6話「戦いが終わったら」
その日の夜、ルキウスと別れてしばらくするとシンディが翔太の部屋まで訪ねてきた。
彼女がこの時間帯にやってくるのは珍しい。
しかし、今日にかぎって言えば彼にも心当たりがある。
彼女の頬は紅潮していて、目には喜びとそれ以外の強い光が宿っていた。
「ショータ様、姫様からうかがいました」
彼女はゆっくりとそれでいて力がこもった口調で切り出す。
「言ったのか……仲いいんだな」
ユニスが彼女のことはかなり気に入っているとは察している。
彼らが気持ちをたしかめ合ったその日のうちに伝えるとなると、相当仲がよいのだろう。
彼はともかく、彼女たちは互いに恋敵になりうるのだから。
(それともこっちの世界の勇者だと、女二人くらいなら全然オッケーなのか?)
内心首をひねったところで、「そう言えばそのあたりについては一切質問していなかったな」と思い出す。
「姫様にはとてもよくしていただいております」
シンディはそう言って胸を張る。
誇らしそうにしているのはユニスという主人に関してであり、王女に可愛がられているのを自慢しているわけではない。
彼女はそのような性格ではなかった。
それくらいはもう分かる仲である。
好ましい目で見ている彼に対して、彼女は不安そうな視線を返してきた。
「本当によろしいのでしょうか? ショータ様ならば他にも道はあったのではございませんか?」
「かまわないよ」
安心させる必要を感じた為、彼は優しく笑いかける。
「対価はすでにたっぷりもらっているしね」
彼が宮殿でいい暮らしができるのも、ユニスやシンディといった身分の高い女性に世話をしてもらえるのも、勇者という特権のおかげだ。
初めはともかく今は自分の意思でそれを享受する道を選択した以上、悔いはない。
彼女たちが責任を感じることでもなかった。
「問題なのはデーモンたちだな。ただ倒す以外にも道があり、そっちの方が世界の為になるわけだから」
「御意。彼らが何故我々を恨み憎んでいるのか、それを知るのが和解への第一歩なのでしょうが」
翔太のぼやきを彼女は同意する。
「そうなんだよな。話してくれるデーモンが出てくることを祈るしかないか」
「はい……」
あっけらかんとした彼に対してシンディはどこか歯切れが悪かった。
重責を勇者一人に背負わせていると未だに負い目を持っているのだろうか。
「そんな顔をするな、シンディ。俺は全てを納得した上でやっているんだ」
黙ってうつむいてしまう彼女のきゃしゃな体をそっと抱き寄せる。
「この戦いが終わったら結婚しよう」
この言葉は考えるよりも先に出てきた為、本人ですら驚きだった。
しかし、一度出てしまった以上今さら取り消すのは不可能である。
目を見開いて距離をとったものの、喜びを隠しきれていない瞳を向けてくる少女の為にも。
(それはそれとして勢いで言ってしまったことは、反省しなきゃ)
どうにも女性絡みだと失敗が多いように思う。
いい加減懲りるべきであった。
「ほ、本気ですか?」
可憐な唇を震わせて、すがるように問いかけてきた少女に肯定を返してやりたい。
その為には一つ、確認しておかなければならないことがあった。
「すまん! その前に確認しておかなきゃいけないことを忘れていた!」
これは全面的に自身に非があると頭をさげて詫びる。
「あ、はい。何でございましょう?」
それに気おされたのか、シンディは怪訝そうにしながらも返事をした。
「この国の法律だと結婚問題はどうなっているんだ? シンディとユニスと二人、というのは許されているのか?」
本来ならば女性に、それも求愛する相手にたずねるようなものではない。
女性にしてみれば怒り出しても許されるケースである。
だが、翔太のその愚直なまでの正直さに彼女は負けてしまう。
このような性格だからこそ、彼女は世界の命運と己の人生を託そうと思えたのだ。
惚れた弱みだと人に指摘されたとしても、彼女は否定しなかっただろう。
仕方がない人だという好ましい感情がわき起こり、ついくすりとしてしまった。
「御意。姫様と結婚するお方でしたら、姫様と陛下の合意を得られれば他に障害はございません。勇者様の場合も、陛下の許可を得られれば何人の妻もお持ちになれるでしょう」
「いや、そんな何人もいらないんだが……」
彼としては必要がなくても否定しておきたいという心境になったのである。
少なくともシンディ、ユニス、アレクシオスの三人に対しては明言しておくべきだと思う。
「ふふ、ショータ様がそのようなお方ではないと存じ上げているつもりですわ」
彼女はどこかいたずらっぽい笑みを返す。
先ほど女性に対して無礼な質問をぶつけられた意趣返しのつもりである。
そこまでは翔太には分からなかったものの、彼女は本気で言ってはいないということは伝わった。
「それはよかった」
誤解されたくはない相手に誤解されてしまうのは、立派な悲劇である。
それを回避できたと彼は本気で安堵した。
「ですが、一言申し上げておきたいことがございます」
シンディは笑みをひっこめると不意にそう切り出す。
それは彼を慕う少女ではなく、王女直属の侍女という顔でもない。
言わば侯爵令嬢、次世代の権力者の顔だった。
「何だい?」
「できれば身ごもるのは姫様からが好ましいかと存じます」
ぶはっと珍妙な声を翔太は漏らしてしまう。
いきなり何を言い出すのか。
無言の抗議を視線でしたが、相手は真剣そのものだった。
「これはとても真面目な話です。クローシュにおいて王位継承権の序列は、年齢順となります。つまり先に生まれれば、それだけで優位に立てます」
「……母親の身分は考慮されないのかい?」
シンディの身分が低いとは思わない。
王女の専属侍女であり、侯爵令嬢であり、次期宰相候補である。
だが、それでも王女にして次期女王には適わないのが道理だろう。
「されません」
彼女は即答した。
それからやや複雑そうな表情となる。
「普通であれば母親が王族、もしくは女王という時点で決まりです。ところが、父親が勇者様となると話が変わってくるのでございます」
勇者の子というのは王族の子よりも権威があると見なされるのが一般的だという。
通常であれば優位性を持つ母親の身分、血統というものは一切無視されてしまうのだ。
「……わたくしは姫様が否とおっしゃるのであれば、身を引くつもりでございました」
彼女の声は感情が殺されていて、心中を察するのは容易ではない。
かろうじてユニスへの気持ちが読み取れるくらいだ。
「されど姫様はかまわないと。むろん、ショータ様のお気持ちがあればでございますが」
「そうか」
翔太はもはや何も言えない。
彼女たちの間で結論が出たのであれば、彼は受け止めるだけでよかった。
「お前たちの為にも戦いを終わらせたいな」
自然と決意が口から飛び出す。
「ショータ様……」
シンディの瞳は感動でうるむ。
二人は黙って見つめあう。
言葉はいらないという空気ができあがっている。
彼はこのまま彼女を押し倒してしまいたいという欲求をどうにか抑え込む。
今はまだ早い。
それにユニスがいないのもよくなかった。
己にそう言い聞かせることに成功する。
だが、そればかりではいささか味気ないという思いも捨てきれない。
その為、彼はそっとシンディを抱きしめる。
「約束だ、シンディ」
「は、はい。約束です」
彼女は恥じらいつつ拒まず、そう応じた。
若干表情がかげったのは、抜け駆けをしてしまったかのような後ろめたさゆえにである。
やはり彼女にとってユニスは特別だった。
そのことを察したわけではなかったが、翔太は彼女に優しく話しかける。
「後でユニスにも言ってあげないとな」
「はい。きっと姫様はお待ちです」
シンディは頬を喜びの色で染めて答えた。
自分を抱きしめながら他の女の名前を出された、という嫌悪感は微塵もない。
自身と同じくらいユニスも想われていることがうれしいのだ。
それが翔太には好ましく感じる。
ギスギスしているよりは仲良い方がずっとありがたいのだから。
あるいは人でなしと呼ばれるかもしれないが、それが彼のいつわりのない本心だった。
「……ユニスにはいつ言おうか」
ぽつりとつぶやく。
明日もおそらく彼女は同行するのだろうから、その時でもよいはずだ。
しかし、こういうことは少しでも早い方がよいという気もする。
その迷いが彼の舌を動かしたのだが、回答は抱きしめている少女から来た。
「ショータ様さえよろしければ、これからがよろしゅうございます。わたくしが姫様をお呼びいたしましょう」
「分かった。すまないけど頼むよ」
この流れで彼女にユニスを呼ばせるというのはいかがなものか、と思わないではない。
しかし、他に頼める人間がいなかったし、彼が自分で行くわけにもいかなかった。
「それでは行ってまいりますね」
シンディは一言断りを入れて、彼から体を離す。
そしてどこか名残惜しそうに部屋を出て行く。
彼女がいなくなると彼は明かりが消えたような感覚になった。
彼女もまた華のある女性なのだと実感させられる。
将来について考えるようになって、ようやく本格的に女性としての魅力に気づきはじめたのかもしれない。
翔太は己自身をそう分析する。
そのような彼が待たされた時間は短かった。
意外なほど早くユニスを連れて少女は戻ってきたのである。
「ショータ様」
ユニスの顔は緊張でこわばり、それでいてそのサファイアのような瞳は期待の光を帯びていた。
「ああ。この戦いが終わったら結婚しよう、ユニス。シンディと三人で」
彼が率直に切り出すと、彼女は喜色満面でうなずく。
「はい。喜んで」
それから侍女を振り返る。
「シンディもよろしくね」
「はい、姫様」
三人は誰からともなく体をくっつけ合う。
正確には翔太が左右の腕でそれぞれ美少女たちを抱く形になった。
二人の少女は着ているものも、肌ざわりも匂いも違う。
どちらも彼にとってかけがえのない存在となったことが、共通していた。