翔太への気遣いがうかがえた為か、デーモンは怒らずに対応する。


「否定はできぬ。三巨頭の方々ですらシュガール様には逆らえぬのだから」


 そう言ったオーベールから敵意があふれ出す。


「勇者よ、剣を抜け。そして私と戦え」


 放たれる言葉は力強く、彼は拒絶することをあきらめる。


「こうなってしまうとはな」


 せっかく対話ができるデーモンを見つけたというのに。

 声にならない声がオーベールとユニスの心まで届く。


「ショータ様のせいでありませんわ。シュガールのせいです」


 彼女の怒りがまざった言葉には沈黙しか返ってこない。

 彼の気遣いが無駄になってしまったことに向けられたものだと、彼らは受けとめたからだ。


「我はアハ・イシュケのデーモン、オーベールなり。水こそが我が力。勇者を我が水の前に砕け散れ」


 オーベールがそう叫ぶと、それに呼応するかのように川から水柱が三本たちのぼる。

 翔太はディバインブレードを抜き放つと、一気に斬りかかかった。

 すぐ近くにユニスがいる為、受けに回るわけにはいかないのである。

 水流がデーモンを守るように彼の前に立ちはだかった。

 彼はディバインブレードでそれを斬り裂く。

 水しぶきを巻き上げながら迫った勇者の一撃を、オーベールはかろうじてかわす。

 ただのデーモンであれば勇者の剣閃を避けるのは難しかったに違いない。

 しかし、オーベールは水のデーモンであり自由に体の形を変えることができるのだ。

 剣が当たるはずがない形に変えるだけで空振りになってしまう。


「【螺旋水弾ハイドロブリッツ】」


 デーモンの力によって無数の水が弾丸と化して、翔太の体を激しく撃つ。

 とっさにディバインシールドの守りを発動させて切り抜けたが、盾がなければ即死もありえたかもしれない。

 そう直感した翔太は唾を飲み込む。

 そしてただのデーモンだと無意識のうちに侮っていたと反省する。

 川を渡る際に気配をさぐらなかったし、今回は油断の連続だったと言うしかない。

 彼はそのまま川の中へと落ち、ユニスが小さな悲鳴をあげる。

 ディバインシールドに守られているおかげで何ともないが、近くで見ている者にしてみればかなり心臓に悪い光景だったのだろう。


(全力で一気に決着をつけよう)


 ディバインブレードとディバインシールドの力を同時に解放すると、彼の周囲にあった川の水が爆発する。

 

「ぐおおっ」


 これにはオーベールがたまらず悲鳴をあげた。

 川の水を自身のボディとしているデーモンしてみれば、単純だが実に効果的な攻撃だったのである。

 水を蹴散らして悠々と陸にあがった翔太が見たのは透明に輝く丸い石だった。

 やがてそれに水がまとわりついて馬のような形を作る。

 あの石こそがオーベールの本体なのであろう。

 

「くっ……まさかこのような手が……」


 よほど予想外だったのか、オーベールは思わずそうつぶやく。

 そのデーモンをめがけて翔太は再度斬りこむ。

 デーモンのボディとなっている水は少なく、本体の位置も大体分かっている。

 さすがに一度の斬撃では倒せなかったものの、まとっている水が弾け飛びオーベール本体は無防備となった。

 それをディバインブレードが貫き、アハ・イシュケのデーモンは滅びる。


「勇者よ……私も……貴様を……信じよう」


 そう言い残して。

 様々なものを翔太の心に残した相手だった。

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