9話「若草萌える」
翔太が目を覚ますまでにはさほど時間はかからなかった。
「さすが勇者様。回復力も素晴らしいですわ」
彼の視界に真っ先に飛び込んできたのは、見知らぬ女性である。
その近くにはジョンとリックという、見慣れた顔もあった。
「俺は倒れたのか……?」
彼らの顔を見たおかげで自分がどうなったのか、思い出すことに成功する。
「はい。ですが、すごかったです。新人なら誰もが一度は根をあげるメニューを、全部こなしてしまったのですから」
ジョンは瞳を輝かせて彼を称賛した。
力尽きて倒れてしまい、人の手で運ばれてしまった身としては素直には喜べない。
だが、目の前の騎士が本気でそう思っていることは分かる為、否定することもできなかった。
「そうなのか。みっともなくはなかったなら、いいんだけど」
声量を意図的にひかえめにして、彼はそう言う。
「みっともないなんて、とんでもない!」
ジョンとリックが同時に叫ぶ。
これには翔太はもちろん、救護室の女性も呆気にとられてしまう。
二人の視線に気づいた彼らは咳ばらいをする。
それからリックが勇者に言った。
「鍛錬所にお戻りになればきっと分かります。勇者様がどのようなお姿だったのか」
彼が熱く力説するのは珍しいように思えた為、翔太はしたがってみる気になる。
二人の騎士につきそわれて戻り、視界に飛び込んできた光景に彼は思わず固まった。
そこには激しく打ち合いをする騎士たちがあふれていたのである。
誰もが真剣にやっているせいか、鬼気迫る迫力があった。
彼が参加していた時はここまではなかったはずである。
一体何があったのかと翔太は思ってしまう。
すると彼のところへ教官がやってきた。
「もう回復なさったのですか、勇者様」
彼の態度はしごいていた時とはうって変わり、とてもていねいなものである。
あの時は教官と新人であり、今は勇者と一騎士ということなのだろう。
「ご指導いただき、ありがとうございます。倒れてしまい、申し訳ありません」
翔太がお礼とお詫びを言うと、老年の教官は慌てて手と首をふる。
「めっそうもございません。お礼を申し上げなければならないのは、こちらです」
彼はそう言って鍛錬中の若者たちに視線を移す。
「お恥ずかしい話なのですが、全ての騎士が鍛錬に熱心だったわけではありません。いざという時働けるのであれば、それでかまわないではないか。そういう意識だった者もいたのです」
一緒に練習していた時、うすうすそのような気はしていた。
だからこそ今のこの姿が驚きなのだが。
「それが今ではこのとおりです。勇者様が神器という絶大な力を手にしながらも、基礎鍛錬をあれだけ熱心になさっていたのが、こやつらにいい影響を与えたようですな」
「教官殿のおっしゃるとおりです」
ジョンとリックも同調する。
「勇者様があれだけ熱心に励まれているお姿を見て、自分が恥ずかしくなりました」
「自分はあそこまで必死にやっていただろうかと思えば、今は穴が入りたい気持ちでいっぱいです」
二人にかわるがわる言われて、翔太は気恥ずかしさで身もだえしそうになってしまった。
決してそのようなつもりはなかったのだが、意図していなかったところでこれほどまでに称賛がくるとは。
(ここは否定しちゃいけないんだよな、たぶん)
自分は大したことないと言うのは簡単なのだが、それでは最適解にはなりえない。
そう直感した翔太はかけるべき言葉を吟味してから、口を開く。
「これから頑張ればいいんだよ。まだ取り返しがつかない段階じゃないか。そうだろう?」
「そのとおりです」
老教官がすかさず賛成してくれた為、説得力が増した。
「はい。生まれ変わった気持ちで頑張ります」
「せめて鍛錬する姿勢くらいは、勇者様に劣らぬように」
ジョンとリックの返事は、おそらく全ての近衛騎士たちの気持ちを代弁したものだろう。
老教官はじっと二人を見つめていたが、やがて視線を翔太へ向ける。
「勇者様は今日と同じメニューを毎日こなしていただければよいと存じます。数か月もすれば、何とか形ができてくるでしょう」
「数か月ですか……」
彼が思わず声をもらすと、苦笑されてしまう。
「焦ってもよいことはございませんぞ。基礎や土台というものは地道な反復練習で培ってこそ、強固になるのです」
「それは分かっているつもりですが、数か月ものあいだ、デーモンが襲撃してこないってことはないだろうなと思いまして」
彼の本心を聞くと教官は笑みを消して、考え込む。
「それはごもっとも。されど、慌ててやってもさほど意味はなし……三巨頭が攻めて来ないことを祈るしかありませんな」
無責任だと言うのは簡単である。
だが、しわが混ざった顔には苦みと憂愁が帯びていることを見れば、何も言えない。
少なくとも翔太はそのような性格だった。
「そうですね。そうしましょう。残りの三巨頭はまだ封印されたままという可能性があるようですから」
「なるほど。勇者様がさらにお強くなる為の時間はまだ残されているのですな。それでしたら、微力ながらお手伝いいたしましょう」
老教官の言葉はとても頼もしく感じられて、彼は礼を述べる。
「何の。ジョンとリックをご覧になれば、別の言葉も出てくるかと思いますぞ」
厳めしい表情が良く似合う男にしては珍しく、おどけたような発言だった。
それだけに興味を惹かれて二人に視線を向けてみる。
すると二人の騎士の顔が、どちらも青ざめているではないか。
彼らは何も声には出さなかった為、彼が自分で言う。
「それほどまでに厳しいのですか?」
「少なくともこやつらはそう思っているようですな。しかしながら、世界を救う為の糧が欲しいとお考えでしたら、やっておいて損はございませんぞ」
老教官が自信たっぷりに言い切った為、勇者はその厚意に甘えることにする。
「ならやってみようかな」
「えっ」
「さ、さすがは勇者様……」
やると言っただけでジョンとリックがこの反応とは、一体どのような内容なのだろうか。
若干不安になったものの、今さら「やっぱり止めた」とは言い出しにくい。
老教官は彼に対して感嘆のまなざしを向けていたが、やがてジョンとリックに移す。
その時にはすでに指導者のものへと変わっていた。
「これは私の推測だが、勇者様はこの世界の為に戦うと断固たる決意をお持ちなのだろう。使命感や責任感よりもさらに一回り強いものを」
使命感や責任感よりも強い決意、という言い回しは翔太には分かりにくかったのだが、騎士たちには通じたようである。
何かに気づいたようにハッとしていた。
それを不思議そうに見ていると、教官が翔太に言う。
「断固たる決意は使命感と責任感から生まれる。弱き者への責任を持て、己の使命を自覚せよ。その強き想いを決意という刃に変えよ。……戦神ディマンシュ様の教えの一つでございます」
「なるほど」
そういう話があるのであれば、彼らが納得した理由も分からなくはない。
「すでにそのような決意をお持ちだとはやっぱり勇者様ですね」
またそこに戻るのかと翔太はついつい思ってしまったが、彼らは勇者への称賛を続けずに互いに視線を向ける。
「俺たちも負けていられないぞ、リック」
「ああ、俺たちにできることは少ないかもしれないが、それでもやらなければな」
二人はそう言い合うと鍛錬に戻った。
それをぽかんとして見送った彼に教官が話しかけてくる。
「勇者様はただデーモンを倒すだけの存在ではなくなりましたな」
「そう……なのでしょうか?」
彼は受けとめられず、首をかしげると老人はうなずく。
「勇者様のお姿を見て、他の者が意識を改める。とても素晴らしいことだと思います」
嬉しそうな声を聞かされて、彼は内心複雑だった。
鍛錬に熱心ではない者が近衛騎士としていたのかというのが、彼の正直な気持ちである。
しかし、声に出せば波風が立ってしまうだろう。
それに鍛錬中の騎士たちからひたむきさを感じられなかったのは、否定できない事実だった。
「人のあり方を見て、我がふりを直す。私が何か言うまでもなく、自発的に改めたのだから、あやつらもそう捨てたものではないのかもしれませぬ」
これが勇者を称えるものであったり、騎士たちを褒めるものであったならば、あるいは彼も反発したかもしれない。
だが、教官の口調には救われたかのような響きがあり、その表情は実に晴れ晴れとしていた。
あるいは彼なりに今の若い騎士たちに対して、思うところがあったのかもしれない。
そしてそれがあの厳しさとなって表れていたのではないか。
(ここの人たちも色々とあるんだなぁ)
翔太はそう実感する。
そしてそのことに気づけるようになってきたあたり、心にゆとりが生まれはじめたのかもしれない。
よい方向への変化だと思うことにする。
「若草萌えて明日を創る、ですな」
教官は騎士たちを見ながら、そうつぶやいた。