2話「新しい戦い」
宮殿に戻った翔太は、シンディの部屋で彼女とユニスとの三人でお茶会を楽しむのが通例になっていた。
何か食べ物を腹に入れるには少々遅い時間である場合が多い為、飲み物のみである。
「今日はいかがでございましたか?」
ユニスは楽しそうに彼に話しかけるのが常だった。
彼と話すのが嬉しくて仕方がないようである。
彼女のような美しい少女にそのような態度をとられて、彼としても悪い気はしない。
おしゃべりは決して得意な男ではなかったが、思いつくまま気の向くまま話題を口にする。
それから彼は聞き役に回って、ユニスとシンディがしゃべる番だ。
彼女らが話すのは他愛もないことが多い。
服装の話、香水の話、食べ物の話などが中心である。
翔太が「よくも底がつきないな」と感心するほど、少女たちの話題は豊富だった。
女性ならではと言うべきか、細かな違いも気付いて評価する点は黙って帽子を脱ぎたくなる。
お互いに話したいことを終えると晩さんの時間帯となり、まずシンディが退出していく。
毎度同じような展開に彼は、二人の少女が計算してやっているのではないかと思うようになった。
おそらく疑問をぶつけたとしても、どちらも笑顔を浮かべるだけで教えてくれないのだろうが。
晩さんは基本王族たちのみだが、たまに大臣なども混ざる。
国の要人たちと顔見知りになっていくのも勇者の義務なのだと彼は推測した。
自分たちを守ってくれるのが顔も性格も知らない相手ではなく、会って話したことがある人物の方が親しみがわくのではないか。
そう思うのである。
(俺が反対の立場なら、そうだろうし)
彼自身がそうなのだから、知らない誰かに命運を握られている貴族たちが、同じように落ち着かない気持ちになっても責められない。
一緒に食事をしながら言葉を交わすだけで安心してもらえるならば、ありがたい話であった。
夜になってシンディを連れて自室に戻ると、別れる前に少女は微笑みながら彼に声をかける。
「父も陛下も絶賛しておりますわ。ショータ様は人々の心にある一抹の不安を払しょくすることに余念がない、大変素晴らしいお方だと」
「それなら何よりだな」
自分は間違ってないと言われて、彼は嬉しさよりも安堵の気持ちの方が大きい。
たまにだがクローシュの人々とは感覚が違うと実感する時がある。
そのせいで彼の方も不安はあるのだった。
シンディが今日このタイミングでこのように話しかけてきたのは、それに気付いたからだろう。
翔太が知るかぎりでは細やかな配慮を得意とする少女なのである。
唯一の不安材料だったルキウスとの関係も、今のところは上手くいっているようだった。
彼女は彼に対する隔意を見せなくなったし、彼の方も彼女に対してひたすら下手に出ている。
これ以上の進展させるのは、少なくとも翔太には困難だと断言できるほどであった。
「お休みなさいませ、ショータ様」
「お休み、シンディ」
二人は微笑を交わして別れる。
美少女の笑顔に見送られてベッドに入るのは実にいい。
心身ともに少年に若返った翔太はそのように思えた。
肌触りがよくいい匂いがする布団にくるまれて夢の世界に旅立つと、そこにディマンシュ神が現れる。
「勇者よ。新しい戦いがはじまる。心せよ」
「休養期間は終わりということですか」
嘆息したがやむをえないことではあった。
今まで攻撃が止まっていたのを幸運だと思うしかないだろう。
「東に向かうがよい。そこでそなたの力が必要となろう」
神が具体的にこのようなことを言ってくるのは珍しく、彼は目を丸くする。
「ありがとうございます」
だがそれも一瞬で、すぐに礼を言う。
そこで両者の会話は終わってしまった。
正直なところこの神に対して訊きたいことがある。
訊くべきかどうか迷った挙句、たずねてみることにした。
「デーモンを救わなければ、カルカッソンは救われないとはどういうことなのでしょう?」
少しの沈黙の後、答えが返ってくる。
「奴らも被害者と言えば、その通りであろう。シュガールめもな。これ以上明かすのは掟違反となる。続きはデーモンに問うがよい」
「彼らが教えてくれるでしょうか?」
サラヴァンのような男だったからこそ、ヒントをくれたのではないか。
翔太としてはそう思わざるをえないのだ。
「優しき者よ。真の勇者よ。奴らを救わんとするならば、奴らの心を開け。されば怨念の輪を断ち切ることもできよう。そなたにはその力がある。心という名の力がな。それは我らが待ち焦がれていたもの。永劫に続きかんとする螺旋を壊せるもの」
「えっと、本当ならデーモンも救いたかったけど、掟に邪魔されてできないから、それを実現できる人間の出現を待っていたということですか?」
ディマンシュ神の励ましているようで謎かけのようでもある言葉に、ついついたずねてしまう。
「勇者よ。そなたは何も間違ってはおらぬ。そなたこそ希望の光。闇を切り裂き、道を照らす星である。そのまま歩み続けよ。少しでも多くを救いたいと願うならば」
そう言い残して神の姿は消える。
後に残されたのは何もない暗闇であった。
そのまま朝を迎える。
体を起こして背伸びをして、神との会話を思い出す。
(間違ってはいないか)
ユニスたちに喜ばれて、神にも肯定されるのであればこのままでよいのだろう。
翔太はそう解釈して「新しい戦い」について思いをはせる。
わざわざ告げてきたことを考えれば、より厳しくなるのかもしれない。
そのつもりでいた方がよいと彼は覚悟をした。
いつものようにシンディが起こしに来てくれて、顔を洗うと着替えを手伝ってもらう。
それからやってきたユニスと二人で食事を済ませると、アレクシオス王に会いたいと申し入れる。
こういう場合、ユニスに言えばよいというのは便利なものであった。
本来一国の王と面会するのに必要な手順を踏んでいないのだろうが、誰も指摘してこない為に彼も気にしないことにしている。
「昨日ディマンシュ神から、新しい戦いがはじまるって言われたんだよ」
ユニスとシンディにならば先に明かしておいてもかまわないと考えた翔太は、二人に理由を告げた。
「ディマンシュ神様から……」
口に手を当てて悲鳴のような声を漏らしたのは、侍女の方である。
王女の方は言葉には出さなかったものの、はっきりと顔色を変えた。
「まだ敵はたくさん残っている。きっと厳しい戦いになるだろうな。よろしく頼む」
翔太が言ったのは形式的なものではなく、心がこもったものである。
それだけに二人の少女の胸に響いた。
「はい。微力を尽くします」
ユニスは華やかに微笑み、シンディは真顔でうなずく。
「わたくしも善処いたします。どれだけのことができるか分かりませんが……」
彼女たちの存在は、翔太にとって心の清涼剤のようなものとなっていた。
癒しになり、励みになるような存在がいるのはとてもありがたい。
彼はそう思っている。
照れくさいので直接口に出した事はないのだが、いつの日か一度くらいは言った方がよいのだろう。
漠然とそう考えてはいるのだが。
アレクシオス王と面会はすぐできた。
いつものような執務室や謁見の間ではなく、私室だったのは王の心境にも何か変化が生じているのだろうか。
「戦いがはじまるというお告げが……」
「ええ。わざわざ警告を発せられたことを思えば、激戦になるのかもしれないと思ったもので」
念の為報告しておこうと思ったのだと伝えると、王は礼を述べる。
「ありがとうございます。勇者殿。できることはかぎられているでしょうが、何も知らないでいるよりはずっとありがたい」
心の準備ができているだけで違うと彼は語った。
「問題はどこにデーモンが現れるかですね。東に行けとしか聞いていないので」
クローシュは大国であり、国土も広い。
王都から見て東の方面にかぎるにせよ、かなりの面積になってしまう。
アレクシオス王は彼の発言を受けて目を閉じて、しばし考え込む。
「ガムース城以外に東方でデーモンに狙われる地点があるとすれば、それは国境砦だと思うが……」
ガムース城ですら容易く落とされてしまったのだから、国境砦も襲撃されると脆いだろう。
「ただ、ガムース城よりも優先度は低いはずです。今は東方諸国との貿易は消滅していますからな」
デーモンが姿を見せる前までは、東方との貿易も盛んだった。
その時に国境砦を攻め落とされていれば、多大な影響が現れただろう。
しかし、先に東方が被害を受けた為に、交易の比重を北に移したのである。
クローシュにとって幸いなのは、食料の大半を自国でまかなえることだった。
もし、東方諸国から依存していたのであれば、今頃目を覆うような被害が出ていたかもしれない。
そうでなくとも北方からの輸入が生命線となっていただろう。
そのことを聞かされた翔太は表情をけわしくする。
「もしかすると、ディマンシュ神はそういうつもりだったりするのか……?」
「そういうつもりとは?」
怪訝そうにたずねてきたアレクシオス王に、彼は神妙に答えた。
「もしかすると東方諸国を何とかしろという意味だったのかなと。東方諸国に生き残っている人はいないのですよね?」
「絶対にいないとは断言できませんが……我々が把握しているかぎり、東方は事実上の空白地帯になっているはずです」
王はとまどいながら返事をする。
「もし残っていれば、救出を試みなければなりませんから」
生き残りを見殺しにはできないと力強く語った。
このような王を戴いているからこそ、クローシュはよい国なのだろうと彼は推測する。
(それともよい国だから、いい王様が出てくるのかな?)
そこまでのことは彼には判断できない。
だが、いずれにせよ好ましいことには変わりはなかった。
「私が行ってみましょう」
「勇者殿がですか?」
目を丸くして訊き返してきた王に、微笑で応える。
「東方地域からデーモンを追い出すのは、人々にとってよきことであると思うのですが、いかがでしょうか?」
「たしかに……我が国や北方地域はなくても今のところさほど困ってはいませんが、肥沃な土地や金属が豊富に採れる鉱脈がありますからな。デーモンたちに何もされていなければですが」
人間が支配していた土地を手に入れたデーモンがどう出るのか、とんと見当がつかない。
(サラヴァンなら変なことはしないと思うけど、他の奴はどうかなぁ?)
翔太としてもそこは疑問だった。
カルカッソンの住人たちに対して恨み骨髄なのは、デーモンたちに共通しているようである。
そうなってくると、国や地域を攻め落としただけで満足した、と考えるのは楽観的すぎるかもしれない。
「勇者殿が我らの為に、東方をデーモンの魔手から取り戻すとおっしゃるならば、こちらに異はございません」
アレクシオス王はそう言って、勇者の行動の支持を表明する。
「何か必要なものはございますか?」
「今のところは水と食料ですかね」
とりあえずそれだけあれば当面は十分だ。
そう判断した彼に対して、国王は疑問を投げる。
「移動手段はいかがなさるおつもりですかな?」
当然と言えば当然であったが、彼は唇を舐めてあることを明かす。
「神器の力を使えば解決できるようなのです」
鍛錬をはじめてそれなりの時間が経過した為、そろそろ言ってしまってもよいと判断したのだ。
秘匿していたままだと、どうしても行動に制限が生じてしまうのである。
「何と、そのようなことが……」
何も知らなかったらしく、王は絶句してしまう。