4話「東方調査2」
次の日、朝食をすませた翔太は必要な荷物を持って再び東方へと向かう。
今回はジーヴェの東端に転移し、そこから歩きで先を目指すのだ。
相変わらず自然以外はほぼ何もない世界が広がっている。
昨夜だが、アレクシオスが「デーモンは魔界に引き上げているかもしれない」と指摘したことを思い出す。
あくまでも人間国家の破壊と人の滅亡だけを狙っているならば、破壊したところには興味を持たない。
ルーランの場合は破壊行動の最中だったからこそ、複数のデーモンと遭遇したのではないか。
それが彼の予想だった。
これが的中している場合、「東方領地を占拠しているデーモンたちを撃破し、土地を奪還する」という初期構想が崩れてしまう。
翔太としてはそれを憂いたのだが、王は「デーモンと魔王を倒さないかぎり、安心して住める場所などない」と鷹揚に笑ったのである。
勇者のやる気に水をさすような真似はできるだけ避け、やりたいようにやってもらおうというのがクローシュ人たちの本心かもしれなかった。
そのことに気づいた翔太は、己がまだ未熟だと赤面したものである。
ジーヴェの先はロクロワという国の跡地だ。
観光国家として栄えた小さな国だったという。
あまり詳しい情報を聞くと胸が痛くなってしまうのだが、これもまた勇者の役目の一つであろう。
国家の収入源となったという景勝地は全て無事に残っていた。
人の手が入らなくなったことはありありと分かるが、それでもまだ十分に美しい。
人間以外には興味がないデーモンたちの行動が幸いした結果だと言えそうである。
ロクロワは半日ほどで通過できてしまう。
あくまでも単純に直線距離を比較するとジーヴェの半分くらいだろうか。
その先はかつてキブロン王国と呼ばれていた土地だった。
今度は農産業で有名だったというが、田畑は荒れ放題となっている。
「しかし何ともまあ」
翔太は思わず独り言を漏らす。
ここまで彼はずっと一人であり、虫一匹すら影も形もないのだ。
さすがに違和感のようなものを抱く。
デーモンは人間以外に興味がないというならば、他の動物たちは無事でないとおかしいのである。
初めは人間国家が破壊された影響かと思っていたのだが、一応別の可能性も入れておくべきではないか。
彼がそう思っていると前方に影が走る。
条件反射的に剣を抜いたが、その影の正体が判明すると少し力を抜く。
それは灰色の体毛を持ったリスで、前足には小さな木の実を抱えている。
つぶらな瞳を不思議そうに向けているのは、人間を久しく見ていなかったからだろうか。
(この辺にリスはいるのか)
木の実や草を主食とするならば、自然が無事であるかぎり生きていられるというのは理解できる。
そして人間を見たことがないリスが人間を警戒せず、寄ってくるのも無理はない。
何も奇妙なところはないはずだったが、何となく胸騒ぎがする。
彼は自分で自分にとまどいを覚えたものの、その感覚に従って横に飛んでリスから大きく距離をとった。
その次の瞬間リスの体は音を立てて爆発する。
もしリスに手を伸ばしていれば、大きなダメージを受けていたかもしれない。
とっさの判断が正しかったことに安堵するよりも、非道とも言えることをやった相手に怒りを覚える。
「……勘は悪くないようだな」
「姿を見せろ」
不意に聞こえてきた声に呼びかけると、一羽の黒い鳥が姿を見せた。
「デーモンか」
「そうだ。天哭星リュカオーンのヴァレリーだ。お前を倒そう、今代の勇者よ」
低い男性の声に落ち着いた理性を感じとり、翔太はダメで元々と対話を呼びかける。
「お前たちは何故カルカッソンの人々を恨む。執拗に攻撃する? どのような恨みがあるのか話してほしい」
「……お前に言っても無駄だ、神のイヌめ」
返ってきた声には怒りがにじんでいた。
拒絶の意思は明らかだったが、彼は食い下がる。
「神も恨みの対象なのか?」
「そうやってニーズヘッグ様の油断を誘ったのか? ……何も知らぬ哀れなる神の傀儡よ。せめてもの情けだ。己こそが正義であり、我らが邪悪だと信じたまま死ぬがいい」
リュカオーンのヴァレリーには、彼と対話する意思がないのはもはや確実だった。
こうなると彼としても、己の身を守る為に応戦するしかない。
彼の決意をデーモンの方でも感じとったのだろう。
鳥が力強く羽を動かす。
次の瞬間、神剣がその体を真っ二つに切り裂いていた。
「……驚いたな。ためらいなしか」
しかし、リュカオーンの声は未だ消えない。
「本体じゃなかったのか」
あまりにも堂々としていることと、リスの体が爆発したことから翔太は想定できていた。
「当たり前だよ。たとえ卑劣な策略を用いたのであろうと、貴様は三巨頭と十二将を倒している。そのような男の目の前にのこのこと姿を見せるほど、私は愚かではない」
慎重で用心深いと言えばそれまでなのだろうが、彼が好ましく感じられない。
偉そうな態度の割に安全圏から動かないのか、と思えば反発したくなってしまう。
ただの動物を攻撃の道具、それも使い捨てのように扱っているようにしか見えないせいもある。
「カルカッソンの人に怒りを抱いているとして、動物はお前たちに何をしたんだ?」
まさか動物たちにも恨みがあるのだろうか。
そう問いかけた翔太をヴァレリーは笑う。
「何だ? こやつらに同情しているのか? うすっぺらい偽善者めが」
笑い声が響き渡ると、多数の鳥と虫が飛来する。
「こやつらも神が生み出した生命、すなわち貴様と同じおぞましい神の手先だ。根絶やしにするのは当然!」
このデーモンはサラヴァンとは違い、無差別のようだ。
(そうなるとなおさら放置はできないな)
早めに倒さないとどれだけ被害が出るのか想像もつかない。
「死ね! 【獣蟲爆砕】」
勇者を包囲していた鳥と虫の体が一斉に彼の体に群がり、光と轟音と共にはじけた。
「ずいぶんとあっけないな……この程度で倒せるならニーズヘッグ様たちが敗れるはずもないが……」
リュカオーンのヴァレリーは半信半疑といったつぶやきを漏らす。
そしてそれが正しかったとすぐにも判明する。
視界が晴れた時、白い光に守られた翔太が現れたのだ。
「ディバインシールドの力か……」
デーモンは悔しそうに歯噛みする。
翔太は勝ち誇るでもなく、冷静に敵の現在地をさがす。
十二将でもないただのデーモンが、遠く離れたところから大量の動物を操ったり、彼と会話できるはずがないと読んだのだ。
案の定、百メートルほど先の森に一つの反応がある。
彼は地を蹴ってあっという間に距離を詰めた。
「なっ」
森に生えた木のうち一本が、思わず驚愕の声を漏らしてしまう。
樹木そのものの外見を持つのがリュカオーンのヴァレリーである。
そこからの決着は一瞬だった。
勇者に肉薄された状態を打開する手段を持っていなかったデーモンは、あっけなく神剣で斬り伏せられてしまったのである。
一体デーモンを倒した翔太だったが、その心は晴れない。
ヴァレリーに頑なに拒絶されたことにより、デーモンさえも救うという行為の難しさを思わずにはいられなかった。
それでもくよくよしているわけにはいかない。
世界を救うという使命を背負う勇者は、前進するべきであった。
(そう言えばシュガールには逆らえない、みたいなことを誰かが言っていたよな。シュガールさえ説得できれば、何とかなるのか?)
彼はふとそう思う。
そもそもデーモンを説得したところで、その主である魔王が納得しなければ何も変わらない。
それならばシュガールから攻略するべきではないか。
無謀のようだが一番合理的な考えなように思える。
(シュガールと話す為には、結局全てのデーモンを倒すしかないのかな)
まだ魔王と面識がない為、どのような性格なのかさっぱり分からないが、そのつもりでいた方がよさそうだ。
彼は一つ息を吐き、再び東を目指す。
リュカオーンのヴァレリーとここで遭遇したのは偶然か、それとも何らかの事情ゆえだろうか。
前者ならばともかく、後者であればこれからもデーモンと遭遇するに違いない。
念の為、対話を呼びかけることは続けるつもりである。
サラヴァンのような性格のデーモンが他にもいるかもしれないからだ。
三巨頭のサラヴァンを倒してしまったからこそ、対話が困難になってしまった可能性もあるだろう。
だが、それでも彼の方から道を閉ざすわけにはいかなかった。
旧キブロン王国をある程度歩いたところで日が暮れた為、彼は一度クローシュへ帰還する。
いつものようにアレクシオス王に報告して、食事になった際にユニスが彼に願いごとをしてきた。
「あのショータ様、よろしければわたくしもお連れいただけませんか」
これに驚いたのは勇者ばかりではない。
一緒にテーブルを囲んでいた国王夫婦もだった。
どうやらこの王女は両親に事前に相談していなかったらしい。
「足手まといになるのは承知なのですが、どうしても今の東方をこの目で見ておきたいのです」
彼としてはとっさに返答に困る。
彼女がいればたしかに旅のペースダウンは確実だろう。
しかしながら、会話する相手ができる上にそれが美少女だというのは、なかなかに抗いがたい魅力があった。
二日ほど一人旅を体験した後だと余計に。
もしかすると彼女もそれを期待して、このタイミングで言い出したのかもしれない。
「何を言い出すのだ、そなたは」
「そうです。王女という立場でありながら、勇者様にご迷惑をおかけするなど、言語道断ですよ」
国王夫婦は当然反対である。
娘が戦力になる、そうでなくとも勇者のパートナーにふさわしい力があるならばまだしも、お荷物になる未来しか見えていないのだから、賛成できるはずがなかった。
そのような両親に対して、ユニスは無言で視線を向ける。
実の娘とは思えぬ意外なその迫力に、二人は一瞬言葉に詰まってしまう。
それでもさすがにアレクシオスは一国の王者とも言うべき人物であり、すぐに立ちなおった。
ここで娘に直接言葉をぶつけず、勇者に水を向けたのは戦術的には自然だっただろう。
「勇者殿、勇者殿からも何かおっしゃってくだされ」
「ユニスの同行を認めましょう」
翔太がこのようなことを言い出さなければの話だが。
「えっ?」
国王夫妻はもちろん、ユニスでさえ目を丸くする。
どうやら彼女自身、彼に反対されるのは覚悟していたようだ。
翔太は主にアレクシオスに視線を向けて、理由を話す。
「今だから言えることですが、ユニスは私の為に結構な無茶をしたことがあるのです。それを思えば、いたずらに反対するのも怖いのですよ」
できるだけ深刻そうに伝わらないよう、おどけて言ったつもりだったが成功しなかった。
夫婦は真剣に考え込んでしまったのである。
しばらくの間沈黙が場を支配していた。
やがてアレクシオスは顔をあげてまずユニスを見て、次に翔太を見る。
「勇者殿がそうおっしゃるのであれば、ユニスに許可を出しましょう」
「へ、陛下」
喘ぐように抗議したのは言うまでもなく王妃だった。
娘も勇者も、そして最後の砦である夫までもが何を言い出すのか、信じられないという顔つきである。
「ユニスがいざと言う時、大胆な行動力を見せるのは我々の方がよく知っているではないか」
「それは……そのとおりですけど」
王妃にも心当たりはあったようで、しぶしぶ夫の発言を肯定した。
「それならば最初から勇者殿にお任せしてしまった方が、まだ安全だし安心できるというものだ」
そう言われてしまうと、彼女としても反対し続けるのが難しくなる。
娘が自分たちに何があっても絶対服従するような性格ではないことくらい、よく知っていた。
「分かりました。ユニスが勇者様のお言いつけには決して逆らわぬこと、もし逆らった場合は勇者様がユニスをここへ強制的に送り帰してくださることを条件に認めますわ」
仕方がないという顔でそう条件を出す。
その際に娘ではなく翔太の方を見たのは、彼女がどちらの方を信じているのかよく分かるというものだ。
「ご信頼を裏切るようなまねはいたしません」
実の娘である王女よりも信用されてしまった勇者は、苦笑を何とか押し殺してそう誓う。
こうして彼の東方行きにユニスが加わることになったのである。