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4話「侍女と入浴」

 全裸になったシンディはにこやかに微笑を浮かべて、引き戸を開けてくれる。

 翔太は彼女の肉体をなるべく見ないようにしながら、中へと進んだ。

 浴場は黒いつやのあるざらついた石が敷かれていて、広さは全体で八十平方メートルほどであろうか。

 大の大人が二十人くらい入ってもまだ余裕はありそうに感じられる。

 そのような場所をただ一人、世話役の少女と二人で使えるというのは贅沢な話だ。

 こちらの世界にさすがにシャワーというものはないようである。

 湯桶と体を洗う白いタオルはシンディが持っているのだが、風呂椅子らしきものは見当たらない。

 どうすればいいのかと思っていると、彼女は浴槽から湯をくみ彼に「失礼します」と断ってからお湯をかける。

 それを何回か繰り返した後、彼女は石けんと思われる液体をタオルにつけて彼の体を洗いはじめた。


「それは石けん?」


 ずっと無言であることに耐えかねて、彼は質問してみる。


「はい。翔太様がお生まれになった世界にもございましたか」


 シンディはすぐに答えてくれた。

 

(この子は俺が異世界から召喚されたと知っているんだな)


 彼としてはそう思わざるをえない返しである。

 王女直属であれば不思議ではないし、もしかすると勇者召喚というものがそういうものなのかもしれないが。

 

「うん。ただ裸の女の子に洗ってもらったことはないけどね」


 こういうことは不慣れなのだとアピールしてみる。


「世界が違えば色々とかわるでしょうね」


 シンディは「なるほど」とうなずいてくれたが、だからと言って態度が変わったりはしなかった。

 翔太としては郷に入っては郷に従えと無言で言われたかのような感覚にとらわれる。


(まあ、その方が溶け込めるかな)


 人間同士の社会に溶け込もうとすれば、やはりその社会のならわしに従うのが不可欠であろう。

 幸いなことに、翔太はそれに抵抗は少しも感じないタイプの人間である。

 彼がぼんやりとそんなことを考えていると、不意にシンディが耳打ちしてきた。


「もしよろしければ体を使ったお世話もさせていただきますよ?」


 ぎょっとして彼女の顔を見つめたが、そこにあったのは真剣そのものの顔である。

 少なくとも彼女は冗談で口にしているのではなさそうだ。


「いや、いらない」


 彼がはっきりと断ると彼女は「かしこまりました」とだけ答え、素直に引き下がる。

 そして今度は頭を洗ってくれた。

 これにはホッとしたものの、どこかすっきりしないものを感じる。


(でも男の世話をするのは初めてって言っていたしなぁ)


 もしかするとそういう世話をする場合は、などという教え方をされていたのだろうか。

 こちらのならわしを否定するつもりがない以上、踏み込むことなどできないので、彼は黙って浴槽につかる。

 お湯は熱すぎない程度に熱く、かなり翔太好みであった。

 彼の好きなお湯の温度など知られているはずがないのだから、この辺の好みは似ているということかもしれない。

 シンディはと言うと、浴槽には入らず外で待機している。


「入らないのかい?」


「そういうわけにはまいりません」


 翔太が声をかけても即答が返ってきた。

 そういうものなのかもしれないが、彼としては裸の少女がすぐ近くにじっと立っているという状況が耐えがたい。

 数秒迷ったのち、強権をちらつかせてみる。


「勇者として命令してもかい?」


「……勇者様のご命令とあれば、逆らうわけにはまいりません」


 シンディはほんの一瞬だけ詰まり、クールな表情を崩さずに返答した。

 

(やっぱり勇者の命令の方が勝つのか……)


 本来であれば王族が世話をするベきなのだと言われたことから予想していたのだが、当たったところで何とも形容しがたい複雑な気持ちである。

 

「じゃあ、一緒に入ってくれないか」


「かしこまりました。それでお目汚しかと存じますが、まずは体を洗わせていただきます」


 もっともだと思ったので、翔太はうなずく。

 それを確認してからシンディは自分の体を洗いはじめた。

 ひとまず安心した彼は、目を正面の大理石みたいな白い壁に向ける。

 それでも彼女がお湯をかける音や、体を洗う音を耳が拾ってしまう。

 何とも妖しくて不思議な感覚で、ドギマギとしていた。

 これではまるで初心な少年のようではないか。 


(一緒に風呂に入ってくれるような恋人なんて、いなかったからなぁ)


 そう思い出すとちょっと悲しくなってしまう。

 皆恋人ができたり結婚していたというのに……熱い湯につかっているはずなのに、冷たいすきま風を浴びている気持ちになってきた為、慌てて考えることを変える。

 

「失礼いたします、勇者様」


 シンディはそう声をかけて、かなり離れた位置に入った。


(ちょっと遠すぎないか……)


 翔太は率直にそう思う。

 顔は何とか見えるが、声は張りあげることを意識しないと届きそうにもない。

 だが、あまり接近されても彼としては困る。

 その為、どう言えばよいのか、とっさに判断しかねた。

 それでも結局「もう少し近寄ってくれ」と頼む。


「はい。勇者様がわたくしが側に控えるのは快く思っていらっしゃらないようでしたので。さしでがましいことをして、申し訳ございません」


 するとシンディは謝罪しながらそっと近づいてくる。


(バレバレだったか)


 考えてみれば侍女という仕事は、主人の心情を察知するのも役目のうちだ。

 感情を隠す技術など知らないしポーカーフェースも上手くない翔太の気持ちくらい、手にとるように分かってしまうのはありえる。

 彼女は一メートルくらいまで近づいたところで確認してきた。


「これくらいでよろしいでしょうか?」


「うん、ありがとう」


 これ以上近づかれては困るし、かと言って離れても会話が難しい絶妙な位置と言える。

 見事に彼の心理を察していると思われた。


「シンディはユニスに仕えて長いのかい?」


 そのせいもあって無言でいられず、翔太は無難と思われた問いを投げかける。


「はい。今年で四年めとなります」


 同じ主人に四年仕えるのは長い方になるのか、と彼は思う。


「王族に何年も仕えられるなんて、やっぱりいいところのお嬢様なのかな?」


「実家のルヴァロワ家は侯爵の地位をいただいておりますが……王族の方々と比べればとても」


 彼女は目を伏せてそう答える。

 比較対象が王族しかないのであれば、王族に次ぐ地位なのではないかと彼は思ったが、何となくそれをたずねるのはためらわれた。

 どうにも礼儀的な意味で謙遜しているのではなく、本気でそう言っていそうだったからである。

 質問攻めにするのもよくないと判断した彼は、逆に自分に訊きたいことがないかと言ってみた。


「それでは……不躾ながら質問させていただきます。勇者様がいらっしゃった世界はどのようなところでしたか?」

 

「難しいな」


 翔太は眉を寄せて考える。

 住んでいた国がどういうところかと言われると、そこまで難しくはない気はする。

 しかし、世界そのものがどうかと問われると説明するのは厄介そうであった。


「平和な国もあれば戦争している国もある。あまった食料を捨て続けているような国もあれば、貧しい人が毎日のように餓死している国もある。……そんなところだったよ」


 彼はこれで伝わるだろうか、他にどう言えばいいのだろうか、と案じながら語る。


「そうなのですか。少しこの国と似ていますね」


 シンディはぽつりとつぶやく。

 消え入りそうなほど小さな声量だったので、彼は聞こえなかったふりをする。

 詳しい情報はユニスが教えてくれることになっているのだから、今彼女から無理に聞き出す必要はあるまい。

 

「どこの国にも問題点はあるんじゃないかな」


 特に考えもなく彼はそう言うと、浴槽からあがる。

 目の前に年頃の少女がいる為、タオルで一部を隠してだ。

 彼の全身が浴槽から出た後で、シンディも立ちあがって後に続く。

 それに気づいた彼は歩く速度をややゆるめる。

 引き戸を開けると、入る時にはなかった白いタオルが床に敷かれていたのでそこに立つ。

 

「失礼いたします」


 シンディがかがみ込み、彼の足をゆっくりと拭いてくれる。

 それから体が拭かれる番であった。


(少しは隠してくれないかな……目のやり場に困るよ)


 彼女は白い肌と豊かな曲線を描いている見事な肢体を、あまりにも堂々とさらしすぎだと思う。

 立場上、自身のことよりも彼のことを優先しなければならないと分かるのだが。

 服を着せてもらった彼はディバインブレードを佩き、シンディが服を着るのをじっと待つ。


「お待たせしまして申し訳ございません」


 衣擦れ音が聞こえなくなり、そう声をかけられたところで彼は足を動き出す。

 すると彼女は音も立てず、すっと彼の前に出てドアを開ける。

 

(大変だな)


 そう感じたが、彼は何かをしようとは思わなかった。

 もし彼が自分でやれば彼女の仕事を奪うことになるし、王女から叱責を受けるであろう。

 世話をされるのも勇者の役目というやつだと割り切るしかない。

 外に出ると見覚えのない侍女が、トレーの上に水が入ったコップを乗せて待っている。

 シンディがそれをとって翔太へと渡す。


「どうぞ。柑橘水でございます」


「ありがとう」


 礼を言って飲んでみると水はよく冷えていて、ほのかに柑橘類の味と香りがした。

 おそらくはレモンであろう。


「シンディも飲むかい?」


 翔太が軽い気持ちで訊いてみると、シンディはとんでもないと言わんばかり素早く首を横に振る。


「わたくしは後でいただきます。勇者様からたまわるわけにはまいりません」


 その言葉にはどこか必死さを感じさせた為、彼としては再度すすめるわけにはいかなくなった。

 自分で全部飲みほしてユニスが今どこにいるのかを問う。


「姫様でしたら今は自室にいらっしゃるのではないかと存じます」


 名も知らぬ侍女がそう教えてくれたので、彼は考える。

 この勇者という立場ならば、王族の自室を訪れること自体はそこまで異常ではないだろう。

 しかし、見た目が十代半ばの男が、年頃の女性の私室に赴くことを周囲はどう見るのだろうか。

 その疑問がネックとなり、彼を悩ます。

 

「あら、ショータ様。お湯の加減はいかがでしたか?」


 その悩みは不意に聞こえたユニスの声で解消されてしまう。

 彼女はドレスを白色のやや地味なものと着替えている。

 

「とてもよかったよ。心身共にリフレッシュできた気がする」


「それはようございました」


 彼女は両手を胸の前で重ね、花が満開になるような笑顔になった。

 それから青い目をシンディへと走らせる。


「お役目大儀です。一度さがりなさい」


「はい。姫様、勇者様、失礼いたします」


 赤髪の侍女が引きさがるとユニスは翔太と目を合わせた。


「では勇者様。わたくしがご案内いたしますね」


 その笑顔に導かれるように彼は、彼女の後へとついていく。

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