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8話「勇者の影響」

 近衛騎士たちと同じ鍛錬メニューでかまわない。

 かつて翔太はそう言ったのだが、ほんの少しだけ後悔していた。

 クローシュの近衛騎士は早朝に起きると重い鎧を着たまま、走るのである。

 彼らが戦う時は装備しているのが基本だから、装備した状態で駆けつけられなければ何の意味もないという理由で。

 全くもって正論だと彼は思う。

 もし自分が当事者でなければそれですませていたかもしれないが、実際にやらされるとなると話は別だった。


「これは……かなり……きついな……」


 走りを終えた後、勇者は荒い呼吸をしながらジョンに話しかける。


「いや、すごいですね。いきなり走り切った人は、なかなかいませんよ」


 気さくな騎士の表情は複雑そうだった。

 とてもきつそうな勇者を心配すればよいのか、新人用メニューとは言えしっかり走り切ったことを褒めればよいのか、迷っているらしい。


「勇者様は神器を使ってこそなのですから、お使いになればよかったのでは?」


 その近くでリックが疑問を投げかける。

 彼にしてみれば神器をどれくらい使いこなせるかで勇者の強さは決まるのだから、基礎能力の向上を図るのはどれくらい意味があるのか分からないのだ。


「いや、それだけだと三巨頭は厳しそうなんだよ」


 ようやく息が整えて翔太はリックに応える。

 

「三巨頭ってそれほどまでに強いのですか?」


 勇者の言葉に周囲の近衛騎士たちの表情も険しくなる。


「ああ、残念ながら、俺がニーズヘッグのサラヴァンに勝てたのは運がよかったのもあるさ」


 昨日、ユニスとシンディに「自信を持ったふるまいをする」という話をした後なのにも関わらず、こう言うのもどうかとは思う。

 しかし、苦戦した事実を隠すのはもっとよくないと彼は考えているのだった。

 

(強敵を強敵として認める。それこそ、周囲の手本になれるんじゃないだろうか)


 そう信じているのである。


「さすが伝説の三巨頭なのか……」


 誰かがそうつぶやいた。


「でも、勇者様なら勝てるんだぜ?」


 別の誰かがそう言うと、暗くなりかけていた空気が明るさを取り戻す。


「そうだ、勇者様がいらっしゃるんだ、何とかなるさ」


 力強い声があちらこちらから発生する。

 勇者こそが世界の希望の星だというのが、嫌でも分かってしまう流れだった。

 翔太としても嬉しくないと言えば嘘になってしまう。


(この期待を裏切らないように頑張ろう)


 そう思って彼は次のメニューに取りかかる。

 次は剣を用いた鍛錬だった。

 重めの木製剣で素振りをするのである。

 事前に頼んでいたこともあり、翔太は厳しくしごかれた。

 剣に関して素人だった彼は、まず持ち方やかまえ方から矯正されたのである。

 その後もいちいち教官から怒声が飛ぶ。

 

「新人でもここまでひどくはないぞ、間抜けめっ!」


 そう呆れられたことも少なくはない。

 いつしか他の騎士たちの動きはとどこおりがちになり、固唾を飲んで翔太のことを見守っていた。

 彼は周囲からの視線に気づきながらも、歯を食いしばって必死についていく。

 彼が今よりも確実に強くなる為には必要なことなのだから、それも当然だった。


「貴様ら、たるんどる! 練習量を増やすぞっ!」


 ついには翔太を怒鳴り続けている男が、他の騎士たちにも怒声を浴びせる。

 怒鳴られた男たちは飛び上がって自分たちの日課に戻っていく。

 その間も彼は手を抜いたりしない。

 厳しい鍛錬を血肉として、自身の実力に変えたいのだからサボっては意味がないのだ。

 

「すごいな、あの人」


「皆、途中でぶっ倒れるようなメニューなのに……」


「新人で最後までやりとげたのってルキウス様……ルキウス以来なんじゃないのか?」


 心配、不安、同情といった視線もいつしか感嘆、称賛、尊敬へと変わっていく。

 結局、翔太は最後までやり遂げることはできなかった。

 途中で倒れてしまったのである。


「よし、連れて行って休ませろ」


 教官が短くそう言って彼が運び出された時、失望の声は上がらなかった。


「勇者様の根性、すごかったな」


「見ていたか? 倒れ込んでも木剣を放さなかったぞ」


「さすが勇者様だな」


 騎士たちは何か感じるものがあったのか、表情は真剣そのものである。

 それを感じとった教官は怒らず、彼ら一人一人の顔を順に見やった。


「勇者様はお世辞にも剣士として大したことはなかった。しかし、守護三神に選ばれたお方だけあり、貴様らごときではとうてい及びもつかぬものをもっていらっしゃったな」


「は、はい」


 ゆっくり教え聞かせるような言葉に、騎士たちの背筋はぴんと伸びる。

 そこに教官の声が飛ぶ。


「貴様ら、勇者様のあのお姿を見て、自分たちが恥ずかしいとは思わんのかっ!」


「思いますっ!」


 騎士たちは脊髄反射ではなく、心の底からそう叫んでいた。

 どうしてあそこまで必死になれるのか。

 別に地味で辛い基礎鍛錬などしなくてもよいはずなのに。

 神器の力を使いこなしさえすれば、最強になれるはずなのに。

 はっきり言えば剣士としての単純な実力では、翔太はこの中の誰よりも下だろう。

 だが、別にそれでもよかった。

 ディバインブレードがあれば恥をさらさずとも、圧倒的な強さを発揮できる。

 それが神に選ばれた伝説の勇者のはずだ。

 どうして汗と泥にまみれる必要があるのだろう。

 何故歯を食いしばって教官に怒鳴り続けられなければいけないのだろうか。

 これらの疑問、思いがクローシュの近衛騎士たちの心で炎となって激しく燃えていた。


「勇者様があそこまでされているのに、俺たちがやらないわけにはいかないよな」


「ああ。クローシュは俺たちの国なんだ。そりゃ、デーモンが相手なら勇者様が頼りになってしまうかもしれないが……」


「それでもやれることはあるはずだ。俺たちは近衛騎士なんだから」


 そう語り合う騎士たちの目と言葉にも、熱気がこもっている。

 いつもだるそうに義務的にやっていた者たちですら、目の色を変えて鍛錬に臨んでいた。

 残念ながら近衛騎士と言えども、意識の低い者たちはいたのだが、どうやら過去形で語ってもよさそうである。

 それを見守る教官の男は小さくつぶやく。


「勇者殿の影響力とは、ここまですさまじいものか……」


 誰もが勇者のようになれるはずもない。

 しかし、それをただの言い訳だ。

 そのあり方は真似することはできると無言で言っているかのような光景が、彼の目の前に広がっている。


(勇者殿に感謝しなければならない理由が一つ増えたか)


 教官はそっと微笑した。

 今度休暇をもらえた時には息子夫婦の家に遊びに行き、孫に今代勇者の話でもしてやろうかと思う。

 息子夫婦も孫も大概のクローシュ人と同様、勇者の話が大好きなのだった。

 孫が聞きたいのはおそらくガムース城を攻め落としたデーモンどもを、たった一人で撃破した話だろう。

 あるいはグルノーブルの危機を救った話か、三巨頭サラヴァン相手に苦しみながらも逆転勝ちしたエピソードかもしれない。

 だが、彼にしてみれば今回の地味な鍛錬の話こそ、孫に伝え聞かせたかった。

 いきなりこれからすると嫌がって逃げ出すに違いない為、まずは他の話をした後でになるだろうが。

 一方勇者はと言うと、救護室へと運ばれていた。

 出迎えてくれたのは三十代後半と思われるふくよかな女性である。

 栗色の髪に赤い瞳を持つその女性は、一目見て勇者だと気づいて目を丸くした。


「まあ、一体どうしたというの?」


 叫んだ彼女に彼を運んできたジョンが説明する。


「何、毎年新人がぶっ倒れるやつだよ、ベッツィー」


「えっ? まさか勇者様がそれをやったのっ?」


 ベッツィーはよほど驚いたらしく、二度叫ぶことになった。


「ああ、勇者様の希望でね。俺たちとしては逆らえるはずがないさ」


 そう言ったジョンは複雑そうである。

 彼は翔太と接した時間がそれなりにあり、その性格を知っていた為に多くの近衛騎士たちほど感情は揺さぶられなかったのだ。

 むしろ今の彼の体調を心配する気持ちが強い。

 もう一人のリックも彼と同様であった。

 彼らが勇者の運搬役として選ばれたのは、他の者たちよりも冷静に勇者を運べそうだったからという理由である。

 

「どうしてそのようなことを?」

 

 ベッツィーは散々他の誰かが言った疑問を口にした。

 彼らが彼女に応えたのも、勇者が何度も説明したとおりである。


「本当にこの人は立派なお方さ。伝承が間違っているのか、それともこのお方だけが本物の勇者なのかまでは、俺には分からないけどね」


 ジョンはそう言って肩をすくめた。


「いずれにせよ、診断と手当てを頼むよ」


 頼まれたベッツィーは慎重に翔太の容態をチェックしていったが、やがて息を吐き出す。


「ただの疲労だね。水分を補給して少し休ませていれば、すぐにでも回復するさ」


「あれだけしごかれていたのに、ただの疲労か……」


「勇者様はとんでもなくタフなのだな」


 ジョンとリックは感心半分、呆れ半分といった風に声を漏らす。

 これらをベッツィーが鼻で笑う。


「当たり前と言えば当たり前だけどね。だってルーランの王都まで、神器の力を使って一気に馬車を走らせたんだろう。いくら神器の力がすごいと言っても、本人の疲労を回復させる力まではないんだ。つまり、勇者様本人がここからルーランまで馬車を走らせ続けるだけの力があるって証なのさ」


「……言われてみれば、そういうことになるのか?」


 近衛騎士たちにしてみれば、目からうろこが落ちたような気分だった。

 もちろん馬車を走らせていたのは騎士だし、走ったのは馬である。

 彼らが大して疲労を感じなかったのは神器の力のおかげだろう。

 しかし、神器の力で疲れず遠くまで行けたとしても、神器の力を使い続ける消耗がないわけではない。

 むしろ勇者一人に負荷をかけていたことになってしまうのではないだろうか。

 

「そうだとすればとてつもないことだが……」


 ジョンとリックは互いにうなずきあう。

 勇者にばかり負担をかけたくないと、相手の顔に書いてあるのを確認しあった。

 そうは言っても、遠距離だとどうしても勇者頼みになってしまう。


「防衛策以外にも勇者様依存から脱するべきだよな」


「そうだな。その為にもアイデアを出していかなければな」


 二人はそううなずきあった。

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