7話「理由」
次の日、翔太は昨晩のことをアレクシオスに報告する。
ユニスの父にしてクローシュの最高権力者の承認はとりつけておく必要はあった。
「承りました。機を見て告知するといたしましょう」
残念ながら現段階では時期尚早だと王も判断したのだろう。
あまりにもあっさりと片付いてしまった為、彼としては拍子抜けであった。
これもまた勇者の権威のおかげなのだろう。
(そう思えば勇者も悪くないな)
とついつい考えてしまった彼はある意味で俗物だった。
「娘たちが余計なことを申したのではありませんか? 勇者殿はこれから戦いに赴かれるというのに」
内心胸をなで下ろしていた勇者に向かって、アレクシオス王は懸念を示す。
たしかに戦いに臨む心と結婚や色恋と相対する心は全く違うものだ。
それが彼に対して何らかの悪影響を及ぼすかもしれないと危惧するのは無理もないことだろう。
「いえ、むしろ燃えていますよ」
だが、翔太は笑顔でそれを否定してみせる。
あいまいだった部分がはっきりしたこと、戦いが終わったら妻を得るという目的が生まれたこと。
これらは彼にとってはとても喜ばしいことであり、心理的によい変化をもたらしたのだ。
そしてそれはアレクシオスにも伝わる。
これまでの翔太は勇者であっても、一人の男だとは言いがたかった。
しかし今は違う。
彼は勇者であり男でもある存在となったと思える。
これは素晴らしい変化だった。
「負けられない理由が増えましたから」
「そうですか。とてもよい目をなさるようになった」
照れ笑いを浮かべる勇者に、アレクシオスはそう声をかける。
「失礼ながら以前は世界の為に戦う決意にあふれながらも、どこか虚ろだったように見受けられました。ですが今は、この世界で生き抜かんとする意思が満ちているようです」
「そうですか? ……そうかもしれません」
王の言葉に一瞬目を丸くしたものの、言われてみれば思い当るところがないわけでもなかった。
(戦いが終わった後なんて、これまで考えないようにしていたからかなあ?)
戦いが終われば新しい人生を与えられた理由、それがなくなってしまうと恐れていたのかもしれない。
それと戦いが終われば美少女たちと新婚生活がはじまるというのでは、大違いもいいところだ。
ずいぶんと現金なものだと自嘲する。
しかし、アレクシオス王にしてみればその方が付き合いやすい。
世界を救う使命感だけで戦う男よりも、好きな女の子と結婚する為に頑張る男の方が理解しやすかった。
翔太を召喚したのは彼らなのだから、身勝手な感覚だという自覚もしている。
もっとも今回の場合はそこから遠慮が生じ、それがこれまでの中途半端な状況を作っていたのは否定できない。
勇者という制御不可能な存在を前に、アレクシオスもまた未熟な人間に過ぎなかったのである。
本人にその自覚があったからこそ、彼らは決定的な破滅は免れたと言えるだろう。
「いずれにせよめでたい話です。親として、国王としてこれに勝る喜びはございませぬ」
国王が気をとりなおしたように発言する。
その表情には隠し切れていない喜びがあり、彼としても悪い気はしなかった。
会見と報告を終えると翔太はユニスをともなって東へ出発する。
「今日の目的は旧ティティエンヌ領を通り抜けて、旧バニュレ領への到達することだ」
翔太の言葉に王女は神妙な面持ちでうなずく。
「はい。その後はそのまま北へ向かわれるのでしょうか?」
「そうだな。それが一番無難かな」
大陸の北に向かう経路はいくつもあるが、優先順位は特に決めていない。
旧バニュレから北に行ってそこから西に進むというのも一つの選択肢だった。
二人は肩を並べて旧ティティエンヌ領を進んでいく。
建物の残骸が残っているのも、自然が美しいまま保たれているのもここまでの道のりと同じだ。
違いがあるとすれば生えている草花の種類くらいだろう。
あいにくと翔太ともユニスも詳しくないのだが、荒廃した地を歩く中で美しい植物はささやかな慰めになってくれた。
「デーモンも自然をめでる気持ちがあるのでしょうか」
そのようなことを言ったのはユニスである。
彼女の表情は実に複雑そうであった。
どのような気持ちなのか、翔太に察するのは難しい。
自然をめでる気持ちがあるならば分かり合えると思うのか、それともその気持ちをどうして人間にも向けないのかという悲しみがあるのか。
あるいは両方なのだろうか。
彼は思い切って訊いてみることにする。
将来的に結婚すると決まったのだから、これくらいはよいだろうという判断だった。
「やっぱり複雑かい?」
「はい……そうかもしれません」
彼女は素直に頷いたものの、返事の中身は単純ではない。
自分でも自分の想いを把握し切れてはいないようだった。
「誰かを、何かを想う気持ちを忘れていないのであれば、分かり合える。そう思いたいのですけれど……」
ユニスは悲しそうに青空を見上げる。
その横顔はとても美しく、どこか神秘的だった。
その様に心を貫かれてしまった翔太は一瞬息を飲む。
だが、やがて我に返って彼女のほっそりとした肩に手を置く。
「なあに、ダメで元々さ。やるだけやってみよう」
「……はい」
彼はあえて単純な言い回しを選んだつもりだったが、そのおかげかユニスの顔に笑みが戻る。
それでもどこか影があった為に彼は言葉を重ねた。
「本当に聞く耳を持たない集団なら、サラヴァンはあんな発言をしなかったと思う。デーモンたちもどこかで輪を断ち切りたいと思っているんじゃないかな。少なくともそういう奴はいると思うんだ」
「……あのサラヴァンという男を信頼していらっしゃるのですね」
彼女は不思議そうと言うよりはまぶしそうに目を細める。
「ああ」
翔太はためらうことなくうなずく。
「殺し合うをした敵だろうと、信用していい奴は存在するさ。……そういう考え方、理解するのは難しいかい?」
彼の問いに彼女は小さく首を縦に振った。
「はい。少なくともこれまではできていませんでしたから。簡単ではないのではないのかと思えてしまいます」
彼女は申し訳なさそうな顔で、自身の胸の内を吐露する。
「そうだな。でも、俺が住んでいた世界では“千里の道も一歩から”という言葉があるんだ。やってみないとはじまらないって意味で」
細かい部分は実のところよく覚えていないのだが、そこまで間違ってはいないだろうという自信はあった。
「なるほど。それはそうですね」
彼女は感心した様子で応えてくれる。
それはやがて美しい花が満開になったかのような笑顔へと変わった。
「さすがショータ様ですわ。あなた様と出会えて本当によかったですわ」
「ははは」
心の底から嬉しそうに言われると彼も照れくさい。
ごまかし笑いでこの場をしのごうと試みる。
「一見して無駄なことかもしれないけど、それでも無駄だということを明らかになるのはたしかなんだ。行き止まりを確認していく作業をやっていると思えば、決して無駄じゃないんだよ」
「……そのような発想はなかったです」
翔太がとっさに思いついた言葉を聞いた王女は、目を丸くした。
相当以外で感心したらしく、何度もうなずいている。
(そんな気が利いた言葉を言えたつもりはないけど)
それでも彼女の一助になれたのならば、それは素晴らしいことだ。
「ショータ様はいつもそのようなお考えで行動していらっしゃるのですか?」
目を輝かせながら放たれた問いに、翔太はバツが悪い気持ちになってしまう。
実のところ前世では決して褒められた人間ではなかったのだ。
「いや、違うな」
それでもこのユニスという少女にはできるだけ嘘をつきたくないと思う。
時にはカッコつけるのも大切かもしれないが、過去の自分を美化するのは何か違う気がしたのだ。
「こちらの世界に召喚される前は、大した人間じゃなかった。どちらかと言えば、もう少しまっとうに生きろと言われるような奴だった気がする。勇者になった以上、頑張ろうと思って頑張っているだけなんだよ」
あるいは幻滅されるかもしれない。
そのような恐怖がなかったと言えは虚偽になるだろう。
しかし、ユニスという少女は、過去の自分の真実を打ち明けただけで去っていくようなタイプには見えなかった。
もしかするとそう思いたいだけなのかもしれないと思いながらも、彼は信じたかったのである。
「そうでしたか」
ユニスは真剣な顔でまずそう言うと、次に優しい笑顔になった。
「それでもその過去を受けとめ、変えようとなさっているのはご立派ですわ」
「そうなのかな?」
彼は首をひねる。
褒められない過去から目を背け続けているよりはずっとよいというのは理解できた。
だが、立派だと言ってもらえるほどのことなのだろうか。
「はい。カルカッソンには“過ちを改める者、愚者にあらず。過ちを改めざる者こそ、真の愚者なり”という言葉がございます」
翔太はどこかで似たような言葉を聞いた気がしたが思い出せない。
「過ちを過ちと受け止め、勇者であろうとなさっているショータ様はとても素敵です。わたくしはとても誇らしく思います」
彼女の白い手がそっと彼の頬を撫でる。
その行為に心が洗われて、その言葉に魂が救われるような気持ちだった。
(何だかユニス、天使か女神様みたいだな)
翔太は直感したものの、苦笑とともに打ち消す。
まさかそのようなことがあるはずもない。
(神の存在が信じられているこの世界だと、もしかすると褒め言葉になるのかもしれないけど)
もっとも、信じているからこそ、神への侮辱ととられる可能性もある。
このあたりはデリケートな問題であった。