5話「言えない」
勇者の三日めの東方調査はキブロン王国の途中からはじまる。
このまま東へと進むか、北にも行ってみるか迷ったものの、結局ひとまず東の端まで行くことにした。
「カルカッソンの東の果てには海があるのだが、海の果てに何があるのか誰も知らないのですよ」
今日になって新しい同行者となったユニスが、そう話したからである。
海産物は岸辺でも採れるし、沖は危険ばかりが大きいのだと言われているともつけ足す。
日本人である翔太にしてみれば、海の遥か先には何があるのか興味深いのだが、個人的な好奇心を満たすのは後回しにしなければならない。
別に世界を救ったら追い出されるわけでもあるまいし、という気持ちがあった。
キブロンの東にあるのは旧ティティエンヌ領であり、その先にある旧バニョレがカルカッソンの東端に当たる。
「ここから北に向かえばまだ国の跡地はございますが」
ユニスは彼にそう説明した。
それにうなずいた彼は、常人ではとうてい考えられぬ速度でここまでやってきたのだと実感する。
自身の成長だと考えれば喜ばしいことではないだろうか。
青く晴れ渡った空をあおぎ、大きく背伸びをする。
春の穏やかで過ごしやすい気候さながらであった。
付近に生き物の気配を感じない哀しささえなければ、いい日だと思える。
そこだけが残念であった。
ヴァレリーの力の影響によるものであり、それを逃れた動物がそのうち集まってくるのであればよいのだが。
「ショータ様?」
そう考えていると、隣から少女の玲瓏たる声が聞こえる。
一人旅をやっていたせいでつい忘れかけていたが、今日はユニスが一緒なのだった。
「何だい?」
彼女が怪訝そうに声をかけてきた理由を察しつつ、あえてとぼけた反応を示す。
「いえ、何でもございません」
彼女はくすりと笑ってそう応じる。
その表情には「仕方がない人だ」と書いていて、気のせいかどこか嬉しそうですらあった。
内心翔太の方も少しは嬉しい。
一人旅の無味乾燥さを味わった後だと、美しい同行者がいることがとてもありがたく思えるのだ。
一人の時よりもペースダウンしなければならないが、それよりもメリットの方が大きい。
照れくさい為、決して言葉には出さないようにしているものの、それでもユニスは機嫌がよさそうである。
東方を自分の目で見られることがよほど嬉しいのだろう。
彼はそう思っているが、ただ単にそれだけだと本気で思うほど鈍感ではない。
しかしながら、自分と一緒だということが理由だと本気で信じるほど、自信を持っているわけでもなかった。
(もう少し分かりやすいサインがあれば……)
などと考えてしまう。
夜になれば帰還できるとは言え、二人きりで見知らぬ土地を歩いているのだから、嫌われているはずはないのだが。
そう思っても踏み込むのはためらわれるのだ。
「勇者としての使命を後回しにしていいのか」という悩みもある。
彼は意気地なしだし、真面目すぎるとも言えるのだった。
「あれは何でしょうか?」
そのような彼の心境を知ってか知らずか、ユニスは平気で彼に話しかける。
彼女がほっそりした指先で示したのは、一本の木だ。
「あれは木だよ」
もちろん彼がこう答えたのは冗談である。
「もう、ショータ様ったら、そういうことではありませんわ」
ユニスもそれは分かったとみえて、口をとがらせた。
「ごめん、俺も木について詳しいわけじゃないんだ。そういうのはユニスの方が詳しいと思っていたんだが」
「わたくしもうといですね。クローシュに生えているものでしたら、それなりに分かるのですけれど」
翔太が謝ると彼女も申し訳なさそうな表情になる。
「こういうのはシンディの方が得意ですのよ」
「そうなんだ」
意外かと言われればそうでもない。
たしかにシンディは花や植物に詳しそうなイメージである。
彼が納得したのをどう解釈したのか、ユニスは拗ねたような目を向けた。
「あの子の方がわたくしよりも、ずっと女の子らしいと思っていらっしゃるのではありませんか?」
「いや、別にそんなことはないけど」
翔太は内心焦る。
図星を突かれたのだ。
おっとりとしているようで随所で行動力を発揮する彼女より、勝ち気なようでいてさりげないところで女性らしさを見せるシンディの方が、と思える。
しかし、何とか平静を貫きとおす。
彼女はさぐるような目を向けてきたが、彼の内心の動揺を見抜けず引き下がるしかなかった。
「でしたらいいのですけれど」
彼女はそう言うと再び微笑を浮かべる。
どちらかと言えば、いたずらをもくろんでいる悪童のようなものだった。
「あの子は本当にショータ様のが好きのようですわ。わたくしとの会話でも、ショータ様について話すことが多いのですよ」
予期していなかった不意打ちを食らい、翔太はせきこむ。
それを見た彼女はしてやったりと笑いながらたたみかける。
「もちろん、わたくしもですよ」
これはとどめと言うべき一撃で、彼は目を白黒させて白旗を振るしかないと思った。
はたしてカルカッソン人に通じるのかと疑問を抱く理性がかろうじて残っていた為、実行しなかったが。
「まいった、俺の負けだ」
彼はようやくそう言う。
これは本心である。
一緒に風呂に入ったくらいだからと漠然と考えてはいたのだ。
(いくら何でも一足飛びすぎやしないか)
そう思わないこともなかったが、少女たちの方から言わせてしまったという負い目もある。
彼は割とこだわるタイプであった。
「わたくしたちの気持ち、受けとっていただけますか?」
そのような男にさらなる爆発物をユニスは投げ込む。
だが、今回は顔から笑みが消えていて真剣味が宿っている。
(何もこのような時じゃなくても)
翔太は一瞬そう思いかけたが、すぐに思いなおす。
このような時、このような場だからこそ言えることなのかもしれないと。
彼女はしがらみが多い王族なのだから。
そう考えれば自然と真摯な気持ちで向き合う。
「ああ。待たせてすまなかった」
彼のこの言葉を聞いた彼女は愁眉を開く。
「よかったです。はっきり答えていただけて」
こう言い放った時、彼女の表情は従来のものに戻っていた。
そのような彼女を翔太は背後からそっと抱きしめる。
「悪かった」
そして口を耳たぶに触れるか触れないかまでの距離にまで近づけ、ささやく。
一言言っておかずにはいられない気分だったのだ。
たとえ彼女は気にしていないと返してくるだろう、と予想できたとしても。
「は、はい」
効果はてきめんと言うか、彼が狙ったよりもあった。
ユニスの顔はりんごよりも真っ赤になり、うつむいてしまう。
そのような彼女の様子を見せられて、また彼女のぬくもりと香りを感じていると甘酸っぱい気持ちがわきあがる。
転生前では決して味わえなかった貴重な体験だ。
そのまま流されそうになりかけたものの、何とか踏みとどまる。
今の翔太は世界の命運を背負う勇者であり、ユニスはそれを支える存在であった。
さらに現在はデーモンの侵略を受けた地を調査している最中である。
それなのに何をやっているのかという理性の訴えが勝った。
彼女の方も理解はできたのだろう。
彼が無言でそっと離れても、仕方なさそうな顔をしている。
二人は声を出さずに何となく見つめあう。
するとそこへ突然怨念に満ちた声がぶつけられた。
「おのれ……貴様ら」
思いがけぬ展開に驚きながらも、翔太はすばやくユニスを庇う。
彼女の方も素直に彼に身を寄せた。
当たり前のことではあったが、声の主はそれに神経を逆なでされたらしい。
彼の数メートル先の地面から一つの影が飛び出してくる。
それは白い蛇のような顔をして鋭く伸びた詰めを持った大男だった。
「ケツァルコアトル様の命令で黙って監視していれば、恋人のような空気になりおって。貴様らは我々と戦いに来たのではないのかっ? 真面目にやれ!」
正論である。
しかし、それを倒すべき敵に言われてしまうとなると、何となく奇妙な気分だった。
モテない男がひがみ根性を発揮しているだけにしか見えないのも、翔太の気のせいだろう。
「ごめんなさい」
ともかく非は自分にあると思い詫びたが、大男は憤慨する。
「謝るなあ! この地伏星ブラックモールふべ」
正式に名乗られた以上は遠慮は無用だと、彼はデーモンを斬り伏せてしまう。
あっけない幕切れだったが、ただの下っ端だと不思議ではない。
彼はそう思ってユニスに話しかける。
「それじゃ先に進もうか」
「えっ? はい」
彼女は一瞬だけ呆気にとられていたが、すぐに笑顔に戻った。
なかなかの性格だなと彼は評価する。
その後は特に何事もなく、二人はティティエンヌ領が見えたところで一度帰還した。
「娘は邪魔しませんでしたか?」
面会した際、真っ先にアレクシオスはそのような問いを発する。
許可したものの、送り出した後で不安が頭をもたげたようだ。
「いえ、そんなことはありませんでしたよ。女連れだと油断したデーモンをおびき寄せられましたし」
もちろんこれは事実ではない。
しかし、本当のことを言えるはずがないし、デーモンを倒したことを報告しないわけにもいなかった。
そこでそういうことにしたのである。
ユニスもそのとおりだと言うように首を縦にふっていた。
「そういうものですか」
王は訝しげな表情になったものの、二人が同じことを言っている以上はそうなのだろうと解釈するしかなかったのだろう。
追及するようなまねはしなかった。
代わりに防衛制度の進捗を教えてくれる。
「国土のすみずみにまで行きわたらせる為には、もうしばし時間が必要となるでしょう」
「そうですか。では、その間私が東の地を動き回るのは、悪くないですね」
勇者が歩い回ってデーモンを倒しているとなれば、当然彼らの注意はそちらに向く。
時を稼げるというわけである。
彼はそう考えたのだが、アレクシオスは同調しなかった。
「むろんそうなれば幸いですが、勇者殿の留守を狙おうというものがいるかどうか分かりかねますので、油断は禁物ですな」
全くもってそのとおりだと彼は反省する。
恥じ入る彼に王は笑いかけた。
「そう気を落とされなくとも、我らを励まそうとなさったお気持ちは伝わっております」
見事なフォローに彼は何も言えず、黙って頭を下げる。
王の前を辞去して部屋の前まで行くとルキウスが待っていて、王から聞いたか確認してきた。
聞いたことを伝えると立ち去りかけた為、彼は呼び止めてたずねてみる。
「たとえ話だと思って聞いてほしいんだけど」
真剣な面持ちで声を低めて切り出した為、秘密の話だとルキウスは解釈して真顔でうなずく。
「クローシュ人の未婚女性にとって、男と一緒に風呂に入るのってどういうことなんだろう?」
ずっと疑問に思っていたことである。
だが、訊ける相手がいなかった為に胸の奥にしまうしかなかったことでもあった。
「どなたかと風呂に入りましたか?」
ルキウスの顔には一瞬だけそう質問が浮かんだが、すぐに消える。
彼は小声で勇者に耳打ちをした。
「全ての服を脱いで同じ空間でひと時を過ごすのですから、当然身も心もあなたに捧げますという意味になります。男の方が女性に一緒に風呂に入ろうと言えば、求婚になりますね」
返ってきた答えに翔太は絶句する。
つまりユニスとシンディが人目を気にしていたのも当然だし、彼女たち以前からはっきりと意思表示をしていたというわけだ。
当時と今ではもしかすると意味が違っているかもしれないが。
「一応訊くけど、もし二回以上入った場合は……?」
彼はついたずねてしまう。
否定してもらいたいような、それでいてはっきり全てを知りたいような、複雑な感覚が心に満ちていた。
ルキウスの表情がはっきりと困惑に支配される。
一体全体どのように話が転がればそのような現象が発生するのだと言いたそうであった。
それでも何も訊かずに答えだけ返してくれる。
「二回以上となりますと……変わらぬ愛と献身、あるいは一回目の返事を待つという意味ではないですか?」
自信がなさそうだったのは、前例がないのかもしれない。
(あ、やっぱり)
まず翔太の頭に浮かんだのはその言葉だった。
そして今日、彼がとった行動はぎりぎりセーフというところだろうか。
ユニスに直接問いをぶつけられた結果である為、少しも威張れたことではないのはたしかだが。
何か言いたそうなルキウスに彼はごまかし笑いを浮かべて告げる。
「ごめん、今はまだ何も言えないんだ」
無言の了承だけが返ってきた。
年長者の理解のよさに助けられた気分でいっぱいである。